三浦つとむ『現実・弁証法・言語』
勁草書房・1972年7月25日
(1)原著の傍点は「下線」で表した。
(2)適宜「(ルビ)」を振った。
−p.300−
誰かが私に、これまでの学問的活動の中でもっとも重要な出来事は何かと問うならば、唯物論的弁証法とのめぐり合いであったと答えよう。もしこの理論の指示に従って、対象の持つ矛盾を発見したぐっていくことに努力しなかったならば、言語の認識論的解明はもちろん、実証科学の仕事は一つとして実を結ばなかったにちがいないからである。弁証法は哲学者たちにとっては猫に小判であったらしいが、科学者の私にとってはすばらしく鋭利な武器として、何ものにも代えがたい貴重な道具として、大いに有用性を発揮してくれた。またそれだけに、ソ連や中国の官許マルクス主義における弁証法の歪曲や、そこから生れた学問の停滞ないし政治的偏向に対しても、無関心ではいられなかったのである。
昨今は言語論がブーム状態を呈しているが、その実態はといえば、流行思想の輸入商人たちがサイバネティックスの系列のタダモノ論やフランス的発想の観念論など、外国の流行を美辞麗句をならべて売り出しているにすぎない。きらびやかな衣装をまとった解釈学で、実証科学としての言語理論の本質的な前進などどこにも見あたらないのである。こういう時代には言語観を持たないと巾がきかないからと、フーコーやルフェーブルなどに抱きついた日本の哲学者や評論家もあるが、これらも科学とは縁もゆかりもない妄想を綴っているのだとは気づいていない。こんな欧米の流行にとびつくよりも、我が国の国語学者や文学者の業績を吟味するほうが、ヨリ実りがあると私は考えている。漱石に関する評論は山積しているが、彼の文学論と正面からとりくんだ研究が出てこないところに、評論家の怠惰を感じるのは私だけではないと思う。
このたび、国文社の田村雅之氏から論文集を出したいとの申し出があったので、ここ数年間に書きためた論文を右のような観点で選択し、一冊にまとめることにした。論文中雑誌に発表されたものは、
若さがゆえに可能性があるか――『全逓時報』一三〇、一三一合併号、一九七二年二月
横目で見る立場から――『科学教育研究』第2号、一九七〇年一一月
北川敏男の〈営存論〉――『試行』33号、一九七一年七月
東西「粗忽長屋」物語――『試行』36号、一九七二年六月
の四編であるが、紙数の他制・自制で発表当時触れえなかったところを、それぞれ加筆しておいた。その他はすべて未発表のものである。
一九七二年六月
著 者