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『現実・弁証法・言語』U

弁証法とは知らずに――子どもでも理解できることの確認
弁証法のありがたさ――単純な原理の有効性
調和の論理
〈支持者〉の論理
オバケの論理
善と悪と――その相対的妥当性
北川敏男の〈営存〉論

 

 弁証法とは知らずに――子どもでも理解できることの確認

−p.93−

 私は大正六年に、東京府下豊多摩郡渋谷町の渋谷尋常高等小学校に入学した。市電の終点のすぐ近くで、ちょうどいまの東急文化会館のところに木造三階建の校舎が立っていた。学校の前の川べりには、清水のふきだす井戸があって、夏には川で遊ぶ子どももいた。道玄坂の上は一面の田で、よくイナゴをとりにいった。読書欲はさかんだったが、新しい少年雑誌を買うだけの小づかいはもらえないし、そのころの田舎の学校だから図書館もない。それで道玄坂の夜店へ行って、古い少年雑誌を一冊五銭で買って読んでいた。

 五年生のときのことである。悪友のKが、どこから手に入れたかしらないがちょっと外国ムードのあるしゃれた本を私に渡して、「おもしろいから読んでみな」という。映画館のビラ下をやったことの返礼だったと覚えているが、その私のもらった本は金剛社という出版社から出した、侠盗アルセーヌ・ルパンの物語である。私は勉強がきらいで予習や復習はちっともやらなかったが、算術の応用問題がすきで、むずかしいのを解くために頭を痛めるのが楽しみであった。算術の教科書も、〈教師用〉として文部省から出ているのには、児童用とちがって問題の答えもついているし、教師が児童に与えるための問題ものせてある。それでわざわざ遠くの、市内の大きな本屋から〈教師用〉を買って来て、勉強していた。そんなわけだから、大人むきの謎解き読みものは実にすばらしい贈りものであった。そのころは少年むきの本といえばお伽ばなしか童話で、別に読みたいものもなかった。原田三夫の『子どもの聞きたがる話』全十巻のうち二冊を母親からもらったのが、私の持っている本の全部だし、定価一円の探偵小説を買ってもらえるはずもない。大人の探偵小説は読みづらいところもあったが、ルパンに味をしめて貸本屋からこの種の本を借りはじめた。同じ金剛社から出た、ルルウの『黄色い部屋』を読んだときの興奮は、いまでも忘れない。

 夜店で買う古雑誌も『新趣味』や『新青年』になって、小学校を卒業したつぎの年にポオの『モルグ街の殺人事件』と『ぬすまれた手紙』を手にしたのだが、このときは痛快とか意外な真相に驚くとかいう楽しみではなく、謎を解くためのものの見かた考えかたを事件というかたちで教えてくれているように感じられた。そしてそれから五年あとに,思いもかけぬエンゲルスがその真相を明らかにしてくれたのである。印刷工をしていた兄貴のささやかな本棚から、改造社版マルクス・エンゲルス全集の第一回配本(あとは買わなかったらしい)をひっぱり出してひろい読みしていると、『反デューリング論』の弁証法の説明のところにぶつかった。とたんに電光のように心にひらめくものがあって、ポオが教えてくれているものの見方考え方は弁証法的な考えかたではないかと気づいた。

 以来三十五年、私は殺人事件の謎ではなく。社会の提出している謎を解く探偵として、すなわち社会科学者として仕事をしている。講談社からたのまれて『弁証法はどういう科学か』を書いたときには、その一節を探偵小説の分析にあてて、『ぬすまれた手紙』が弁証法をどう説いたかを具体的にとりあげておいた。この短編は何度読んでもおもしろいし、そのたびに何かしら新しいことを学びとれるのである。

 私のひろい読みした弁証法の説明の最後の段落には、つぎのように書いてあった。「人間は,弁証法のなんたるかを知るずっと以前に、既に弁証法的に思惟した。恰(あた)かも散文なる言葉の存しないずっと以前から散文を話したのと同様である。」人間が散文を話すのは、幼児のころからのことである。すると、人間も幼児のころからすでに弁証法的に思惟しているが、自分ではそれが弁証法とよばれるのだと知らないのだということになる。だからエンゲルスが「それは、若(も)し古い観念主義の哲学がそれをかくしてゐる所の秘密の箱、またその下にかくすのがデューリング氏程度のいくぢのない形而上学者の利益である所の秘密の箱を取り去るならば,子供にすら理解し得るものである。」と書いたのだな、と思った。原田三夫の題名を借りるなら、小学生むきの『子供の聞きたがる話』弁証法の巻もつくれるわけである。そのうちに誰か書いてくれるだろうと期待していたが、誰も書いてくれなかった。私が戦後に真善美社から『哲学入門』の依頼を受けて、書くという結果になった。

 警官や探偵と犯人とはふつう別の人間であるが、ルブランやルルウの作品には警官や探偵が実は盗賊であり犯人であったという事件が描かれている。新聞紙上にそうした悪徳警官が報道されることもある。捕える者と捕えられる者とは別個の存在だというのが常識ではあるが、捕える者が同時に捕えられる者だという場合もありうるから、このような考えかたが必要なことは否定できない。これは対立物を統一において把握することで、エンゲルスの説明によるとこれが矛盾としての把握でありこれが弁証法的な思惟である。とすれば、探偵小説の作者はこの点でも弁証法の何たるかを知らずに弁証法的に思惟していたことになろう。――そんなことを考えているうちに、つぎの小学校唱歌が頭に浮んできた。『よく遊びよく学べ』である。

一、机の前では一心に
  何も思はずよく学べ
  遊びながらの勉強は
  時間を無駄にするばかり
   学べ学べ一心に
   学べ学べ一心に

二、課業が済んだら一心に
  何も忘れてよく遊べ
  ただ面白く遊ぶのが
  元気をつけるよい薬
  遊べ遊べ一心に
  遊べ遊べ一心に

 学ぶと遊ぶとは、対立した生活として区別されると同時に、同じ子どもの生活の中で両立して位置づけられなければならぬというのだから、これもやはり矛盾のありかたであろう。遊ぶといえば、われわれ明治生れの人間の遊びは夏はトンボとり、冬は雪合戦、教師に見つかると叱られるのがメンコ、道具がいらず季節を問わないのが馬とびにジャンケンとびであった。ヤンマはムギワラやシオカラとちがって大きくりっぱだからつかまえたいが、高く飛ぶから長くしっかりしたモチ竿がいる。遠くはなれた氷川神社の原っぱへ竿をかついて出かけたが、そのころはまだ国学院大学は建っていなかった。道で雪合戦をやっても、別に自動車が通るわけではなく、交通事故の心配はなかった。馬とびは、上にのった組がゆすぶって下の馬をつぶしにかかるから、危険だと止めさせる教師もいたが、子どもたちは平気でさかんにやっていた。ジャンケンとびは四人が二組にわかれ,組の一人がジャンケンで自分のパートナーを動かすのだが、ハサミで勝つと五歩、イシだと十歩、カミだと二十歩とべる。男の子がジャンケンが下手でパートナーの女の子から文句をつけられる場面もあった。子どもにとって遊ぶことは生活の重要な部分で,元気をつけからだをきたえることだということは、右の唱歌を習うときにも教師が話してくれたし、ガリ勉の点取り虫をわれわれ悪童は大いに軽蔑していたのである。

 けれども、遊ぶということは、仲間との交際のしかたや協力のしかたについて経験をかさね訓練をすすめるものだから、これも他面から見れば学ぶことではないか、と私は思った。学ぶことと遊ぶこととはそれぞれ別個の生活で、独立して存在するというのが常識ではあるが、遊ぶことが同時に学ぶことだという場合もありうるし、それがむしろのぞましいことでもあるから、このような考えかたが必要なことは否定できない。とすると、学ぶことと遊ぶこととの関係は、警官や探偵と盗賊や犯人との関係と共通点があるといわなければならない。唱歌に「何も忘れてよく遊べ」というのは、国語や算術などのことを忘れろという意味であって、他人の迷惑を忘れ着物を破いたり傷を負わせたりする危険を忘れろという意味ではない。「何も忘れて」というのは条件づきであって絶対的ではないことを理解する必要がある。――なるほど、弁証法的に思惟するとはこういうことか、こりゃ面白いし役に立つな、と私は思った。

    *

 哲学者にくらべると大衆は学問的に子どもである。日本の大衆はもちろん、日本人の学者にしても、ヘーゲル哲学のような体系的な哲学をつくり出すことはできなかった。けれどもこのことは、日本の大衆が弁証法的に思惟しなかったことを意味するものではないし、日本人の知的遺産に「弁証法の何たるかを知らない」ところの弁証法が存在しないことを意味するものでもないはずである。私はこの予想にもとづいて知的遺産を検討し、ことわざや川柳や落語などいたるところに弁証法が語られていることを知った。ことわざの「嘘から出たまこと」や「負けるが勝」などもそうであるし、前者について中内蝶二作詞の長唄『紀文大盡(だいじん)(明治四十四年初演)はつぎのように遊女几帳に語らせている。

「傾城(けいせい)にはまことなしとはてんがうな、そりゃ訳知りのいはぬこと、まことも嘘も本ひとつ、しんぞ命と此方から、つくす誠はくみもせで、逢瀬はかなきたなばたの、雨に浪たつ天の川、かよひ路の、つとめばかりに逢ふ人も、絶えず重なるその時は、はじめの嘘も皆まこと」

 「女郎のまことと卵の四角、あれば晦日(みそか)に月も出る」といわれ、世間の常識では一面的にしか見ていないことへの、遊女側の弁証法的な反論である。「嘘から出たまこと」はイロハガルタになり、几帳の説明は演奏会で語られている。カルタを取ったり長唄を聴いたりして遊ぶうちに,具体的なかたちをとった弁証法的な見かたがいつか脳裡に刻みこまれるとすれば、ここにもまた遊ぶことが同時に学ぶことだという論理が存在していると考えなければならない。

 「小倉百人一首」のカルタ遊びには、歌を暗記なければならないから、この側面では文学教育にもなっている。私の幼いころには、これを真似た「明治天皇御製歌留多」というのが売り出されて、私の家にもあったので、歌のいくつかをいまもって暗記している。幼いころの教育の重要なことをつくづく思い知らされる事実である。宮内省が『明治天皇御集』を精選編集して版にしたのは大正十一年であるから、大正五年ころに売られていたカルタの原本は、御歌所の所員が無許可で材料を提供して問題になった大正初年の海賊版であろう。私の暗記している歌のいくつかは出来がよくないし、宮内省版にはのっていない。

 エンゲルスに教えられて弁証法についての自覚を持ってから、現実を見つめる私の頭の中の眼は急速に開かれていった。いたるところに弁証法な論理がウヨウヨ存在し、有機的にからみ合っていることが、それこそ手にとるように見えて来た。但しそれには「ここに弁証法的論理あり」と記した立て札など一本も立っていないのだから、ソ連や中国の官許マルクス主義を暗記して色眼鏡をかけている人びとは、自分がたとえ見ていてもそれが弁証法的な論理だとは気づかないことが多い。モリエールのジュールダン殿は、自称マルクス主義者の中にもたくさんおいでになる、ということになる。

 

 弁証法のありがたさ――単純な原理の有効性

−p.100−

 弁証法といわれる理論を私は自分の仕事に使ってみて、エンゲルスが「われわれのもっとも鋭利な武器」(Unsere sch&aurl;rfste Waffe)だといった理由が体得できた。非常に役に立つ、ありがたいものだと痛感した。だから敗戦後間もなく、清水幾多郎が「弁証法が役に立つというなら役に立った実例を見せろ」という意味の発言をしているのを読んで、ひどく腹が立ったのである。清水に対してではない。プラグマティストからこういわれても、「私はこのように役立てた」ということのできないマルクス主義哲学者に対してである。マルクスとエンゲルスが唯物弁証法をつくりあげた、彼らはそれによって多くの創造的な仕事をし、『資本論』をも書いた、レーニンが唯物弁証法をさらに発展させた。彼はそれを革命の戦略先述に適用した、と他人が役に立てた話はするけれども、私はこのように役立てたということができないのは、役立てようとしなかったことの・非実践的ななまけ者であることとの・暗黙の承認にほかならないからである。それでは学説の商人ではあっても、学者ではない。

 それから約二十年たった今日では、「私はこのように役立てた」と公言する科学者も出て来ている。しかし哲学者たちは依然として学説の商人でしかないし、学説が普及するに従って商人としても相手にされないようになって来た。粗悪な偽造品を売っていることが判って来たからである。スターリンは弁証法から否定の否定の法則を追放したが、この追放を正当として認めるばかりか、さらにその他の法則をも「ヘーゲルのカテゴリー」として切りすてるべきだと主張する、自称マルクス主義哲学者すら出現している。それで、まず、自分の研究に役立てている科学者の発言を見よう。科学史を専攻していま仮説実験授業とよばれる新しい科学教育の建設に努力している板倉聖宣が、『科学と方法』(一九六七年)の巻末に記した「若い読者のためのあとがき――私の方法論はいかにして生まれ、役に立ったか――」の中につぎのことばがある。

「私の方法論・哲学・弁証法といったものはそれを原則的な言葉にまとめてみればきわめて単純なものにしかすぎません。深遠なものではないのです。だから、そんなものはだれでも知っているので、いまさらそんなものをもちだしたって何の新鮮味もないように思われます。私もときどき思うのです。私はどうしてそんな当り前な原理をふりまわさなければならないのだろうと。そんなものをふりまわして研究したって、これまでみんながよく研究しつくしてしまったこと以上のものを見出すことができる筈がないのにと。ところが私がそれをふりまわして研究すると、たいていの場合これまでみんなが思ってもみなかった新しいことが沢山わかってくるのです。そこで私はこう思うのです。多くの人々は方法論や弁証法などというものは単純で当り前すぎてそんな原則など役に立ちっこないと考えて馬鹿にして利用しなかったにちがいないと。そして、私は思いかえします。そういえばニュートン力学の法則などというものも分ってみれば、きわめてあたり前なつまらぬことにみえるではないかと。そんなもので力学的現象などがすべて解明しつくされるとは思えないではないかと。私は、多くの若い人が、自明すぎるほど単純な考えかたをとことんまで適用して、新しい研究分野をどしどし切り開いていってほしいと願わざるを得ないのです。」

 ここでは、弁証法の法則の有効性を、ニュートン力学の有効性と対比して論じている。科学の法則というものが「単純な原則的な考え方」であることを、自明のこととして論じている。この単純で原則的な考え方と、複雑な構造を持つ諸現象の具体的な解明とを、区別と連関において論じている。

 単純な原則的な考え方を、切りはなしてとりあげるのではなく、それを適用して得られた複雑な具体的な認識と結びつけてとりあげるのは、対立した両者を統一においてとりあげることであるから、弁証法的なとりあげかただといわなければならない。弁証法を弁証法的にとりあげるというと、一見同義反復に受けとれるし、哲学者はこんなことはいわないが、弁証法の適用について論じることは右に見たように弁証法を弁証法的にとりあげることにならざるをえないのである。悲しいかな、弁証法を自分で役立てようとしなかった、非実践的ななまけ者には、このとりあげかたができない。弁証法を形而上学的にしかとりあげることができない。その典型がアルチュセールの主張である。

 アルチュセールは論文『矛盾と重層的決定』(一九六二年)の中で、構造主義者とよばれるにふさわしく、現実の諸矛盾の複雑な構造をとりあげて、そこから彼の原理をみちびき出している。

「これからの諸矛盾は、矛盾の項目の一つであり同時に矛盾の存在条件でもある生産関係に依存し、また上部構造、つまり生産関係に由来するとはいえ、独自の堅固さと効力を持つ次元に依存し、さらには特殊な役割を演ずる決定因として介入する国際的変動それ自体に依存する。……すなわち『矛盾』は、矛盾がそのなかで作用する社会全体の構造から切り離すことができず、また存在の形態的な諸条件、およびそれが支配する諸次元からも切り離すことができない。したがって矛盾それ自体は、その核心においては、それらによって影響され、同じ一つの運動のなかで、決定するものであると同時に決定されるものであり、それが活動力をあたえる社会のさまざまなレベルとさまざまな次元によって決定されるものである。それゆえ、われわれは矛盾は、原理的に言って重層的に決定されると言うことができる。」

 たしかに現実の諸矛盾は重層的であり、それについての具体的な矛盾論も重層的になる。ところがアルチュセールは、ここから矛盾論の原理は重層的であるがゆえに、「ヘーゲル的矛盾とはまったく別のものだ」といい、否定の否定その他の〈非重層的〉な矛盾論を切りすてるのである。マルクスがヘーゲル弁証法から「合理的な核心」としてこれらの法則をとり出して来たと『資本論』で記していることに疑いを持ち、マルクスのごまかしあるいは錯覚であるかのように受けとるのである。『反デューリング論』で、エンゲルスがこの〈非重層的〉な矛盾論をデューリング批判に役立てたという事実についても、「この観念が教育モデルとして役立つことができること、あるいはむしろ、この観念が、歴史の特定の時期に、論争的かつ教育的手段として役立ったということは、その運命を永遠に定めるものではない。」と、いわばスターリン的に精算することを求めている。現実の矛盾が〈重層的〉であるからには、原則的な考え方も〈単層的〉であってはならないというのが、精算の論理的な根拠なのである。

 目をエレクトロニクスに向けてみよう。ラジオ受信機を組立てたり修理したりするには、どれだけの電圧がかかりどれだけの電流が流れているかをテストするための測定器が必要である。戦前には簡単なテスターがまだ商品として売られていなかったから、われわれは部分品を買ってじさくしなければならなかった。たとえば図のような構造の(図は省略――引用者注)、フルスケール一ミリアンペアの電流計に抵抗と切換スイッチを組合せたものを組立てるのである。電流計自身の抵抗をも入れて、さまざまな値の抵抗が〈重層的〉に配置されるが、それらの値はオームの法則によって決定する。オームの法則は、誰でもよく知っているようにきわめて単純な、電圧(V)÷電流(A)=抵抗(Ω)という〈非重層的〉な原理でしかないが、これで〈重層的〉な構造を持つ諸抵抗の一つ一つの値を計算していけばいいのである。フルスケール一ミリだから、これを一〇〇ボルトの電圧計にするには、100÷0.01=100,000 すなわち一〇万オームの抵抗をR1として使えばいいことになる。抵抗を直列にして電圧計にするか並列に接続して電流計に使うか、そのときの合成値はまったくちがうけれども、これは、いわば〈重層的〉な構造の特殊性であって、この特殊性が存在するからといってオームの法則の一般性が否定されるわけではないことも、組立てて実際に使ってみればチャンと証明されるのである。

 現実の〈重層的〉な矛盾と、それを研究する方法としての〈単層的〉な矛盾の法則との関係も、〈重層的〉な矛盾の持つ特殊性が〈単層的〉な矛盾の法則の一般性を否定することになるか否かの問題も、右に述べた測定器の場合と論理的に同じである。〈重層的〉な矛盾の一つ一つをとりあげればそれは〈単層的〉であり、抵抗のように一つ一つ切りはなされたものとして存在しないにしても、研究に際して頭の中で抽象し分離して検討した上でまた結びつけて理論化することは科学の建設の常道である。現実の矛盾が〈重層的〉で切りはなしえないことを理由に、それらを観念的に切りはなし〈単層的〉にとらえかえして検討することを無視し否定するなら、それは不当な客観主義であり、科学的研究についての無知を告白するものである。非実践的ななまけ者の哲学者仲間にはもっともらしく受けとれるにしても、創造的な仕事をしている科学者からは笑いものにされるであろう。アルチュセール自身にしても、印税を受けとるとき〈重層的〉な紙幣の束を、一枚一枚〈単層的〉にしかも数という抽象において計算して、その数に一枚の金額を掛けるという、観念的な作業を行っているにちがいないのである。

 われわれが方法としての〈単層的〉な矛盾をふりまわす者を批判する場合ももちろんあるが、それはこの〈単層的〉な矛盾が抽象の所産であることを反省しないで、そのまま現実の〈重層的〉な矛盾に押しつけ、現実が〈単層的〉なものであるかのように解釈するからである。不当な適用に対する批判であって、単純で原則的な考え方それ自体を非難しているのでも何でもない。仮説実験授業で、小学校の生徒が力学的な原理を覚えても、それを適用する問題を出すと、ばねの直列と並列とのちがいを無視して誤った予想を立てる者が多い。不当な適用をさせ、実験でその誤りを自覚させるということが、目的的に行われているわけであるが、力学的な原理をまず身につけさせているだけに、不当な適用で失敗したとしても原理まで否定する生徒はいない。エンゲルスが、経済を究極の決定的な要因だとする唯物史観の規定を曲解して、唯一の決定的要因だと主張する形而上学的な単純化に対し、それは「空虚で、抽象的で、馬鹿げた」言葉に変えてしまうことだと非難したのを、単純で原理的な〈単層的〉な矛盾の認識にそのまま押しつけて平然としているアルチュセールは、小学校の生徒以下だといわなければなるまい。

    *

 常識的な考え方からすれば、単純なものは複雑ではなく、複雑なものは単純ではなく、両者が共存することはありえない。それでアルチュセールも現実の矛盾の〈重層的〉な複雑な構造から、ヘーゲルの矛盾の単純なことそれ自体を拒否し否定した。「ヘーゲル的矛盾の単純さは、一民族の内的原理の、すなわちその物質的現実ではなくそのもっとも抽象的なイデオロギーの単純さの反映にすぎない」ので、現実にはそんな単純なものはないというわけである。そこから論理的に、この現実の複雑な構造を反映するマルクス主義の矛盾論は、ヘーゲルのそれと異なって単純であるはずがないという結論になり、「ヘーゲル弁証法のマルクス的な『顛倒』は、単純な抽出とはまったく別のことである」から、〈単層的〉な矛盾を説いたマルクスやエンゲルスの叙述それ自体をも〈ヘーゲル的イデオロギー〉の残存として精算すべきだということになり、スターリンが正しかったということになる。そしてその意味で、レーニンや毛沢東の複雑な矛盾についての叙述を高く評価しているのである。

 ところで、自然科学の単純な諸法則――ニュートン力学の法則でもオームの法則でも何でもいい――が、役に立つことを否定する者はないであろう。ではなぜその法則が役に立つか? それはその法則が現実の構造をそれなりに正しく反映しているからにほかならない。その法則の単純さは「一民族の内的原理」の単純さや「抽象的なイデオロギーの単純さ」からもたらされたものではなく、「物質的現実」の複雑さと共存しているその本質的な単純さに根ざしているものだと、考えなければならない。したがって、現実の構造それ自体が複雑であると同時に単純でもあるという、常識的な Entweder-Oder (あれかこれか) を超えた考え方をしなければ、科学とその応用を説明することはできない。ノーベル賞を得た生化学者セント=ジェルジが、小論文『教育と知識の膨張』(一九六四年)で自然科学の発展を概括してつぎのように述べていることを、吟味してみるべきであろう。

「知識の膨張――というより知識の爆発という方が当っているでしょうが――と教育とを調和させるためには、人間の成長に伴って、知識を単純化しつつ相続するのでなければ望みがないでしょう。私はこうした楽観的な立場をとりたいと思います。

 私が楽観的である理由の一つは、自然というものの基礎が単純であることです。……自然は、私たちの知らない暗号文のように思えます。私たちの方法が、より巧みな、より適当したものになり、また我々が自然の暗号を見つけ出す度合いに従って、事象はより明確になるばかりでなく、きわめて単純なものになるにちがいありません。

 科学は事柄を一般化しようとする傾向を持っていますが、一般的であることはいいかえれば単純化です。私のやっている科学、生物学は、私が学生であったころに比べてはるかに知識が増加していますが、同時に、より単純なものにもなっています。かつては生物学は恐るべく複雑で、多数の個々別々の原理に分断されていました。今日ではこれらのすべてが、原子モデルを中心とする単一の複合物に融合しています。宇宙論、量子力学、DNA、遺伝子などは、程度の差こそあれ、どれも一連の物語の一部です。何とすばらしい単純化でしょう。」(小川豊訳)、(強調は引用者、以下同じ)

 それでは社会科学の側ではどうであろうか。エンゲルスの『マルクス葬送の辞』(一八八三年)は述べている。

「ダーウィンが有機的自然の発展の法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発展の法則(the law of development of human history)を発見した。この法則とは、これまでイデオロギーの度はずれな繁茂の下に蔽われていたつぎの単純な事実the simple fact)である。すなわち、人類は政治、科学、幻術、宗教等の生活を営む前に、何よりもまず食べ、飲み、住み、着なければならない。…」

 ここで、私が〈単純〉ということに理論的な関心を持つようになった過程を簡単に記しておくことも、無駄ではあるまい。私は、自然の暗号文を解くことと人間のつくった暗号文を解くこととの、両方に興味を持っていた。探偵小説には暗号を扱ったものがすくなくないし、ポオは暗号について論文まで書いている。さらに毎日新聞社は、ワシントン会議において日本の暗号電報をアメリカ側が盗読したことを盗読者自身が詳しく述べた、ハーバート・ヤードリの記録『アメリカン・ブラック・チェムバ』を翻訳出版したが、私が見のがすはずはない。この中に、第一次世界大戦において、ドイツと連合国とが秘密インキとその現像法をめぐって激烈な戦いを行った事実が語られている。一方が新しい秘密インキを開発すると、他方がそれを現像する新しい化学薬品を研究し完成するという、いたちごっこが行われているうちに、ドイツ側の新しい秘密通信がどんな薬品を使っても現像不可能になった。必死の調査と研究をすすめるうちに、それは水で書いたものらしいと判明したが、いったい水で書いた文字をどんな薬品を使ったら現像できるのだろうか? 顕微鏡で見ても、紙の表面がペンでわずかに繊維がけば立っているらしいことしかわからない。だがさんざん試みた末、ついにその現像に成功した。何と単純なこと! 水で書いた紙をヨード蒸気をみたした箱の中に入れると、紙の表面のわずかなけば立ちにヨードの微粒子が沈着するから、それを現像すればいいのである。だから疑わしい手紙は、水のついたブラシで全面をこすっておけば、もはや現像不可能となるわけである。現像といえば、紙に直接に薬品を塗って行うという常識をはなれて、紙の上に蒸気によって別の薬品を機械的に付着させ、この薬品をさらに現像するという媒介的なしかも単純な方法が、かなり長い期間友好的に使われたという事実は、私に〈単純〉を軽視してはならぬという衝撃的な教訓を与えた。それで、それまでの知識から、〈単純〉ということの意味を再検討するようにもなった。

 ポオの『モルグ街の殺人事件』で、デュパンは警察を批判し、「彼らは、異常なことと難解なことを混同するという、あの大きな、しかしよくある誤謬に陥っているのだ。」という。これは、異常に見えても容易に解決できることがあるばかりでなく、反対に平凡に見えても難解なことがあるのだと受けとるべきで、前の例がこの作品で書かれ、後の例が『ぬすまれた手紙』で説かれていると見てよいと思う。殺人事件は、異常で複雑で奇妙であったが、手紙の盗難は反対に平凡で単純で奇妙なことを、つぎの会話が語っている。

「『ところで今度の面倒なことというのは何ですか?』と私がたずねた。『殺人事件などはもうごめんこうむりたいものですな。』

『いやいや、そんな性質のものじゃありません。実は、事柄はきわめて単純(very simple)なので、われわれだけでも充分うまくやっていけることは疑わないんだが、でもデュパンがきっとその詳しいことを聞きたがるだろうと思ったんです。何しろ実に極端に奇妙なことなんだから。』

『単純で奇妙、か。』とデュパンがいった。

『うん、そう。で、まだどちらとも、そのとおりでもないので。事件は実に単純なんだが、しかもわれわれをまったく迷わせるので、ひどく参っているしまつなんだ。』

『たぶん、それがきわめて単純だという点が、あなたがたを当惑させているんだな。』と友人がいった。

『ばかをいっちゃいかん!』と総監は心から笑いながら答えた。

『たぶん、その謎というのは、すこし明瞭すぎるんだな。』とデュパンが云った。」(強調はポオのもの)

 問題の手紙は大臣が公然とぬすんだもので、大臣の身のまわりにあるだろうことも確実なのだから、たしかにきわめて単純な事件である。ところがどんなに捜索しても手紙が見つからないのだから、実に奇妙なことといわなければならない。もちろん邸内は広く、さまざまな家具や書籍などもあって、隠し場所は多種多様に考えられるが、莫大な費用をかけてしらみつぶしにさがしても、結局発見できなかったのである。デュパンは大臣の身になって、彼が手紙を隠すのにどんな原理を採用したかを考える。そして、「大臣がその手紙を隠すのに全然それを隠そうとはしないという、遠大な賢明な方策を使ったのだということ」がわかった。そして事実そうであった。

 この原理それ自体はきわめて単純であるから、具体的にどんな方策を使ったかは邸内を実際に見ないとわからない。問題の手紙はどこか人の目につかないところに隠してあるだろうという、警察の予想の裏をかいて、誰でもすぐ目につくところへおいたという点ではすこしも隠してはいない。しかし手紙を本来のすがたのままですぐ目につくところへおいたのでは、あれだ、と気がついてしまう。それで、手紙の大きさは変えられないけれども、裏がえしに折って赤くて小さくて公爵の紋章のある封印の代りに黒くて大きくて大臣の書き判のある封印を施したり、細かくて小さな女文字のあて名を太くて大きな男文字の別のあて名に変えたり、手紙のみかけを本来のものとまったく反対につくり変えた上で、人目につくところへ置いた。論理的にいうなら、現象的には隠すが実体的には全然隠さないという矛盾を目的的に定立したのである。この隠すことと隠さないこととの間には「闘争」などはなく、右に見たように調和したかたちをとって両立させられているのであるから、この調和する矛盾をわざわざすぐ人の目につくところへ置いて、置き場所からいっても見かけからも問題の手紙であるはずがないという誤った判断をつくり出すところに、矛盾の実現と解決があったのである。これは調和する矛盾の創造が役に立つということの一例だといってさしつかえない。

 チェスタートンの探偵小説に登場する、犯罪界の巨人フランボウの「大部分の実験の特徴をなしているのは、圧倒的な単純さ(a sweeping simplicity)であった。」ブラウン神父は『奇妙な足音』で、その犯罪をつぎのように説明して見せる。

「『犯罪というものも』彼はゆっくりと云った。『ほかの芸術上の仕事と変りありません。まあ、どうかそういうびっくりした顔をなさらないように。犯罪だけが悪魔の仕事場から生れる唯一の作品だとはかぎらないのですからね。どんな芸術作品も、神的なものであろうと悪魔的なものであろうと、かならず一つの特徴をそなえているものです――つまり、その完成されたすがたはどんなに複雑であろうと、その中心は単純だということねI mean, that the centre of it is simple, however much the fulfilment may be complicated.)。ですから、例えばハムレットの場合でも、墓堀人の怪奇さ、狂った娘の持っている花、オズリックの奇想天外な派手くるしい身なり、亡霊の蒼白さ、髑髏(どくろ)のにたにた笑い、そうした奇妙なもののすべては、一人の黒い服装をした明快な悲劇的人物の首にかけられている、もつれあった花環のようなものなのです。そう、今度の事件にしても』彼はそう云いながら、微笑を浮べてゆっくりと腰かけているカウンターから降りはじめた。『今度の事件にしても、一人の黒い服装をした人物の明快な悲劇なのです。そうなんですよ』彼は大佐が多少いぶかしそうに顔をあげるのを見て、ことばを続けた。『この物語全体が一着の黒い服にかかっているのです。今度の場合も、ハムレットのときと同じように、いろいろなロココ式な無用の飾り物が加わっています――たとえば、あなたがた自身がそうです。そこにいるはずがないのにいた、死んだウェーターがそうです。けれどもどんな頭のいい犯罪でも、つきつめていけば何かきわめて単純な事実(some one quite simple fact)を基礎にしているものですよ――それ自身には何の神秘性もない事実をね。神秘化はその事実をおおい隠し、ひとの考えをほかへそらすために登場してくるのです。今度の大がかりで、しかも微妙な、そして(通例のようにいけば)非常に儲かる犯罪にしても、紳士のイヴニングがウェーターの服装と同じだという明快な事実を基礎にしたものでした。あとのすべては演技、それも圧倒的にたくみな演技でしたよ。」

    *

 チェスタートンは、文学評論家として高い評価を受けている人間である。この〈単純〉論には先輩ポオの影響もあるであろうが、文学でも犯罪でもその分析には複雑と単純とを統一してとりあげる方法こそが有効なのだと説いているのは、彼の文学評論家としての経験と無関係ではない。この具体的で説得的な論理を反省してみて、子どものときとは別のおもしろさが理解でき、弁証法ということばをつかっていない弁証法の記述として評価した私としては、、アルチュセールの〈単純〉否定など子どもだましとしか受けとれないわけである。河野健二が「アルチュセールの『重層的決定』の理論は、経済学のほか政治学、社会学、宗教その他のイデオロギー研究などに独自性を認めるとともに、歴史的研究――経済史、政治史、社会史など――にも道をひらく点で、従来の経済(学)主義を克服するうえに役立つものである」とかいているのは、彼の単なる解釈であり、自分の商品のコマーシャルにすぎない。もし河野が原理として〈重層的〉矛盾を持ち出して適用してみるならば、対象の本質をなすところの単純な論理を正しく位置づけて把握することもできなければ、「従来の経済(学)主義」の本質的で単純なふみはずしをぜせいすることもできないくらい、すぐ明らかになるはずである。

 事物をつきつめていくならその中心はきわめて単純だという理解は、真理の把握についてのみならず誤謬の発見についても妥当する。優れた革命家の犯した誤謬などというものは、複雑でときほぐしにくいなどと考えるなら、それはとんでもないまとはずれである。本質的な単純な論理を正しくつかみとることこそが、自然や社会や犯罪のつきつけてくる謎を解くための核心であることや、本質的な単純な論理でのふみはずしを発見してそれを改めることこそが、これまでの学問の偏向を是正し停滞を打破する鍵であることを理解できるなら、弁証法のありがたさがどこにあるかも明瞭になろう。さきに示した板倉のことばも、そのことをやさしく語っているのである。但し、弁証法が単純な原則的な考え方で「深遠なものではない」とすれば、弁証法について長々と深遠らしく語って厚い著書をつくりあげることができなくなり、その意味で哲学者にとって弁証法はありがたいものではなくなってしまう。ありがたいものであると同時にありがたくないものであるということも、これまた弁証法の持つ弁証法的な性格なのである。

 

 調和の論理

−p.115−

 一 

 いま多くの人々は、これまで自分が持っていた自然観ないし社会観について、根本的に考えなおすことをせまられている。現実がそうさせたのである。多種多様の公害が自分にもふりかかっていることを意識するにおよんで、人びとは、生物とその環境とのバランスが農業その他によって破壊されていることや、人間と自然との調和を無視した科学の応用や技術の発展が人間自身を破滅にみちびいていることを、問題にしないわけにはいかなくなった。これらを検討し是正する道を発見するのも、これまた科学の任務なのであって、これまで科学的な世界観や社会観を説いて来たマルクス主義者も、それらの問題に対して理論的に答える義務があることもちろんである。しかしながら、問題の核心はほかならぬ調和の維持という点にあるのだから、これらの問題はマルクス主義者に対して、おまえは調和ということを論理的にどう考えているか、世界観や社会観にどう位置づけているかと問いかけていることにもなる。

 自然観ないし社会観を提供することは、古くから哲学者の仕事になっていた。それゆえ哲学者たちが調和ということをどうとりあげていたか、まずそれから考えてみよう。古代ギリシアの哲学者たちは、自然を説明する原理を発見しようと努力していたが、すでにこの中で調和が論じられている。よく知られているように、ピュタゴラスは宇宙の本質を〈数〉だと考え、そこに調和の存在を論じた。ヘーゲルは『哲学史』の講義の中で、アリストテレスのことばを引用しながらピュタゴラスを語り、彼が「宇宙の組織はその諸規定において、数とその比例に関する一つの調和的な体系(ein harmonische System)である。」ととらえていたことを、宇宙が合理性であることの明言だと評価している。そしてピュタゴラス学派のフィロラオスは、「存在するものは、争うもの、対立するものから成り、したがってそれは当然そのうちに調和をもっている。調和とは混合しているものの統一であり、相争うものの関連だからである。」と述べたと伝えられている。このことばはきわめて素朴ではあるが、闘争と調和とを対立物でありながら結びついているものとしてとりあげ、しかも宇宙の合法則性であることを説いている点で、見のがしてはならないと思う。さらにヘラクレイトスは、存在するものの本質を絶えることのない流転だととらえて、「すべては流れる」と主張したことで有名である。彼が、「戦いは万物の父である。」という、闘争についての命題を説いたこともよく知られていて、わが国でも木下半治が戦時中に陸軍省戦争経済研究班から依頼された論文でこの命題を引用し、戦争を合理化した。けれどもヘラクレイトスは戦争だけをさしたのではなく、階級闘争その他をもふくんだ闘争一般をとりあげているのであり、また「一つのものは、弓やリラの調和のように、自分自身と分裂しながら自分と一致する。」という、調和についての命題と両立させて説いているのである。そこから、「調和するものと調和せぬものとを結合せよ。」という、両者を統一した主張も見られるのである。

 ここで例にあげられた弓とリラ(楽器)は全体として統一された一つの道具であるが、その構造は弾力的な部分と弾力のない部分という対立した性質の部分に分裂している点で共通している。つまり対立物の統一という一つの現実的な矛盾である。そして弓にあっては弦が弾力のない部分で矢に弾力的な部分から力を伝える受動的な役割を受けもっているのに対し、リラにあっては弦が弾力的な部分で振動によって音を発する能動的な役割を受けもっていて、弾力のない部分はこの弦をささえているにすぎない。もし弦が長すぎるなら、弓は飛ばず音は出ず、弦が弱いなら切れてしまって使えなくなるから、それらの機能に応じて弾力的な部分と弾力のない部分とは長さや強さなどが調和していなければならない、といえる。これは調和する矛盾なのである。

 キリスト教哲学がスコラ哲学として栄えた中世にあっては、神を最高の存在としてそこから自然および人間をみちびき出すという世界観にもとづき、すべての知識が信仰と一致することを哲学の根本前提としていた。ここでは、もはや闘争は宇宙の根本原理ではありえない。ドイツ啓蒙哲学の祖となった、ライプニッツのモナド論にしても、低級なモナドの結合した無機世界から高級なモナドの結合した人間にいたるまで、自然の基礎をなすものは精神的実体であるモナド(単子)であって、これは最高のモナドである神によって創造・消滅させられるものであり、それぞれのモナドは相互に対応しているが、このモナド論にしても現実の合法則性としてさまざまな調和が存在する事実をふまえて出されたのであって、純粋のナンセンスでないことももちろんである。

 それではマルクス主義はどうであろうか。エンゲルスを持ちだすと、彼は晩年修正主義になってマルクスの理論を偽造歪曲したという人びとが納得しないであろうから、『資本論』を見ることにしよう。ここでは生産物が交換を通じて他の人間によって役立てられることから、「一つの使用価値あるいは財貨が一の価値を持つ」こと、「商品の交換関係あるいは交換価値において表示される共通者は商品の価値である」こと、を論じている。この商品における使用価値と価値との対立物の統一は、一つの矛盾であるが、それは商品交換の必要によって対象化された労働が二重の性格を持つことになったので、何も両者が闘争しているわけではない。「すべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとっては使用価値である。だから、それらは、全面的に持ち手を変更しなければならない。」(第三章第二節)この、ある商品が使用価値であると同時に非使用価値でもあるということは、これまた一つの矛盾であって、この矛盾が持ち手の変更という運動をもたらすわけである。ここでは、商品交換が双方ともに非使用価値を手ばなして使用価値を手に入れるという点で、どちらにとっても利益なのであり、利害の衝突は存在しないことを確認しておく必要があろう。この商品の持ち手を変更するに際しては、それらを諸価値として相互に関係させなければならないが、これは一般的な等価としての何らかの他の商品(貨幣)に対立させられることによって、価格として観念的に現象し、W―G―W の姿態変換が行われていく。つまり商品の諸矛盾は、いわゆる敵対的な矛盾のように止揚によって解決されるのではない。それらの諸価格において、それら自身の貨幣姿態としての金に自己を関係させるという運動形態をつくり出すのである。このような、運動形態をつくり出すというありかたこそ、概して「現実的な諸矛盾」(wirkliche Widersprüche)がもって自己を解決する方法である。

 ところが、労働力商品はどうか? ここでも、労働者は自分の所有していない生活資料である諸商品を使用価値として求めるからこそ、自分にとって非使用価値であるところの労働力を商品として売りに出すのである。しかしながら、労働力を生産のために消費するとき、労働力の価値ないしそれと交換された価値以上の価値が生み出されるところに、労働力商品の特殊性が存在する。したがって、商品交換の法則に従って、価値どおりに行われる労働力商品の売買の結果は、他の商品交換のそれとは異なっている。「取得の法則ないし私有財産の法則は、それ独自の・内的な・不可避的な・弁証法(seine eigne, innere, unvermeideliche Dialektik)によって、その正反対物に転変する。」「所有はいまや、資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として、労働者の側では彼自身の生産物を取得することの不可能性としてあらわれる。……資本制的取得様式は商品生産の本源的法則をひどく傷つけるように見えるとはいえ、それは決してこの法則の侵害から生ずるのではなくて、むしろ反対にこの法則の適用から生じるのである。」(第二二章第一節)こうして、非敵対的な商品交換の矛盾から、その正反対物である敵対的な闘争する矛盾がつくり出されるのであって、労働者階級の資本家階級への隷属と闘争は、自分の労働力の販売者である自由労働者の出現という事実から、純経済的に説明することができる。

 もし労働力商品の特殊性をとらえることができないで、単純流通あるいは商品生産の本源的法則のありかたに目を奪われるなら、マルクスのここで指摘した独自の弁証法をとらえることができずに、商品交換はその当事者のどちらにも利益であるという把握を資本制社会に不当に拡大することになる。「すべての人間が事物の予定調和(einer prästabilierten Harmonie der Dinge)の結果として、あるいは全能な摂理のおかげによって、彼らの相互の便益となり・共同の利益となり・全体の利益となることのみを行う」(第四章第三節)かのような、錯覚におちいることになる。俗流自由貿易論者や俗流経済学者は、資本制社会全体をこのような調和のありかたとして論じることとなった。『資本論』の論理について語るマルクス主義者はすくなくないが、彼らはレーニンの表現を借りれば「猫が熱い粥のまわりをぐるぐるまわるように」そのまわりをぐるぐるまわっていて、マルクスのここで指摘している独自な弁証法の展開を、正当に受けとめた者がいるかどうかは疑わしい。「調和するものと調和せぬものとを結合せよ」というヘラクレイトスの主張が、個別科学である経済学においてこのようなかたちで実現していることを、理解したかどうか疑わしい。矛盾が対立した性格のものに転変することを無視して、資本制生産が敵対的な矛盾の上に成立していることのみをとりあげるならば、一見したところ革命的でありマルクスに忠実であるかのように思われても、それは俗流経済学のいわば裏がえしであって、相互に利益な取得の法則が他人の不払労働を獲得する敵対的な性格のものに変化する事実を、論理的にたぐった説明ではない。

 エンゲルスは『反デューリング論』の総論において、ヘラクレイトスをとりあげ、「素朴だが実質的に正しい世界観」であると評価した。そこでは、すべてが運動し、変化し、生成し、消滅するという、世界全体のありかたをとりあげているにすぎないけれども、ヘラクレイトスの復権は客観的に見て大きな意義をもっていた。神学的なあるいは俗流経済学的な、度はずれな調和論がひろく行われている現状において、「たたかいは万物の父である。」というよく知られている闘争についての命題を反省させ、闘争する矛盾の果している役割を世界観的な規模で考える契機ともなるからである。さらに具体的にいうならば、ヘラクレイトスの闘争についての命題は、「これまでの一切の歴史は原始状態を除いて階級闘争の歴史であった。」という唯物史観の主張と無関係ではなく、歴史を「無意味な暴力行為(sinnloser Gewalttätigkeiten)のむちゃくちゃな混乱」だと見る観念論的な歴史観に対して、闘争の合法則性を主張することにもなるのである。エンゲルスのヘラクレイトスの評価は、当然にその闘争と調和との統一についての主張の承認を意味しているし、デューリングの哲学を批判する場合にもさまざまな調和する矛盾をとりあげて、それらを正しく矛盾として論じている。

 それではレーニンはどうであったかといえば、彼の革命家としての長所がここでは短所となってあらわれたようである。積極的に闘争の問題ととりくんで来たことが、調和の問題を正しく扱うことを疎外したようである。レーニンももちろん『資本論』を読み『反デューリング論』を読んだ。しかも一九一五年の哲学ノートには、「調和するものと調和せぬものとの結合」というヘラクレイトスのことばが、ヘーゲルの『哲学史』から抜き書きされている。だがそれにもかかわらず、その後に記された『弁証法の問題によせて』を見ると、「対立物の闘争は、発展、運動が絶対的であるように、絶対的である。」と規定していて、調和については一言も触れていない。そして哲学ノートにつけたマルクス・レーニン主義研究所の序文では、「レーニンは唯物弁証法を仕上げるにあたって矛盾の問題に主要な注意を払っている。まさに『哲学ノート』の中で、彼は対立物の統一と闘争との学説が弁証法の本質、核心であり、対立物の闘争が発展の根源であると解明している。」と書かれている。このレーニンの規定の神聖化は、哲学の教科書のヘラクレイトスについての記述にも反映して、万物が闘争によって生れたと説いているとはいうが、調和について説いていることには一言も触れていない。

 予定調和説がいわば調和を絶対化しているのに対して、官許マルクス主義は右のように闘争を絶対化するのであるから、何のことはない予定調和説の裏がえしである。最近に至っては、マルクスに忠実に、商品における使用価値と価値との対立物の統一を矛盾とよび、商品交換の発展を矛盾の発展と受けとることさえ、マルクス主義ではなくヘーゲル主義だ、そのどこにも敵対的な闘争は存在しないではないかと反対する、自称マルクス主義者すら出現した。商品の価格と価値の大きさとの間には量的な不一致が存在しうるだけでなく、労働が対象化されていない・価値を有していない・事物、たとえば良心や未開の土地なども想像的な価格を受けとることができるから、ここには質的矛盾(qualitativen Wilderspruch)が存在しうるとマルクスは述べている。また貨幣の形成についても、「この一商品においては、商品が商品として内包するところの矛盾、すなわち特殊的な使用価値であると同時に一般的な等価物であり、したがってすべての人にとっての使用価値・一般的な使用価値であるという矛盾が解決されている(Wilderspruch gelöst)。」(『経済学批判』)と書かれている。したがってマルクス自身マルクス主義からふみはずしてヘーゲル的変更におちいっていると、見田石介は批判しなければなるまい。こうした闘争を絶対化した矛盾論で、人間と自然との調和という問題を扱わねばならぬところに、官許マルクス主義の信奉者は追いやられているのである。

 二 

 人間は自然の産物であるから、その意味で自然の一部であるけれども、他の自然から切りはなされて存在しているわけではない。人間は一個の生物として、自然と特殊な関係を結びながら生活を営んでいる。人間は多くの異なった構造を持つ細胞によって成立している多細胞生物であって、それらの細胞が生命を持っている。個体として生きているということは、とりもなおさずそれらの細胞の生命によって媒介された実存形態であって、諸細胞からはなれたどこかに生命が存在しているのではない。諸細胞はいづれもその環境から他の適当な物質を自己のうちに同化して栄養とし、同時に自己の古い部分を分解し排泄するという、不断の自己更新をいとなんでいる。個体としての栄養物の摂取や排泄が、それぞれ独立したものとして行われていても、それは現象形態であってそれ自体がそのまま生命の論理ではない。細胞の不断の自己更新は、「各瞬間にそれ自身でありながら同時に別のものである」ことを意味しており、これはほかならぬ一個の矛盾であるとエンゲルスは指摘する。

「われわれがさきに見たように、生命とは、なによりもまず、ある生物がおのおのの瞬間に同一物でありながらまた別のものである、という点にこそある。だから、生命もまた、事物や過程そのもののなかに存在し、たえず自己を定立しかつ解決してゆく矛盾である。そして、この矛盾がやむやいなや、生命もやみ、死が到来する。」

 人間が自然との関係において生活を営んでいることや、そこには自然からある物質をとりいれる一面と自然にある物質をおくりだす一面とがあることを、誰でも経験的に知っている。栄養物をとりいれなければ生きていけないし、また排泄物をおくりださなければ生きていけないことを、誰でも経験的に知っている。けれどもこれらを細胞レベルでとりあげて、生命が一つの矛盾であることや、この矛盾が自己を定立しかつ解決していくために、自然との間に特殊な運動形態をつくりだしているのだという、論理的な把握をしている者は稀なのである。死にたくなければ、この矛盾を実践的に維持しなければならないし、自然との間に栄養と排泄という対立した両面を正しく調和させた諸関係を創造していかなければならない。しかしながら、レーニンの命題を神聖化し官許マルクス主義を信じているマルクス主義者には、調和する矛盾が存在するという考え方がはじめから欠落している。生命について矛盾を考える場合についてもやはり闘争する矛盾として扱わねばならぬのだという、論理的強制を受けている。それで、現実の具体的な細胞のありかたから論理を抽象するのではなく、生命の矛盾も闘争であるはずだという前提の下に、どこに闘争が存在するかと探しにかかるのである。その一つの例として、スターリンの弁証法が熱狂的に礼拝されていた一九四七年に、ルフェーブルが公けにした『カール・マルクス』で「マルクス主義の方法」なるものがどう説明されていたか、見よう。彼は「矛盾の状態は、苦痛や困難や問題を必ず伴う。」といい、もっとも一般的な場合として、「生と死」をとりあげるのである。

「生と死とは対立し合い、たえざる闘争の状態にある。たえず、いたるところで、生は死と闘争する。そして死は、生ける存在を破壊する。死によって無きものにされる生ける存在をぬきにして、死を考えることはできない。このことは明らかである。しかし、生が死なしには存在しえないということについては、必ずしもそうではない。しかしながら、生きるということは、生まれ、成長し、発育することである、というのは明らかなことではないだろうか。ところで、生ける存在は変化し、変形することがなければ、したがって、かつての存在を脱皮することがなければ、成長することはできない。大人になるためには、少年時代を離れ、そして失われなければならない。停滞するいっさいのものは、退化し退歩するのである。ところが、生まれついたのち、成熟――生の頂点――に達したのちには、衰退がやってくる。生命の歩みとは年をとることなのであるから、それは必然的に死に近づいていく。したがって、いっさいの生ける存在は、死とたたかう。なぜなら、それは、自己のうちに死をともなっているからだ。いっさいの生ける存在は、このようにして生き――変化し、なんらかの新しいものを生み出すか、自分自身の中から新しいものをひき出すかするのである。」(吉田静一訳)

 われわれが生と死について原理的に語るときは、生が失われることそれ自体を死とよぶのであって、生の外部に死とよばれる実体が生とならんで(プロレタリアートと別にブルジョアジーが存在するように)存在しているのではないのだということを、まず確認しておかなければならない。「死が生ける存在を破壊する」というように、死が前提になる事実もあるが、それは多細胞生物において特殊な重要な細胞(たとえば脳細胞)が死んだとき、この死を契機として個体の死がもたらされるというような、立体的な媒介関係においてであって、この場合においても脳細胞という「生ける存在」の自己破壊が死であることを無視したのでは説明にならない。「生まれ、成長し、発育する」のは、生物だけでなく、無生物(たとえば火山や氷山)にあっても同様であるから、「生きるということ」の特殊性をふまえた上でその成長と発育をとりあげるのでなければ説明にはならない。細胞のありかたとしての生命、その自己更新における特殊な矛盾を、ルフェーブルは何らとりあげようとしないで、「変化」「変形」「成熟」などの抽象的なことばをならべているだけである。薬剤が「死とたたかう」ために役立ち、毒物が「生ける存在を破壊する」ことは明らかであるが、これらの機能はルフェーブルの生死論と何ら論理的につながってこないのである。

「たとえば、私は海と陸地とを、あるいはさらに谷と川とを別々に切り離して考えることはできる。しかしそのときには私は、一方は他方を媒介にしてのみ存在するということを忘れているのだ。私は、とくに川が谷を切りひらいたのだということを忘れていることになろう。そのときには、私は恍惚とし感嘆するであろう。《神はなんと偉大で立派であることか。この世界はなんと調和していることか。神は、川が堂々とその流れをひろげられるように、谷を用意したまうのだ》と、事物の現実的諸関係を忘れ去って、私は、そのかわりに思弁的な説明をすることになろう。」

 ルフェーブルをして、生命それ自体がすでに一個の矛盾であり、栄養と排泄との調和によって維持されていくという、「事物の現実的諸関係を忘れ去」るようにしむけ、生と死とを抽象的な対立と「闘争」とで「思弁的な説明をする」ようにしむけたのは、矛盾は対立物の「闘争」であって調和ではないのだという官許マルクス主義の論理的強制であった。こんな思弁的な生命論は、マルクス主義とは縁もゆかりもない。川が消滅しても谷は残るが、栄養をとらずに排泄をしていれば死によって排泄もまた消滅してしまう。

 外界すなわち自然あるいは他の人間は、生命の維持にとって役立つとは限らない。水は飲料として不可欠であるが、時に洪水ともなる。魚や獣にも人間に栄養を供給するものだけでなく、危害を加えるものがあり、微生物にも有益なものと有害なものとが存在する。他の人間にも労働によって生活手段を生産してくれる者もあれば、深夜に短刀をにぎって襲撃してくる者もある。自然あるいは他の人間が、生命を脅かすならば、これに対して抵抗することになる。つまり、外的条件が生命にとって敵対的な存在となり、敵対的な矛盾が成立するならば、闘争によって矛盾を克服しなければならない。この場合、闘争することはほかならぬ生命とよばれる調和する矛盾を維持するためであって、ここに二つの対立した性格の矛盾の結びつきを見なければならないのである。薬剤を武器として害虫や病原菌と闘うのも、公害の源になっている企業に大衆動員をかけたり告発を行ったりするいわゆる市民運動も、ゲリラ隊を組織して侵略軍に不意打ちを食わせるのも、条件こそ異なっているが矛盾としての論理構造は基本的に共通している。

 たとえ革命運動に挺身している革命家であっても、現実的な具体的な運動のありかたについて論じる場合には、意識すると否とに関係なく二つの対立した性格の矛盾の結びつきをとりあげることになる。哲学的に闘争する矛盾だけを強調したレーニンも、それから一五年前に職業革命家の組織について論じたときには、調和する矛盾の目的的な創造を具体的に説いていたのである。それにもかかわらず、レーニンを礼拝する哲学者たちは、それを矛盾論として読みとるだけの能力を持ち合せていない。『何をなすべきか』は、反対者たちに五つの命題をっきつけている。

「私はこう主張する。(1)確固とした継承性をもった指導者の組織がないならば、どんな革命運動も恒久的とはなりえない。(2)自然成長的に闘争にひきいれられて、運動の基底を構成し、運動に参加してくる大衆が広汎になればなるほど、このような組織の必要はいよいよ緊急となり、またその組織はいよいよ鞏固(きょうこ)でなければならない(なぜなら、そのときにはあらゆる種類のデマゴーグどもが大衆の未発達な層をまどわすことがいよいよ容易となるからである)。(3)そのような組織は、職業的に革命的活動にしたがう人びとから主としてなり立たなければならない。(4)専制国家では、ただ職業的に革命的活動にしたがい、政治警察との闘争の技術の職業的訓練をうけた人びとだけを参加させるようにして、このような組織の成員の構成を狭くすればするほど、そのような組織を『とらえつくす』ことはいよいよ困難になり、また、(5)労働者階級の出身であると、その他の社会階級の出身であるとを問わず、運動に参加し、その中で積極的に活動できる人びとの範囲がいよいよ広くなるであろう。

 私は、わが経済学者、テロリスト、『経済主義的テロリスト』たちに、これらの命題を反駁してみるようにすすめる。」

 官許マルクス主義の信者は、この文章のいったいどこに矛盾が説かれているのかと、妙な顔をするかも知れないから、まず矛盾についてのマルクス主義の理解のしかたから説明しておこう。エンゲルスは『反デューリング論』のための準備労作の中で、対立の統一を矛盾だといい、「たとえば、ある事物があくまで同一のものでありながら、しかも同時に不断に変化していること、それ自身に『持続』(Beharrung)と『変化』(Veränderung)との対立を持っていることは、一つの矛盾(ein Wilderspruch)である」と書いている。これはさきの生命論とつき合して見ればすぐわかるように、生命が一つの矛盾だということを指摘したものであるが、生命は個体において存在するだけでなく、組織の生命というとらえかたもまた可能であって、レーニンの組織論は組織の生命を論じているという意味において具体的な矛盾論だということができるのである。

 組織はそれを構成する人びととともに、善かれ悪しかれつねに「変化」している。はげしい弾圧の下にある革命家の組織は、メンバーの逮捕とか死とか脱落転向とかいった、のぞましくない「変化」を蒙っている。レーニンが第一の命題でとりあげている「継承性」とは、この「変化」に「持続」を両立させることにほかならない。マイナスの「変化」をプラスの「変化」で補い、失ったものを補充することが「持続」であり、これによって組織が継承されている。そして第二の命題では、「変化」を前むきの「鞏固」なものにするために、大衆運動と革命家の組織との・指導される側と指導する側との・対応と調和との必要なことを指摘している。大衆運動の自然成長的な発展が、以前よりもはるかに複雑な新しい理論的・政治的・組織的課題を革命家につきつけているからには、革命家はそれらの課題を目的意識的に遂行できるような組織に自己を高めなければならないのである。この調和する矛盾を実現し同時に解決するための運動形態に、第三から第五の命題が関係している。いわゆる大衆路線を実践して、運動に参加し積極的に活動できる人びとの中から、ますます多くの職業的な革命家を育てることが要求されるのである。レーニンはこの第四と第五の命題について、以後詳細に論じていく。ここでは闘争するための組織がそれ自体調和する矛盾であり、矛盾を実現し同時に解決するための運動形態すなわち生命を維持するための活動が、大衆運動の提起する課題を解決し革命家を育成する実力者によって遂行されねばならぬことを、簡潔に記しているにすぎない。「職業的」とか「政治警察との闘争」とかいうことばから、これらの命題を特殊ロシア的なものだと思いこみ、ここにふくまれている普遍的な論理を見のがしてはならないのである。

 ところで、大衆運動と革命家の組織との間の対応と調和が、つねに維持されるとは限らない。イデオロギー的な対立や、方針上の諸偏向が原因となって、敵対的な矛盾が成立する可能性が存在し、ここから両者が活動においてあるいは組織において分離することも起りうる。大衆運動の側で革命家の組織の活動方針を批判しそれを認めることを拒否し、あるいは大衆運動の中に組織的に結びついている革命家を追放したりする。現にわれわれの周囲でも、自称前衛と大衆運動との敵対的な対立がいろいろなかたちで存在し、闘争が起っている。そしてこの場合に、両者の正しい関係は調和する矛盾を定立することだと理解するのではなく、矛盾はそもそも「闘争」するものでこれを消滅させることが必要なのだと受けとる者にとっては、矛盾の一つの側面である革命家の組織それ自体を否定することが合理的だ(大衆運動それ自体を否定するわけにはいかないから)という結論になったとしても、それほど驚くには当らない。現に、この矛盾の消滅としての前衛否定論が、政党の支配の排除とか運動における民主主義の確立とか、美しいことばで飾られ合理化されているのである。レーニンの時代にも、「中程度の労働者」「大衆的労働者」ということばが流行して、「一〇人の利口」な革命家よりも「一〇〇人の馬鹿」な大衆を持ちあげ、運動から継承性・鞏固性・恒久性を追放する方向へ動いた人間がすくなくなかったことは、明らかである。

 調和する矛盾の定立には、前衛が看板だけでなく現実の前衛になることが、大衆運動の提起する諸課題を正しく解決してその指導能力を否応なく承認させ信頼をかちとることが、不可欠である。無能な革命家はこのようにして敵対的な対立を消滅させる能力を持たないから、自分に敵対的な人びとを大衆運動から追放して無批判的に追従する人びとだけを残したり、あるいは無批判的に追従する人びとだけを大衆運動から脱退・分裂させたりして、敵対的な対立を消滅させようとする。たしかにこれらの方法をとれば、そこでの敵対的な矛盾はなくなるけれども、この方法では革命家としての権威を確立し広く大衆の信頼をかちとることはできないし、大衆の側から有能な活動家がつぎつぎと革命家の組織に推挙されるという運動形態を確保することもできない。大衆運動と革命家の組織との間に、調和する矛盾を実現し同時に解決しながらともに発展していくという、のぞましいありかたは実現しない。

 官許マルクス主義の教科書は敵対的な矛盾の存在を強調して、これを無視するならば階級闘争の合法則性を否定することになり、階級協調・階級調和の理論に転落してしまうとさけんでいる。それはたしかにそのとおりだ。敵対的な矛盾の存在を否定するならば、階級闘争の先頭に立ってたたかう革命家の組織が必要だという考えかたそれ自体、根本的に正しくないことになり、前衛否定論にならざるをえない。ところがいま見たように、非敵対的で調和する矛盾を否定した場合にも、前衛の組織と後続部隊の組織との間の対応と調和をいかにして定立し維持していくかの問題が論理的に脱落して、結果として同じく前衛否定論へとみちびかれる。「両極端は一致する」という弁証法的なとらえかたの正しさは、矛盾論においてもこのように証明されるわけである。

 革命家の組織の確立と強化による階級闘争の推進は、抽象的にとらえかえすと、「調和するものと調和せぬものとの結合」を実践的につくり出しおしすすめることにほかならない。いま一つ、もっともよく知られている前衛の活動のありかたを考えてみよう。「合法活動と非合法活動のたくみな結合」(die geschikt Kombinierung von illegaler und legaler Arbeit)ということは、レーニンが『左翼小児病』においてヨーロッパの同志たちに充分考慮するよう求めているところである。これも抽象的にとらえかえすと、合法とは法律と調和すること、非合法とは法律と調和せぬことであるから、やはり「調和するものと調和せぬものとの結合」を実践的につくり出しおしすすめることにほかならない。この調和する矛盾の定立によって、挑発者マリノフスキーも「一方の手では、数十人のすぐれたボリシェヴィズムの闘士を牢獄と死においやりながらも、もう一方の手では、合法的新聞によって数万の新しいボリシェヴィキの教育を助けねばならなかった」のであり、その裏切りによる害悪以上の貢献をしなければならなかった。

 哲学者として文献からヘラクレイトスの主張を読んで暗記していたところで、そこから思弁的に経済学や前衛組織論が出てくるわけではないが、現実ととりくんでそこから理論をつくりあげようと努力している人間は、その創造的な仕事の中で「後代のあらゆる形而上学的な競争相手に対するこの哲学の優越性」(『反デューリング論』旧序文)をも確認できるのである。官許マルクス主義者は、いまもってそのことを自覚していない。

 三 

 「調和するものと調和せぬものとの結合」にも、さまざまなしかたが存在している。対象の論理を忠実にたぐって、そこに客観的に成立している有機的な結合を正しく抽象して来る場合もあれば、客観的には何ら結合が成立していないにもかかわらず、二つの発想を思弁的に頭の中で結びつけて、木に竹をついだような空想的な結合をつくり出す場合もある。公明党のイデオロギーと創価学会のイデオロギーとの関係も、このような結合の一つの例といえよう。

 創価学会は日蓮宗の一派である日蓮正宗の教えを中心として、日蓮ののこしたいろいろな文書や思想を絶対化するとともに、牧口常三郎の哲学的見解を加え、それらを現代むきに解釈し具体化している。この新興宗教にあっては、他の諸宗教は神道をはじめすべて邪教であるといい、それらの〈邪教〉撲滅によって人を救い世を正そうとする。〈折伏〉とよばれるイデオロギー闘争を積極的に行って、これこそが信者としての義務でありこれによってはじめて大きな〈ご利益〉を受けるという。ところが創価学会がこしらえた政党である公明党にあっては、「中道政治」が主張され、政治が「信頼と調和」の上に立つべきであると説いている。学会の会員であり公明党の党員でもある人間は、まずこの意味で闘争と調和とを両立させ結合せざるをえないことになる。

 創価学会が政治に進出するに際しても、その根拠づけは当然に日蓮の書いたものに依っていた。「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて……」ということばをとりあげて、日蓮はこの「王仏冥合論」で王法すなわち政治の道と仏法すなわち人間の幸福への道との一致を説いているのであり、政治が仏法の神髄と一致してはじめて全世界が平和楽土になるものといわねばならぬ、と解釈した。そして戸田城聖は、創価学会の政治に進出する目的を「国立戒壇の建立」だと説明した。新興宗教の信者となる人びとは、正直ゆえに損をするといった性格の者が多く、病気や貧しさや身内の争いごとなどで苦しんで、この苦しみから救われたいと願った結果信仰に入るのであるから、そこには大なり小なり現状打破のための意欲と行動が存在する。創価学会の信者も同様であって、他の教団の信者にくらべてヨリ戦闘的である。日蓮のことばを絶対視する以上、「王仏冥合論」に反対するはずもないが、遠い未来の建設的な理想について思想的に思いをめぐらすよりも、現実の苦しみを打開するための日常の〈折伏〉闘争のほうがヨリ大きな関心事である。政治的な「国立戒壇の建立」よりも、地方議員が日常生活に現実的な利益をもたらしてくれることのほうがヨリ大きな関心事である。地方議員にしても、議員の地位についたからには、日蓮の戦闘的な行動をそのまま真似るわけにはいかない。それでは有識者からアナクロニズムと笑われよう。政治家として新鮮でまじめで既成政党のボス連中より好感がもてると投票してくれた、会員外の有権者を〈邪教〉のとりこになっていると攻撃するわけにはいかないし、憲法の規定に反した神社仏閣廃止案を議会に出すわけにもいかない。やはり他の議員と同じように、大衆の現実的な生活に利益をもたらすための活動を必要とする。しかも戦闘的な現状打破的な教団によってささえられる政治家であるからには、その「革新的」な性格にふさわしい政治的イデオロギーを持たなければならない。そこで創価学会として「色心不二の哲学による第三文明の建設」という発想を提出し、これは社会主義ないし共産主義以上に革新的なものと強調しはじめた。池田大作も「人間革命」を主張して、政治革命・経済革命・人間革命を統一した「第三文明」は「新社会主義」だと述べた。しかしながらそれらはことばにとどまっていて体系的な理論にはなっていない。このようにして、公明政治連盟から公明党へと発展した創価学会の政治活動も、「理論の欠陥は、革命的流派からその存在の権利を取りあげるものであり、この流派に、おそかれ早かれ不可避的に政治的に破産すべき運命を負わせるものである。」(レーニン『革命的冒険主義』)という政治組織の論理によって、絶えず脅かされることとなったのである。

 政党が政党としてのプログラムや活動方針を持つことが必要である。右は自民党から左は共産党までの既成政党に対して、新しい政党としての存在理由を広汎な大衆に納得させるための、独自なプログラムや活動方針を持たねばならぬというのが、公明党を規定しているところの客観的な条件である。衆議院に進出するのに「国立戒壇の建立」をかかげていたのでは、日蓮正宗を国教化してかつての国家神道の地位につけ、憲法の保障する信仰の自由を否定することになりはしないかという一般の危惧をよびおこすと見て、このスローガンをひっこめたというような、消極的な対応のしかたでは不充分であって、具体的な政治理論や経済理論を持ってそこから具体的な活動方針なり政策なりをひき出してこなければならない。ということになれば、当然それらをつらぬくところの社会観なり世界観なりが存在するわけであって、それらについてもまたそれなりに語られなければならない。経済理論は現実から抽象するものであって、思弁的にこねあげるわけにはいかないし、政治理論にしても経済理論と無関係にこねあげて結合したのでは、現実的な政党としての活動には役立たないから、やはりそれなりに科学的なものに仕上げなければならないことになる。ここで問題になるのは、それらの理論やそれらをつらぬく社会観なり世界観なりと、日蓮の文書や思想との関係である。たとえ組織的に「政教分離」が行われたとしても、創価学会のイデオロギーに明らかに敵対的なイデオロギーを公明党がかかげることはできない。本質的に相いれないイデオロギーであったとしても、日蓮の生れ変りである池田大作の思想として解釈的に日蓮に結びつけてかかげなければならない。「王仏冥合論」を具体化して、他の社会科学者の学説とは異った独自の政治理論や経済理論を建設することができないとすれば、〈邪教〉の徒や無神論者の提出している理論をあれこれとつぎ合せて、それに池田大作その他の抽象的な片言隻句を添えたようなものを持ちだす以外に方法はない。

 「王仏冥合論」というのは王法と仏法、政治と宗教との、調和の理論である。キリスト教哲学であれ日蓮の思想であれ、宗教的イデオロギーは結局のところ調和を宇宙の根本原理とするのであるが、これを「宇宙本来のリズム」として「信頼と調和」を語るにしても、社会党や共産党とは相いれないがしかも革新的な独自な政党という以上、やはり「中道政治」というかたちに政治イデオロギー化するよりほかはない。但し思弁的にどんなイデオロギーを創造したところで、現実がそれに忠実についてくるわけではない。現実には宗教的イデオロギーの教えに服従しなければならぬ義務はないからである。日蓮の思想の中には、宗教的イデオロギーとしての調和の理論と闘争の理論との結合が存在し、彼は宗教家として闘争を媒介することによって調和を実現する実践活動をおしすすめた。公明党が日蓮の調和の理論から、すなわち宗教的イデオロギーから出発して、それを政治イデオロギー化することになると、主観的に調和をあちらこちらへ押しつけるのであるから、日本人はそもそも調和を尊ぶ民族であるという民族観が一方で出てくるかと思うと、他方では自民党との「調和」を実践する政治活動が生れてくる。けれども政党としての確立を目ざして、現実から理論を抽象しその上に方針を立てることになれば、そこに思弁的な調和論にもとづく実践とは無縁の、科学的なイデオロギーによる闘争が生れることもあるわけで、これが外部の人びとには状況追随主義とか折衷主義とか印象づけられる。創価学会のイデオロギーからすれば、水俣病やイタイイタイ病もその人間が前世において犯した罪の報いであって仏罰だという解釈になり、学会の会員になって、〈折伏〉に努力すればその〈ご利益〉で治癒するという結論になるけれども、公明党としてはこれは重金属が体内に蓄積した結果起った疾患だと見る科学者の主張を認め、企業の責任を問い公害対策を要求する態度に出ないわけにはいかない。ここに、イデオロギーとして敵対的な対立が存在している。ただ公然の闘争にまで発展していないだけのことである。別のいいかたをするならば、公明党は政党であることによって唯物論という〈邪教〉を認める必要に迫られ、その点で創価学会のイデオロギーと敵対的に対立しているにもかかわらず、この〈邪教〉と闘争すべき義務を負っているはずの学会員が闘争しないで支持しているのは、〈邪教〉が学会のイデオロギーの断片と結合させられているために、全体として学会のイデオロギーであるかのように受けとっているからである。

 

 〈支持者〉の論理

−p.138−

 ロダンの有名な『遺書』に、つぎの一節がある。

「深く、毅然として、誠実であれ。君がたの感ずるところが、たとえ世間一般の慣用の理念と正反対であるのが見出されるときといえども、その発表を躊躇してはならない。おそらくまず最初は、君がたは理解されぬであろう。だが君がたの孤立は遠からずして終るであろう。やがて味方が君がたのもとに訪れて来る。なぜなら一人の人間にとって深い真実であるものは、万人にとっても真実であるからである。

   ………………

 不当な批評をおそれることなかれ。それらは君がたの友人たちをして立たしめるであろう。それらは友人たちの君がたによせる共感を思い起こさせ、こうして彼らはその理由を良く識別するにつれて、ますます断固としてその共感を表明するであろう。」(古川達雄訳)

 ここに彼の経験からひき出された、〈支持者〉の論理を見ることができる。

 誰もが経験的に知っているように、何か積極的に動こうとすると、そのことに物質的ないし精神的な利害関係を持つ人びとから、それなりの対立した反応があらわれる。キャプラの映画『ディーズ氏都へ行く』では、相続した遺産を貧しい人々に分配しようとしたディーズが、多くの支持を得るけれども、故人の親類たちは彼を精神病院へおくりこんで財産をとりあげようとする。新しい思想や理論が青年の心をとらえて、論者が教祖的な支持を受けると、古い思想や理論で権威となり地位をかち得た人びとはそれを嘲笑したり非難したり敵対的な態度をとる。一方に〈支持者〉があらわれるとともに、他方には〈反対者〉があらわれる。人間の生活は社会的であって、個人の生活も他の人びとと関係づけられて存在し、かつ他の人びとに大なり小なり影響を及ぼさないわけにはいかない。仕事をあくまでもおしすすめようというならば、〈支持者〉を多数獲得してその協力を得ながら、〈反対者〉の動きを阻止し排除していかなければならない。一方では調和が、他方では闘争が、要求されることになる。何をどんな条件でやろうとするのか、仕事の性質と状態によって、〈支持者〉の獲得のしかたや〈支持者〉の果す役割はちがうけれども、ロダンは若い彫刻家や画家に対してそれを語ったのであった。

 芸術家ばかりでなく、思想家や科学者についてもこのことばが基本的にあてはまることを理解するのは少しも困難なことではない。自分が深い真実であると確信したならば、万人に訴えるのを躊躇してはならないし、その意味での〈思想の自由〉を養護するのがわれわれのとるべき態度である。もちろんこれに対する〈批判の自由〉も承認されるのであって、深い真実と確信して発表されたものが誤っているならば、その害悪を防がねばならぬからである。但し信仰者たちにとっては、自分の理念と正反対のものが発表されること自体、神聖なものが冒涜されたかのように感じられるから、ロダンのこのことばを不当なものと非難しかねない。現に中国でそういう非難が浴(あび)せられているのを見たことがある。不当な批評が〈支持者〉の増加をもたらすことは、私も経験がある。私が毛沢東矛盾論の誤謬について述べたとき、当時中国路線をとっていた代々木がそれにかみついて、『前衛』誌上に『堕落した哲学』と題した長い攻撃論文を掲載した。私は編集部につぎのような意味のハガキを送った。「論文を載せてくれたおかげで、私を知らなかった人びとが私の本のことを知って興味を覚え、さっそく買って読んでみたがあなたが正しいと手紙をくれた人もいます。私は私の理論の普及に援助してくれた貴誌に感謝しなければなりません。これからもよろしく。」これも〈支持者〉の論理の展開である。弁証法はこのような皮肉な論理を扱う科学である。

 科学者の仕事における〈支持者〉には、芸術家の仕事における〈支持者〉とちがった特殊性がある。それは仕事の完成や普及に協力してくれる人びとだけでなく、成果を受けついで役立てさらに発展させてくれる人びとをふくんでいるからであり、はじめからそのような継承者があらわれることをのぞんで自分の仕事の成果を発表するのである。公然と、〈支持者〉になってくれる人びとだけでなく、表むきは〈反対者〉で敵対的に行動しながら、仕事の中では攻撃している理論を盗用して役立てるような継承者もあらわれるであろうが、それは事実上の屈服であるからそれでもさしつかえないのである。若い人はせっかく自分のつくり出したものが無断盗用されるのであるから感情的に反撥するし、それは正当ではあるが、拒否されるよりはましななのである。鴎外は『心頭語』でいった。

「早く不易の道理を説きたる人は、期に先(さきだ)ちて咲ける花の霜雪に傷られて忽(たちま)ち凋落(ちょうらく)するがごとくなるべし。さて年を経たる後、初めてこれを凋落せしめし人の口より同じ道理を説き出(いだ)すときは、世挙がりてその説に左祖(=左袒さたん)す。此時に当りて、後に説ける人操(みさお)を更(か)へたりとて責めんには誤ならん。われはその改悛に吝(やぶさか)ならざるを取らんとす。前に説ける人不遇にして終りぬとて哀(あわれ)まんも亦(また)無用のわざなるべし。われはかゝる先見ある人の理想上の勝利を獲(え)て自ら足れりとするものなるを知る。」

 われわれは改悛したことを責めはしないが、改悛のしかたいかんを問題にする。毛沢東礼讃から毛沢東攻撃にとんぼがえりしたり、構造改革的発想を持つ者を追放したのがいつの間にか同じ発想を持つようになったり、豹変したこと自体に反対しはしないが、豹変のしかたが革命家にふさわしかったか否かを問題にする。

 革命家の仕事における〈支持者〉は、いうまでもなく大衆であるが、この〈大衆〉の概念は闘争の性格の変化に応じて変化することを、コミンテルン第三回大会でレーニンは強調した。ドイツやイタリアの同志たちがそのことを理解もせずに〈大衆〉ということばを濫用したからである。

「闘争の初期には、真の革命的労働者たちが数千人もいれば、大衆といってよかった。もし党が自らの党の党員以外のものをも党争に引きいれることに成功したとすれば、党が非党員をもゆりうごかすことに成功したとすれば、これはすでに大衆獲得の始まりである。わが国の諸革命のときには、数千人の労働者が大衆であるという場合もあった。われわれの運動史には、メンシェヴィキに対するわれわれの闘争史には、一都市に数千人の労働者がうごいただけで、運動の大衆的な性格を明瞭にするのに充分であった実例が、数多く見出されるであろう。もし、普通の平凡なくらしをし、みじめな生活をおくっていて、これまで政治について何一つ聞いたことのない数千人の党外の労働者が革命的に行動しはじめるとすれば、そこにいるのは大衆である。もし運動がひろまり、つよまっていくなら、これは次第に真の革命に移行する。われわれはこのことを、一九〇五年と一〇一七年に三つの革命のときに見た。そして、諸君も今後なおそれを確信するおりがあるであろう。革命がすでに充分に準備されたときには、『大衆』の概念はちがったものとなる。数千人の労働者では、もはや大衆とはならない。この言葉は、あるちがったものを意味するようになりはじめる。大衆の概念は変って、多数者をさすようになる。しかも、単に労働者の多数者だけでなく、すべての被搾取者の多数者をさすようになる。革命家にとっては、これ以外の理解は許されない。」

 レーニンがここでいいたかったのは、こういうことである。なるほどロシアの共産党は二〇万そこそこの党員しか持たなかったが、しかも勝利した。その点だけを見て、小さな党で勝てるときめてかかる者がいるけれども、それはロシア革命について、また革命をどう準備するかについて、まったく理解していないことを証明している。ロシアで小さな党が勝利したのは、労働者階級の明らかに多数が味方し、軍隊の半数が味方し、さらに農民の九〇パーセントが味方になったからであった。革命家諸君は、すべての被搾取者の多数者としての「大衆」をどのようにして味方にひき入れるかを、革命の準備として考えなければならない。――

 これは革命政党における〈支持者〉の論理である。革命の計画を立て、案内者となるのは革命政党であるが、その〈支持者〉である〈大衆〉はほかならぬ革命の主体であって、新しい権力を維持して共産主義社会の建設へすすむのもこの〈大衆〉なのである。ロシア共産党第十一回大会でレーニンがいったように、「共産主義者の手で共産主義社会を建設するというのは、子どもっぽい、まったく子どもっぽい考えである。共産主義者は大海中の一滴である。彼らは、進路を――世界史の方向という意味での進路にとどまらず――正しく決定する場合に、はじめて人民を自分たちの進路にみちびくことができる。」のである。もしこの〈前衛〉が、後続の主力部隊に正しい進路を示すことができなければ、主力部隊にとっともはや不要と見なされる。「農民はこういうであろう。『諸君はすばらしい人間だ。諸君はわが祖国をまもった。だからこそ、われわれは諸君に従ってきたのだ。だが、もし諸君に経営能力がないなら、あっちへ行ってくれ。』と」そして中国の〈大躍進〉運動もまた、このことを実証した。

 誰か他人の仕事を支持する場合には、目さきの利害関係からではなく、その理想なり目的なりに共感し賛成して支持にふみ切ることがすくなくない。そのような〈支持者〉たちが、援助を強化するために組織をつくることもあり、その組織がかかげる理想や目的も、結局のところ相手のそれと一致することがしばしばである。たとえば大学の野球チームが試合をするときに応援団を組織するにしても、結局のところ「母校の栄誉」のためとか何とか野球部と共通した目的をかかげることになり、力士のごひいき筋が後援会を組織するにしても、結局のところ「国技振興」のためとか何とか角力協会と似かよった理想をかかげることになる。しかしながら〈支持者〉の活動の具体的な目的は相手のそれと異なっているし、〈支持者〉はその独自な活動にふさわしい人びとを結集し組織していく。応援団に加入するのに選手としての能力は要求されないし、後援会に加入するのに力士としての能力は要求されない。これらと本質的に同じことが、革命政党の〈支持者〉たちの組織についてもいえる。公然と支持を表明することはできないにしても、結局のところ「プロレタリア解放」のためとか何とかいうことで、革命政党の理想なり目的なりに一致したものを掲げた労働組合や文化団体を組織して、事実上〈支持者〉の組織として活動する場合がある。これらの組織の具体的な目的は革命政党のそれと同じではないし、また労働組合は労働組合としての、文化団体は文化団体としてのそれぞれ特殊な条件があるから、その条件において人びとが組織されるのであって、革命家としての〈前衛〉ではない。

 ところが、支持される側と〈支持者〉の側とは、完全に絶縁されているわけではない。〈支持者〉であった者が、支持される者に転変するということも起りうる。たとえば、力士の後援会の側で有望な少年を見つけて弟子入りさせ、その少年をも後援することが起りうるし、労働組合や文化団体の中の革命家を志望する人びとを、革命政党が党員にすることが起りうる。力士になる場合は肉体的条件が満たされねばならぬことが明らかなばかりでなく、後援会とは別の組織に入らなければならないから、この事実から両側面・両組織を混同する者はいない。だが革命家になる場合は精神的条件が大きく物をいうばかりでなく、労働組合や文化団体に所属したままで入党することも多いから、この事実から両側面・両組織を混同するふみはずしが生れてくる。それに、〈支持者〉の側から能力のある人びとをできるだけ党に獲得し党を強化することは、党員のなさねばならぬ義務とされているだけに、党の側から積極的な働きかけが行われるのである。革命政党の党員としてどんな能力が要求されるか、その条件を正しくつかんで条件に適合するものだけが選抜されるのなら問題はないのだが、限度を無視した行きすぎが起りやすい。これは行動の上での両組織の差別の無視である。そればかりではない。〈支持者〉の組織の理想や目的が結局のところ革命政党のそれと一致するということから、〈支持者〉の組織の具体的な目的の特殊性とその果さねばならぬ特殊な役割を無視してしまい、〈支持者〉の組織を革命政党化することこそ正しい発展だという、理論の上での両組織の差別の無視も生れかねないのである。この一見革命的な極左的偏向は、革命政党と〈支持者〉の組織とは調和する矛盾として定立し発展させなければならぬという、正しい矛盾論をふまえた組織論がないかぎり、論理的な歯どめをすることができないから、第一次世界大戦後には国際的な潮流として大きな害悪をもたらしただけでなく、第二次世界大戦後の日本の革命運動においても絶えず再生産されている。これによって一方では〈支持者〉の大衆運動が矮小化し崩壊し、他方では革命政党が水ぶくれ化していくのである。水ぶくれ化は右翼的偏向を準備する。極左的偏向が右翼的偏向を準備するというのも、これまた皮肉な論理だといわなければならない。

 〈支持者〉には永続的なものもあれば一時的なものもある。一時的なものなどは大して問題にならない、と考えるのは大きな誤謬である。子どもたちを抱えた美しい未亡人は、生きていくために、いろいろなかたちで近づいてくる野心を持った男たちの中から、たとえ一時的ではあっても〈支持者〉を選びだし、油断してとびかかられないよう注意を払いながら強調していかなければならない立場に立たされている。芸術家や科学者や革命政党にしても同じことである。そこには〈妥協〉が必要になる。十月革命のすこし前に書かれた、レーニンの『妥協について』はいう。

「エンゲルスがブランキー派共産主義者の宣言を批判した(一八七三年)中で、『絶対に妥協しない!』という彼らの声明を批判したのは正しかった。エンゲルスはこういっている。これは空文句である。なぜなら、たたかう党はしばしば情勢によって不可避的に妥協をよぎなくされるからである。『借金の部分的な返済』を絶対にことわるのは、おろかなことである、と。真に革命的な党の任務は、あらゆる妥協を拒否するというような不可能事を宣言することにはなく、すべての妥協を通じて――それらの妥協が避けられない限り――自分の原則、自分の階級、自分の革命的任務、革命を準備し人民大衆を革命の勝利に向って訓練する自分の事業、に対する忠誠をつらぬくすべを心得るという点にある。」

 一九二〇年の『左翼小児病』は西欧およびアメリカの同志たちにつぎのようにいう。

「国際ブルジョアジーを打ち倒すための戦争をするに当って、すなわち国家間の普通の戦争のうちのもっとも頑強な戦争よりも百倍も困難で、長期にわたる、複雑な戦争をするに当って、迂回政策をとること、敵のあいだの利害の対立(たとえ一時的なものでも)を利用すること、可能な同盟者(たとえ一時的な、確実でない、ぐらついた、条件つきのものでも)と強調し妥協することを、前もって拒絶するのは、度はずれにおかしなことではなかろうか? これはちょうど、まだ踏査されたことがなく、いままで人をよせつけなかった山に苦労して登るに当って、時にはジグザグにすすみ、時にはあとにもどり、時には一度選んだコースをすてていろいろなコースを試してみることを、前もって拒絶するようなものではないだろうか?」

「戦闘が明らかに敵に有利で、われわれに不利であることがわかっているときに、挑戦に応じることは罪悪である。不利なことのわかっている戦闘を避けるために、『迂回し、強調し、妥協する』すべを知らないような革命的階級の政治家は、何の役にも立たない。」

 ことわざに「背に腹は代えられぬ」という。われわれの日常生活で、どんなにつらくてもこの道をすすむ以外に道はないと判断すれば、いくら腹の中はにえくりかえっても頭を下げてことを穏便にすませるとか、足もとを見て不利な条件を出されても涙をのんで受け入れるとか、妥協し強調してやって行っている。ところが革命運動になると、妥協すなわち屈服、はじめから妥協を予定することすなわち日和見主義で裏切り行為、という一面的な先入観を持ちやすいし、また正当な妥協であっても先入観の持ち主から攻撃されやすい。それで妥協をすべき場合にも妥協ができず、敗北することが明白な場合に戦闘をして玉砕しがちなのである。強大な敵に対して、政治的な妥協や軍事的な後退をたくみに行い、革命を勝利にみちびいた毛沢東も、革命後の経済建設においては極左冒険主義にふみはずし、批判者を処分してまで〈大躍進〉運動をおしすすめた。この結果彼の〈支持者〉たちも彼から離れ、劉少奇やケ小平などがいわゆる実権派として危機の収拾に当り、文学者たちの「古を借りて今を諷刺」する動きともなった。「偉大なものから滑稽なものへはただの一歩である」という真理を自ら実証しないように、〈前衛〉の位置にある人びとは絶えず自戒しなければならないのである。

 

 オバケの論理

−p.148−

 「私はオバケをこの眼で見た!」と興奮してさけぶ者がある。心霊現象を研究する集りで、霊媒の超自然的な能力が死んだ妻や夫の姿を出現させたとか、霊界からの声が聞えたとかいう者がある。これらの人びとは、うそつきでもなければ精神に異常があるわけでもない。中には自然科学者としてその道で有名な人格者もいる。それらのことばを頭からうそだと否定するわけにはいかない。ではどう扱ったらいいか?

 これらの人びとがそのように確信しているのには、やはりそれだけの根拠があるにちがいないのである。それがオバケであるとか霊界からの通信であるかはさておいて、何かを見たり聞いたりしたことはたしかだと考えなければならない。そこにはそれなりの真実が語られていると見なければならない。その意味で、根拠がありそれなりの真実が語られていることをまず承認した上で、いったい何であったのかをたしかめるのが正しい扱いかたである。オバケだと思ったのがとりこむのを忘れた洗濯物であったとか、霊界からのすがたや声だと思ったのが詐欺師の部下の返送やテープの録音であったとか、やがて正体が明らかになる。昔からいうところの「幽霊の正体見たり枯尾花」である。詐欺師の場合は、他人が自分をだましたのであるが、オバケと確信した場合は、自分で自分をだましたのであって、どちらも判断を誤ったことに変りはない。

 このオバケの論理とそれに対する扱いかたは、オバケらしくないオバケにもあてはまる。神とオバケを同様に扱ったら、信者たちは頭にくるであろうが、論理的には同じことであって、風神や雷神のようにすでに自然科学がその正体を暴いた神もある。哲学者がいうところの創造主、人間以前に存在した精神的なもの、たとえばヘーゲルの〈絶対精神〉とか、ショーペンハウエルの〈生存意志〉とか、フーコーの〈主体なき体系〉とかも、みな一種のオバケである。生きた現実の人間がオバケにされる場合もいろいろあって、昔の〈魔女〉がそれであり、いまでも代々木のいう〈帝国主義の手先〉〈スパイ〉も毛沢東派のいう〈階級の敵〉〈反革命修正主義集団〉の多くの部分がそうである。

 神もオバケと同じように人間の空想的反映(phantastische Reflex)であってみれば、反映論としての空想論を持つことがオバケの論理を解明するための前提である。空想が内容的に見てナンセンスに思われたとしても、その成立の過程はそれなりの合理性を持っていて、その意味ではナンセンスでも何でもない。宗教は内容的に科学とは相いれないが、宗教の成立の過程を研究する学問としての宗教学は科学となりうる。周知のように、フォイエルバッハは宗教を批判するとともにヘーゲル哲学をも批判したが、それは神も〈絶対精神〉も同じくオバケだと見ぬいたからである。『キリスト教の本質』で、「神の人格性はそれ自体、人間の疎外され対象化された人格性にほかならない。」と彼は結論づけたが、『哲学改革への予備的テーゼ』では神学とヘーゲル哲学との本質的な一致を説いて

「神学における本質は、超越的な、人間の外部に定立された、人間の本質である。ヘーゲル論理学における本質は、超越的な思惟、人間の外部に定立された、人間の思惟である。」

「ヘーゲル哲学を廃棄しない者は、神学を廃棄しない。自然、実在はイデーによって定立される、というヘーゲルの教説は――自然が神によって、物質的本質がひとつの非物質的な、すなわち、抽象的な本質によって創造された、という神学の合理的表現にすぎない。」

 エンゲルスがフォイエルバッハを評して、「ヘーゲルの体系を粉砕して、それをあっさりと投げ棄てた。」といったのも、このような神学との同視に由来している。たしかに神学とヘーゲル哲学とはオバケの論理としては共通していたけれども、その内容からすれば格段の相違があった。神学は逆立ちした・抽象的な・人間学でしかなかったけれども、ヘーゲル哲学は哲学の歴史の全発展を包括するとともに、その時代の学問をも百科全書的に広汎に吸収し位置づけていたのであるから、神学といっしょに粉砕してすますわけにはいかない。フォイエルバッハは、人間が「彼のうちにのみ、彼の思惟、表象、想像のうちにのみ存在するものを、思惟、表象、想像の外に存在するものとする」こと、そしてそれによって人間が創造され支配されていると考えること、一言でいうならば「宗教的な自己疎外」(religiösen Selbstentfremdung)のありかたを見ぬいたことは、大きな功績であった。〈絶対精神〉が自己発展して自然に転化するというヘーゲル哲学の発想からすれば、自然の中に生れる人間もこれまた〈絶対精神〉によってつくられたものであり、自然必然性とよばれる〈絶対精神〉のすがたを変えた存在によって生れつき支配されているものである。これは人間が神によってつくられ、その運命は神によって支配されているという、神学の主張と共通している。それゆえ、宗教的な世界と現実的な世界と世界が空想的に二重化されているのを破壊して、前者を後者に解消させるように、ヘーゲル論理学の〈絶対精神〉から自然へ発展する世界と自然の世界が空想的に二重化されているのも破壊して、前者を後者に解消させなければならぬことになる。しかしながら、〈絶対精神〉の自己発展の論理として提出されている〈弁証法〉をどうするか、神学的だと破りすてるか、それとも人間の精神的所産として科学的につくりかえ位置づけるか、そこにも問題があった。

 オバケの論理とは、右に見たように、いわばオバケ的な自己疎外の論理なのである。人間の自己疎外は、現実的な労働の産物が人間を支配し剰余労働を強制するのは現実的な自己疎外であり、自分を殺そうとねらっている者があるという被害妄想は観念的な自己疎外である。現実的な自己疎外が体制的に行われている社会にあっては、それに対応した観念的な自己疎外を見ることができ、人間の労働が諸価値として対象化されこれが人間を支配する社会にあっては、「抽象的人間を礼拝するキリスト教が、殊にそのブルジョア的発展たる新教・理神論・等々としてのキリスト教が、もっともふさわしい宗教形態である。」(『資本論』)ということになる。これは、社会的存在が社会的意識を規定するということ、資本制社会にあってはこの種の宗教がいわば補完物として維持される合理性があるということである。平田清明が、これを資本制社会から「キリスト教という名の……宗教が発生します。」と説明して、一世紀に発生したキリスト教を一六世紀に発生させたと田川健三に嘲笑されたが、そういう珍解釈が出てくるのは社会的存在と社会的意識との関係を俗流唯物論でしか解釈できないからであり、観念的な自己疎外の産物の特殊な基底のされかたが理解できないからである。ローマ法が資本制社会の法典の基礎となったというのも、論理的にキリスト教と共通している。法律も観念的な自己疎外の産物としてその成立したときの現実的な基礎から相対的に独立し、表現を媒介として時代を超えて再生産されうるからである。

    *

 オバケの論理それ自体は、きわめて単純である。人間の観念の中にしか存在しない事物を、観念の外へ持ち出して、現実に存在しているかのように錯覚するということである。しかし論理的に推察しただけでは、実践的な解決には充分有効ではない。それはオバケの正体を見破るための指示として役に立つにはちがいないが、それだけではオバケを信じている人びとを十分納得させることができない。詐欺師が降霊術の手品を演じるやりかたも、近代科学を利用した巧妙なものになっている。発光塗料を使って幽霊の扮装を効果的なものにしたり、リモコンでテープレコーダーを動作させて霊界からの声を聞かせたりしているとすれば、オバケが何であったかの具体的な推理には化学やエレクトロニクスの知識も必要であって、それなしには手品の種をおさえ説得的な説明をすることができない。

 大自然は別に誰かが創造したものではないから、誰かまたは何かが創造したものだと、創造者を認めるのはつまりオバケを認めることになる。そういうオバケを認める哲学は、観念論哲学の系列に属するのであって、ちがいはどんなオバケがどのようにして創造したかである。ヘーゲルはとんでもなくすぐれた学者であったが、オバケを認める哲学の伝統を受けつぐという学問的な条件の中にいて、オバケを認めない哲学すなわち唯物論にはじめから不当な先入見を持っていた。自然科学はオバケを認めないけれども、だからといってこれを否定するわけにはいかない。オバケを認める哲学にしても、自然科学がその中に包括できるようにオバケをうまく設定し、オバケと両立させなければならない。それでヘーゲルの哲学は、方法においても内容においても、「頭で逆立ちさせられた一つの唯物論」になったわけである。ヘーゲルのオバケすなわち〈絶対精神〉にしても、そんなものはないと否定したところで正しい解決にはならないのであって、どうしてそんなものが生れたのかその成立の過程をしらべて根拠を明らかにすることが必要である。

 この根拠も、わかってみれば「正体見たり枯尾花」であった。人間の経験において、観念と現実的な世界といわれるものとがかかわりを持つことは誰も認めているけれども、いったいそのかかわりがどうなっているのかが、哲学者の問題であった。観念がダイナミックに発展することはたしかだが、それではどのように現実的な具体的な事物をとらえていくだろうか。われわれが事物を全面的に根底からとらえようとするときは、たとえば人間が対象であるならば「人間とは何ぞや」と基本的なありかたにまでほりさげていき、その抽象的・一般的な認識から、「だがこのAという人間はこことここに特徴があるから、それらをあわせてとりあげなければ」と特徴をつかんでいって、最後に具体的な人間のこまかいところまでイメージを仕上げるのである。こうして観念が現実的な具体的な事物を立体的に忠実につかみとるという、それ自体としてダイナミックな発展・創造の過程があることから、ヘーゲルはこの過程をフォイエルバッハがいったように人間の内から人間の外へ持っていき、大自然のどこか知らないがどこかに存在させて、これが大自然それ自体をつくり出したオバケ=生きている霊魂だと説明したのである。もっとも抽象的・一般的な、いわば人間のどんづまりの認識は、「有」であり「無」であるが、ヘーゲルは「はじまりつつあるものは、まだ有るのではなくて、それはようやく有に向って進んでいる。」といい、こうして「純粋な有」(有るという以上のどんな規定をも持たない)とそれに対立する「純粋な無」との、対立物の統一としての「成」(すなわち運動)をみちびき出す。「有と無との両者を自己のうちにふくんでいないものは、天にも地にもどこにもない。」というわけである。われわれはこのもっとも抽象的な認識を、大自然から反映としてつくりあげ、具体的な存在から観念的に分離するのだが、ヘーゲルにあってはこのもっとも抽象的な認識それ自体が、大自然の中にまず存在してそれ自体として発展し具体化していくと説明するのである。

 右のヘーゲルのオバケのありかたは、根本的に大きな問題をふくんでいる。まず第一に、実際の大自然には始まりがないのに、ヘーゲルは〈絶対精神〉という創造者が自己を「有」たらしめるところに始まりを設定した。こうなると実際の認識には終りがないのに、人間が大自然を〈絶対精神〉という創造者のありかたとして認識するところで終りを設定しなければならない。第二に、認識と現実の対象とは、過程的構造がちがっている。認識では現実に切りはなせないものを抽象によって分離して扱うから、認識の持つ過程的構造をそのまま現実の対象に持ちこむと、論理的なふみはずしを起さないわけにはいかない。第三に、〈絶対精神〉から自然が創造されるということは、精神それ自体が姿を変えて物質になることを意味しているから、〈絶対精神〉の一つのありかたとしての人間の精神もまた、人間の頭からぬけ出して物質になると解釈しなければならなくなる。まだあるが、とにかくヘーゲルからオバケを追い出してまともなものにつくり変えるということは、こまかく心をくばってすすめなければならぬたいへんな仕事なのである。レーニンは革命前に彼なりにヘーゲルを研究したが、革命後の一九二二年にも『戦闘的唯物論の意義について』と題する論文で、「唯物論的見地からするヘーゲル弁証法の系統的な研究」を組織しなければならぬといい、さらにつぎのように記した。

「たしかに、ヘーゲル弁証法のこのような研究、このような解釈、このような宣伝の仕事は、きわめて困難なものであって、この点での最初の経験は、疑いもなく、誤りをともなうであろう。しかし、誤りをおかさないのは、何もしない者だけである。マルクスが唯物論的に理解されたヘーゲルの弁証法を適用したやりかたをもとにして、われわれはこの弁証法をあらゆる側面から仕上げ、ヘーゲルの主要著作の抜萃を雑誌に発表し、それを唯物論的に解釈し、マルクスにおける弁証法の適用の手本や、さらに近代史特に現代の帝国主義戦争と革命とがいちじるしく大量に提供している経済的および政治的諸関係の分野における弁証法の手本によって、これに注解を加えることができるし、またそうしなければならない。」

 レーニンは彼自身の仕事でこのことばを裏書きした。彼のヘーゲル研究を記した『哲学ノート』には、ヘーゲルの唯物論的解釈における誤りやそれ以前から持ちつづけて来た俗流反映論的な誤りをふくんでいるからである。しかもこのレーニンの要求に応えてヘーゲル研究をすすめた哲学者たち――デボーリン派――が、スターリンによって「メンシェヴィキ化された観念論」と、その誤りに政治的なレッテルを貼られ失脚するにおよんで、ヘーゲル研究という「疑いもなく誤りをともなう」ような危険な仕事に手を出す人間は、姿を消すこととなったのであった。その結果どうなったか? 自分はオバケであるにもかかわらずオバケではないと確信して、ほかのオバケ退治に向うような、自称マルクス主義者が続出することとなった。スターリンの言語論もその一つであったのである。

 

 善と悪と――その相対的妥当性

−p.156−

 真理は条件づきであって、条件が変れば誤謬に転化するというのが、真理についての弁証法的な見かたである。「資本主義は社会主義に対しては悪である。資本主義は中世に対しては、小生産に対しては、小生産者の分散状態と結びついた官僚主義に対しては、善である。」と、一定の条件における資本主義の善であることを認めるのは、正当である。しかしこれがレーニンのことばだといわれれば、マルクス主義者と名のる人びとは反対しないであろうが、もしトロツキーやブハーリンのことばだといわれたなら、賛成するかどうか疑わしい。条件を吟味しようとしないで、資本主義がどうして善であるものか、そんなことをいうのは資本主義を美化しマルクス主義を修正するものでしかない、とたけり立つ自称マルクス主義者が出てくることが、充分考えられるのである。現に五四年には、神山茂夫攻撃のお先棒をかついだ井上清が、神山は天皇制の初期の「進歩的役割」を認めたことをとらえて、これは言葉たくみに天皇制を擁護したものだとくってかかった事実がある。

 善事と悪事、善人と悪人とは、まったく別個の存在であって、善事が同時に悪事であるとか、前任が同時に悪人でもあるとかということはありえないというのが、形而上学的な考えかたである。けれども『ラモーの甥』は、悪人にとって利益なことつまり善事が、善人にとって不利益なことつまり悪事であることをとりあげているし、国家権力の悪であることを強調するマルクス主義者も、自分をおそった強盗を警官が捕えて金をとりかえしてくれたときには、善事をすることもあるのを否定するわけにはいくまい。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』の中で、善と悪との対立は「相対的な妥当性」(relative Gültigkeit)しか持っていないと説いたとき、彼はおそらくヘーゲルやディドロを念頭においていたことであろう。だが私がそれをはじめて読んだときには、ヘーゲルやディドロはまだ知らなかった。そのとき私が思い浮べたのは、講談の鼠小僧次郎吉や探偵小説のアルセーヌ・ルパンや「四十面相(フォーティ・フェイス)」のクリークのことであった。このクリークはヘンショウの小説の主人公で、自分の容貌を自由に変えて誰にでも即座に変装する特異な能力を持ち、大盗賊から名探偵に転身する。

 悪人があるとき心機一転して善人になり、こんどはかつての仲間たちと闘うというストウリィは、フィクションの芸術のあちらこちらにころがっている、はなはだ通俗的なものである。作者がそういうストウリィを空想の世界に設定するのは、現実にそのような事件がいくらもあるからで、別に善と悪との相対的な妥当性を論理としてつかんだことから出発しているわけではない。盗賊変じて探偵となるという事実も、一九世紀の初めにすでにヴィドックの例がある。彼は盗みで何回も刑務所入りしたが、一八〇九年に探偵となり、パリ警視庁の部長にまでなった。読者や観客にとっては、勧善懲悪という道徳的な意味からも歓迎される転身である。悪人が善人になり切らないまでも、自分にとって利益ならばそれにひきずられて善事をやってのけるという設定は、古くは黙阿弥の戯曲『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の河内山宗俊の河内山宗俊の松江屋敷のりこみがあり、近くはTV映画の『ギャリソン・ゴリラ』の仮出所を条件に犯罪者(ゴリラ)たちが連合軍の対ドイツ特務工作員になる物語がある。松江侯の玄関先で、北側大膳に正体を見破られた御使僧道海が、本性を出して啖呵を切るところは、娘を救(たす)け悪を懲(こ)らすための智慧と度胸の闘いとして、芝居のお客を大いによろこばしている。市川荒次郎の大膳は、マスクといい身体といい適役であった。とはいえ私はエンゲルスを読んでから、そこに語られている論理にも関心を持ったのである。「悪に強きは善にもと、世のたとえにもいうごとく」と河内山はいう。善事というものは主体的能力のいかんと関係があって、大きな善事をなしとげようとするには大きな悪と闘ってそれに勝てるだけの能力を身につけていなければならない。大きな悪事を法をくぐり取締りの眼をくぐって行うだけの能力は、一転して悪の計画を見破り警戒を突破して妥当するという大きな善事を遂行するのに役立つことになろう。河内山の行動は「世のたとえ」ばかりでなく、弁証法的な善悪観の正しさを証明している。

 それだけではない。これとは逆の過程、善に強きは悪にもという転身が、やはり現実にすくなからず起っていて、この場合にはスティヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』にしばしばたとえられるのである。戦後の革新的な運動においても、労働運動や学生運動の闘士が転向して会社の労務担当となり組合の破壊に腕をふるったり、あるいは自ら経営者となって労働者の搾取と闘争の弾圧で名をあげたり、している。また革新的な運動の内部でも、意見のちがった同志に対して、冷酷巧妙な追い出し工作の行われることが多い。狂信から来るものもあるが、計画的なでっちあげも多い。私自身にしても、思想の科学研究会のレッド・パージで、ジャーナリズムでは革新的な見解をふりまいて多くの著書のある学者の、悪辣陰険なやりかたを経験した。

 小学校で教わった唱歌の中に、こんなのがある。

いつわりの 砂かきわけて

まことなる 金をもとむる

そのすべは いかでか知らん

学ばずば 教えられずば

 ちょうど学制五十周年を迎えるというので、それを記念してつくられた唱歌であるから、教科書にものっていなかったし、現在出ている『日本唱歌集』のたぐいにも入っていない。当時教わった子どもは多いであろうが、現在なお覚えている者がどれだけあるか疑わしい。

 この唱歌は比喩である。抽象的な扱いかたである。文部省当局が、具体的にはどんなものを考えていたかといえば、「まこと」とは当然に教育勅語や修身の教科書で説いている思想、すなわち天皇制イデオロギーで、「いつわり」とはそれに敵対的に対立する思想、すなわち神を否定する無神論や天皇制を否定する共産主義などのイデオロギーをふくんでいたにちがいない。しかしながら、これらの具体的な内容をひっくりかえして考えることもできるな、と私はのちに気がついた。「まこと」を共産主義的イデオロギーに、「いつわり」を天皇制イデオロギーにするならば、この唱歌はそのままマルクス主義者の主張になる。ことばの具体的な内容いかんで、どちら側の主張にもひっくりかえることを、私はおもしろいと思った。それでこの唱歌を忘れなかったのである。

 教育勅語が権力側の強力な武器であることは、昔も今も変りがない。資本が、生産力においてすぐれた・イデオロギー的に従順な・新しい労働力を要求し、公教育がそれに応える教育計画を立てることも、変りがない。小学校の教師も、その意味での商品生産の熟練工であるべきことを、権力側は要求している。それはいやだと学校から逃げても、あるいは校舎を破壊したり焼き払ったりしても、問題の解決にはならない。教師としての職にありながら何をなすべきかが、考えられなければならない。戦前の革新的な小学校教師には、共産主義的イデオロギーそのものを教壇から説く例が多かったし、いまでも再生産されている。私は自分の知人が検挙され、何をしていたかを具体的に知ったとき、それではつめこみ・暗記教育の左翼版で、子どもの能力を育てることにはならないのではないか、と思った。

 精神的にも肉体的にも優秀な賃金奴隷を生産する教育の第一段階である小学校、算数や国語で身につける基礎的な学力も結局は資本に奉仕させられる資本制社会。だが翻訳されたマルクス主義の文献を読むことができ、「まことなる金のをもとむるそのすべ」を獲得することができたのはどうしてか? 小学校で国語を教えられ、それを基礎に本を読む能力を身につけていたからではなかったか。文部省当局が教育に期待していたのとは、正反対の結果になったというだけのことである。同じ教育が、条件のいかんによって、奴隷だけでなく墓堀人をもつくりだすのだな、と私は思った。正しい意味での「いつわり」を見ぬいて、「まこと」をもとめる能力を子どもにできるかぎり与えること、そして子どもの成長の過程でその能力がさらに育つように期待すること、自然成長的に能力を発揮することを期待するのではなく、目的意識的に政治教育その他各分野での働きかけを求めること、これが革新的な小学校の教師に要求されるのではないか、と私は思った。

 私は小学校の強化とは関係なしに、共産主義的イデオロギーとも無縁な、西欧の探偵小説を読んで、探偵が犯人の「いつわり」を見ぬいて事件の「まこと」を見つけ出すのを楽しんでいた。それが重なるにつれ、いつかその方法を「教えられる」ことになり、それがイデオロギー批判にも役立つ結果になったのである。子どもに科学を教えることは重要だが、単に知識を暗記させたところで、真に能力を育てたことにはならない。非科学的あるいは宗教的な「いつわり」を見ぬいて科学的な「まこと」を見つけ出す訓練をくりかえし、学問することの楽しさおもしろさを味わわせて自分から積極的に学びとろうとする態度を育て、謎解きの能力を高めていくことが必要であろう。板倉聖宣の創始した「仮説実験授業」に私が注目しかつ期待している一つの理由は、たとえこれを当局が奴隷の育成に役立てようとしても、墓堀人に転化する可能性が大きいと考えるからである。

    *

 差別は悪で、平等こそ善だという真理も、これまた条件づきである。朝鮮人に対する差別、黒人に対する差別、日本でいうならいわゆる部落民に対する差別、これらの非人間的な差別を悪として、闘争の対象とすることはまったく正当である。けれども条件を無視して、人間に対するすべての差別は悪であるということになると、真理は誤謬に転化してしまう。これを論理として自覚していなくても、事実として経験しているところから、悪平等ということばが使われるようになった。レーニンが生きていたころのソ連を見ても、利益を得る目的で雇傭労働を利用する者、労働によらない収入で生活する者、商人やブローカー、宗教業者、旧皇族や弾圧機関の関係者、破廉恥的犯罪者、精神病者などには選挙権・被選挙権が与えられなかったし、他方では共産党員に対して収入の最高額が定められ、どんな能力のすぐれた党員でも一定以上の収入は認められなかった。非党員の芸術家の方が党の最高の指導者を超える収入を得ていたのである。これも差別であるが、われわれはこの差別を合理的なものとして是認することができる。

 小学生に対する学習の評価は、昔は甲・乙・丙、いまは五・四・三で行っている。これも差別である。差別そのものが悪だから、評価してはならぬとか、一律評価で抵抗すべきだとかいう意見もある。評価することがそもそもまちがっているのではなく、正しい評価が行われているか否かにまず問題があり、さらに評価が正しくてもそれが不当に誇張されたり悪用されたりすることに問題がある。評価が正しいか否かは、小学生の側が直観的に判断する。試験のとき運が悪かったので本当の実力を示せなかったのだとか、イタヅラをして憎まれているから下ったのだとか、誰々はエコヒイキで成績がいいのだとか、制度の欠陥や教師の欠陥について論じている。生活条件や学習条件が悪くて成績がよくなかったのと、怠けて成績がよくなかったのとをいっしょにされては、小学生でも腹が立つ。これの裏がえしが、努力している者も怠け者も満点をつけるという一律評価である。どちらも悪平等であることに変りはない。教師が子どもの努力を評価して、一応合理的な結果を得たとしても、それはその時期でのしかも人格の一面を扱ったものにすぎないから、それを不当に誇張して扱ってはならないのだが、子ども自身も親たちもその他でも不当に誇張して扱いがちであるし、教師もそれを完全に防ぐことなどできようはずがない。評価が悪としての面を持つことは避けられないのである。事実を正当に把握して客観的に表現し、この確認の上に前進するための具体的な方法を講じようとするのが評価の目的であってみれば、それはそれとして善としての面を持つことを否定するわけにはいかないが、悪の面を極力押えて善の面をそれなりに発揮させることは教師として充分な能力がなければなしえない。毎日の教育にその能力を役立て成果をあげなければ、子どもに対する正しい評価は同時に教師の無能であることを示すものになるから、それを嫌って評価を歪めたり、自己合理化のための評価拒否になったりするであろう。

 差別は悪だという発想の不当な誇張は、合理的な分業の否定となってあらわれてくる。われわれはオーケストラの指揮者が、自分では楽器を持たずに、タクトを振って多くの演奏者を指揮するのを、すこしも不合理とは思わない。無能な指揮者は指揮者の位置につくことができない、きびしい世界である。これに反して労働運動や政治運動の分野では、指導者が敵側に買収されて日和見主義になったり、客観的情勢の変化に正しく対応できぬ能力不足をさらけ出したり、官僚主義的にふるまったりすることがしばしばであって、これらの場合に悪質な指導者を良質な指導者と交代させるというのではなく、そもそも指導者というもの自体が不合理だ、指導者と被指導者とを区別すること自体が差別であり支配者のイデオロギーだ、と指導者否定論をとなえる者があらわれることも稀ではない。指導者個人だけでなく、指導部隊――革命政党――の否定論もあらわれる。この種の主張は、論理的なふみはずしであるから、どこの国の運動にもあらわれてくる。前世紀の終りのロシアでも、テロリストが「悪い指導者に背を向けて良い指導者によびかけようとはしないで、指導者一般に背を向けて『民衆』に呼びかけている」(レーニン『何をなすべきか』)事実があり、第一次大戦後のドイツでも、共産主義者の中に同じ傾向があらわれた。エルナーは『党の解体』と題する論文で、「労働者階級は、ブルジョア民主主義を打倒しないうちは、ブルジョア国家を破壊することはできない。そして政党を破壊しないうちは、ブルジョア民主主義を打倒することはできない。」と書いた。レーニンは『左翼小児病』でこれをとりあげて、「ラテン系統のサンジカリストや無政府主義者たちのうちで一番わけのわからぬ連中は、これに『満足』するかも知れない。」「一般に政党は無用で『ブルジョア性』をもっと宣言しようというエルナーの試みに至っては、ばかげた空中楼閣であり、驚いて両手をあげるよりほかにしようがない。」と嘲笑し、この種の、指導者否定をさけぶ連中自身が、ほかならぬばかげた話をしゃべりまくる新しい指導者ではないか、と指摘した。

 合理的な分業を差別であるがゆえに悪であると否定する発想で、最近目についたものの一つは、人間は平等で「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」だと強調し、ここから経営におけるピラミッド組織そのものを不当な差別だと否定しにかかる、労働運動の出現である。自分の組織にはチャンと三役を置きながら、企業が従業員を組織的に位置づけることに反対し、さらに能力に応じて賃金を支払うことをも否定して、すべての従業員に同額を支払えと要求するのである。もちろん最高のところへ一律化せよというのであり、怠けようが遅刻しようがそれを賃金で差をつけるのは差別であるから不当だというのである。この話を聞いて、お茶くみの女の子に研究所の所長と同じ賃金やボーナスを支給しないのは不当だとは、資本主義を社会主義ととりちがえているのではないかと首をかしげた人にしても、一方では、科学者や技術者に特殊な漢字を使わせろというのは特権意識だ、ことばは大衆のものなのだと論じている。これを不当な差別と思いこんでいるのである。小学校で教える漢字をできるだけへらそうというのも、子どもの負担が軽くなるという意味ではたしかに善であるが、その結果マンガ本は読めても専門的な本の読めない人間をつくりあげるなら、客観的にはぐ民政策への奉仕であり悪であることも、忘れないようにしてほしい。

 

 北川敏男の〈営存〉論

−p.166−

 

 



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