唯物史観と赤ん坊 学術用語としての〈独裁〉 歴史の偽造 珍家族論の双璧 若さがゆえに可能性があるか 横目で見る立場から――「仮説実験授業」についての感想 |
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〈人間〉論は、まだ産れない前の胎児から、一人では生きていくことのできぬ赤ん坊をもふくむものでなければならない。〈人間〉は自然科学的にも、また社会科学的にもとらえることができるが、このとらえ方のちがいは、まだ産れない前の胎児なり、赤ん坊なりについても、自覚されていなければならない。
自然科学的な親子関係から見れば、胎児が死んで産れようと、産れてから間もなく死のうと、せっかく育ちつつあった一つの小さな〈生命〉が失われたことであって、子どもを失ったという結果に変りはない。ところが財産の相続という所有関係から見れば、いまの法律は幼児を相続者と認めているために、大きなちがいが生れてくる。夫が死んで妻と胎児とが残された場合、法の規定によって夫の財産の三分の一を妻が、三分の二を胎児が相続するが、もし胎児が死産のときはさかのぼって二分の一を妻が、二分の一を夫の両親が相続する。産れて間もなく死んだ場合は、胎児の遺産を妻が相続するから結局夫の遺産全部を手に入れることになる。遺産が莫大なときは、妻が二分の一相続するか全部相続するかが、家族の生活全体に大きなちがいをもたらすことになろう。
〈人間〉の赤ん坊は動物の赤ん坊とちがって、自然の中に放り出されてわずかが生き残るとか、親が自然の中から見つけてきた餌をもらうとかして、大きくなっていくわけではない。大人と同じように、労働を対象化して・すなわち〈生産〉によって・つくり出した生活手段によって生きていくのであって、その〈生活過程〉(Lebensprozeß)は単に〈生命〉を維持するというだけではなく、衣食住のありかたにおいても精神活動においても〈人間〉とよぶにふさわしい社会的〈生活〉である。それだけではない。その家族は階級社会にあってはいずれかの階級に属すのであって、生れたばかりの赤ん坊も例外ではない。支配階級では、皇太子とか若様とかご長男といえば、やがて政治的・経済的な権力の座につき、地位と財産とを手に入れるのであるから、これをめぐって家族や親族のからんだスキャンダルが起り、いわゆる〈お家騒動〉がくりひろげられる場合もすくなくなかった。被支配階級では、もちろん奴隷の家族として奴隷の後継者の道を進むべき運命を負っている点で、鎖につながれた昔の奴隷の家族も毎日ラッシュアワーにもまれて通勤する現在の賃金奴隷の家族も変りがない。奴隷所有者の赤ん坊と奴隷の赤ん坊とは、自然科学的に区別しないが社会科学的には区別しなければならないといわれれば、それに反対するマルクス主義者はいないであろうが、唯物史観における〈人間〉論という抽象的なレベルになると、現実をしっかりとらえていないマルクス主義者特に哲学者がこの区別を忘れかねないのである。清盛が常磐御前の三人の子どもを生かしておいたため、平家が滅ぼされたと知ってはいても、唯物史観を論じるときには赤ん坊の生活を歴史のダイナミズムの中に位置づけないで、単なる〈生命〉と解釈しかねないのである。
唯物史観は、物質的な生活の生産こそが歴史の基礎であると主張する。『ドイツ・イデオロギー』はいう。
「人間は、彼らの生活手段(Lebensmittel)を生産することによって、間接に彼らの物質的な生活そのもの(materielles Lebens selbst)を生産する。」
「唯物論的見解によれば、歴史における究極的な規定要因は、直接的生活(unmittelbaren Lebens)の生産および再生産である。しかし・これ自体はまた二種類のものからなる。一方では生活手段(Lebensmitteln)すなわち衣食住の対象の産出とそれに必要な道具の産出、他方では人間そのものの産出すなわち種の繁殖である。
前の説明が過程をとりあげているのに対し、後の説明は構造をとりあげて主体的側面を述べているだけのちがいであるが、後の説明を恣意的に解釈するとき前の説明が冷水をぶっかける役割を果たすことにもなっている。後の説明での〈直接的生活〉の生産は、前の説明での〈物質的生産そのもの〉の生産と同じ対象をさしているからである。
ところが河上肇は大正のころに〈直接的生活〉を〈直接的生命〉と訳して、この序文の中にある二つの Leben を〈生命〉と〈生活〉の二様に解釈した。そしてこの解釈が今もって各種の訳本に受けつがれ、一九六九年にモスクワのプログレス出版所から出た『マルクス=エンゲルス三巻選集』日本語版も、やはり〈直接の生命〉と訳している。これに反して『ドイツ・イデオロギー』はどの訳本も〈物質的生活〉と訳すという混乱ぶりである。大熊信行は、エンゲルスばかりでなくマルクスの使った Lebens まですべて〈生命〉だと解釈し、「食うことは物の消費で生命の生産であり、働くことは物の生産で生命の消費である」とマルクスが主張しているかのようにいいはったし、さらには「人間が人間をつくりだすという一つの作用。これは実に『生産』という言葉の、もともと生命的な意味において生産的な機能です。」(『家庭論』)と、マルクスの〈生産〉概念がブルジョア経済学者のそれと異質であることをまったく無視してしまって、生殖の問題ひいては〈生産〉の問題を自然科学的に解釈した。私はもちろんLebens を〈生活〉と説明していたから、それを知った大熊は私の説明はまちがっていると反対した。政治学者柴田高好の『マルクス主義政治学序説』(一九六四年)も、大熊に同調していう。
「人間と人間との関係のもっとも直接的、根源的関係は、男性と女性との関係であり、その男女関係の本質は、夫婦・親子の間の家庭関係、すなわち価値的人間そのものの生命の生産および再生産にある、という思想は、マルクス・エンゲルスにおいてはじめからのものであったといえよう。……このことの重大さをうまずくり返し指摘しつづけてきた大熊信行氏の業績は、今あらためてかえりみられねばならない。」
エンゲルスが歴史の「究極的な規定要因」といったのが、「男女関係の本質」にスリ変えられ、さらにプラグマティズムの「価値」概念までも加えられて、大熊流に変造されているわけである。哲学者の中原雄一郎もまたシンポジウム『史的唯物論と現代の思想的課題』(『前衛』一九六九年二月号)で、〈直接的な生命〉という解釈のもとに論をすすめている。
史的唯物論は、労働の発展史のうちに人間社会のすべての問題を解く鍵を見出す理論として成立したのです。同時に、人間が生きるということ、生命の再生産の基本的な二つの内容として、第一に、人間の生命活動としての労働、生活手段ないし生活必需品の生産と、そして第二に、非常に大事な問題として、つぎの世代の生命の生産、そのあり方は生活手段の生産のおこなわれかたによって規定されますが、その二つの生産をあげている。」
このように中原は大熊や柴田に近づいているのだが、浅田光輝も『幻想共同体としての国家』(『国家論研究』一九七二年創刊号)で〈直接的生命〉と記しているから、代々木も反代々木も〈生命〉と解釈する点では一致していることになる。私はこういう解釈を見せられると、まだ大正のころに徳富蘇峰が労働について論じていたのを思い出さずにはいられないのである。蘇峰は、「人間は喰うために働くのか、それとも、働くために喰うのか」と問題を立てた。もしも喰うために働くのであるならば、働かなくても喰える人間は働く必要はないということになるであろう、と彼はいう。人間は働くということがそもそも本質的な生活のありかたであって、働くために喰うと考えるのが正しいいわなければならない、と結論する。少年の私は、自分の疑問に正しい回答を与えてくれたと思って、それを忘れなかった。反動的なイデオローグのいうことだから何から何まで誤っている、というわけではない。エンゲルスの Lebens を〈生命〉と解釈し、人間が〈生命〉を維持しつぎの世代の〈生命〉をつくり出すために努力しているのだと解釈するなら、労働せずに〈生命〉を維持できる人間は唯物史観から除外されることになろう。〈生活手段〉が〈生命〉の生産と再生産のためならば、〈生命〉の自然科学的な維持のためで、真に〈人間〉らしい〈生活〉をいとなみ向上させていくための〈生活手段〉でなくてもすむことになろう。唯物史観は大熊や柴田や中原によって、〈生命〉を維持することができればそれで〈人間〉的なのだという、奴隷所有者のイデオロギーと本質的に一致したものに解釈されているのである。新しく生れた子どもも、家族としての社会〈生活〉を保証されるべきなのに〈生命〉を維持すればいいということになってしまい、動物的な〈生命〉以上のものを求めることはマルクス主義の歴史観と相いれないのである。こういう説明を平気で聞いている古在由重ほかの出席者も、中原と似たりよったりの頭の程度であることを証明している。「人間そのものの産出」(Erzeugung von Mednschen selbst)といわれれば、すぐ産院のベッドに赤ん坊が寝かされているところなどを想像して、これは新しい〈生命〉の誕生をさすにちがいない、と思うのは、皇太子の誕生と貧民窟の子だくさんとを比較して考えるという、階級的な観点に日ごろ立っていない文献解釈学者のふみはずしなのである。
〈生命〉の維持ということは生物学的なとらえかたであるから、産れた赤ん坊が父の遺産として一千万円の株券を相続していようがいまいが、そんなことは直接の関係はない。株券を着たり食べたりして〈生命〉を維持しているわけではないからである。その株券が配当をもたらし、配当が信託になったり定期預金になったりあるいは新しく株を買入れるのに使われたりして、財産が増えていったとしても、〈生命〉の維持と直接の関係はない。しかしながら社会的な〈生活〉として見れば、その赤ん坊は自覚していなくても客観的に資本家であり、搾取した剰余価値の分配にあづかっており、資本の所有者としての〈生活〉の〈生産〉の関係を維持しているのである。一方、その株券を発行した企業に働く労働者は、彼の労働力を売って手に入れた賃金で〈生活〉をいとなみ、赤ん坊の〈生活〉に必要な(しかし〈生命〉の維持に直接関係のない)オモチャや絵本なども買うのだが、その〈生活〉のありかたを維持するには絶えず労働力を売りつづけなければならない。こうして労働者の赤ん坊の〈生活〉と資本家である赤ん坊の〈生活〉とが関係づけられている。〈生活〉を〈生産〉するということの中には、〈生活〉において結ばれる人間と人間との(労働の対象化による)諸関係が〈生産〉〈再生産〉されていくということを、別のいいかたをすれば法的に所有関係とよばれる〈生産〉関係が〈生産〉〈再生産〉されていくということを、ふくんでいるのである。したがって大熊や中原のように〈生活〉を〈生命〉と解釈するならば、〈生活〉の〈生産〉関係の多くが論理的に脱落して、親が資本家として搾取した価値で赤ん坊の〈生活〉を行わせるという〈生活〉の〈生産〉関係ばかりでなく、赤ん坊自身が資本家としての〈生活〉の〈生産〉関係を〈生産〉〈再生産〉していくという事実をもふくんでいることが、無視されてしまうのである。〈生命〉としては無能力に近い赤ん坊や、病床に横たわる老人であっても、その〈生活〉においては歴史を大きく動かすという役割を演じている事実が、唯物史観によってはじめて理論的に正しくとりあげられたことを知らなければならない。
今ひとつ問題となるのは、unmittelbaren Lebens と〈直接的〉ということばがついている点である。〈生命〉において直接的とはいったい何を具体的に意味しているのか、訳者や〈生命〉論者は考えてみたのであろうか。単に〈生命〉で足りるはずなのに、わざわざ〈直接的〉ということばを加えてあるからには、〈直接的〉でない〈生命〉と区別しているとしか考えられないのだが、それでは〈直接的〉ではない〈生命〉とはどんなものか、説明する必要があろう。まさかエンゲルスが創価学会の教えのような、死語も消滅せずにどこかにひそんでいる特殊な〈生命〉を想定したはずもなかろう。
前の引用文を見ると明らかなように、unmittelbaren に相当することばとして materielles が使われていることから、その意味も大体想像がつくというものである。これは〈物質的〉というのと同じなのである。〈物質的〉〈生命〉に対して〈非物質的〉〈生命〉をエンゲルスが想定しているのだとなると、ますますもって創価学会的観念論だったという解釈に近づかざるをえない。Lebens を〈生活〉と考えれば、これは〈物質的〉〈生活〉になるから、なるほど〈物質的〉とことわったのは〈精神的〉〈生活〉と区別するためなのだなと合点がいく。何のことはない、歴史における究極的要因いわゆる〈土台〉は〈物質的〉〈生活〉であって、観念論者の考えるような〈精神的〉〈生活〉ではないのだと主張しているのである。何だ、エンゲルスはマルクスの唯物史観の定式と同じことをいっているのかと、了解できるはずである。これだけ説明してもわからずに、マルクスのいう〈物質的生活の生産様式〉までも〈物質的生命の生産様式〉に書き変えようとする人間は、死ななきゃなおらない人種であろう。唯物史観を歪曲する訳語や解釈は、一日も早く追放することが学問の発展のためにのぞましい。高島善哉までキリキリまいさせるのは、気の毒である。
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同じことばでありながら、学術用語としての内容と、日常生活で使われる常識的な内容とは、くいちがうことが多い。そしてまた、学術用語としての内容も、学者によってくいちがうこともあれば、まちがっていることもある。
たとえば、〈前衛〉ということばは、常識的には文字通り先頭に立って活動する人びとをさしている。スポーツでもその意味に使われ、芸術家でも同じであって、〈前衛芸術〉などということばもつくられている。ところが日本共産党的解釈によると、政治運動での〈前衛〉とは共産党の別名であって、他の政党は〈前衛〉ではないことになっている。社会党あたりでもそのような解釈を信じているらしい。けれども、レーニンの『何をすべきか』が明らかに語っているように、そもそもこれは「在外ロシア社会民主主義者同盟」とよばれる右翼日和見主義者の使ったことばであって、自分たちを「自由のための闘争におけるいっさいの革命勢力の前衛」と規定して宣伝煽動の必要を論じていた。レーニンは「これはまったく正しい、まったくりっぱなことばである」といいながら、自分で「前衛」と名のるだけではなく、万人がそう認めるように行動せよと批判する。「後衛の理論と実践とに〈前衛〉のレッテルをはりつけるだけでは不充分」だと、その日和見主義を克服するよう要求する。〈前衛〉ということばを、特定の政党に規定して使ってはいないし、常識的な意味をここでもつらぬいている。私もこういう使いかたが正しいと思う。日本共産党に通用するならば、もし革命勢力の〈前衛〉にふさわしい理論と実践を持っているならそう名のる資格があるし、われわれもそう認めようというだけのことである。現代の政党は、その階級がもっともすぐれた人びとを選抜して階級の指導的な部署に位置づけた政治組織であるから、その意味で〈前衛〉の名にふさわしい存在になるわけであり、自民党はブルジョア階級の〈前衛〉にほかならない。
ところで日本共産党は、いわゆるイメージチェンジのために、〈独裁〉ということばを破りすててラテン語のディクタツーラに代え、あちらこちらから嘲笑されている。〈監獄〉ということばは陰惨な感じがするから〈刑務所〉にしようというのに似て、実態は何ら変ってはいないではないかと、ブルジョア評論家からも軽蔑されている。我々はこの問題を軽蔑ですませてはいけないと思う。〈独裁〉ということばは昔から使われて来ているが、マルクス主義が学術用語として使う場合の意味はいったいどういうことをさしているのかを明らかにし、常識的な意味とくいちがいがあるならばそれを正しく説明するのがとるべき態度だと思う。日本共産党はその能力がないために、〈独裁〉ということばを破りすてることによって常識的な解釈からのがれようという、愚かな態度をとったのであった。
〈プロレタリア独裁〉とか〈ブルジョア独裁〉とかいう場合には、階級の他の階級に対する〈独裁〉をさすのであって、そこには政治的な支配が存在し、政治的な抑圧が行われている。それでまず〈支配〉ということのマルクス主義的な把握をとりあげる必要があるけれども、それはマルクスが『資本主義的生産に先行する諸形態』で明らかにしたとおりである。
「動物は奉仕するけれども、動物や土地などに対しては、それを獲得することによって支配関係が生ずることは、結局のところありえない。他人の意志(fremden Willens)の獲得こそ支配関係の前提である。したがって、たとえば動物のように意志のないものがなるほど奉仕することはあるが、それを持ち主を主人(Herren)とすることにはならない。」(強調は原文)
この〈支配〉のありかたは、個人対個人でも階級対階級でも本質的に同じである。被支配者が支配者の意志を自分自身の意志として受けとめて具体化し、支配者の意志に敵対的な性格の意志を形成しないことが、とりもなおさず支配者にとって「他人の意志の獲得」であって、これが前提となって被支配者を行動にかり立てたり圧(おさ)えたりする現実的な〈支配〉が成立する。企業でいうなら、就業規則も営業方針も上役の命令も、かたちはちがうが支配者の意志のあらわれであり、残業をいい渡されていやいやながらその意志を受け入れようと、ニューヨーク支店勤務の辞令が出て喜びいさんで渡航の支度にとりかかろうと、「意志の獲得」が行われ支配者の要求する実践活動が実現することに変りはない。経済権力での〈支配〉と同じように、政治権力での〈支配〉も、支配者の意志はさまざまなかたちをとる。国家意志として法律や政策となり、あるいは自治体意志として条例や政策となり、土地のとりあげに反対するなら機動隊を出動させて強制的に執行するといわれていやいやながらその意志を受けいれようと、年金つきの勲章をやるといわれて喜びいさんで宮中へ出かけていこうと、「意志の獲得」が行われ支配者の要求する実践活動が実現することに変りはない。刑法も選挙法もともに国家意志である。犯罪を犯した者が裁判で懲役をいい渡され刑務所で服役するのも、衆議院選挙で投票する権利を与えられている者が投票所へ出かけて、「清き一票」を投じるのも、「意志の獲得」が行われ支配者の要求する実践活動が実現することに変りはない。ムチとアメということばがひろく使われているように、政治は弾圧したりご機嫌をとったり、それ自体としてみれば対立した性格の政策を打ち出してくる。けれどもそのどちらも〈支配〉の具体的なありかたである。一方で労働者のデモや政治的ストライキを暴力で弾圧し、他方で選挙で選ばれた〈前衛〉の代議士に対して法案の審議を求めるのも、ともにブルジョアの政治的支配のありかたであり、〈ブルジョア独裁〉の具体的なすがたである。部分的にはブルジョアの利益にとってマイナスの部分があったとしても、政治全体としてプラスであるならばそれでよいというのが、政治的計算である。これは相続と似ている。
常識的には、財産があるとか遺産を相続するとかいえば、現金や不動産があってそれを自分のものにするのだと解釈する。しかし法律用語での〈遺産〉には、いわばマイナスの財産をもふくむのであって、借金もまた〈遺産〉として相続の対象になるのである。現金や不動産のようなもらってとくになるものは相続するが、借金や未払い代金のような損になるものは相続したくないといっても、それは通らない。両方〈遺産〉であるから、相続者は不動産を売って借金を返済するというようなかたちで相続しなければならないのである。部分的には相続者の利益にとってマイナスの部分があったとしても、〈遺産〉全体としてプラスであるならばそれでよいというのが、相続上の計算である。政治はブルジョアの利益のためになされるということを、どこもかしこもブルジョアの利益のためでプロレタリアの利益になるものなど存在しないのだと考えたり、そう考えていた者が事実プロレタリアの利益になる政治が存在することを知って政治の階級制を否定したりするのは、とりもなおさず部分と全体とを混同するものである。常識的には、抑圧といえば、いやがるものを無理に圧えつけ従わせるものだと解釈するが、個人にもマゾヒストのように自分から虐待を要求する者もあれば、罪の意識で自分から刑務所入りを志願する者もある。マルクス主義での〈独裁〉による政治的抑圧には、いわば自主的な国家意志の受けとめをもふくむのであって、天皇制権力の下で「人のいやがる軍隊に志願で出てくるバカもある」ことや、ソビエト権力の下で資本家でありながら搾取の非人間性を自覚して資本家を精算する道をえらぶ者があることも、ふくむことになる。ムチをふるうのが〈独裁〉で、アメをなめさせるのは反〈独裁〉だというような、現象にひきずられた解釈はマルクス主義ではない。こんな発想では〈ブルジョア独裁〉すら説明できない。
レーニンは、一九一七年の『国家と革命』で、国家を「暴力組織」と規定しながらも、『共産党宣言』の中の「支配階級として組織されたプロレタリア」(als herrschende Klasse organisierten Proletariats)ということばに注目し、「プロレタリアの政治的支配、その独裁の承認」と、〈プロレタリア独裁〉が政治的支配であることを抽象的に認めていた。そして革命後の具体的な政治的支配の経験において、その理論をも具体化していった。一九二一年には〈プロレタリア独裁〉は「プロレタリアが政治を指導すること」だといい、農民経済における生産力を直ちに高めるための諸方策が〈プロレタリア独裁〉のもっとも緊急な任務であると主張した。同じ時期に書かれた『左翼小児病』にあっては、「プロレタリアートの独裁は、古い社会の諸勢力と伝統とに対する流血的ならびに無血的な、暴力的ならびに平和的な、軍事的ならびに経済的な、教育的ならびに行政的な、ねばりづよい闘争である。」と述べている。階級的勢力ばかりでなく伝統(都市と農村との対立など)との闘争をもとりあげ、さらに闘争形態についても対立した両面が存在することに注意を求めている。小商品生産者である農民の教育や、労働者の中にある。小ブルジョア的思想との闘争なども、〈プロレタリア独裁〉の重要な任務とされていたのである。さらに同じ年の『再び労働組合について、現在の情勢について、トロツキーとブハーリンの誤りについて』を見るならば、ブハーリンが提出した「悪名高い〈生産民主主義〉」を批判して、このことばが「曲解されるおそれのあること」を指摘している部分にぶつかるのである。どんな曲解かといえば、「独裁や個人責任制の否定の意味に理解される」ことである。レーニンにとって、政治的な上部構造としての民主主義は、〈独裁〉のありかたであり、〈独裁〉を否定するものではなかった。
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ところがレーニンの指摘した曲解は、のちに至ってレーニンから学べと強調する毛沢東の理論の中に出現することとなった。毛沢東は、レーニンのように〈プロレタリア独裁〉それ自体を対立した両面を持つものと把握できないで、この両面を形而上学的に切りはなしてしまい、一つの側面を〈独裁〉とよんで「敵」に対して行使する制度、他の側面を〈民主制度〉とよんで「味方」に対して行使する制度と解釈した。私は一九五七年の著書で、これを「毛沢東のふりわけ独裁論」と名づけたが、このような〈独裁〉論が毛沢東信者によってマルクス主義であるかのように錯覚され信仰されていることも、正しい〈独裁〉の把握にとって大きな障碍となっている。
毛沢東のふりわけ独裁論がすでに四〇年代に生れていたことは、彼自身認めている。一九五〇年の演説では、「人民民主独裁には二つの方法がある。敵についていえば独裁の方法を用いる。……人民についていえばその反対で、強制的方法ではなく民主的方法を用いる。」と、〈独裁〉を政治権力それ自体の性格から単なる方法に矮小化し、民主的制度には強制が含まれないかのように解釈した。一九五七年の『人民内部の矛盾を正しく処理する問題について』では、〈独裁〉が機能論として説かれている。
「われわれの独裁は労働者階級が指導し労農同盟を基礎とする人民民主独裁とよばれる。このことは、人民内部では民主制度を実行し、そして労働者階級は公民権を有するすべての人民、なによりも農民とは団結するが、反動階級・反動派・社会主義改造と社会主義建設に反抗する分子に対しては、独裁を実行する、ということの表明である。」
「独裁の第一の役割とは、国家内部の反動階級・反動派・社会主義建設に反抗する搾取者を圧迫すること、こういう社会主義建設の破壊者を圧迫することであり、国内の敵と味方の間の矛盾を解決するためのものである。たとえば、ある反革命分子たちを逮捕し、かつ裁判にかけたり、一定の時期、地主階級と官僚ブルジョア階級分子に選挙権を与えなかったり、彼らに言論発表の自由の権利を与えなかったりするのは、いづれも独裁のわくに属する。社会秩序と広汎な人民の利益の擁護のためには、かの窃盗犯・詐欺犯・殺人放火犯・ゴロツキ集団・社会秩序に重大な破壊をもたらすさまざまな悪い分子に対しても、ぜひとも独裁を実行する必要がある。独裁の第二の役割とは、国家の外部の敵の顛覆活動と、侵略の可能性とを防禦することである。こういう状況があらわれているとき、独裁とは対外的に敵と味方の間の矛盾を解決する任務をせおっている。独裁の目的は、全人民が平和的な労働を行い、わが国を現代工業・現代農業・現代科学文化をそなえた社会主義国に建設するのをまもるためである。」
このような解釈は、まず「敵」と「味方」を人間として形式論理的に区別するところにはじまり、つぎに独裁する者とされる者とをこれにふりわけて、同じく人間として形式論理的に区別するという展開になっている。こうして「敵と味方をはっきりわける」ところから〈独裁〉論をはじめると「人民自身が自らに独裁を行うことはできない」、自分が自分に強制することはできない、という主張は論理的に不可避である。ところが観念的な区別でなく、現実的に生きている人間のありかたから出発するなら、自分で自分を抑圧し強制している人間をいくらでも発見できるのである。自分の特定の意志を観念的に対象化し、それに自分のその時々の個々の意志を従属させる、〈誓い〉を守るという行為がそれであって、禁酒禁煙の誓いが自己抑圧・自己強制であることはいうまでもない。組織にしても同じことがいえる。中国共産党も、大会で民主的にこしらえた方針に対して、党員は絶対に服従しなければならない。これは党の意志の強制にほかならない。党員自身が正しい行動をすすめるために、自らを強制するための意志の対象化に努力し、この客観的な意志に個々の意志を従属させるのである。民主制とはほかならぬ自分で自分に強制を行うための組織であり、ブルジョア民主制とはほかならぬ国民大衆が自分で自分にブルジョアの利益になるような強制をつくりあげるための組織である。意志論を持たず、強制や抑圧を実体的にしかとりあげられない、論理的な能力の低い革命家では、正しい〈独裁〉論はでてこない。
さて問題は、資本主義から共産主義への移行の期間における権力について、マルクスもレーニンもこれを〈プロレタリア独裁〉と規定している点にある。〈独裁〉論を展開するマルクス主義者は、この規定をつらぬかねばならぬ点にある。レーニンにあっては、社会主義経済の建設はもちろんのこと、新しい人間をつくりだすための教育にしても古い社会の電燈として受けついだ都市と農村の分化の克服にしても、すべて〈プロレタリア独裁〉の平和的・経済的・教育的諸方策として受けとめられているのであるから、実体としての「敵」がいるかいないかは直接の関係がなく、実体としての階級が消滅してもそののこしたものとの闘いが継続していく。ところが毛沢東的な解釈によると、共産主義へ移行するまでつねに実体的な「敵」がいなければ理論と現実とがくいちがってくる、つまり、彼の〈独裁〉論にあっては、共産主義へ移行するまで何が何でも「敵」を見つけ出し、対外的にも対内的にもこれらの「敵」を防禦したり逮捕したりさいばんしたりしなければならない。良識ある者の眼には、もはや国内に「敵」はいないとしか見えなくても、〈独裁〉論からすればなければならぬはずであって、何としてでもそれを見つけ出すのが毛沢東信仰者の神聖な義務なのである。この、見えざる「敵」の摘発がどんな状態をもたらしたかは、われわれが〈プロレタリア文化大革命〉に見たとおりである。
スターリンの「敵」の摘発と粛正に苦い経験をさせられたソ連の指導者は、もはや階級はなく「敵」は存在しないのだから〈プロレタリア独裁〉も必要なくなったのだと解釈して、〈全人民の国家〉として平和的・経済的・教育的諸方策をすすめていくと宣言した。この宣言はレーニンのことばをたくみに利用してつくられているとはいえ、マルクスの〈独裁〉論からふみはずしていることは否定できない。中国の指導者も、毛沢東の〈独裁〉論が修正主義であることはタナあげして、ソ連の〈全人民の国家〉論を修正主義だと攻撃した。日本共産党はどうかといえば、スターリンの陰惨な粛正に加えてまたまた〈プロレタリア文化大革命〉における非人間的な〈階級の敵〉攻撃を見せつけられている。反共主義者はそれらの事実をふりかざして、あれこそ〈プロレタリア独裁〉に不可避なのだ、日本でも共産党の天下になれば、〈プロレタリア独裁〉を是認している以上あのような状態が必然的にやってくる、といいふらす。この反共宣伝に対処しなければならないし、選挙の得票をふやすために〈プロレタリア独裁〉につきまとうイメージは変えたくなる。とはいっても〈全人民の国家〉論には疑いがあり、これを持ち立ちしてはそれ〈宮本修生主義集団〉がまた修正主義を支持したと、中国からの攻撃が激化することは必至であろう。だからスターリンや毛沢東を理論面でも行動面でも正しく批判して、〈独裁〉ひいては〈プロレタリア独裁〉のありかたを説明し、大衆を説得する能力のない日本共産党としては、〈独裁〉ということばをラテン語に代えてイメージを緩和するといった小細工以外に手の打ちようのないこともたしかである。
〈独裁〉を〈民主制度〉と切りはなす点では、ブルジョア学者の発想も毛沢東のそれと共通している。ちがいは、ブルジョア学者にあっては〈独裁〉を社会主義国に、〈民主制〉をいわゆる自由主義国に、それぞれ政治制度のありかたとしてふりわける点であり、ここからブルジョア民主主義における議会制度を反〈独裁〉的なものとして美化する点である。それゆえ毛沢東の〈独裁〉と〈民主制度〉の切りはなしとふりわけにも、これまた資本主義国における議会制度を反〈独裁〉的なものと認めざるをえないところの、論理的な可能性が潜在していることになる。一方には存在しなくても「階級の敵」を摘発しなければならぬ極左的変更があり、他方にはブルジョア議会の反〈独裁〉性を認めなければならぬ右翼的変更があるから、対立する二つの偏向を統一したかたちでふくんでいるというのが、毛沢東の〈人民内部の矛盾〉論の内部に存在している皮肉な矛盾であり、弁証法的性格なのであるが、現在のところアメリカとの軍事的な対立がきびしいだけに、議会制度の美化はあらわれてこない。日本共産党が〈独裁〉のことばをラテン語に変更してイメージを変えようとするならば、〈プロレタリア独裁〉だけが恩恵にあづかるだけでなく、〈ブルジョア独裁〉もまた恩恵にあづからないわけにはいかないのである。そしてこれまた具体的には、ブルジョア民主主義における議会制度のイメージを美化するブルジョア学者へのお手つだいとなる。日本共産党はすでに「人民的議会主義」などと称する理論を持ち出して議員をふやすことに狂奔し、議員はと見れば他の野党の議員が強行採決に抗議して出席を拒否しているのに共産党は出席して審議に参加して、佐藤首相から感謝のことばと握手とを受けとったりしている。こうした党の活動と、〈独裁〉ということばの変更とが、どこでどのように結びついているかについて、マルクス主義者でなくても興味を持つのは当然であろう。
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少年の時に読んだ小説の中にも、あとあとまで心にひっかかっている部分があるものである。私が十五歳のとき読んだ、徳富蘆花の青春小説『思出の記』にも、そういう部分がいくつかあった。この小説の主人公が、関西学院に入学して学問にはげむ中で、同級の一秀才と人生について語りあう場面もその一つなのだが、相手は落日をさしてつぎのようにいう。
「人間の一生にいくらせい出しても、事業(しごと)の額(たか)は知れたものですよ。日は今日入っても、また明日出るということがちゃんと分つてますが、人間は日が入ればもうだめです。実に人の生涯は冬の日よりもまだ短かい。その短かい間に何ができるものですか」
「でも耶蘇(やそ)教信者は永世(かぎりなきいのち)があるというですな」
「永世! 永世! 真に永世があつたら愉快でしょう――しかし僕は耶蘇教信者じやない。僕は永世を信じないですよ。併(しか)し人間は実につまらぬですな。エライ人になつて栄耀の花を咲かしたところで、こんな無心な草花になつて(彼は脚下のれんげ草を指した)子供に摘まれたほうがまだましかも知れんですな。目的目的とみんながさわぐが僕にはその目的が一切分からぬ。人は何のために生れてくるのか、その目的がまず分からぬじやありませんか。学校を卒業して、大学にでも入つて、官吏か教授にでもなつて、親を養つて、――それが目的とすれば、目的もつまらぬものじやありませんか。そんなことを考え出すと僕は時々まつくらになつてしまいのです」
この秀才学生は首をくくって死んでしまう。主人公は彼から与えられた人生についての疑問を、ねてもさめても忘れられなくなる。結局キリストの教えを信じることで疑問を解決し、貧しい人びとの中へとびこんで教えを説く伝道師としての活動を精力的にはじめるけれども、「教会にも種々の閥があり」貧しい人びとが求めるのは「神の道よりも衣食の道」で、理想は目の前にあるように見えるが走っても追っ手も手がとどかず逃げていく。追いつかれ息を切らして倒れてしまった主人公に、「死」が阿片をのむようなふしぎな甘い魔力で誘惑する。星だらけの夏の夜の空をあおいで、しょんぼりと立っているうちに、「死にたい」という気持ちがむらむらと起ったことも、一度や二度ではなかった。
私自身はどうかといえば、小説の秀才学生とちがって大学とか官吏とか教授とかいうこととはまったく縁のない上に、人間はつまらないなどとは露ほども思ってはいなかった。私は科学者の発明発見に興味があったから、人間の仕事が他の人びとに恩恵をもたらすという事実がいつでも頭の中にあった。ジェンナーの種痘にしてもエジソンの電燈や映画や蓄音機にしても、日本人の私までその恩恵にあづかっているのだから、実にりっぱな仕事だと思っていた。この人間観は革命運動への見かたにもつながって、そのころ徹底的に弾圧された悪逆無道と恐れられた日本共産党のビラを見たときにも、「天皇制打倒」のスローガンは科学的に合理的な主張だと思っただけで特別の感じはなかったが、「朝鮮と台湾の完全な独立」のスローガンは正義の実現のために自国の利益をもあえて放棄するものと思われて、非常に心を打たれ、このような仕事に参加する人びとに対する尊敬を深くした。「剣(つるぎ)まもれる支配者の、聖なる秘密あばき、搾取の鉄鎖絶つための、科学はわれらの武器ぞ」とうたう、社研の学生たちの未来にも、大きな期待をかけたのである。
しかしながら戦後の代々木は、小説の主人公が経験した教会のありかたと共通したものを持っていたし、五〇年の分裂抗争の中で不当な圧迫を受けた党員の中からは自殺者も出た。私の面識ある一青年も自殺したと知って、理想と現実とのギャップに苦しむ青年に対する「死」の誘惑が、蘆花の小説に描かれた一八八〇年代の青年のそれと共通していることを考えずにはいられなかった。そして六〇年の安保闘争の直後には、小説の秀才学生とまったく同じ人生についての疑問から自殺を決意した一女子学生が、私の本で住所を知って家へ飛込んで来た。附属高校の寄宿舎で先輩の影響を受けて闘争に参加したが、正当な発言をしても小ブルジョア意識の産物だと否定されてしまったことから人間と人生に対する疑いが深くなり、もし納得できる答えが得られなければ死のうと思って疑問を持ちあるいたが誰も答えてくれないので、ここが最後だと私のところへ訪ねて来たというのである。彼女は納得して現在は私の若い友人の一人になっているけれども、革命運動の頽廃と怠慢は今日もなお隠れたところで前途ある青年の尊い命を失わしめているにちがいないのである。
*
若さがゆえに可能性があるか? ある。相反する方向の二つの可能性がある。一つは新しく輝かしい未来を建設する可能性だが、いま一つは頽廃生活や自殺につきすすむ可能性である。見たところ理想に燃えて、階級的な運動に参加し、献身的に活動していても、それは必ずしも未来のありかたを保障しない。小説の主人公の告白のことばを借りるなら、「先方の利益を思うよりもわが私情を満足させるための仁恵、真心ではなく一種の好奇心、功名心、いわゆるあて気から出た奇矯の行(おこない)――悪くないまでも幼ないということは免れぬ」状態が、大なり小なり存在する。これを克服できるか否かで、二つの可能性のどちらが現実化するかの選択が行われることになる。好奇心が失われ、苦労の割に功名としてむくわれぬことがわかって、足を洗う者もある。闘争をそっちのけに歌ったり踊ったり、の祭りをやったり、選挙の票あつめに熱中したりするのは、運動の頽廃であるが、これが銀行強盗や爆弾騒ぎにつっ走る別の方向の頽廃を助長していることも、見のがすわけにはいかない。
青年は生活経験がすくなく、与えられた現実の具体的な条件を正しくふまえてさきを見とおす能力がとぼしく、希望と現実を混同しやすい。そのために柔軟な戦術を駆使することが不得手で、とかく行きすぎになりがちである。とはいえこんなことは、とっくの昔にわかっていることなのである。これらの弱点だけをならべて行動を押えつけるのが誤っているのはもちろんだが、弱点を露呈しているのに目をつぶって放任するのも、一見青年の理解者で進歩的らしいが実は前者の裏がえしでしかない。生活経験が豊富でさきを見とおす能力のある大人たちは、青年の弱点を補うために協力する義務がある。進歩的文化人とよばれる人びとの中にも、放任論を説いてけしかけるだけの者がいるが、それは正しく協力する意欲も能力も持たないことを合理化するための隠れみのにほかならない。その協力のもっとも重要なものの一つは、これまで述べて来たところからも想像できるように、科学的な人間観・人生観を自分のものにするための働きかけである。これを打ち立てたのはキリスト教でもなければ創価学会でもなくてマルクス主義であるが、自分でマルクス主義者と名のる人びとさえ大部分はこれを自分のものにしていないことを指摘しておかなければならない。
「もろもろの個人は、肉体的にも精神的にも、相互につくり合うのであって、けっして自分で自分をつくりはしない」というのが、マルクス主義の人間観の基本である。われわれが生きていくには、食べるための米や魚や肉や野菜が必要である。飲むための水や湯や茶などが必要である。住むための家やアパートが必要である。身につける衣類や靴や帽子などが必要である。知識を得るための会話や手紙や本や新聞やラジオやテレビなどが必要である。病気になれば薬が必要になるし、手術をしなければならぬ場合もある。これらのさまざまな生活資料を、すべて自分の手でつくり出すわけにはいかない。われわれがこの世に生れるとき、助産婦の手をかりるなら、それがすでに他の人間の協力であり、おしめを身につけるなら、それがすでに綿花を栽培したり収穫したり布にこしらえたりした多くの他の人間の協力である。無人島へ流れついたロビンソン・クルーソーが一人で生活できたというのも、彼がそれ以前に家族をはじめさまざまな人びとからの協力によって一人で生活できるだけの能力を身につけていたからであって、それなしには人間的な生活はできなかったのである。さらにほりさげて考えてみるならば、われわれの必要とするさまざまな生活資料は、すべて直接間接に多くの働く人びとの労働が対象化されたものであって、労働者・農漁民・一般市民・学者・芸術家などの肉体的および精神的労働の産物であってみれば、それらの働く人びとがかたちを変えてわれわれに合体しわれわれを育てているということもできよう。いわゆる生産によって生活資料が生れるが、それらは交通によってわれわれのところへ移動して来てはじめて生活に役立つのであるから、食料品を台所にとどけてくれる店員も、手紙や雑誌を玄関に入れてくれる郵便局員も、その労働によってわれわれの生活をささえてくれる人びとである。天皇も皇太子も総理大臣も知事も市長も、みな例外なしにこれらの多くの働く人びとの労働にささえられて生きており、労働者の恩を受けて生活している。ではこの恩にどうこたえているか?
マルクス主義は哀れな労働者に同情する慈善家的人道主義ではない。人間を本質的に理解するところから出発して、真に人間的な社会のありかたを実現しようとする科学的人道主義である。人間のありかたを右のように労働において相互につくり合うものと理解するならば、人間の生活をささえ文化をささえるところの多くの働く人びとが尊重され幸福になる社会こそ真に人間的な社会であって、働く人びとが不幸になる社会は非人間的な社会だということになる。ここから、たとえみじめな状態におかれていても、働く人びとは頭をあげ胸をはって働くことを誇りとし、同時に自分たちが幸福になる権利のあることを堂々と要求すべきだ、という主張もみちびき出されてくる。自分だけが幸福になればいい、という考えかたは誤った利己主義であって、自分だけではなく、自分たちの組合だけではなく、日本のそして世界のすべての働く人びとが幸福になることを願い、そのために自分も協力することが、真に人間らしく生きることだ、という結論にもなっていく。これはすべての人間にとって義務であり、働く人びとに不幸をもたらすような活動をしたりそれを支持ないし黙認するような者は――このごろは公害問題や生産性向上運動に端的にあらわれているが――人非人として糾弾されなければならない。どんなに地位の高い人間であろうと、この人間としての義務を果たさないような者は、人間として尊敬を受ける資格を持たないのである。
ドラッカーは『断絶の時代』で書いている。「最近にいたって、ようやく労働は単に日々のかてを得る手段だけではなく、人間にとって心理的、社会的に必要なものなのだということが知られるようになった」「知識労働者にはいどむに足る仕事が必要なのだ。そして知識労働者には自らが貢献していることを意識することが必要なのだ」「知識労働者が求めるものは筋肉労働者が求めるものよりはるかに大きくまったく違ったものである。筋肉労働者にとって職とは、つまり“生計”であった。職のほうが働く者を満足させなければならないというのはまったく新しい考えかたである。」資本主義もやはりそれなりの労働観を必要とするようになり、知識労働者にはその仕事において生きがいを与えなければならないという考えかたが生れ、実行に移されたわけである。この職場が与える生きがいが、真に人間としてふさわしい生きがいであるか否かは、また別の話である。
知識労働者のいわば卵である学生にも、職場の中にすなわち賃金奴隷としての生活に生きがいをもめないで、ヒッピーとよばれる自由勝手な気ままな生活に生きがいを見出す者があらわれるようになった。職場が与える生きがいを追求して生産性向上のために奉仕するか、それとも職場を拒否して原始的な生活の中に非奴隷的な自由を求めるかが、科学的な人間観を持たない人びとの二つの可能性として与えられている、ということもできよう。搾取によって肥えふとる資本家や、彼らがスポンサーになって動かしている政治家の非人間的な政策に、憤激して左翼化した青年は多い。私もその一人であった。しかしその左翼化が一時の感情や好奇心や功名心でなく、持続的なものとなり、特定の活動形態――党員であるとかないとかいう――に縛られることなしに多様な活動へすすむことになったのは、科学的な人間観によって人間としての義務を自覚しそこに生きがいを設定できたからである。知人の中には、自分の生きているうちには社会主義は実現しそうもないとわかると、それなら生きているうちにおもしろおかしくくらしたほうがいいと、スリルと実益をギャンブルに求めて自分から転向していった者もあり、自分の死んだときには棺を赤旗で飾ってもらいたいと願って、共産党に入党した者もある。けれども私は、おまえは生きているときに自分のやりたいことをやって来たが、それは人間としての義務を果たしたことになっているかと自問してみて、答えがイエスならそれで充分満足なのである。
*
人間の一生は、学校の夏休みと共通したところがある。はじまればいつか必ず終りがやってくるし、はじまったころにはまださきが長いんだからと安心して、いい気持で遊んでしまい、半ばをすぎると終りがかけ足でやってくるような感じになって、あわてたり後悔したりするところが似ている。だが人間の一生は、学校の夏休みとちがって、一度しか与えられていない。それで人生の終りに近づいた人間は過去ばかりふりかえるようになり、自分は何をやって来たのか、自分の一生はどんな意味があったのかと考えるようになる。
夏目漱石は、〈他人本位〉ではなく〈自己本位〉に生きている、といった。この〈自己本位〉とは、人真似をするのではなく自分の進むべき道を自分で掘り当てて、自分で道をつくりながら進むところに、安心と自身と幸福が得られるという考えかたである。戦後流行した〈主体性〉ということばと通じたところがある。けれどもこの〈自己本位〉の生きかたは、人間としての果すべき義務と正しく調和するものであってはじめて、正しい生きかたといえるのだと私は思う。私はそのような一生を曲りなりにもおくって来たのだから、人生の終りが近づいてもすこしも後悔することがないし悲しいこともない。学問の仕事はここまで行けばそれで完了するというものではなく、九十歳になろうが百歳生きようがまだまださきの仕事が控えているから、私のできなかった仕事はあとの人びとに期待しなければならないし、それらの人びとにできるだけ協力することも私の現在の仕事の一つのありかたである。
個人の一生は長い歴史の一小部分でしかないが、そこには社会的なつながりがある。ある人間のなしえなかったことを、他の人間がひきついで完成してくれる可能性もまた存在している。それを見ずに一生の短いことをなげいてはならない。その意味で、親子とか先輩後輩とかいう恩義関係もけっして一方的なものではないし、青年ばかりでなく老人にとってもやはり未来があり可能性が存在しているのである。
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私は学問的な仕事をしているけれども学校の教師ではないから、仮説実験授業(註)を実践できる立場にはいない。戦前から「科学的な考えかた」を育てることに関心を持っていて、仮説実験授業の基礎となっている一般的な理論にはまったく賛成であったから、その展開をずっと注目してきたのだが、授業記録を読んでいると自分たちの理論を実証する場を持っている人びとがうらやましくもなってくる。
そんなわけで、私の書くものも、いわばこの新しい科学教育を横目で見ている人間の立場での発言でしかないのだが、横目で見るということにもやはりそれなりの長所があるはずである。深く考えることはけっこうだが、深すぎるとつぎのような批判を浴びることになる。
「彼(当時パリ警視庁の部長であったヴィドック――引用者)は物ごとをあまり近くに持ってくるために視覚を損じたのだ。一つや二つの点はたぶん非常にはっきり見えたかも知れないが、そのために必然的に物事を全体として見失ったのだ。こういうふうに、深遠すぎる(too profound)というようなことがあるものだ。真理はいつでも井戸の中にあるとは限らない。」(ポオ『モルグ街の殺人事件』)
だから、深くからあるいは浅くから、遠くからあるいは近くから、正面からあるいは横から、さまざまな立場に移行してダイナミックに見ることができないとまずいと思う。その意味で、私の横目で見る立場からの発言も、何かの参考にはなると思う。
仮説実験授業は新しい科学教育の方法を提出したのであるから、これに関係する人びとに「方法」についてのある程度の理解を求めることも、不当ではあるまい。分野のいかんを問わず、創造的な仕事にたずさわる人びとが、その仕事のしかたの合理化を意図するときに、方法についての反省が生れてくる。学者は研究方法や叙述方法を、芸術家は創作方法を、刑事や探偵は捜査方法を、医者は治療方法を、商人は経営方法や宣伝方法を、教育者は教育方法や授業方法を、考えるということになる。
「方法」は普遍的な有用性を持っていて、盲腸炎のときには手術で切りとれとか、子どもに〈ものとその重さ〉を教えるときにはこの授業書を使えばいいとかいう、かたちをとっている。しかし盲腸炎の患者の症状は千差万別だし、授業を受けた子どもの予想や教師の感想もそれぞれ異なっている。そしてこれらの差異については、医者や教師の経験ないし能力に期待し臨機応変の処置や指導が求められているのであって、どんな合理的な「方法」もそれを役立てる目的的な人間の努力を免除するものではなく、創意工夫を排除するものではない。
さらに、「方法」は固定的なものではなくて、「人を見て法を説け」とことわざにもあるように、対象すなわち客体的条件や「方法」を役立てる人間すなわち主体的条件のいかんに規定される。したがって、唯一無二のこれこそ絶対的な「方法」などというものはありえない。
医学の次元では薬を与えるとか手術で切りとるとか放射線を使うとかさまざまな『方法』を認めるが、具体的な患者の治療の次元では特定の「方法」をもっとも合理的なものとしてえらぶ。医学の次元ではさまざまな処方を論じるが、具体的な患者の治療の次元では特定の処方箋をもっとも合理的なものとして与える。どんな患者にも役立つ治療の「方法」とか、どんな病気でも治す万能の処方箋などというものは認めない。数学には初等数学から高等数学までさまざまあって、科学者は自分の研究では高等数学を大いに役立てているし、コンピュータなども使っているが、昼飯に食べた天丼の代金に千円札を出して釣銭を受けとるときは、千円から三百円引くといくらになるかと頭の中で暗算をしなければならない。小学生が勉強しているのと同じ「方法」を使わなければならない。教育も同じである。ある具体的な教育には特定の「方法」が必要であって、どんな場合にも役立つ万能の教育方法などというものは存在しない。だから「方法」が普遍的な有用性を持つといっても、それは条件が近似的なら同じ「方法」が役立つという、つねに条件づきの話であって、ある限界の中での相対的に普遍的な有用性にとどまるのである。どこへ持っていっても役立つし、これさえあれば何の努力もせずに万事うまくいくといった、絶対的で万能な「方法」はなまけ者の理想であるから、熱心に探求する哲学者もあるようだが、そんなものはありえない。
それゆえ、ある「方法」の有用性に感激するのはけっこうだが、その有用性を保障する条件ないし限界をつかんでおかぬと、それを無視してふみはずした場合にも自覚できぬことになろう。このふみはずしの例は無数にある。高等な「方法」があれば初等な「方法」はもう用がないと考えるのも、高等数学があれば初等数学はもう用がないと考えるのに似たふみはずしであることを知らねばならない。自然科学の「方法」がどんなに成功したところで、それはそのまま社会科学の「方法」にはならないのに、なるかのように錯覚しているのがあとに問題にする情報科学者たちである。教育の分野でも、ある新しい「方法」が卓越した成果をあげると、成功に酔った創始者の側から、他の分野へ持ちこんでもうまくいくはずだと不当な普遍化をもくろんで、熊の手助けをはじめたりするし、その「方法」の信者たちの中からも、万能のものにまつりあげようとするヒイキの引き倒しが出てきたりするのである。
現象に目を奪われた科学者が、対象の持つ条件の検討を怠ってふみはずしたもっとも代表的な例として、言語研究の「方法」をあげることができる。同じインク、同じペン、同じ紙を使って、絵画をスケッチすることも可能だし、文章を記すことも可能である。絵画にあとで筆を加えると表現の改変になるが、文字言語もあとで筆を加えて「木」を「本」にすると表現の改変になる。おまけに、象形文字のような絵画的な文字もある。そこで絵画研究の「方法」をそのまま言語へ持ちこんだり、あるいは最近のフランスに見られるように言語研究の「方法」をそのまま映画へ持ちこんだりする、学者があらわれた。「映画言語」「映像言語」などということばが、評論家のあいだに流行している。
冷静にしらべると、絵画や映画の複製は原作の感性的なかたちに忠実であるよう要求されているが、文字言語の複製は原作の感性的なかたちを無視して、ペンのなぐり書きを活字印刷に変えても、やはり忠実な複製として扱われていることに気がつく。学者たちはこの事実をつかんで、両者の本質的なちがいをたぐっていこうとはしなかったのである。また、音声言語で「バカ!」とさけぶのも、怒りに燃えた爆発的な発声もあれば、愛情をこめた優しい叱責の発声もあって、われわれはそれらを区別して扱っているし、それらの差異が心理的・生理的・物理的側面にまたがったものであることもたしかである。
言語活動がこうした「多様」で「混質的」な存在であることを理由に、ソシュールはこれを科学の対象とすることを拒否した。この「多様」とは、ほかならぬ自然科学の対象としての多様であって、言語がいづれもこのように「多様」だとするならば、それは言語学の対象として一様であるといわねばならない。それゆえ、時枝誠記がこれに対して「方法」的に反駁することになった。「科学は具体的な経験から逃避することによつては、その根本的な立脚地を失う」のであって、「個別的特殊的現象を整理して、そこに普遍と統一原理とを見出そうとするが科学の真の生命である」という。時枝のソシュール批判の個々の部分に弱点があったとしても、この「方法」的な批判の正当性を何ら減殺するものではない。
言語学者たちは、言語が絵画や映画などと同じように、文字や音声の感性的なかたちで表現されていると思いこんで、その点で「方法」的にふみはずしてしまった。感性的なかたちではなく、文字や音声の「種類」という、人工的な普遍性で超感性的に表現されているのだということを、見ぬけなかった。「種類」に属するかぎり、なぐり書きを活字で複製しようとネオンサインに複製しようと、忠実な複製と認めてよいし、「木」を「本」にしていけないのは、感性的なかたちの変化にとどまらず「種類」としての変化にまで行きすぎてしまっているからである。言語表現の人工的な普遍性を、植物の自然的な普遍性に結びつけたものが、いわゆる「花ことば」であって、自然の持つ「種類」がこうして表現に利用され言語の代用品として役立てられるのである。
言語の感性的なかたちは、どんな「種類」に属するか区別するために役立てられるだけでなく、それ自体言語とは異なった別の表現にも役立てられている。音声言語では、音声の「種類」で概念を表現すると同時に、音声の感性的なかたちを利用して感情や感動をも表現するという、いわば言語表現と非言語表現との立体的な複合体になることが多い。これは、表現における調和する矛盾の定立なのであるが、この両側面を区別できずいっしょくたにして、感性的なかたちで何もかも表現しているのだと思いこむ学者が、お手あげになる。
学者ならぬ大衆でさえ、「先んずれば人を制す」と「急いては事をしそんずる」という、正反対の二つの方法を条件に応じて使いわけているし、マルクス主義者と名のる人びとは「科学的方法」を持っていると自負しているのだから、ある特定の「方法」を絶対化することなどしないはずだと思うのは、過大評価である。何と名のろうと、実践から遊離している思弁的な学者は「方法」を絶対化してもあやまりが反省できないし、マルクス主義者の絶対化した「方法」が現に国際的権威として横行さえしているのである。それは弁証法の絶対化とリアリズムの絶対化であって、これ以外に思惟方法や創作方法を認めるのはマルクス主義に反するとされ、攻撃の対象にされてきたのである。
たしかに弁証法は思惟方法としてきわめて役に立つけれども、絶対的な「方法」ではない。対象を静止的固定的に扱う場合には、形而上学的思惟ないし形式論理的な扱いかたを「方法」として認めなければならない。生理学的に見れば、われわれの体内には細胞の死骸がつねにあらわれており、生は死をともなっているが、戸籍では生存とだけしか扱われていないし、それで足りるのである。ところがレーニンのヘーゲル研究は、ミイラ取りがミイラになるふみはずしにおちいって、弁証法も論理学も認識論も「同一のもの」で「この三つのことばは必要ではない」とノートに書きのこした。この見解がもし正しいなら、弁証法以外に形式論理学を認めるのは、レーニンの見解に反するものであやまりだということになる。レーニンのノートが聖書化された一九三〇年代には、ソ連でも日本でも哲学の教科書が「今日弁証法とならんで形式論理学を認めようとする試みは、反動に奉仕すること」だと主張して、弁証法を絶対化していた。しかし何と非難したところで、形式論理学の一定の限界内での「方法」としての有用性はなくなりはしない。ソ連の自然科学者も使って有用性を認めるようになり、結局五一年には形式論理学の名誉回復を行わねばならなくなった。とはいえレーニンのノートのことばは相も変らず信仰的に扱われ、形式論理学の承認と平和共存しているありさまである。そして三〇年代の主張は毛沢東に受けつがれ、「毛主席語録」でも形而上学を観念論とならべて、「でたらめをいってもかまわない」ものだと、否定的評価を与えている。
芸術の創作方法では、創作方法と世界観とが直結されて、リアリズムは唯物論的だがロマンチシズムは不可知論ないし観念論的な創作方法だと規定され、一九三四年に社会主義リアリズムこそソ連芸術の「基本的方法」だと絶対化されてあまくだることとなった。芸術家たちは、経験的におかしいと感じてはいても、理論的に整然としていて有無をいわせず反駁もできない。だからあるいは公然とあるいは隠然と、いろいろなかたちでこの絶対的な「方法」への抵抗や不信が出てくるだけで、いまもって絶対化を克服することができない。
そんなわけで、階級闘争ではなく人間教育の「方法」を具体的に学びとろうとする人びとにとっては、自称左翼の思弁的な学者から「方法」論を聞いてもあまり得るところがないが、これに反して、刑事や探偵が「方法」について語った文章は、犯罪者をさがし出してとらえねばならぬという実践の中できたえられた者の発言だけに、得るところがある。探偵小説の古典の中から、さきにはポオの創造したアマチュア探偵デュパンのことばを引用したが、こんどは、行方をくらましていて何の手がかりもない大犯罪者を追跡する、パリ警察の敏腕な捜査官の「方法」を読んでみることにしよう。
「こういう不可知論的なはだかの状態に当面した場合には、ヴァランタンは独自の考えかたと方法を持っていた。こういう場合には、彼は予見できないもの(the unforessen)に頼るのだった。合理的な線を辿(たど)ることができなくなったとなると、冷静に、しかも念いりに、非合理的な線を辿るのだった。理屈にあった場所――銀行だとか、警察署だとか、人の集まるところなど――にはいかないで、系統立てて理屈に合わない場所へ出かけた。空き家を一軒一軒ノックしてみたり、あらゆる袋小路に曲がりこんだり、ゴミで塞(ふさ)がっている露地を一つ一つ奥まで行ってみたり、無駄な寄り道になる三日月形の道をまわってみたりした。彼はこういうきちがいじみたやりかたをきわめて論理的に弁護した。彼にいわせると、手がかりを掴(つか)んでいる場合には、こういうやりかたは最悪の方法だが、全然手がかりがない場合には、これが最上の方法なのであった。なぜかというと、追跡者の眼を惹(ひ)く奇妙なことが何かあるとすると、追跡される者のほうでも同じものに眼を惹かれるということは、ありうることなのだから、どこからかはじめなきゃならないとすれば、ひとが立止りそうなところから始めるほうがいい、というわけだ。」(チェスタートン『青い十字架』)
大都会ロンドンのどこかに自分の追跡中の犯罪者がいるのだが、さてどうしてこれを見つけ出すか? ここに大都会に対する「問いかけ」が必要になる。いま引用したのは捜査官の「問いかけ」の精神と「方法」である。彼のこの「きちがいじみたやりかた」がどんな結果をもたらしたか、気になる読者には小説を読んでもらうことにして、ここでは引用文から「方法」に関する二つの重要な問題をとりあげてみよう。
まず第一に、この捜査官は「予見できないもの」を扱う場合の「方法」について、「非合理的な線」を「論理的に弁護」する。しかもこの非合理的なやりかたを最上の方法だと合理化している。客観的な矛盾を検討することに馴(な)れていない人びとは、こんなことをいわれると詭弁のように感じるかも知れないが、矛盾をとりあげることができないと「方法」論は壁にぶつかるのである。複雑な現象から科学の法則を発見するための「問いかけ」において、予想能力を持たぬ子どもにアテズッポ的な予想をすることを認めるというのも、科学教育の看板と見くらべてこれまた「きちがいじみたやりかた」に思われるかも知れない。「クソ合理主義」を捨てるところに合理的な教育の「方法」が成立するといわれると、詭弁のように感じるかも知れない。小説の中の敏腕な捜査官の「方法」と、仮説実験授業の「方法」とが決して無縁ではないことを、つぎの文章から読みとるのは無駄ではないと思う。子どもの対象への「問いかけ」の第一段階は、合理的な予想ができない段階である。
「第一のものは、予想表明のみの段階である。ここには、アテズッポ的要素のもの、いわゆるカケ的なものも含むことになる。また、はっきりとした予想という形で表明することはできないが、『そこ』にはきっと何かがあるにちがいない、という予想以前の予想にくらいするのもここにはいることになる。いずれにしても、一歩でてみる、あるいは数歩でてみるという論理のあることだけはたしかである。この論理は、この段階のものとしてぜひとも認めなければならないし、ここにちゃんとした正当な地位を与えておく必要がある。いくら思考の発達の教育とか科学的な思考の教育だからといって、かならずリクツがなければならないというクソ合理主義は捨てなければならない。現実のつきつけてくる問題の解決にあたってはいくらでもこういうばあいがあるからである。」(庄司和晃『仮説実験授業の論理的構造』)
アテズッポそれ自体は偶然にもたれかかっていても、公平にチャンスを与えるという合理性をつらぬくための抽籤(ちゅうせん)まで、否定する者はあるまい。ここでいう第一段階も、子どもだけでなく、おとなが現実のつきつけてくる問題を解決する場合にも存在すると考えていくときに、捜査官の「方法」とつながるわけである。彼の「方法」はそれなりの理由を自覚しているのだから、アテズッポではないけれども、まったく手がかりのないところに数歩出てみるための「方法」は、「合理的な線」を歩んでいるとはいいがたい。アテズッポとかカケとか、それ自体として見れば非合理的なやりかたの持つ段階的な役割を、正当に評価して授業の中に位置づけたのは、仮説実験授業の「方法」論的な特徴であり、当然かくあらねばならぬとはいえ論理的に確乎とした裏づけを持っている点で、やはり成果の一つと見なければならない。
捜査官の主張の提起している問題点の第二は、「最悪の方法」が条件の異なる場合に「最上の方法」になるということである。誰もが「最上の方法」として認めているやりかたが、「最悪の方法」に転化するということだけでなく、その逆の転化をも考えてみる必要がある。教育の分野を例にとるならば、オシツケはいかんとか、体罰を加えるなどはもってのほかだとか、いわれている。たしかにそうなのだが、これらも絶対的に否定するならば、「最上の方法」を絶対的に肯定することのいわば裏がえしになってしまう。時々「暴力教師」が非難されるが、学生が愚連隊になって女学生をナイフで脅迫し、これを見つけて阻止する教師に切りかかって来たときに、教師が腕力で立ちむかい取押えるのはいかんと否定する者はあるまい。たとえ非常に特殊な、せまい限界の中ではあっても、ある条件ではオシツケや体罰が「最上の方法」になるのではないかと予想してみることは、決して無駄ではない。そういう場合があるからこそ、これらの「方法」が限界を超えて不当に拡大して使われることにもなったのではないか、と考えてみる必要があろう。
仮説実験授業は「おそろしいおしつけ教育」を否定している。
「仮説実験授業ではオシツケというものを極度にきらいます」「これまでの理科教育が本格的な科学教育を意図するものとなりえなかったのは、決してだれかが科学教育の本格的な研究をする必要がないと考えたからではないでしょう。したくてもできなかったのです。むりして一貫した科学の論理を教えようとすると、一貫して押しつけ教育になることをおそれた人々が、小・中学校での科学の本格的な教育を意図すること自体を断念してしまったのです。」(板倉聖宣『未来の科学教育』)
「ある種の実験事実から、その帰結をひきだすのは生徒自身でなければならないのです。(それができないときは、あからさまに、科学者たちの研究成果として正しいと説明してやるべきなのであって、無理してすべてを生徒たちの“発見”に任せるべきでない、ということにも注意すべきです。)」(板倉聖宣・上廻昭『仮説実験授業入門』)
あとの引用文の括弧の中の注意書きは、本文より小さな活字で組んである。天文学の諸データのような、子どもが自分の予想を実験でたしかめることのできぬ場合には、教師や本のことばを信じさせるのだから、これはオシツケである。真向(まっこう)からオシツケを否定する授業がオシツケを是認しているとは、ごまかしではないかと思う者もあろう。たしかにここには矛盾があるが、矛盾だから不合理なのではなく、合理的な矛盾を調和的に定立することこそ問題解決のかなめなのである。
昔から有名な「鶏がさきか卵がさきか」という問題提起が、循環論になって答えられないのは、「卵」をはじめから「鶏の卵」に限定して他の動物の「卵」を考えないためである。「卵一般」でとらえ、生物の進化において「鶏」の出現と「卵」の出現とどちらがさきかと考えれば、「卵」という答えが簡単に出てくる。宇野弘蔵の経済学の原理論が破綻するのは、資本制の諸問題をはじめから資本制の抽象的な理論の内部で説明しようと意図して、経済の発展において他の諸制度のありかたとのつながりを考えないためである。ところがいま流行の情報科学を論ずる哲学者は、「一般的にいってAがBの原因となり、BがAの原因となる」という、それ自体閉じた「相互因果性の因果関係」のメカニズムを、情報科学が明確にしたと主張し、この抽象的な論理の『方法』を「鶏」と「卵」の問題に適用しながら、こう書いている。
「このような相互因果性の因果関係を問うのに、どちらが先か、と問うことは、元来無意味な問い方であるといわねばならないだろう。……わずかな口論がだんだんとポジティヴにフィードバックしていって、最後になぐりあいにまで発展する、というような現象はしばしば見られる現象である。このばあい、どちらが先に悪口をいったとか、あるいは相手をなぐったか、ということで責任の所在を決定するということは、処罰の便宜的な仕方として認めることはできても、ほんとうにそのような出来事を生起しないようにするための責任の追求にはならないだろう。真の責任はそのような関係をつくりあげたという事態であり、関係の項となっている人間に平等に分かち与えられるべきものであろう。」「『情報化』ということばはその最も基本的な意味からすれば、情報とかシステムという新しい概念の導入による新しい科学方法論により人間の対決しなければならないあらゆる問題を綜合的に、そしてより合目的的に解決していくことである。それはあらゆる問題に対して採られなければならない科学的方法である。」(沢田允茂『情報と人間』)
教育は情報活動のありかたで、教室の授業はシステムを形成するから、この情報科学を基礎理論にして教育方法を論じる者もあらわれている。「あらゆる問題」に採用できる「科学的方法」とか、あらゆるケンカに適用できる責任「平等」論とかいわれると、なまけ者はとびつくかも知れないが、仮説実験授業も絶対的ではなく対立した性格の予想授業が併存していることを理解した人びとは、NHKのタレント教授のことばでも眉にツバをつけるであろう。
責任「平等」論がケンカの当事者を納得させるかどうか、その実証は哲学者にやってもらいたいが、このように内容をネグって形式的に相互関係をとりあげるやりかたは、すでにヘーゲルの『小論理学』が嘲笑している。沢田允茂は人間の認識をアプリオリズムで解釈するけれども、事物のありかたをAとBで抽象的に対立させることは、形式的に差別をとりあげて内容を捨象してしまったことを意味しており、この内容の捨象によって暗黙のうちに内容を平等に扱ったわけである。この平等の扱いかたが、ケンカの具体的な内容に根ざす責任の問題をも「平等」に解釈しなければならぬ、論理的強制となったのであって、アプリオリズムの形式主義を克服しないかぎりこの論理的強制からのがれることはできない。ヘーゲルはカント主義のアプリオリズムの形式主義を、観念論の立場から可能なかぎり正しく批判していた。われわれも最新の衣装をまとった前ヘーゲル的妄想にひっかからぬようにしたいものである。現実の具体的なケンカのありかたはどうかといえば、「関係の項となっている」AB以外に、直接関係していない、男たちを手玉にとるホステスとか誰にもうまいことをいう詐欺師とか、CやDが存在してここに責任のあることも多く、また大岡政談の「三方一両損」のように仲裁者が参加して三人が「平等」に損を負担することもある。こんなことは大学教授ならぬ熊さん八さんにとっても常識である。
私は理論や『方法』の絶対化に反対して相対性を強調しているから、あわて者の哲学者は相対主義のレッテルを貼ったりしている。相対主義というのは、相対性だけを認めて絶対性を排除する形而上学的発想をさす。私は相対的だという理解が正しい「方法」論建設のために絶対的に必要だと主張するのであって、絶対性を排除しているわけでも何でもない。この発想は合理的な矛盾の調和的な定立であって、弁証法的発想なのである。
私が小学校五年生になったら歴史の授業がはじまった。黒板には「天孫降臨」の掛け図があり、立っている神々の足もとには雲が描かれている。教師は、天皇のご先祖が日本を統治するために天から降りてこられたのだ、という。非科学的なインチキな話だなア、と私は思った。そして教師に、からかい半分の質問をした。
「先生、天から降りてこられた神さまの子孫が、どうして天へ昇れないで馬車を使うのですか? ヒバリだって昇ったり降りたりしているのに……」
教師は苦笑して何も答えなかったと覚えている。
五〇年前の東京近郊の小学校には図書館などない。私のもらうわずかな小づかいで買えるのは、夜店の古い少年雑誌でしかない。それでも本らしいものをたった一冊持っていた。長唄の出稽古をしていた母親が、牛込の請負師の杉山さんから子どもさんにといわれてもらってきた、原田三夫の『最新知識・子供の聞きたがる話』第一巻発明発見の巻、である。単軌軌道(モノレール)の話には、車輌の安定にコマの原理を応用していると書いてあったし、また、鉄の船をつくろうとした人が、鉄が水に浮くはずはないといわれて、空カンを川に投げてみな、と反駁したという話もあった。この本から、身近な事実の原理が新しい発明に役立つことを知って、私も身近な事物のありかたを原理的に考えて応用してみるようになったらしい。私がこの本をあんまりおもしろがったので、のちに母親が同じシリーズの生理衛生の巻を買ってくれたが、あまりおもしろくなかった。それに反して、悪友の渡してくれたアルセーヌ・ルパンの活躍する探偵小説はすばらしくおもしろく、私をやみつきにしてしまった。
こうして私は「発見」や「謎とき」に興味を持つ人間になり、授業で一番好きなのも理科ではなく、「謎とき」の系列に属する算術の応用問題であった。〈植木算〉というのがある。どれだけの距離の道にどれだけの間隔で街路樹を植えると何本になるか、という問題で、これは割り算だなと距離を間隔で割って本数を出すと、道のはじめと終りにそれぞれ一本いるから、もう一本加えないとまちがいだと×がつく。池のまわりがどれだけの距離でそれにどれだけの間隔で木を植えると何本になるか、という問題で、距離を間隔で割ってそれに一本足すのだなと、覚えた「方法」で計算すると、池のまわりは円ではじめと終りがくっついているから、一本足すのはまちがいだと×がつく。同じ道でも、条件がちがうと計算の「方法」がちがうから、注意して与えられた条件を検討してみないと、正しく答えたと確信していたのが思いもかけずひっくりかえされる。あとで考えれば、公式主義への懲罰であるが、そのころは意地の悪い応用問題が多いからひっかからないようにこっちも腕を磨かなければと、大いに闘争心をもやしていた。この訓練は、何かもっともらしい理論や「方法」が出現したときに、すぐ現実のありかたとつき合せて吟味してみる、現在の仕事のしかたと無関係ではない。
そんなわけで、そのころあこがれていた侠盗(きょうとう)や名探偵に、とうとう私はなってしまったのである。古典の中に埋蔵されている貴重な真理を盗み出して大衆にバラまいても、同業者にきらわれるだけで別に罪にはならないし、社会の改革を実現するには、現実のつきつけてくる経済的・政治的・文化的なさまざまな謎を解くことのできる探偵がいなければならない。アインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか』を読んだら、科学者の仕事を探偵小説の探偵の仕事と比較した個所(かしょ)がある。創造的な科学者は、探偵小説にやはりそれなりの関心を持つというわけである。
私は母親の稽古を聞いていて、シロウトが楽しみでやるときの教えかたとプロを志望する人への教えかたとは、格段のちがいがあると知った。この身近な事実で、プロの音楽家を養成するには、子どものときからそれ相当のトレーニングが必要だと知ったし、歌舞伎の役者もサーカスの芸人もみんなそうだと聞いた。それでは科学者はどうだろうか。子どものときから特殊な能力や人格の目的的な育成をしないで、上級学校になってから特別の教育をするだけでいいのだろうか、と私は思った。自分自身の小学校時代の精神生活をふりかえってみて、自分が好きで熱中したことが何に役立つことになったかを考え、プロの科学者を養成するための小学生時代のトレーニングという問題意識を持っていた私が、仮説実験授業を知ったとき目を光らせて、授業記録や感想文の子どもたちのことばを吟味するようになったのは、しごく当然のことと理解してもらえると思う。
戦後は革新的な両親や教師が「子どもをまもる」運動を展開している。このスローガン自体にはもちろん異議はない。だが家庭教育も学校教育も、苦しむかそれとも楽しむかと Entweder-Oder(あれかこれか) の発想をとって、苦しみを軽くするのが「子どもをまもる」ことだと考え、苦しいけれども楽しいという調和する矛盾の定立を無視していることに、大いに不満であった。自分がやりたいことをやるのなら、いいかげんにやめて早く寝なさいといわれても、夢中になってやるのである。子どもが自分から能動的に、苦しい勉強を楽しんでやるような教育のありかたを、どうして考えないのかと思った。
国語の漢字仮名まじり文は、表意と表音と対立する二種類の文字を使うから、一見ヌエ的で不自然に受けとられるけれども、これは対立する表現法の調和的な組みあわせを自然成長的につくり出したものと私は受けとって、革新的な人びとの漢字撲滅論に批判的であった。それで国語教育から「負担を軽くする」ためにできるだけ漢字をへらそうと努力はしても、漢字の学習方法を改革しようとしないことが腹立たしかった。石井勲が漢字学習の新しい『方法』を公けにしたとき、軽蔑し拒否した連中を救いがたいと思った。こういう子どもの甘やかしが、甘ったれ人間の大量生産にならずにすむはずはない。学問の楽しさを知って金になろうとなるまいと一生学問をやって行くのだという青年が姿を消して、昔「女の腐ったような」といわれた精神的にひよわな青年が増加し、感情的で勉強嫌いで見通しを立てる能力がなく、ただ現在のことを考えればよいのだと自分の無能を美徳にまつりあげ、計画や先の予想を持たずに行動する小児病的学生運動がひろがっていく。合理的な自己訓練できたえられていない革新的「権威」が没落していくのはけっこうだが、それに代って抬頭(たいとう)するのは能力は低いがジャーナリズムの利用にたくみなカマトト的学者なのだから、やりきれない。
こんなことを書くと、いまの世の中の人間や運動を嫌悪し絶望しているかのように誤解する人もあろう。そうではない。私のすきなつぎの文章は、筆者が弁証法的に思惟する能力を持つことをよく示していると思うが、この筆者の心がまえに私も同感なのである。
「人伝(ひとづて)などに聞つる時は、いといみじとおもひつる人の、逢(あい)見るに見おとりするこそ口をしけれ、さては世にいみじとつたへいふは大方(おほかた)かゝるにこそ、めずらしげなし浅ましなど思はんはいかにぞや、それさる物なればこそ、世はいよいよあなどるまじかりけれ、よろしき名ある人のかくいひがひなきが如く、かくろへしのびてありとも人しらぬほとりにおもひのほかなるかしこきもぞまじれる、不定(ふぢやう)の世なれば、目もたのまじ耳もたのまじ、位やんごとなきをも何かはおそれん、はにふの小屋なるをも何かおとしめん、名は実にあらず、実は名にあらず、せんずるにあなどるまじきは世の中也」(樋口一葉『しのぶぐさ』)
だから私は一方では「いひがひなき」「よろしき名ある人」を批判して悪名を頂戴し、他方で「かくろへしのびてありとも」「おもひのほかなるかしこき」学生や教師に協力して感謝される、いまの矛盾した生活を合理的だと思っている。自分が正しいと信じている理論が、国際的な定説として誰もが正しいと信じて疑わない見解とは相いれない場合、特にまだ無名の青年でしかない者がその定説に対して公然と批判をつきつけるには、やはり勇気がいるし、ふくろだたきにされても平然としているだけの神経の強さが必要である。真理は多数決じゃないし、わかってくれる者が必ずどこかにいるはずだ、と最後の勝利を信じて節を曲げない頑固さが必要である。かしこい学生と話してみると、やはり学者としての主体的条件に関心を持っていて、サムライでないといい学者になれぬとか、善良で熱心でも気が弱い者は不適格だとか、的をついたことをいう。たしかにすぐれた学生や教師はみなサムライである。私も健康なヤマカン精神の必要性を強調して、「われわれはヤマカン学派だよな」と笑ったりする。
ここでいうヤマカンは Speculation をさしている。辞書を見ると「思索、思弁」「推理、臆説」「空論」「投機」など多くの意味に使っている。時枝誠記は剣道でも三段のサムライであったが、自分の言語過程説を Speculation だといい、「西洋ぢや、相場の思惑も、学者の思索も、スペキュレーションといふね。大学者が大相場師と同じとは面白い」とおもしろがった。そして「もしそれが外れたら、夜逃げをするか、首をくくるより外に仕様がなくなるぢやないか」と問題を展開し、「その危険は、相場と同様に、免れない運命だ。しかし、それならばこそ、学問にもスリルが涌いてくるわさ。スリルのない学問なんて、考えただけでも、気が滅入ってくる。常夜(とこよ)の闇みたいなものだ」といい放った。彼は学問の「スリルを楽しもうとする」学者だったのである。言語過程説を発表したときの自分のありかたを、時枝自身「死出の装束(しでのしょうぞく)を纏(まと)った獅子奮迅(ししふんじん)の姿」だったと書いているが、それは学問的な生命がかかっていただけではなかった。彼の批判の対象は恩師橋本進吉の学説であって、「いひがひなき」「よろしき名ある人」なら、師に弓をひくと激怒して学界から村八分するところである。ところが橋本は、時枝の『国語学史』に序文をよせて、「今や独自の国語観を立てる所まで進まれたのは、私としても喜びに堪へない次第である。」とよろこんだばかりでなく、自分が定年で東京帝大を退職するときにはわざわざ京城帝大から時枝をよびよせて自分の後任にすえた。橋本もりっぱな学者であり、りっぱなサムライであったことがわかる。
仮説実験授業の感想に、「じっけんを やるときは ぼくは もう、うれしくて うれしくて もう足が ふるえてしまう」と書いた小学校低学年の子どもがいる。やはりスリルを楽しんでいるのである。小学校高学年の子どもに科学者観を求めたら、「とても、科学の楽しみを味わいながら、研究する」(滝沢和子)「科学は、楽しくて、こわい」(松岡ジュネ)「科学者は真理を求めるのがたのしいのだろう」(大島正弘)「科学の楽しさにひきこまれていくのだ」(重原二郎)と、多くが科学研究の楽しさを指摘しているのには、まいったという気がした。アテズッポしかできない段階から、理由を考えて確信の持てる段階に成長していくと、楽しみがさらに大きくなるという点では、競馬も相場も学問も共通している。
時枝は Speculation をお上品に「あてこみ、見込み」と訳したが、お下品なわれわれはヤマカンと名づけた。ヤマカンと聞くといかがわしい感じがするであろうが、ヤマカンがいいかわるいかも条件によってきまることで、努力家のヤマカンとなまけ者のヤマカンといっしょくたにはできない。なまけ者の学者のヤマカンは虚名や原稿料をねらった不純なもので、学問のスリルを楽しむためではないし、外れた場合には失敗を成功のもとにして的に当ったヤマカンを出す能力もないから、結局首くくりの道を歩むことになる。だからなまけ者でも目はしのきく学者は一切のヤマカンを避けている。「沈香(じんこう)も焚(た)かず屁(へ)もひらず」という態度になる。中ソが論争をはじめて、スターリンばかりか毛沢東もどうやらおかしいということになると、うっかり何か書いてまちがったら大変だと、哲学者たちは学者ぶるのをやめて教師業に精を出すようになった。
仮説実験授業はといえば、どんなにすぐれた科学者でもヤマカンが外れるのを免れることはできないし、外れても恥でもなければ不名誉でもないことを、クラス全部の子どもに身をもって経験させ、みんなをいい意味でのヤマカン的人間に育成しようというのだから、いうなれば理想的条件で行う温室栽培みたいなものである。精神的に虚弱で、スリルを楽しむのではなく恐れる子どもは、この授業を好まないかも知れないが、そういう子どもは非常に少いだろうと思う。もちろん現実の世の中は、教室と条件がちがう。現実的な利害関係などもからんで、足をひっぱる人間や頭を押える人間がいる。自然科学のヤマカンなら、実験で反対者を沈黙させることができるが、社会科学ではそれができないし、「いひがひなき」「よろしき名のある人」がライヴァルの出現をくいとめようと、首をくくる縄を持ってきたりする。しかし同じ温室栽培でも教室のそれとはちがって、一応ヤマカン精神を確立できるなら、世の中へ出て悪条件がおそいかかってきてもそれに絶えてくれることを期待できる。そんなわけで、ヤマカン学派の「勇将」をもって自認している私は、仮説実験授業がヤマカン的人間を計画的に育成しているのを、将来「死出の装束を纏った獅子奮迅の姿」で闘う若武者たちが現れるであろうと、たいへんうれしがっているのである。
舶来品崇拝は日本の学者の悪しき伝統であるが、教育理論の分野でも白人文化コンプレックスで外国の「よろしき名ある人」をもてはやしているかに見える。子どもの認識や表現を論じるときには、ピアジェの児童心理学やパヴロフの第二信号系理論などがかつぎ出されている。「名は実にあらず、実は名にあらず」で、仮説実験授業にたづさわる小学校の教師のほうがもっとずっとすぐれた仕事をしているのだが、日本人の仕事が国際的な水準を抜いているといわれると、革新的な人びとの間にも妙な顔をする人が少なくない。偏狭な国粋主義から生れた排外的な主張であるかのように、受けとりがちなのである。ソ連や中国の理論を絶対的真理と思いこむ傾向はなくなったにしても、マルクス主義に対する信頼からこれら社会主義国の理論的創造に期待をかける気持は、やはり根づよいかに見える。国際的な水準を考えるときにも、この気持があるために日本人の仕事に対する正当な評価が妨げられたとすれば、これら社会主義国のマルクス主義が現在どう歪められているかについて、ある程度の理解を求めることも、不当ではあるまい。
さきに授業の「方法」について、矛盾を調和的に定立することの重要性を指摘したが、授業を受ける側の態度さらには科学者が創造的な仕事をする場合の研究の「方法」についても、同じことがいえよう。
〈物とその重さ〉の授業では、対象の形態が重さと無関係であることを、くりかえし経験する。〈ばねと力〉の授業でも、一本のばねと二本直列につないだばねと、形態はちがってものびには変りがない。そこで、形態の変化は他のありかたと無関係なのだ、という固定的な考えかたが生れやすい。二本のばねを並列につなぐ問題を出されたときも、形態がちがうだけだと思って予想を立てる。二本の糸をたてにつないだときには糸の強さは変らないが、ならべてより合せると強さがグッと増すという経験を持っていても、授業からの先入観が禍(わざわ)いしてなかなかそこまで頭がまわらない。実験で予想がひっくりかえされてから、先入観に対する真剣な反省が生れる。前に習ったことにひきずられるな、生活経験を総動員してみることも大切だ、思考実験も必要だ、と気がつく。
科学者の仕事には、冷静沈着に極細極微の現象すら無視することなく注意深くながめ、それに類似した現象ともむすびつけて考えるキメこまかい心づかいと、現象がどうあろうとそれにひきずられることなく推理をすすめ、ヤマカンを提出する大胆さと、この対立する態度を調和的に統一していくことが要請されているのであって、そのどちらが欠けても科学的な研究態度とはいいえない。この研究態度を目的的に育成するのでなければ、科学者の育成とはいいえない。探偵にしても、現場にのこった泥とか車についた塗料とか、微細な手がかりを事件解決に役立てるキメこまかい心づかいと、状況証拠にひきずられることなく一見まったく関係のなさそうな人間を真犯人ではないかと疑ってみる大胆さと、そのどちらが欠けても名探偵にはなりえない。
私は戦前に競馬の予想屋で印刷を手伝ったことがあるが、このヤマカンからも学ぶところがあった。馬や騎手についていろいろなデータを調べるのはもちろん、レース前日の夕方に各厩舎(きゅうしゃ)をまわって馬たちを冷静沈着に観察し諸関係者と話しあい、それらの結果を綜合して予想を立てるのである。現実のレースは予想の正否を実証する。的中率の低い予想屋はお客が相手にしなくなる。哲学者や評論家が雑文を書くのとはちがって、真剣勝負だから実力がないとやっていけない。この予想屋の主人は、競馬ずきですっかり財産をなくしてしまい、こんどは自分の経験を生かして予想を職業にして財産をつくったのである。長い間の真剣勝負できたえられた能力の持ち主である。これを逆にいうならば、真剣勝負で自分をきたえていない哲学者や評論家では、調和する矛盾を定立することの「方法」的な重要性を実感をもって主張できないわけであり、資本主義国であろうと社会主義国であろうとこの点では変りないわけである。
しかも現在のマルクス主義の教科書では、調和する矛盾の定立という問題が落丁になっている。マルクス=エンゲルスにはあったのだが現在ではないばかりか、現実からの強制でこれを説く者があらわれると、調和する矛盾を認めるのは階級の調和を認めることになるから修正主義だとこじつけられ、ふくろだたきにされるというみじめな状態にある。これではマルクス主義矛盾論と称するものも、教育方法の建設の援助者ではなく、妨害者に転化してしまっているといわねばならない。
教育理論の建設にとってきわめて重要でありながら、現在のマルクス主義の教科書で落丁になっている問題はまだある。誤謬をおかさぬ人間などというものは存在しない。人間の認識にとって誤謬は本質的なものである。それにもかかわらず教科書には真理論だけで誤謬論がない。せまく固定した考えかたでは、誤謬や失敗はのぞましくないありがたくない存在である。オシツケ、ツメコミの教育では、誤謬や失敗は劣等児の証明以外の意味を持たない。大衆の中にもせまく固定した考えかたをする者が多いから、ことわざが「失敗は成功のもと」だと、失敗の積極面に注意を求めることになった。条件によって「最上の方法」と「最悪の方法」とが相互に転化するように、条件によって真理と誤謬とは相互に転化する。ばねの直列のときの真理は並列という条件のちがった場合には誤謬であることを、実験が証明してくれる。真理をつかむことが積極的な意義をもつだけでなく、誤謬をおかすことにもまたそれなりの積極的な意義があるとすれば、その教育上の意義を考え教育の中にどう導入するかを教育理論は問題にしなければならないはずである。
科学の歴史を長期にわたるダイナミックなとらえ方で検討してみれば、科学者の誤謬の持つ役割も明らかになる。だからこそエンゲルスも科学史や哲学史をふまえて、「真理であるという無条件的要求権を持つ認識は、相対的誤謬の系列を通じて実現される」と書いたのだが、現在のマルクス主義の教科書では「相対的誤謬」という概念すら消え失せてしまっている。仮説実験授業が「私自身の科学史と認識論の研究をもとにして、これまでの科学教育――理科教育の内容と方法とを全面的に組み立てなおす」(板倉聖宣)という過程をとっていることは、マルクス主義の教科書の歪められた認識論に束縛されることなく、誤謬の持つ積極的な意義を評価して授業の中に意識的計画的に導入する結果をもたらしたのである。誤謬についての科学的な理解が欠けていて、誤謬を冷静沈着に検討することなく階級的条件と直結して不当な非難をあびせたり、ある時点でのふみはずしをはじめから計画的に行動したものと判断しスパイの汚名をきせて粛正したりするような社会では、誤謬の持つ積極的な意義を評価する授業方法が確立し展開するかどうか疑わしい。
私は一九六七年の冬にキエフの国民経済博覧会でいろいろなティーチング・マシンを見たが、これでツメコミ教育が行われるかと思うと心寒いものを感じた。六九年の冬には経済審議会の情報研究委員会がその報告書を『日本の情報化社会』と名づけて出版したが、その中で「教育方法の革新」が論じられ、「効果的、効率的な教育のために教材・教具の改良から視聴覚教材、コンピュータ・システムの開発へと進み、『手工業最後のトリデ』と評されている教育の領域も大きく変貌を遂げる時代が迫っている」と書かれている。私はティーチング・マシンなど新しい教具の出現それ自体を否定しているのではない。医療の治療機械と同じように、それが合理的なものであるなら承知するのである。外国語を早く身につけるには、耳からたくさん聞くことが必要なのに、学校の外では日本語しか耳にすることができないなら、テープレコーダーに会話のテープをかけてくりかえしくりかえし耳にするという練習方法が有効なのはいうまでもない。ただ、ある条件のときに「最上の方法」でも、条件が異なると「最悪の方法」に転化するということは、コンピュータとても同じだといいたいだけである。誤謬や失敗はのぞましくないありがたくない存在だとする形式論を基礎に、コンピュータを使って教える「方法」が万能かどうかは、これまで述べて来たことからもわかるはずである。
仮説実験授業は、授業書を使って予想から実験へすすむ段階でも、子ども同士の生きた対話を重視している。授業のあとで子どもたちに「えんぴつ対談」をやらせ、「先生も一言」感想を加えて、プリントにしてみんなにくばるという、対話の「方法」もあらわれた。これを革新的な人びとの一部に見られる集団信仰と同一視してはならない。教室は一つの小社会を形成する。教師も子どもたちも小社会の一員である。授業の目的は個人の能力を高めるところにおかれていても、そのためには社会的な協力を深めることが必要である。機械器具の使用もこの社会的な協力にプラスするものでなければならない。個人は自分で自分をつくり高めるのではなく、相互につくりあい高めあうものであるというのが、社会観の基礎である。教室の小社会は子どもたちが主権を持つ社会であって、教師はあまくだりとしてこの社会に入ってくるとはいえ、子どもたちが自分をつくり高めあうための援助者=道案内者として活動する、と見るのが民主的な考えかたである。正しい社会観を持ってこの授業を見るならば、教室の小社会の特殊性を考慮しながら、社会的な協力を深めていくさまざまな対話のありかたが、正しく評価できると思う。
“”(註) 「仮説実験授業」については、提唱者板倉聖宣(いたくらきよのぶ)の説明を引用しておく。
「科学上のもっとも基礎的一般的な概念・法則を教えて、科学とはどういうものかということを体験させることを目的とした授業理論。
この授業の理論的基礎は主として次の二つの命題におかれている。――(1)科学的認識は対象に対して目的意識的に問いかける実践(実験)によってのみ成立し、未知の現象を正しく予言しうるような知識体系の増大確保を意図するものである。(2)科学とは、すべての人々が納得せざるを得ないような知識体系の増大確保をはかる一つの社会的機構であって、各人がいちいちその正しさを吟味することなしにでも安心して利用しうるような知識を提供するものである。
この第一の命題によって、実験の前には必ず生徒一人一人に予想・仮説をもたせなければならない、という主張が生れる。また、第一第二の命題から、討論の重要性が指摘される。他人のすぐれたアイデアを積極的にとり入れ、他人のまちがった考えを批判し、自分の考えが正しいと思ったら、みんなから孤立しても自説を守り、他人を説得させるだけの論理と証拠・予言をそろえられるようにしなければならない、というわけである。そこで、この授業理論にもとづく授業では、問題・予想(仮説)・討論・実験が授業の中心におかれることになる。同じ概念・法則に関連する一連の問題をつぎつぎと与えて予想を立てさせ、考え(仮説)をだしあわせてから実験によってどの予想が正しかったかを知らせるうちに、目的とした概念・法則を確実に身につけさせようというのである。」(小学館版『ジャポニカ百科』)