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6499 Reply 謹賀新年候 れんだいこ 2006/01/01 13:00
 gajiさん皆様明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

6498 Reply Re:自己愛 tpkn 2006/01/01 06:57

> なんぢゃい、そりゃ。。。
> 言うに困るにも程がある。

いわゆる↑これが「俗流心理学」と言われてるんでしょうな…。

6497 Reply 謹賀新年 gaji 2006/01/01 03:03
> > それはそうと、心理学は「仮説にすぎ」ない、「試論でしかない」とおっしゃる割には、俗流心理学の方はお好きなようで。
>
>
> なんぢゃい、そりゃ。。。
> 言うに困るにも程がある。


「程がある」?

程など何処にもアリマテン

あるのはそれは波ばかり

6495 Reply gaji 2006/01/01 00:26
>仕事を覚えてしまえば、gajiさんのペースで事が運べるし、見るべき同僚も見えるようになるはずですよん。
> gajiさん、がんがって!!!

はいでぴ^^たんくちで有松。

けど、仕事(???っていうか作業でつ)は簡単すぎて、とくーに覚え町他のでありまち。。
ほかになにを覚えれば言いのきゃな。。

しんどいのは、彼女たちの話題でつ。。

地域の話(どこそこの子供がどーのバーさんがどーのといった話ばっかしなんでつよ)、とてもではありませんが、ゲンナリ。。っていうか、興味もないし、分からないし、相槌も打ちようがない。。



それはさておき、遅れちゃったかな^^
「除夜の鐘」(ここでつけまつyo)

6494 Reply Re:追記 Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 23:47
 gajiさん、はんぞ〜〜〜です。

> > >  主役は利用する人であって、職員は脇役なんです。
> 少なくとも、↑こんなことはない、のではありませんか?
> (表向きのコトバとしては、もちろんあります)
> けれど、具体的に、どのように、あるのでしょうか。。
> 遅蒔きながら、わたしは実習での”見学”でしか施設を知らなかったのですが、
> 実際の施設って、まるでチャいました。
> これって、、、とか言ったら、以下(略。。。
> 介護の現場にとって、「利用者さん」って、何なんでしょう。

 これは良く分かりまつ。

 私のいる授産施設は少人数で風通しがいいのでまだしも なのですが、元同僚がいる身障の養護施設では似たようなものなんです。園長は理想に燃えているそうですが、古参の現場職員が動かないから、全然なんだとか。

 同僚は、「私は福祉がしたいのよ。サービス業やら職員本意のことではなくて!!」と叫んでいました。ついこの間のことです。私は、「先ずは若い子達をこっちで教育してしまうのよ。先ずはそこからよ」と、けしかけましたです。と言うか、それしかないし……

 gajiさん、アンポンタンな輩はどこにでもいますけど、そうでない人は目立たないんですよ。だから、先ずは仕事の手順を覚えつつ、利用者さんたちの方を見てて。アンポンタンはほって置いて。

 今は踏ん張り時ですよ。もう少し踏ん張って。
 仕事を覚えてしまえば、gajiさんのペースで事が運べるし、見るべき同僚も見えるようになるはずですよん。
 gajiさん、がんがって!!!


 んでは、gajiさん、皆さん、よい年をお迎えくださいますように。

6493 Reply Re:追記 Re:自己愛 gaji 2005/12/31 23:04
> >  主役は利用する人であって、職員は脇役なんです。

少なくとも、↑こんなことはない、のではありませんか?
(表向きのコトバとしては、もちろんあります)


けれど、具体的に、どのように、あるのでしょうか。。

遅蒔きながら、わたしは実習での”見学”でしか施設を知らなかったのですが、
実際の施設って、まるでチャいました。

これって、、、とか言ったら、以下(略。。。


介護の現場にとって、「利用者さん」って、何なんでしょう。

6491 Reply Re:追記 Re:自己愛 gaji 2005/12/31 19:51
>  福祉の仕事って「弱者に手を差し延べる」という仕事じゃないんですよ。必要な人に手を貸す仕事なんです。ですから、職員の個々の価値観は出してはイケナイし、押し付けはもってのほかなのです。これがなかなかに難しいことで、勘違いする人は多いし、私にしたって綱渡りしてる状態ですけど…… 落っこちそうになって他の職員に支えられたりしてるし……
>
>  主役は利用する人であって、職員は脇役なんです。


じつは私、現在、某福祉施設の肉体労働者をやってるんですyo(2カ月弱の新米。筋肉痛でボロボロ。いっこうに改善しない。。身体がヤワだっていうか、)。
本日もさっき帰宅したところです。


いわゆる「利用者さん」という言い方、わたし的にはどこか、違和感があったりもしてまつ。。

数日前に「ショボーン」だったのは、職員(♀たち)による「新人イジメ。。」
女は怖い。。。(泣。。

めげずにガンガりまち。。

6490 Reply Re:自己愛 gaji 2005/12/31 19:39
はんぞ〜〜〜タソ

> > 「自己愛」というよりはむしろ「愛着」のことですよね、この「愛」は。
>
>  わらひ、この「愛着」って言葉嫌い。
>  私が「親からの愛されている実感をもつ」と現して言ってたことの心理学用語がこれだったと知ったとき、「なんちゅう即物的な表現なんだろ!ペットと違うぞぉ!」と思ったもんです。

たしかに〜。
「愛着」ではなくて、何かもう少し別の言い方のほうがいいのに、、発達心理学とかの用語として使われているというのは、今春知ったのでした。
どこか誤解されがちな言葉ですね。

>  で、ちゃんと自己愛を育てるためには「愛されている実感を持って育つ」事が大切なんですよ。
>  だから、土台ですね。自己愛を育てるための。

そう思い松。でも、
加減がむずかしいですね。
自己否定ばっかりでは卑屈になってしまうし、自己肯定ばっかりでは自己中だし。。


ちなみに、
「ペット」というか、うちっかたのピョンきちにしても、幼い頃(昨年の秋あたり)、外に連れて行くと、私のことを確認しながらの行動があったりして、ひとの赤ちゃんと似たようなものカナなどと思いまった。。(たしか、シカゴさんとこのウルタソもそうだったやうでつ)

ペットだって、うちの子でち(w ←親バカ入ってまつ。スイマソン。。

6489 Reply Re:り:6428 gaji 2005/12/31 19:24
Josefさん

> >「愛」の裾野は広そうです
>
> まったく、「愛」の裾野はおそろしく広い。ゆえに「愛」をめぐる対話は必ず錯綜します。そういうものなのでしょう、きっと。

でせうね。でも、
キッチリすっきりリニアーよりは錯綜のほうベターかと…(w

> 今年はgajiさんというわけわからんキャラにも出会えたし、それなりに面白い一年でした。

そりはヨカータでつ(←???

あっというまの一年で、数時間後には06年..

合言葉はやはりコレしかアリマテン
皆さま「どうぞよいお年をΨΨ」

6488 Reply Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 19:22
 gajiさん、こんばんは。はんぞ〜〜〜です。

> > > >  んで、自己愛がちゃんと育たない要因の大元は、親からの愛されている実感を持てないで育ったことやと思うよ。私の経験からすると。
> > > 私がそうでした^^ どこか屈折してたやうな。。
> > > いまだに乳母タソおカータンが恋しい(笑
> >  あんれ、そうやったの
> >  親は親で愛しているんだけど、それが子どもになっかなか通じなかったって事や、子どものほしい愛し方と違ってたって事もあるよね。当時21の坊の失恋の相談にのってたときに改めて再確認したんだけど。
> >  親はあれで、あんでも愛しているつもりやったんやな、って思えるようになるのにどえらい時間がかかったりするよ。
> 今春、「裏姫板」(桜子さんとこ)で、マズローとか「母乳」の話が延々と続いていた頃のことを思い出しました。
> 「自己愛」というよりはむしろ「愛着」のことですよね、この「愛」は。

 わらひ、この「愛着」って言葉嫌い。
 私が「親からの愛されている実感をもつ」と現して言ってたことの心理学用語がこれだったと知ったとき、「なんちゅう即物的な表現なんだろ!ペットと違うぞぉ!」と思ったもんです。

 で、ちゃんと自己愛を育てるためには「愛されている実感を持って育つ」事が大切なんですよ。
 だから、土台ですね。自己愛を育てるための。

6487 Reply Re:自己愛 gaji 2005/12/31 19:03
> > >  んで、自己愛がちゃんと育たない要因の大元は、親からの愛されている実感を持てないで育ったことやと思うよ。私の経験からすると。
> > 私がそうでした^^ どこか屈折してたやうな。。
> > いまだに乳母タソおカータンが恋しい(笑
>
>  あんれ、そうやったの
>
>  親は親で愛しているんだけど、それが子どもになっかなか通じなかったって事や、子どものほしい愛し方と違ってたって事もあるよね。当時21の坊の失恋の相談にのってたときに改めて再確認したんだけど。
>
>  親はあれで、あんでも愛しているつもりやったんやな、って思えるようになるのにどえらい時間がかかったりするよ。


今春、「裏姫板」(桜子さんとこ)で、マズローとか「母乳」の話が延々と続いていた頃のことを思い出しました。

「自己愛」というよりはむしろ「愛着」のことですよね、この「愛」は。

10.母子相互作用の重要性あたり。

6486 Reply 追記 Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 19:02
 福祉の仕事って「弱者に手を差し延べる」という仕事じゃないんですよ。必要な人に手を貸す仕事なんです。ですから、職員の個々の価値観は出してはイケナイし、押し付けはもってのほかなのです。これがなかなかに難しいことで、勘違いする人は多いし、私にしたって綱渡りしてる状態ですけど…… 落っこちそうになって他の職員に支えられたりしてるし……

 主役は利用する人であって、職員は脇役なんです。

6485 Reply Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 18:44
 Josefさん、こんばんは。はんぞ〜〜〜です。

> >んで、私が言っているところの自己愛はナルシシズムとは違うんですよ。
> >んで私の言う自己愛は、教育・福祉でフツーに使われるところの「自己愛」でつ。
> たぶんその「自己愛」も「ナルシシズム」だと思いますよ。一般的な語義用法が記載された辞書的定義よりも意味を腑分けして限定的に使っているだけで。もし違っていたらご教示ください。

 んとね、私は「自分自身がドロドロに醜い部分も持ち合わせていることを十二分に知っていてその上で、『んでも、私って結構健気に生きてるじゃん』と思える域まで行く」事が生きていく上で大切だろうなって思っていたんです、経験上ね。

 で、それが「自己愛」という言葉で表されることとおおよそ一致したわけ。

> どこまで本当かは知りませんが、介護・福祉の仕事に携わる人たちは自己愛傾向が強いということがよく言われますね。もちろん全体からすれば一部でしょうが、「弱者に手を差し延べる」という仕事が自己愛の強い人を招きやすいことは容易に想像できます。「手助け」は「支配」になりがちだから気をつけなきゃいけない、と新米ヘルパーの姪が偉そうに申しておりました。たぶん先生だか先輩だかにそう教わったのでしょう。

 なので上記のお話は、私からすると「自己愛が充分に育っていない発展途上の人」の話でして……
 こういうJosefさんの言うところの「自己愛の強い人」は確かにいらっしゃいますです。ただね、そういう人は早晩行き詰まるんですよ。まっ、そういう人はどんな職種にもいらっしゃいましすけどね。

> >んでね、私が言うところの自己愛ってのは「自尊心」も含むけれど、もっと大きいものなんです。
> おっしゃることは分かります。「大きい」というより「根底的」なものを指してらっしゃるのだと思います。生きていく上でのベースですね。

 そうです。

> >自己愛ってね、自分自身がドロドロに醜い部分も持ち合わせていることを十二分に知っていてその上で、「んでも、私って結構健気に生きてるじゃん」と思える域まで行くことなんですよ。文字通り自分で自分を愛すること。
> 私の言葉では受容、です。カウンセリングや教育分野でよく言われる「自己受容」。これがうまくいかないと過剰に自己否定(嫌悪)してみたり、理想的自己に酔うナルシシズムになりやすい。この自己受容も自己愛と呼ぶなら、おっしゃってる内容そのものには何ら異存ありません。

 同意いただけてなによりです。

> > んで、大きな課題を抱えている人って、結構自分が嫌いだったり、好きじゃないって言うのよね。自分が好きだと表現する人の中には、自分のドロドロに醜い部分が見えてなくて言っている人もいるんだけど。
> 思うに、自分が嫌い、という人は多いけど、自分が好き、という人は少なくありません?

 色んな人に尋ねて回ったわけではないので、多いのか少ないのかは知らないのですが、20代〜30代で私に「失恋したぁ〜、助けてぇ〜〜〜」と悲鳴を上げてやって来た人達の中で大きな課題を抱えている人は、自分を好きになれない人が多かったです。さもなきゃ「自分のこと好き?」って聞くと「???分かんない」とおっしゃいますです。

6484 Reply Re:自己愛 中大出皇子 2005/12/31 18:27
中大出皇子さん
>
> >すこし厳しく書いてみます。
>
> 厳しいのは結構ですが、「ぜーんぶ自己愛だー」みたいなユルい自説をもう少し「厳しく」検討する方が先決かと思います。
>
> >心理学でナニが言われていようが、仮説にすぎません。しかも心理学は未完成の試論でしかなく、どの本に書かれていようが引用してもほとんど意味をなさないでしょう。
>
> もちろん「仮説」ですよ。大きくいえば学問はすべて仮説であり、途上にあるものです。しかし実験や調査によって得られる仮説と頭の中だけででっち上げた仮説とは自ずと差があるでしょう。そういう差を無視して「だから意味をなさない」と言うのは、「ぜーんぶ自己愛だー」とその「ユルさ」において共通してますね。
>
> >戯れに「心理学」のほかの本で「チガウ説」を見出すことも可能だと想像できます。
>
> かの大御所フロイトにとって「自己愛」はキーワードの一つです。彼によればすべての愛は「自己愛」に発します。以来、「自己愛」は心理学や精神分析学の一大テーマとなっています。もちろんフロイトやその継承者たちは「全部自己愛」なんて大雑把な議論はしませんが、その手のことを言いたがる人がたくさんいるのはフロイトの二次的、三次的影響でしょう。
>
> >つまり、自身のアイデアで語ることができない、ということなんですね。
>
> おっしゃるとおり、私の書く文章の99パーセント以上は他人から教わったことですね。私は自分なりの基準によって取捨選択、モディファイしているだけ。その自分なりの基準自体も私の自覚できない多くの他人の影響によって形作られているでしょう。「私」は既にこの世にいない人たちをも含む無数の他者によって辛うじて支えられているのだと実感しています。
>
> >したがって、次に続く文章はヨセフ様の「自己愛」の表出にすぎません。
>
> >それほどかように傷ついた自己愛を「はんぞ〜様へあてたレス」から読み取ったんですわ。
>
> そりゃ中大出皇子さんにとって「ぜーんぶ自己愛」なんだから、何を見ても自己愛にしか見えないのは当然でしょう。さっきは「自説に厳しく」と言いましたが、そういう考え方の方が安心できるのならそれでいいと思いますよ。あんじんりゅうめい、です。
> それはそうと、心理学は「仮説にすぎ」ない、「試論でしかない」
とおっしゃる割には、俗流心理学の方はお好きなようで。


なんぢゃい、そりゃ。。。
言うに困るにも程がある。

6483 Reply Re:り:6428 Josef 2005/12/31 18:03
gajiさん

>是々非々、コレも愛?

>「愛」の裾野は広そうです

まったく、「愛」の裾野はおそろしく広い。ゆえに「愛」をめぐる対話は必ず錯綜します。そういうものなのでしょう、きっと。

今年はgajiさんというわけわからんキャラにも出会えたし、それなりに面白い一年でした。
ではgajiさん、そして皆様、良いお年を。

6482 Reply Re:自己愛 Josef 2005/12/31 17:59
はんぞ〜〜〜さん

>んで、私が言っているところの自己愛はナルシシズムとは違うんですよ。
>んで私の言う自己愛は、教育・福祉でフツーに使われるところの「自己愛」でつ。

たぶんその「自己愛」も「ナルシシズム」だと思いますよ。一般的な語義用法が記載された辞書的定義よりも意味を腑分けして限定的に使っているだけで。もし違っていたらご教示ください。

どこまで本当かは知りませんが、介護・福祉の仕事に携わる人たちは自己愛傾向が強いということがよく言われますね。もちろん全体からすれば一部でしょうが、「弱者に手を差し延べる」という仕事が自己愛の強い人を招きやすいことは容易に想像できます。「手助け」は「支配」になりがちだから気をつけなきゃいけない、と新米ヘルパーの姪が偉そうに申しておりました。たぶん先生だか先輩だかにそう教わったのでしょう。

>んでね、私が言うところの自己愛ってのは「自尊心」も含むけれど、もっと大きいものなんです。

おっしゃることは分かります。「大きい」というより「根底的」なものを指してらっしゃるのだと思います。生きていく上でのベースですね。

>自己愛ってね、自分自身がドロドロに醜い部分も持ち合わせていることを十二分に知っていてその上で、「んでも、私って結構健気に生きてるじゃん」と思える域まで行くことなんですよ。文字通り自分で自分を愛すること。

私の言葉では受容、です。カウンセリングや教育分野でよく言われる「自己受容」。これがうまくいかないと過剰に自己否定(嫌悪)してみたり、理想的自己に酔うナルシシズムになりやすい。この自己受容も自己愛と呼ぶなら、おっしゃってる内容そのものには何ら異存ありません。

> んで、大きな課題を抱えている人って、結構自分が嫌いだったり、好きじゃないって言うのよね。自分が好きだと表現する人の中には、自分のドロドロに醜い部分が見えてなくて言っている人もいるんだけど。

思うに、自分が嫌い、という人は多いけど、自分が好き、という人は少なくありません?

6481 Reply Re:自己愛 Josef 2005/12/31 17:41
中大出皇子さん

>すこし厳しく書いてみます。

厳しいのは結構ですが、「ぜーんぶ自己愛だー」みたいなユルい自説をもう少し「厳しく」検討する方が先決かと思います。

>心理学でナニが言われていようが、仮説にすぎません。しかも心理学は未完成の試論でしかなく、どの本に書かれていようが引用してもほとんど意味をなさないでしょう。

もちろん「仮説」ですよ。大きくいえば学問はすべて仮説であり、途上にあるものです。しかし実験や調査によって得られる仮説と頭の中だけででっち上げた仮説とは自ずと差があるでしょう。そういう差を無視して「だから意味をなさない」と言うのは、「ぜーんぶ自己愛だー」とその「ユルさ」において共通してますね。

>戯れに「心理学」のほかの本で「チガウ説」を見出すことも可能だと想像できます。

かの大御所フロイトにとって「自己愛」はキーワードの一つです。彼によればすべての愛は「自己愛」に発します。以来、「自己愛」は心理学や精神分析学の一大テーマとなっています。もちろんフロイトやその継承者たちは「全部自己愛」なんて大雑把な議論はしませんが、その手のことを言いたがる人がたくさんいるのはフロイトの二次的、三次的影響でしょう。

>つまり、自身のアイデアで語ることができない、ということなんですね。

おっしゃるとおり、私の書く文章の99パーセント以上は他人から教わったことですね。私は自分なりの基準によって取捨選択、モディファイしているだけ。その自分なりの基準自体も私の自覚できない多くの他人の影響によって形作られているでしょう。「私」は既にこの世にいない人たちをも含む無数の他者によって辛うじて支えられているのだと実感しています。

>したがって、次に続く文章はヨセフ様の「自己愛」の表出にすぎません。

>それほどかように傷ついた自己愛を「はんぞ〜様へあてたレス」から読み取ったんですわ。

そりゃ中大出皇子さんにとって「ぜーんぶ自己愛」なんだから、何を見ても自己愛にしか見えないのは当然でしょう。さっきは「自説に厳しく」と言いましたが、そういう考え方の方が安心できるのならそれでいいと思いますよ。あんじんりゅうめい、です。
それはそうと、心理学は「仮説にすぎ」ない、「試論でしかない」とおっしゃる割には、俗流心理学の方はお好きなようで。

6480 Reply Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 17:09
 gajiさん、御無沙汰してますです。はんぞ〜〜〜です。

> >  ネガティブにとらえられている「自己愛」ってのは、自己愛が不十分にしか育たなくておかしな風に肥大化したやつだと思うけど……
> >  んで、自己愛がちゃんと育たない要因の大元は、親からの愛されている実感を持てないで育ったことやと思うよ。私の経験からすると。
> 私がそうでした^^ どこか屈折してたやうな。。
> いまだに乳母タソおカータンが恋しい(笑

 あんれ、そうやったの

 親は親で愛しているんだけど、それが子どもになっかなか通じなかったって事や、子どものほしい愛し方と違ってたって事もあるよね。当時21の坊の失恋の相談にのってたときに改めて再確認したんだけど。

 親はあれで、あんでも愛しているつもりやったんやな、って思えるようになるのにどえらい時間がかかったりするよ。

6479 Reply Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/31 08:10
 Josefさん、はじめまして。はんぞ〜〜〜です。

>はんぞ〜〜〜さんがおっしゃってるのは自己愛とはちょっと違うような。自己愛はナルシシズムの翻訳語であり、「1.自己を愛し、自己を性的対象とすること」「2.転じて、自己陶酔、うぬぼれ」(広辞苑)というふうな意味合いで普通使われると思います。

 確かにね、自己愛の世間一般で使われる意味や界隈で言われる意味ってのはJosefさんのおっしゃる意味で使われることの方が多いんですよね。んで、私が言っているところの自己愛はナルシシズムとは違うんですよ。

 んで私の言う自己愛は、教育・福祉でフツーに使われるところの「自己愛」でつ。

>はんぞ〜〜〜さんが親の愛によって育つとしているのは「自分は無用・邪魔な存在などではなく意味のある存在なのだ」というふうな、自己存在に対する根源的な自信のことだと思います。これを「自尊心」と呼ぶとすれば

 んでね、私が言うところの自己愛ってのは「自尊心」も含むけれど、もっと大きいものなんです。

 自己愛ってね、自分自身がドロドロに醜い部分も持ち合わせていることを十二分に知っていてその上で、「んでも、私って結構健気に生きてるじゃん」と思える域まで行くことなんですよ。文字通り自分で自分を愛すること。

 んで、大きな課題を抱えている人って、結構自分が嫌いだったり、好きじゃないって言うのよね。自分が好きだと表現する人の中には、自分のドロドロに醜い部分が見えてなくて言っている人もいるんだけど。

 自己愛って誰でも持ってると思うの。ただ、脆弱なものだったり、少々のことでは傷つきにくいものだったりするだけで。そしてそれは、カッチンコチンの硬質のものではなくて柔らかいものなんだと思うよ。

 だからちゃんと育った健全な自己愛であっても、なんかの出来事で擦り傷・切り傷は出来るんだとこの頃思うようになったな。
 

6478 Reply Re:自己愛 中大出皇子 2005/12/31 03:29
> ヨセフ様。
> すこし厳しく書いてみます。
>

すこし補足します。

> > 心理学では青年期ほど自己愛傾向が強いと言われています(たとえば小塩真司『自己愛の青年心理学』ナカニシヤ出版)。このことは、青年期ほど自意識過剰気味であることと関連しているでしょうし、それが外部に向かっては過剰な潔癖、正義を求める傾向や非現実的な博愛主義などになりやすいこととも関連しているでしょう。要するに不安定な青年期には自己が肥大傾向にあることにその理由があると思われます。
> >
>
> 心理学でナニが言われていようが、仮説にすぎません。しかも心理学は未完成の試論でしかなく、どの本に書かれていようが引用してもほとんど意味をなさないでしょう。
> 戯れに「心理学」のほかの本で「チガウ説」を見出すことも可能だと想像できます。
> したがって、次に続く文章はヨセフ様の「自己愛」の表出にすぎません。

ここでヨセフ様が小塩執筆者の意見を引用することに意味があるとすれば・・・ヨセフ様の青年期に「ヨセフ様が使用している意味で」自己愛傾向が強かった、ということを保証することです。「過剰気味」というわけで、「過剰」なわけではない、と反論したとしましょう。そうすると「ぢゃ、ナニが言いたいわけ?」・・・ということになってしまいます。
で、「ヨセフ様的な意味で」自己愛の顕著なオヤヂやオバハンはいくらでもいます。反証はいくらでもあるのです。で、ここで心理学本を引用することにいかほどの意味があったか?
ええ、客観性の材料にすぎませんよ、とくるでしょう。だ〜か〜ら〜。心理学とかいふアヤシゲな術を持ち出したのはあなたでしょ?となる。
つまり、自身のアイデアで語ることができない、ということなんですね。なにがしかの「権威めいたもの」を援用するこころの弱さを露呈している。
それほどかように傷ついた自己愛を「はんぞ〜様へあてたレス」から読み取ったんですわ。

以下延々と・・・読めば読むほど無内容・・・と私には思えました。

6477 Reply Re:自己愛 gaji 2005/12/31 02:09
はんぞ〜〜〜さん、オヒサです。

>  ネガティブにとらえられている「自己愛」ってのは、自己愛が不十分にしか育たなくておかしな風に肥大化したやつだと思うけど……

>  んで、自己愛がちゃんと育たない要因の大元は、親からの愛されている実感を持てないで育ったことやと思うよ。私の経験からすると。

私がそうでした^^ どこか屈折してたやうな。。
いまだに乳母タソおカータンが恋しい(笑

6476 Reply Re:自己愛 中大出皇子 2005/12/31 01:56
ヨセフ様。
すこし厳しく書いてみます。

> 心理学では青年期ほど自己愛傾向が強いと言われています(たとえば小塩真司『自己愛の青年心理学』ナカニシヤ出版)。このことは、青年期ほど自意識過剰気味であることと関連しているでしょうし、それが外部に向かっては過剰な潔癖、正義を求める傾向や非現実的な博愛主義などになりやすいこととも関連しているでしょう。要するに不安定な青年期には自己が肥大傾向にあることにその理由があると思われます。
>

心理学でナニが言われていようが、仮説にすぎません。しかも心理学は未完成の試論でしかなく、どの本に書かれていようが引用してもほとんど意味をなさないでしょう。
戯れに「心理学」のほかの本で「チガウ説」を見出すことも可能だと想像できます。
したがって、次に続く文章はヨセフ様の「自己愛」の表出にすぎません。

> 前に書いたように、時代的にいえば、人が地縁血縁集団の一員ではなく「個人」として「社会」に放り出されるようになった近代以降に自己肥大傾向が強くなってきたのであり、個人の一生のうちでは子供と大人の間の不安定な時期に自己肥大傾向が強い、ということでしょう。この自己肥大と自己愛とは密接な関係にあると思われます。

「前に書」こうが、それはヨセフ様の自己愛の表出文にすぎないので、その自己愛を、シカゴ様の言うところの「主観の客観化が充分に行われているかどうか」を検証することをお奨めします。

6475 Reply Re:り:6428 gaji 2005/12/31 01:51
> 世界の何十億もの人々を個別に「愛する」なんてことは不可能です。

もちろんです。神様にしてもむりでせう。

>しかしたとえば医療技術によって、食料支援によって、義援金によって、見知らぬ人々に間接的に「愛」を注ぐことはできる。そして言論によって。


「愛」はオロナイン(万能薬)…

「食糧支援」や「義捐金」の場合、♪ソレも愛、コレも愛〜♪ (by「愛の水中花」)



>gaji発言弾圧(仮)に対する反対は個人へと特化された愛ではなく、未知の人々をも自らの射程とする正義への愛によってなされることでありましょう。

是々非々、コレも愛?

> …と、大げさに書いてみましたが、「知」は「愛」への”てこ”となりうるものだと思うわけであります。

ラジャです。「愛」の裾野は広そうです。

6474 Reply Re:自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/30 23:00
> はんぞ〜玉、おひだしぶりでつ。

 中大出皇子さん、御無沙汰しておりますです。
 職場で施設発行の機関誌を作ることを仰せつかりまして、今月はそれに忙殺されてましたです。
 おまけに請け負った作業の納期がこれまた厳しかった……

> >  自己愛をネガティブにとらえてみえる方もいらっしゃいますけど、
> んはは。言われた当人はなんのことやらサパーリ、かもデチ。

 まぁねぇ、そうかもしれんねぇ。

> つーか、そりもまた想定の範囲内ということでひとつ。

 は〜〜〜〜〜いっ

> 良いお年をお迎えください。

 中大出皇子さんも、良いお年をお迎え下さいますように。

6473 Reply Re:自己愛 中大出皇子 2005/12/30 22:28
はんぞ〜玉、おひだしぶりでつ。

>  自己愛をネガティブにとらえてみえる方もいらっしゃいますけど、

んはは。言われた当人はなんのことやらサパーリ、かもデチ。

つーか、そりもまた想定の範囲内ということでひとつ。
良いお年をお迎えください。

6472 Reply Re:自己愛 Josef 2005/12/30 18:41
心理学では青年期ほど自己愛傾向が強いと言われています(たとえば小塩真司『自己愛の青年心理学』ナカニシヤ出版)。このことは、青年期ほど自意識過剰気味であることと関連しているでしょうし、それが外部に向かっては過剰な潔癖、正義を求める傾向や非現実的な博愛主義などになりやすいこととも関連しているでしょう。要するに不安定な青年期には自己が肥大傾向にあることにその理由があると思われます。

前に書いたように、時代的にいえば、人が地縁血縁集団の一員ではなく「個人」として「社会」に放り出されるようになった近代以降に自己肥大傾向が強くなってきたのであり、個人の一生のうちでは子供と大人の間の不安定な時期に自己肥大傾向が強い、ということでしょう。この自己肥大と自己愛とは密接な関係にあると思われます。

6471 Reply Re:自己愛 Josef 2005/12/30 18:22
はんぞ〜〜〜さん、はじめまして。
はんぞ〜〜〜さんがおっしゃってるのは自己愛とはちょっと違うような。自己愛はナルシシズムの翻訳語であり、「1.自己を愛し、自己を性的対象とすること」「2.転じて、自己陶酔、うぬぼれ」(広辞苑)というふうな意味合いで普通使われると思います。自分で別の定義をするなら別ですが。(ちなみに「自愛」という言葉もありますが、これはまた別の意味・用法ですね)

はんぞ〜〜〜さんが親の愛によって育つとしているのは「自分は無用・邪魔な存在などではなく意味のある存在なのだ」というふうな、自己存在に対する根源的な自信のことだと思います。これを「自尊心」と呼ぶとすれば、これがしっかり育っていれば、たとえば自暴自棄にはなりにくいし、卑劣な奴にもなりにくいでしょう。
自尊心に欠けた人の愛は、過度の依存や暴力的支配といったイビツなもの(愛とは言えませんが)になりやすいと思います。

6470 Reply Re:り:6428 Josef 2005/12/30 18:07
gajiさん
>「理不尽」でない場合、いっしょになってボコボコの可能性大かと。

確かにw
世界の何十億もの人々を個別に「愛する」なんてことは不可能です。しかしたとえば医療技術によって、食料支援によって、義援金によって、見知らぬ人々に間接的に「愛」を注ぐことはできる。そして言論によって。gaji発言弾圧(仮)に対する反対は個人へと特化された愛ではなく、未知の人々をも自らの射程とする正義への愛によってなされることでありましょう。

…と、大げさに書いてみましたが、「知」は「愛」への”てこ”となりうるものだと思うわけであります。

6469 Reply 自己愛 はんぞ〜〜〜 2005/12/30 16:29
 gajiさん、皆さん、ご無沙汰いたしております。はんぞ〜〜〜です。

 自己愛をネガティブにとらえてみえる方もいらっしゃいますけど、自己愛ってのは必要不可欠なものだと思うよ。自己愛がちゃんと育たないと他者愛も不自然なものにしかならんと思うもん。

 ネガティブにとらえられている「自己愛」ってのは、自己愛が不十分にしか育たなくておかしな風に肥大化したやつだと思うけど……

 んで、自己愛がちゃんと育たない要因の大元は、親からの愛されている実感を持てないで育ったことやと思うよ。私の経験からすると。


6468 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない(Re:#6442) 中大出皇子 2005/12/30 10:17
シカゴさん

> 皇子さんのおっしゃるように、他者愛への自己愛の浸透とかいわゆ
> る「自己投影」というのは避けえないものだと思います。要はそれ
> をどれだけ自覚できるかということ(つまり主観の客観化が充分に
> 行われているかどうかということ)でしょう。

1.「他者」と「自己」の線引きが時代を経て変化したこと
2.自己愛の延長として他者愛はある
3.主観は客観化されるべきだが、その達成度をはかる規格はない。

以上、意見が合致したということでよろしいでしょうか?

6467 Reply あ、 gaji 2005/12/29 20:24
諌められた→たしなめられた

6466 Reply Re:り:6428 gaji 2005/12/29 20:08
> ゲンナリしてもいいんじゃないですか。自分勝手に「愛」して迷惑をかけるよりはずっといい。
>
> おっしゃる通り愛は「知」以前のものだと思います。しかし「知」による愛もあるだろうと思うわけです。成長過程で多くの人が半ば自然に身につける家族や学校や郷土等に対する愛は、「知」なんて面倒なことを言う必要などないでしょう。じゃあそれだけでいいのか、となったとき、「知」は重要だと思うのです。

> 『カラマーゾフ』のホラコーヴァ夫人でしたか、我が身を犠牲に捧げてもいいと思うほど心は人類愛に溢れているのに「隣席の人が鼻をかむのが嫌でその人を心底憎んでしまう」という悩みを持っていました(記憶なので不正確)。これ、「愛」だけが先行しちゃってるんですね。それこそ、自己愛が宗教を媒介として人類愛に延長されちゃっただけかもしれない。だから人類という漠然としたものは愛せても、取るに足らない行為を理由に具体的な隣人を許せなくなってしまう。

”人類愛”って具象じゃないですしね。

> レオポルト・インフェルトという物理学者が夭折の数学者エヴァリスト・ガロアの伝記を書くにあたって、ガロアの生きたフランス革命時の歴史を調べる必要に迫られた。調べていくうちにインフェルトは「この時代に恋してしまった」といいます(『ガロアの生涯』日本評論社)。必ずこうなるとは言いませんが、「知る」という意志は「愛」へと繋がっていく可能性を秘めていると思います。知らないままの「愛」は当人の都合次第でどうころぶか分かりません。

トートツですが、「フィロソフィー」という単語が思い浮かんでしまいました。


> gajiさんが論争、いや喧嘩、いや端からみたらじゃれ合い、をしているtpknさんは、gajiさんの発言が何ものかによって理不尽に妨害される事態になれば、おそらく真っ先にgajiさんの発言権を擁護してくれるでしょう(発言「内容」ではなく)。それは自己愛の延長ではない他者愛の一端であることでしょう。

「理不尽」でない場合、いっしょになってボコボコの可能性大かと。

お久しぶりのまーさんには、それとなく諌められたものです。

6465 Reply Re:あいさつ^^ gaji 2005/12/29 19:51
ヽ(σ_σ)/ アピョ pyo〜n

> 大変ご無沙汰しています。まーさんでございます。

ホントにオヒサシビリでございまつ。

もしかして、本年度お初ではないですか
お正月がきたみたい(^^

PC事情って様々ですし(私も時々お手上げ状態に、、。
半久さんも、そのうちヒョッコリ~だったりして。



> さて、やっと繋がったところで、年末のご挨拶というのも私らしいところでございますな。

^^(笑^^

6464 Reply Re:り:6428 Josef 2005/12/29 19:25
>ですが、知ったらゲンナリ^^ということもありますよね。
>「愛」って「知」以前の根源的なものでは?と思ったり。

ゲンナリしてもいいんじゃないですか。自分勝手に「愛」して迷惑をかけるよりはずっといい。

おっしゃる通り愛は「知」以前のものだと思います。しかし「知」による愛もあるだろうと思うわけです。成長過程で多くの人が半ば自然に身につける家族や学校や郷土等に対する愛は、「知」なんて面倒なことを言う必要などないでしょう。じゃあそれだけでいいのか、となったとき、「知」は重要だと思うのです。

『カラマーゾフ』のホラコーヴァ夫人でしたか、我が身を犠牲に捧げてもいいと思うほど心は人類愛に溢れているのに「隣席の人が鼻をかむのが嫌でその人を心底憎んでしまう」という悩みを持っていました(記憶なので不正確)。これ、「愛」だけが先行しちゃってるんですね。それこそ、自己愛が宗教を媒介として人類愛に延長されちゃっただけかもしれない。だから人類という漠然としたものは愛せても、取るに足らない行為を理由に具体的な隣人を許せなくなってしまう。

レオポルト・インフェルトという物理学者が夭折の数学者エヴァリスト・ガロアの伝記を書くにあたって、ガロアの生きたフランス革命時の歴史を調べる必要に迫られた。調べていくうちにインフェルトは「この時代に恋してしまった」といいます(『ガロアの生涯』日本評論社)。必ずこうなるとは言いませんが、「知る」という意志は「愛」へと繋がっていく可能性を秘めていると思います。知らないままの「愛」は当人の都合次第でどうころぶか分かりません。

gajiさんが論争、いや喧嘩、いや端からみたらじゃれ合い、をしているtpknさんは、gajiさんの発言が何ものかによって理不尽に妨害される事態になれば、おそらく真っ先にgajiさんの発言権を擁護してくれるでしょう(発言「内容」ではなく)。それは自己愛の延長ではない他者愛の一端であることでしょう。

6463 Reply あいさつ^^ まーさん@ひさしびり 2005/12/29 16:16
中性 自営業 0歳以下 住所不定
がじさん、こんにちは。みなさん、こんにちは。

大変ご無沙汰しています。まーさんでございます。

速くて安いといううたい文句に惑わされ、プロバイダーを変更しようと思ったのが、間違いの元でした。
設定を変えたとたんパソコンが動かなくなってしまい(うぇーん、皇子ぃ、壊れちゃったよー)、
新しいものを買うこともできず、仕事場の不燃物置き場に転がっていないかと毎週覗きこんでおりました。

この度、仕事場のパソコンが入れ替わり、以前使っていたもの(これも拾い物)を家に持ち帰り
やっとこさっと繋がったのでございます(あー、しんどかったぁ)。

さて、やっと繋がったところで、年末のご挨拶というのも私らしいところでございますな。

いろいろあった2005年も、もう少しで終わりです。
みなさま、善いお年をお迎え下さい。
来年は、またアホみたいな事を書かせていただきます(つまらんぞっていうツッコミは堪忍してね)。

失礼しました。              
                      まーさん拝

6462 Reply Re:り:6428 gaji 2005/12/29 12:30
> >「自己愛」の場合、どちらかというと”界隈”では否定的に使われがちでもありますが、、。

> ”界隈”は知りませんが、たぶん自己愛が倒錯的で周りの人にとっては迷惑だからでしょう。

おそらくは、「自己愛」≒「自己中」といった意味で使用されているからカナ?と思います。


>自己愛はほどほどに留めておくのが賢明です。

そう思います。けれど、
見えなくなってしまうのが「愛」(自己愛?他者愛?どっちやネン)かも。。


>といっても「愛」は意識的な制御の範囲外にあるから思うようにはいかないのですが。熱烈な阪神ファンがいきなり「巨人ファンになろう」と「決心」してみても無駄なように。

そうなんですよね。


> ちと話はそれますが、私は
> >> とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?
> > よろしいでつ。
> に軽く感動したのですね。

笑^^


--------------------------------------------------------------------------
> > フツーに考えた場合、前に新宿で韓国人留学生が線路に飛び込んで人を助けた、なんてのはとくに自己愛の延長とも言えないと思いますけど。もちろん、自分が死ぬ死なないにかかわらず。
>
> ソレって「フツー」ではなく「特殊」でつYO

そうでつ。「フツーに考えて」こういう「特殊な例」が思いつく、ということでつね。

> 稀なケースデチ。であるから衝撃を受け感銘するんぢゃなかでつか、、、

そうでつ。であるからして「他者愛には自己愛の延長とそうでないものがあって、後者は非常に稀であるがゆえに尊いのでガムバルべし」というのが宗教の教えとなりうるわけでつね。


6404 Re:珍なるかな。 tpkn 2005/12/25 16:44

> 「ハレ・クリシュナ」という文言で了解しあえる世界って、たぶん「普通」ではないでしょう。

そりは言えまち。

ただ、クリシュナ信仰のバヤイ、「後代の分岐してしまった新興宗教群」でなくても、バクティはメインストリームでありますから、まあ概ね間違いではないかと。

> でもショージキ、うさんくさくなかでつか?ワタスには無縁の噺に思えるモナ。

ぜんぜんうさんくさくないでつ。

> とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?

よろしいでつ。
---------------------------http://otd9.jbbs.livedoor.jp/983591/bbs_plain?base=6411&range=50




>「愛」は愛そうという「決心」ごときでコントロールすることはできません。ならばどうするか。たぶん、「知る」という迂路をたどるしかない。知ればいいってもんじゃないけど、少なくとも「知る」ことは「愛」の生まれる最低限の基盤であり希望でしょう。

ですが、知ったらゲンナリ^^ということもありますよね。
「愛」って「知」以前の根源的なものでは?と思ったり。

>それは自己を対象へと拡大させた自分勝手な愛ではなく、「知る」ことを通した自己と他者との「関係づけ」による愛です。

知ることによる相互理解は、個人レベルでも国レベルでも互いに不可欠なことだと思います。

けれど、「知」(認識)による共感と「愛」とはどこかちがうやうな、、。


> 日本在住の外国人は今後も増え続けるでしょう。「知る」ことを抜きにしては軋轢が生まれるばかりです。しかし「よしろいでつ」がとんぷくん一人の応答でないならば、それは軋轢の危険であるよりむしろ、より豊かな日本への希望となるでしょう。不肖、私もとんぷくんとともに「よろしいでつ」と答えたい。

> ついでながら、日本文学研究者となったサイデンステッカーやドナルド・キーンはアメリカの国家的日本研究プロジェクトの一員としてJapanologyを始めたと記憶します。おそらく、この二人に限らず、少なからぬ研究者が、やがて、「敵国」日本の文化や歴史や人を愛するようになったと思います。

そういえば、

小泉八雲のことを思い出しました。


6461 Reply Re:6433(失礼・訂正) gaji 2005/12/29 11:10
> > 皇子タソ宛てであって、(”儒教神道”ビリバリの)芥屋さんに話しかけてはいませんよ。

×儒教神道
○儒家神道

(近世以降のいわゆる「垂加神道」)。

http://otd9.jbbs.livedoor.jp/983591/bbs_reply?reply=6433

6460 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない 中大出皇子 2005/12/29 04:52
> んなわけで、自己愛の延長上に他者愛がある(つまりはぜーんぶ自己愛である)、というのはどうも違うような気がするのですね、私がフツーに考えると。


彼は彼女を愛しています。

彼女の喜びが自分の喜びになり、
彼女の悲しみが自分の悲しみになったとき、

彼女と彼は分離していません。



以上のことをフツーに考えられないことは不可解なことです。


6459 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない(Re:#6442) シカゴ・ブルース HOME 2005/12/29 01:10
どちらが先というより相補的なもの(互いに媒介しあっている)で、
自覚的にせよ非自覚的にせよ、現実の他者との相互交流を通して自
己の内に継起的に起こっていることなんでしょうね。

そこには、主体・主観の観念的な客体化(=客観化)と客体・客観
の観念的な主体化(=主観化)という二つの側面があって、自己意
識というのはこれら二つの相互作用(相補的な相互浸透)の統一と
いう形で形成され変化するものなのでしょう。

主体・主観の観念的な客体化というのが充分に自覚的に行われずに、
客体・客観の観念的な主体化の側面が一方的に行われてしまうとこ
ろにいわゆる「自己意識の肥大化」とか、「勘違いした他者愛(実
は自己愛)の押しつけ」といったものがおこるのでしょう。

俗にいわれる想像力は主に客体・客観の観念的な主体化ですが、想
像力を充分に発揮し、他者を理解するには同時に主体・主観の観念
的な客体化が必要不可欠でしょう。

皇子さんのおっしゃるように、他者愛への自己愛の浸透とかいわゆ
る「自己投影」というのは避けえないものだと思います。要はそれ
をどれだけ自覚できるかということ(つまり主観の客観化が充分に
行われているかどうかということ)でしょう。

以上、「でしょう」の五連発でした。

6458 Reply すいまそん。 gaji 2005/12/28 23:06
就職先のゴタゴタでショボーン。。

ウツー気味ですので、何を言ってもトゲトゲしくなる可能性大(--;

休みまつ。

6457 Reply Re:り:6428 Josef 2005/12/28 18:10
gajiさん

>>そこで自己そのものが外へと(他者へと)拡張されると考えてみる。これなら自己愛の延長上に他者愛を想定できそうです。
>
>植民地拡大っぽかったり、、といったヒョンなイメージを抱いてしまうのは、数日前に読んでいた新書(『日露戦争の世紀』岩波新書958)のせいでしょうか。。

「植民地」が愛の対象かどうかはともかくとして、「自己の延長」は延長の対象とされた相手にとってはかように迷惑なものであります。


>「自己愛」の場合、どちらかというと”界隈”では否定的に使われがちでもありますが、、。

”界隈”は知りませんが、たぶん自己愛が倒錯的で周りの人にとっては迷惑だからでしょう。自己愛はほどほどに留めておくのが賢明です。といっても「愛」は意識的な制御の範囲外にあるから思うようにはいかないのですが。熱烈な阪神ファンがいきなり「巨人ファンになろう」と「決心」してみても無駄なように。

ちと話はそれますが、私は

>> とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?
> よろしいでつ。

に軽く感動したのですね。「愛」は愛そうという「決心」ごときでコントロールすることはできません。ならばどうするか。たぶん、「知る」という迂路をたどるしかない。知ればいいってもんじゃないけど、少なくとも「知る」ことは「愛」の生まれる最低限の基盤であり希望でしょう。それは自己を対象へと拡大させた自分勝手な愛ではなく、「知る」ことを通した自己と他者との「関係づけ」による愛です。

日本在住の外国人は今後も増え続けるでしょう。「知る」ことを抜きにしては軋轢が生まれるばかりです。しかし「よしろいでつ」がとんぷくん一人の応答でないならば、それは軋轢の危険であるよりむしろ、より豊かな日本への希望となるでしょう。不肖、私もとんぷくんとともに「よろしいでつ」と答えたい。

ついでながら、日本文学研究者となったサイデンステッカーやドナルド・キーンはアメリカの国家的日本研究プロジェクトの一員としてJapanologyを始めたと記憶します。おそらく、この二人に限らず、少なからぬ研究者が、やがて、「敵国」日本の文化や歴史や人を愛するようになったと思います。

6456 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない Josef 2005/12/28 17:58
中大出皇子さん

たぶん歴史的にいうとですね、今も自分のことを「ウチ」(内、家)と言う地域がかなり広くあるように、かつて個意識は「ウチ」意識と融合していました。この点は中大出皇子さんの言うとおりです。じゃあ個意識はなかったのかというと、もちろんあったに決まってます。夫婦喧嘩もすれば兄弟喧嘩もしたでしょう。「個」が「集団」と常に同一化していたわけがありません。ただ「ソト」に向かっては「ウチ」でよかった。「ウチ」と呼ばれる集団の利害は概ね一致し、共有する物語の中を生きていたからです。個としての「自分」は「ウチ」を構成する一要素に過ぎず、独立性が低かった。

近代的な「個人」の発生は利害関係の一致した「集団=ウチ」の安定性が揺らぎ始めたことと軌を一にしていると思います。もともと自我というものは独立した自給自足の王国ではなく、他者との関係によって支えられている物語です。「ウチ」で済んでいた時代の自我は所属する比較的安定した(現代からみれば「停滞した」)集団に支えられていた。これは私流にいうと自我が巨大だったのではなく自我は極小だったのです。極小で済むということは安定しているということでもあります。それは自我を支える集団の安定性でもあります。

近代以降、地縁血縁を中心とする安定した土着的人間関係は崩れ始め、宗教の支配力も弱まった。それとともに自我を支えるものも分散し、かつてとは別の支えを必要とするようになった。近代「国家」もその一つでしょう。でもかつてのような「安定」は望むべくもない。この世界に一人立つ自分、という個人意識は嫌でも強くならざるをえません。私流にいえば、このとき自我は巨大化したのです。この巨大化は強い支えの喪失に他ならないから不安定です。自分で自分を支えるために、かつては所属集団へ向けられていた愛が翻って自分自身へと向けられるようになります。ここに自己愛なるものが発生する契機があります。

んなわけで、自己愛の延長上に他者愛がある(つまりはぜーんぶ自己愛である)、というのはどうも違うような気がするのですね、私がフツーに考えると。

6454 Reply Re:り:6428 中大出皇子 2005/12/28 00:47
> 皇子タソの話していることは、もう少し次元が違っている話なのだと思うのですが、、(←実のところ、私にもよく分からない。。)

そうですね。
そろそろオカルト噺はやめようかな、と。

6453 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない 中大出皇子 2005/12/28 00:27
ヨセフさん、こんばんは。みなさん、こんばんは。

> ここでいう「自己」とはかつての「巨大な自己」のことではなく、近代的な意味での個としての「自己」ですね。すると、かつての「巨大な自己」は今でいう「自己」へと収縮したってことですか?そして「阪神タイガースの成績に一喜一憂でき」るのは一種の先祖返りだ、と。
>

まあ、大きければイイというものではないんですけど、「自己」という意識はより個別化の道をたどっています。
個性を尊重しようとする風潮をみればカンタンに憶測することができるでしょう?

私たちは日本人であり、「戦後」でありながら戦前の責任を問われたりする…これが現在です。

しかし個性は日本人であることも、日本語を使用することも自由なのであって、「本人が望むなら」宇宙の彼方で自活することも自由なわけです。
にもかかわらず日本人でありつづけるのは惰性であり「それ以外よりはイイ」からでしょう。


このように「自己」はこれからも無限の変化を遂げる可能性に満ちています。

6452 Reply Re:り:6428 gaji 2005/12/27 23:34
こちらこそ、どうぞよろしく。
(注:「☆利用規定☆」というのが↑並んでいますが、文字を並べているだけであって意味はありません(--;


> >その「他者に向けるいつくしみの愛」(≒他者愛)を、ヒトはどのようによって身に付ける(学習する)ことができるのでしょう。
> 愛されることによって、でしょうね。

> >それは、「自己愛」(乳幼児でいえば、自分が他者―母親その他によって愛されていること)

> それは自己愛でなくて他者愛では?

そのほうが、分かりやすいですね。
「自己愛」の場合、どちらかというと”界隈”では否定的に使われがちでもありますが、、。

複雑です。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%BC%AB%B8%CA%B0%A6%A4%C8%A4%CF&fr=top&src=top


>自己愛とはフツー「私が私を愛する」という再帰的な愛をいうので、自分が母親その他によって愛されるのは自己愛ではなく他者愛。つまり他者愛を通して他者愛を学ぶ。

>親に虐待された子は長じて虐待する親になりやすい、と言われるのも(本当だとすれば)、同じようなメカニズムかもしれません。

”なりがち”ということでは言えていると思います。もちろん、反面教師といった例もありますが。


> >「他者愛」が「他者憎」に変わるのはなぜなのでしょう、と。
> なぜかはよく分かりませんが、愛と憎は接近していると思います。共通するのはどちらも対象に対する強い「関心」(「執着」の方がいいかもしれない)。可愛さあまって…、よくあることです。

分かります。
無関心であれば、”愛憎”自体、そもそもないわけですから。。
(問題は、一方的な場合かと。。)

> >わたし的には、「他者愛」(ベクトルとしては外)は「自己愛」(こちらは内側)の延長上にあると思いまよ。
> 内へ向かうベクトル(=自己愛)を幾ら延長しても外に向かうことはありませんよね。方向が違うんだから。

あ^^ そうですね。(←方向音痴)

>そこで自己そのものが外へと(他者へと)拡張されると考えてみる。これなら自己愛の延長上に他者愛を想定できそうです。

植民地拡大っぽかったり、、といったヒョンなイメージを抱いてしまうのは、数日前に読んでいた新書(『日露戦争の世紀』岩波新書958)のせいでしょうか。。


>しかしこれは自己の肥大であって、ワガママと大して変わらんと思います。自己愛の延長上にある他者愛は、対象とされた者にとってはけっこう迷惑なものでしょう。

まさに。。

皇子タソの話していることは、もう少し次元が違っている話なのだと思うのですが、、(←実のところ、私にもよく分からない。。)

> >私の場合、小鳥たちや猫の子育てから、「他者愛」を学びました。
> 「こうして学んだ」と意識されている学びは実は大した学びではないのでは?(少なくとも愛に関していえば)gajiさんもまた、それ以前に、意識されていないところで「他者愛」を学んでいると思いますが。

そうかもしれませんね。有形無形、いろんなかたちで学んでいたのだと思います。謝謝。

6451 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない gaji 2005/12/27 22:51
> > > つまり、極論すると愛は「外」には向わない、ということですね。
> > > わかりますたか、ガジタソ?
> > ところで、
> > 異性愛もそうだということでつか?

> 甘い!
> 宇宙の成り立ちが「愛」というところまで逝くで〜

うーん、、、シュール杉?て、む〜ずかP。。。

ところで、
?????「レムリア人」ッて何???とググッてみたら、、
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/umriss/umriss40.html



> > > あのにゃ、歴史を駆け足で遡るとやね・・・・
> > > 集落の個人に名前がなかった頃、かれらの「わたし」はひとりの個人を指したわけではないねん。

うちっかたのピョンきちオニャンには名前(私が飼って煮付けた)がありますが、時々外で出会うノラタソのバヤイ、名前がないわけでつね(ノラ社会のなかでは、おそらくノラタソ同士で識別はできてるのだとは思いますが)。

> > > かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。

ノラにゃんタソにとって「自己」とは何?(ピョンきちにしても同じですが)。
遺伝子に記憶されたニャンコの物語の集成であるわきや……ということでしか?

で、、、(←このあとがつづかない。。。(w

6450 Reply 昔の話ですが、、 gaji 2005/12/27 22:18

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
83 そやそや 中大出皇子 2003/07/23 03:29
男性 10歳以下

─- 、::::;;;;;;;;;`゙゙''‐ 、    __,,,,......,,,,_/:::::::::/: !|
  . : : : : : : `゙'ヽ、:::゙ヾ´::::::::::::::::::::::`゙゙゙'''‐'、. l|
、、 . : : : : : : : : r'":::::::::::::::::::::::::,r':ぃ::::ヽ::::::::ヽ!
.ヽ:゙ヽ; : : : : : :ノ:::::::::::::::::::::;;、-、、゙:::     rー-:'、 こんなときこそ、アヤフヤ、ナムナム、チンチンやで
. \::゙、: : : :./::::::::::::::;、-''"::::::::::   ,...,:::,::., :::':、
   ヽ:ヽ、 /:::::::::::::::::::::::::     _  `゙''‐''"  __,,',,,,___
     `ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ-    _|  、-l、,},,   ̄""'''¬-
   _,,,、-‐l'''"´:::::::'  ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、,
,、-''"    .l:::::::::::;、-''"  ,.-'  ゙、""ヾ'r-;;:l  冫、     ヽ、
       l;、-'゙:   ,/      ゞ=‐'"~゙゙') ./. \
     ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙         ,,. ,r/ ./    ヽ.
   ,、‐'゙     ン;"::::::.       "´ '゙ ´ /      ゙、



81 そりゃ、gajiおまい 中大出皇子 2003/07/23 03:10
男性 70歳以上

建ちゃんは、おまいのことを真剣に考えてるからや。(←この場合の「考えているからや」っていうのは?05・12・27、gaji)
おまい、ホンマにアホやの。


80 建築屋さん gaji 2003/07/23 03:05

男性 公務員 11歳 AB型 海外
おっしゃることに関して、わたしの理解が及ぶとすれば、
ずいぶん感情的になっておられる、ということに尽きます。
「怒り」に関しては全く不可解です。


-----「Dominion」板より
>貴方のような人がいる限り(gaji注:マイノリティ差別は?)無くならない。と思いますよ。

と、言われてしまえば、
いわれた私としては、
そうなのですか、と、答えるよりありません。

どこか、サイトでの話し合いの度を越えてはいないでしょうか。
ここ(Dominion板)は喧嘩の場ではないと思うんです。
「潜行」でもありません。 

場を変えませんか、とお誘いしたのはそのためです。
もう少し冷静になっていただきたく。。
お願いします。


とりあえず私は、しばらくおります(Dominion板)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.geocities.jp/okr_chicagob/sunaba_log/sunaba00/sunaba01.htm

6449 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない Josef 2005/12/27 21:43
>とどのつまりベクトルなんてない

愛とは実体ではなく「愛する」という感情ないしは行為なのだから、「誰が、何を」という主体と客体がなければ成立しません。ベクトルは必須です。

>集落の個人に名前がなかった頃、かれらの「わたし」はひとりの個人を指したわけではないねん。
>かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。

「途方もなく巨大な自己」へと歴史を遡るなら、こちらが「自己」の出発点になりますね。つまり自己とは「巨大な自己」のことであった、と。すると自己愛とは「巨大な自己」愛だったということになります。一方、

>阪神タイガースの成績に一喜一憂できたり、同じ学校をでた人物の偉業を自慢できたり、海外で活躍する同胞を誇らしく思えたり、って
>フツーに考えて異常や。語るソイツの業績はどこにある?
>なにせ赤の他人やんけ。どこに共通点があるという?
>自己を延長することで、自己愛を増幅しているだけのことやんけ。

ここでいう「自己」とはかつての「巨大な自己」のことではなく、近代的な意味での個としての「自己」ですね。すると、かつての「巨大な自己」は今でいう「自己」へと収縮したってことですか?そして「阪神タイガースの成績に一喜一憂でき」るのは一種の先祖返りだ、と。

6448 Reply Re:り:6428 Josef 2005/12/27 21:14
>Josefさん、こんばんわ

こんばんは。こちらでもよろしく。

>その「他者に向けるいつくしみの愛」(≒他者愛)を、ヒトはどのようによって身に付ける(学習する)ことができるのでしょう。

愛されることによって、でしょうね。

>それは、「自己愛」(乳幼児でいえば、自分が他者―母親その他によって愛されていること)

それは自己愛でなくて他者愛では?自己愛とはフツー「私が私を愛する」という再帰的な愛をいうので、自分が母親その他によって愛されるのは自己愛ではなく他者愛。つまり他者愛を通して他者愛を学ぶ。親に虐待された子は長じて虐待する親になりやすい、と言われるのも(本当だとすれば)、同じようなメカニズムかもしれません。

>「他者愛」が「他者憎」に変わるのはなぜなのでしょう、と。

なぜかはよく分かりませんが、愛と憎は接近していると思います。共通するのはどちらも対象に対する強い「関心」(「執着」の方がいいかもしれない)。可愛さあまって…、よくあることです。

>わたし的には、「他者愛」(ベクトルとしては外)は「自己愛」(こちらは内側)の延長上にあると思いまよ。

内へ向かうベクトル(=自己愛)を幾ら延長しても外に向かうことはありませんよね。方向が違うんだから。そこで自己そのものが外へと(他者へと)拡張されると考えてみる。これなら自己愛の延長上に他者愛を想定できそうです。しかしこれは自己の肥大であって、ワガママと大して変わらんと思います。自己愛の延長上にある他者愛は、対象とされた者にとってはけっこう迷惑なものでしょう。

>私の場合、小鳥たちや猫の子育てから、「他者愛」を学びました。

「こうして学んだ」と意識されている学びは実は大した学びではないのでは?(少なくとも愛に関していえば) gajiさんもまた、それ以前に、意識されていないところで「他者愛」を学んでいると思いますが。

6447 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない 中大出皇子 2005/12/27 14:44
> > 「愛」が発生した時点で、異物は融和したということやな。
> >
> > 融和したとは、イイ意味でもなくワルイ意味でもなく、自己が拡大した、ということや。
> >
> > つまり、極論すると愛は「外」には向わない、ということですね。
> >
> > わかりますたか、ガジタソ?
>
> ところで、
> 異性愛もそうだということでつか?


甘い!
宇宙の成り立ちが「愛」というところまで逝くで〜

6446 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない 中大出皇子 2005/12/27 14:27
> > 「愛」が発生した時点で、異物は融和したということやな。
> >
> > 融和したとは、イイ意味でもなくワルイ意味でもなく、自己が拡大した、ということや。
>
> 自己が拡大した=自己が意識主体として融和的に他者を取り込んだ(自己意識の中に)。
> そして、それとともに意識対象(客体)としての自己も他者を含むものとなった。
>
> という風に理解してもよろしいでしょうか。

はい。

「愛」に内外の志向性のベクトルはない、という説に同意いただけるのでしょうか?

そもそも「意識の対象」というレベルにおいて、「すでに」愛の要素はない、と言っていいのではないかと。意識すること自体が異物として対象化していることなのですから。

6445 Reply Re:り:6428 中大出皇子 2005/12/27 10:29
>
> > あのにゃ、歴史を駆け足で遡るとやね・・・・
> > 集落の個人に名前がなかった頃、かれらの「わたし」はひとりの個人を指したわけではないねん。
> > かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。
>
> をを、イイ感じで「わけわからんオカルト話」が始まっとるやんけ。(・∀・)イイヨー イイヨー

学校で教えてもらえる「歴史」からだけでも意識の変遷は推測可能だと思いますが。
「現代」と同じように数百年前の個意識があった、と思い込めるのは鈍すぎちゃうか?

 想 像 力 が 足 り な い と 思 う の

> すっかすコレ、レムリア人とかの話やろ。遡りすぎでは?(禿

わし「禁じ手」なしで語っているんだが。

6444 Reply Re:り:6428 tpkn 2005/12/27 07:51

> あのにゃ、歴史を駆け足で遡るとやね・・・・
> 集落の個人に名前がなかった頃、かれらの「わたし」はひとりの個人を指したわけではないねん。
> かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。

をを、イイ感じで「わけわからんオカルト話」が始まっとるやんけ。(・∀・)イイヨー イイヨー
すっかすコレ、レムリア人とかの話やろ。遡りすぎでは?(禿

6442 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない シカゴ・ブルース HOME 2005/12/27 06:28
自己レス。

>自己が拡大した=自己が意識主体として融和的に他者を取り込んだ(自己意識の中に)。
>そして、それとともに意識対象(客体)としての自己も他者を含むものとなった。

よく考えると、逆かもしれない。

6441 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない シカゴ・ブルース HOME 2005/12/27 03:57
> 「愛」が発生した時点で、異物は融和したということやな。
>
> 融和したとは、イイ意味でもなくワルイ意味でもなく、自己が拡大した、ということや。

自己が拡大した=自己が意識主体として融和的に他者を取り込んだ(自己意識の中に)。
そして、それとともに意識対象(客体)としての自己も他者を含むものとなった。

という風に理解してもよろしいでしょうか。

6440 Reply Re:とどのつまりベクトルなんてない gaji 2005/12/27 03:33
> 「愛」が発生した時点で、異物は融和したということやな。
>
> 融和したとは、イイ意味でもなくワルイ意味でもなく、自己が拡大した、ということや。
>
> つまり、極論すると愛は「外」には向わない、ということですね。
>
> わかりますたか、ガジタソ?

ところで、
異性愛もそうだということでつか?


   .∧ノノ∧        / ̄ ̄ ̄ ̄
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ということで、お休みし末。

6439 Reply とどのつまりベクトルなんてない 中大出皇子 2005/12/27 02:39
「愛」が発生した時点で、異物は融和したということやな。

融和したとは、イイ意味でもなくワルイ意味でもなく、自己が拡大した、ということや。

つまり、極論すると愛は「外」には向わない、ということですね。

わかりますたか、ガジタソ?

わからないでしょうね(禿

6438 Reply Re:り:6428 中大出皇子 2005/12/27 02:32
> かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。

阪神タイガースの成績に一喜一憂できたり、同じ学校をでた人物の偉業を自慢できたり、海外で活躍する同胞を誇らしく思えたり、って

フツーに考えて異常や。語るソイツの業績はどこにある?

なにせ赤の他人やんけ。どこに共通点があるという?

自己を延長することで、自己愛を増幅しているだけのことやんけ。
それがイイとかワルイとかぢゃなくて、ここらあたりに上記の「古代の」痕跡が認められるやろ、つー噺や。

6437 Reply Re:り:6428 中大出皇子 2005/12/27 02:16
> わたし的には、「他者愛」(ベクトルとしては外)は「自己愛」(こちらは内側)の延長上にあると思いまよ。

ソレってワシの言ってることとクリソツやんけ(禿

すかす、ベクトルがどーたら、と付け足すことで台無しになってもうた。

あのにゃ、歴史を駆け足で遡るとやね・・・・
集落の個人に名前がなかった頃、かれらの「わたし」はひとりの個人を指したわけではないねん。
かれらが「わたし」と発言するとき、その先祖の先祖のずーっとずーっと先祖をふくめた「全体」が自分自身であったんねん。現代からみると拡散された「自己」であるんだが、途方もなく巨大な「自己」は語り継がれ記憶された物語の集成であったわきや。

6436 Reply Re:珍なるかな。 gaji 2005/12/27 02:12
> > 圧巻tpに追われ、”みなしごガッチ”が行き場をなくしてオロオロさまよっていた頃、
> > ”ここに〜♪”と「巣」を用意してください町他のが皇子タソ(&秀里タソ)で有松(w。
>
> んあ?
> 古巣を破壊したのはガジ本人だったやんけ。
>
> 嘘はイカン。

スマソ。。

×圧巻tpに追われ、
○圧巻etcとのビチバチで自爆、

に訂正しまつ。


6435 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/27 02:05
> 圧巻tpに追われ、”みなしごガッチ”が行き場をなくしてオロオロさまよっていた頃、
> ”ここに〜♪”と「巣」を用意してください町他のが皇子タソ(&秀里タソ)で有松(w。

んあ?
古巣を破壊したのはガジ本人だったやんけ。

嘘はイカン。

6434 Reply Re:珍なるかな。 gaji 2005/12/27 01:32
> > 皇子タソ宛てであって、(”儒教神道”ビリバリの)芥屋さんに話しかけてはいませんよ。
> 「他人に話しかけんな」と書いてるんですけど、中大出皇子は「他人」ではないわけですな(w

育てのオニータンでち(w

圧巻tpに追われ、”みなしごガッチ”が行き場をなくしてオロオロさまよっていた頃、
”ここに〜♪”と「巣」を用意してください町他のが皇子タソ(&秀里タソ)で有松(w。

6433 Reply Re:珍なるかな。 tpkn 2005/12/26 23:55
> > 「そういうこと(不敬にならないやう)を考えながらの常識を踏まえた会話ということであれば、私と話すこと自体がそもそも?」と言ってるやつが他人に話しかけんなよ。
>
> 皇子タソ宛てであって、(”儒教神道”ビリバリの)芥屋さんに話しかけてはいませんよ。

「他人に話しかけんな」と書いてるんですけど、中大出皇子は「他人」ではないわけですな(w

6432 Reply Re:珍なるかな。 gaji 2005/12/26 23:15
> 「そういうこと(不敬にならないやう)を考えながらの常識を踏まえた会話ということであれば、私と話すこと自体がそもそも?」と言ってるやつが他人に話しかけんなよ。

皇子タソ宛てであって、(”儒教神道”ビリバリの)芥屋さんに話しかけてはいませんよ。

6431 Reply り:6428 gaji 2005/12/26 22:57
Josefさん、こんばんわ

(私が答えると非難轟々kamodesuga(--;


> >フツーに考えて、「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえない、と思いますよ。(皇子タソ)
> 私がフツーに考えると、愛とは他者に向けるもののことだと思いますが。

私もそう思います。

> 動物だから自己保存の欲求はあるけれど、フツーそれを「愛」とは呼ばない。他者に向けるいつくしみの感情を「愛」と呼ぶ。

その「他者に向けるいつくしみの愛」(≒他者愛)を、ヒトはどのようによって身に付ける(学習する)ことができるのでしょう。

それは、「自己愛」(乳幼児でいえば、自分が他者―母親その他によって愛されていること)

うーん、なんだか論理的にどこかヘン、、になってしまいそうで、、つづきません。。



>「愛」とセットになる「憎」もまた他者に向けるもの。愛であれ憎であれ、本来は「他者愛」であり「他者憎」。

数日前、TVで偶然”デートDV”というのを見ましたが、「他者愛」が「他者憎」に変わるのはなぜなのでしょう、と。これって、「自己愛」が満たされないがゆえの暴力なのでは、、とも。


> ただ人間は反省的に捉えられた「自己」というやっかいなものを抱え込んでいるがために、愛も憎もこの「自己という最も親密な他者」に向けられることが往々にして起こる。自己愛とはこの手のいわば倒錯ではありませんか?

> 自己愛は愛=他者愛が自己へとベクトルの向きを変えたもの。あえて「延長」と絡めて言えば、「他者愛は自己愛の延長」ではなくて「自己愛は他者愛の縮小」。よって「自己愛の延長でない他者愛」はフツーにあります。


わたし的には、「他者愛」(ベクトルとしては外)は「自己愛」(こちらは内側)の延長上にあると思いまよ。
愛されたことのない子供にとって、「他者愛」を学ぶことがどんなに大変なことか。。

私の場合、小鳥たちや猫の子育てから、「他者愛」を学びました。

6429 Reply Re:6426 gaji 2005/12/26 21:53
> 「儒者は『詩経』を口ずさみ礼のきまりをふりかざしながら、墓の盗掘を行っている」(『荘子』外物篇四)
http://homepage3.nifty.com/juroujinn/jukyou.htmより、でした。


> 近世以降の「葬式仏教」って「儒教」経由でつよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/å„’æ•™

6428 Reply Re:珍なるかな。 Josef 2005/12/26 17:51
芥屋のアニキの板から飛んできました。以下試し書きを兼ねて。

>フツーに考えて、「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえない、と思いますよ。

私がフツーに考えると、愛とは他者に向けるもののことだと思いますが。
動物だから自己保存の欲求はあるけれど、フツーそれを「愛」とは呼ばない。他者に向けるいつくしみの感情を「愛」と呼ぶ。「愛」とセットになる「憎」もまた他者に向けるもの。愛であれ憎であれ、本来は「他者愛」であり「他者憎」。

ただ人間は反省的に捉えられた「自己」というやっかいなものを抱え込んでいるがために、愛も憎もこの「自己という最も親密な他者」に向けられることが往々にして起こる。自己愛とはこの手のいわば倒錯ではありませんか?

自己愛は愛=他者愛が自己へとベクトルの向きを変えたもの。あえて「延長」と絡めて言えば、「他者愛は自己愛の延長」ではなくて「自己愛は他者愛の縮小」。よって「自己愛の延長でない他者愛」はフツーにあります。

6427 Reply Re:珍なるかな。 tpkn 2005/12/26 06:15
> > > その場合には、かつてそれを「フツー」と思っていた儒教の精神は、少なくとも中出皇さんには伝わってないことになりますよね。中出皇さんは、儒教的なものとは無縁にそう思うようになった、しかも、こういう認識が広く世間にあるとも思えない、と。
> >
> > ふむ。仰ることは勉強になり、その通りかもしれないなと思うんですが、私の別の発言は「仏教の精神」を受け継いでいるやもしれず、そうなると収拾がつかなくなりますよね。
> > 「その役目を終えた」とか「その概念は存在しない」と発言したことで言いたかったことは、発展的に受け継いだという意味の肯定的なものだったわけです。
> >
> > >
> > > しかし、かつての儒家が「フツー」だと思ったことを、中出皇さんも思い、それが「フツー」じゃないかと思えるのが現代の日本でもある。中出皇さんの独創によるものではないコレは、いったい、どこから来たかと言えば、それは儒教でしょう。
> >
> > そうなんでしょうね。
>
> どうなんでしょうか。
>
>
> 「儒者は『詩経』を口ずさみ礼のきまりをふりかざしながら、墓の盗掘を行っている」(『荘子』外物篇四)
>
> 近世以降の「葬式仏教」って「儒教」経由でつよ。

「そういうこと(不敬にならないやう)を考えながらの常識を踏まえた会話ということであれば、私と話すこと自体がそもそも?」と言ってるやつが他人に話しかけんなよ。

6426 Reply Re:珍なるかな。 gaji 2005/12/26 05:41
> > その場合には、かつてそれを「フツー」と思っていた儒教の精神は、少なくとも中出皇さんには伝わってないことになりますよね。中出皇さんは、儒教的なものとは無縁にそう思うようになった、しかも、こういう認識が広く世間にあるとも思えない、と。
>
> ふむ。仰ることは勉強になり、その通りかもしれないなと思うんですが、私の別の発言は「仏教の精神」を受け継いでいるやもしれず、そうなると収拾がつかなくなりますよね。
> 「その役目を終えた」とか「その概念は存在しない」と発言したことで言いたかったことは、発展的に受け継いだという意味の肯定的なものだったわけです。
>
> >
> > しかし、かつての儒家が「フツー」だと思ったことを、中出皇さんも思い、それが「フツー」じゃないかと思えるのが現代の日本でもある。中出皇さんの独創によるものではないコレは、いったい、どこから来たかと言えば、それは儒教でしょう。
>
> そうなんでしょうね。

どうなんでしょうか。


「儒者は『詩経』を口ずさみ礼のきまりをふりかざしながら、墓の盗掘を行っている」(『荘子』外物篇四)

近世以降の「葬式仏教」って「儒教」経由でつよ。

6425 Reply Re:再掲& tpkn 2005/12/26 03:33
> > > > おまえ自身が掲示板に「グチグチネチネチ」と書いていたという意味ですが?
> > > 私からの「グチグチネチネチ」はありません。
> > そんな話してまへんがなにか?
>
> > > >書いたことない? いっぱいあるだろう?
> > > ありますよ。そよかさんご自身がガジに対して「もう言わない。自分が不幸になるだけだから」とかおっしゃりつつ、その後も執拗に言い立てる。。
>
> > だしょ? だから逆ではありませんがなにか?
>
>
> 「だしょ?」って言われても、意味不明なんでつが、、。

そりゃ読まなきゃ意味不明でしょう。

> 飲めないお酒をムリして飲んではイケマテンヨ〜。

一滴も飲んでませんが?

> 「そよ&tp陰メール」のその後はどうなりまつたか?

気になってしかたないようですなぁ…(w

6424 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/26 01:37
> あ、いえ。この例は宗教的な行事の、「死」と「再生」についての過激さが比較的日常だったことを言うためにあげました。時代を遡ると、現代では目をそむけたくなるような行為って結構あったと思いますよ。
> 今でもあるかもしれませんけれど(笑)


宗教をふくむイデオロギーと残虐性という観点からは、次のことも指摘できるでしょう。

目立つところで言うとイスラム教における「聖なる」制裁、少し前ではキリスト教における異端の処分、中国での文革や宗教団体への弾圧等、
イデオロギーが目的のために殺人を肯定するケースって比較的多いと思いますが。

6423 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/26 00:25
> えぇっと、何だか異世界が展開されつつあるようでつが・・・中出皇さんとのお話を続けます。

うふふ。「議論を続けたくばgaji抜きで」の意味を理解できますたか?


> > 極論すれば「儒教」という言葉が指すその概念はもはや存在しないのではなかろうか、と。
>
> ところが、厳然として存在しているでしょう。例えば、中出皇さんの“フツーに考えて、「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえない、と思いますよ”の中にも。もしこれが“フツーに考えて「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえると思いますけど、私はありえないと思うんです”だったら話が変わるわけです。
>
> その場合には、かつてそれを「フツー」と思っていた儒教の精神は、少なくとも中出皇さんには伝わってないことになりますよね。中出皇さんは、儒教的なものとは無縁にそう思うようになった、しかも、こういう認識が広く世間にあるとも思えない、と。

ふむ。仰ることは勉強になり、その通りかもしれないなと思うんですが、私の別の発言は「仏教の精神」を受け継いでいるやもしれず、そうなると収拾がつかなくなりますよね。
「その役目を終えた」とか「その概念は存在しない」と発言したことで言いたかったことは、発展的に受け継いだという意味の肯定的なものだったわけです。

>
> しかし、かつての儒家が「フツー」だと思ったことを、中出皇さんも思い、それが「フツー」じゃないかと思えるのが現代の日本でもある。中出皇さんの独創によるものではないコレは、いったい、どこから来たかと言えば、それは儒教でしょう。

そうなんでしょうね。

> > 麻原氏は自身を密教に限定しなかった。終末を煽る当時のノストラダムスブームとかキリスト教的なハルマゲドンであるとか、フリーメーソンリーへの過剰な敵愾心とか、世間の危機にみちた風潮のなかで醸成された「怪物」だったのではなかろうか、と。
>
> んー。要するに麻原のいう「金剛乗」など嘘っ八ということでは。

嘘っぱちと真性を線引きできるものはないので、結果論でしょう。
というのも、当時から麻原氏を支持する文化人はいましたし、今でも支持している人はいるでしょう。吉本隆明氏はその最たるものだったんじゃないですか?

>
> > 蛇足ですが、秘儀における「死の体験」はよくあることですよ。本来「洗礼」とは川で執り行われ、溺死寸前まで水に漬けたりするものだったのです。その名残は「水を使用する」伝統的なキリスト教にも受け継がれていますが。
>
> 「きよらかな水による浄化の観念」は、人類に広く見られるもののようです。日本の神道の「みそぎ」も、その一つですね。

あ、いえ。この例は宗教的な行事の、「死」と「再生」についての過激さが比較的日常だったことを言うためにあげました。時代を遡ると、現代では目をそむけたくなるような行為って結構あったと思いますよ。
今でもあるかもしれませんけれど(笑)

6422 Reply Re:珍なるかな。 芥屋 HOME 2005/12/25 23:33
えぇっと、何だか異世界が展開されつつあるようでつが・・・中出皇さんとのお話を続けます。

> 老荘や孔孟が偉大であったにしても、時代を経て受け継がれていくものはその「精神」であるはずなので、当時の言葉はすでに「役目を果たした」と考えるべきだと思うんですね。

「歴史的使命を終わった」という意味ですかね。どうでしょうか、そこまでは考えてませんでしたけど、「当時の言葉」そのものでいえば「修身斉家治国平天下」という言葉は歴史的使命が終わった、ということでしょうか。

少なくとも現代の日本でこの言葉がリアルに響くものでないのは確かですね。しかしそこでも言葉そのものではなく“時代を経て受け継がれていくものはその「精神」であるはず”ということがあると思うんですよ。

> 極論すれば「儒教」という言葉が指すその概念はもはや存在しないのではなかろうか、と。

ところが、厳然として存在しているでしょう。例えば、中出皇さんの“フツーに考えて、「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえない、と思いますよ”の中にも。もしこれが“フツーに考えて「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえると思いますけど、私はありえないと思うんです”だったら話が変わるわけです。

その場合には、かつてそれを「フツー」と思っていた儒教の精神は、少なくとも中出皇さんには伝わってないことになりますよね。中出皇さんは、儒教的なものとは無縁にそう思うようになった、しかも、こういう認識が広く世間にあるとも思えない、と。

しかし、かつての儒家が「フツー」だと思ったことを、中出皇さんも思い、それが「フツー」じゃないかと思えるのが現代の日本でもある。中出皇さんの独創によるものではないコレは、いったい、どこから来たかと言えば、それは儒教でしょう。

してみると、なるほど儒書は広く読まれなくなったので儒家の語句はすたれてしまっているけど、“時代を経て受け継がれていくものはその「精神」であるはず”なのであって、中出皇さんはそれを受容している。仏教から来たものではないですよね。

> この現代にあって儒教という言葉であえて語るということは思想の先祖がえりでしかないのではないか、と。

もはや儒教という感覚で意識することがないまでに浸透しているとも言えましょう。しかも、tpknさんが「いや、フツーというけど」と反論した韓国人留学生の行動もまた儒教的な「義を見てなさざるは勇無きなり」「惻隠の心」であるし、あまりにも血肉になってソレと気付かないだけじゃないですかね。

ただそうすると、キリスト教や仏教の例に対して反論する際、「いや、フツーに考えて」という時の「フツー」が儒教の「フツー」であることは、念頭においておかないと・・・と思ったのですが、「そんなことない。これがフツーと言ったらフツーなんだ」と言われれば、そりがまた儒家的認識ですぞ、という趣旨でつ。もちろん、儒家が言ってたのが正しいかもしれません。

> 麻原氏は自身を密教に限定しなかった。終末を煽る当時のノストラダムスブームとかキリスト教的なハルマゲドンであるとか、フリーメーソンリーへの過剰な敵愾心とか、世間の危機にみちた風潮のなかで醸成された「怪物」だったのではなかろうか、と。

んー。要するに麻原のいう「金剛乗」など嘘っ八ということでは。

> 蛇足ですが、秘儀における「死の体験」はよくあることですよ。本来「洗礼」とは川で執り行われ、溺死寸前まで水に漬けたりするものだったのです。その名残は「水を使用する」伝統的なキリスト教にも受け継がれていますが。

「きよらかな水による浄化の観念」は、人類に広く見られるもののようです。日本の神道の「みそぎ」も、その一つですね。

6420 Reply Re:再掲& gaji 2005/12/25 22:52
> > > おまえ自身が掲示板に「グチグチネチネチ」と書いていたという意味ですが?
> > 私からの「グチグチネチネチ」はありません。
> そんな話してまへんがなにか?

> > >書いたことない? いっぱいあるだろう?
> > ありますよ。そよかさんご自身がガジに対して「もう言わない。自分が不幸になるだけだから」とかおっしゃりつつ、その後も執拗に言い立てる。。

> だしょ? だから逆ではありませんがなにか?


「だしょ?」って言われても、意味不明なんでつが、、。
飲めないお酒をムリして飲んではイケマテンヨ〜。

6419 Reply Re:再掲& gaji 2005/12/25 22:42
チミの理解力がかぎりなくゼロに近いと思われますが、なにか?

「そよ&tp陰メール」のその後はどうなりまつたか?

6418 Reply Re:再掲& tpkn 2005/12/25 22:33
> 前頭葉有馬しか?
>
> > おかーさんみたく、やさしくしればよかったんでしょうけれど、子供じゃあるまいし。。
> > ということはおまえはそよかに「おかーさんみたく、やさしく」してほしかったわけか?
>
> その逆でしょう?

逆じゃありませんがなにか?

> > おまえ自身が掲示板に「グチグチネチネチ」と書いていたという意味ですが?
>
> 私からの「グチグチネチネチ」はありません。

そんな話してまへんがなにか?

>
> >書いたことない? いっぱいあるだろう?
>
> ありますよ。そよかさんご自身がガジに対して「もう言わない。自分が不幸になるだけだから」とかおっしゃりつつ、その後も執拗に言い立てる。。

だしょ? だから逆ではありませんがなにか?

6417 Reply Re:再掲&( gaji 2005/12/25 22:18
> どこまでいっても自他の区別のつかない、自己完結したババアの物語だったとサ(プ

そよかタソとgajiの区別もつかないtpknに言われても、

説得力ゼロでつ。


#ワケワカラン 長いバージョン
  ワケ     ワカ      ラン     ワケ       デモ     ナイ♪
  ∧_∧   ∧_∧    ∧_∧   ∧_∧     ∧_∧    (⌒)(⌒)
 ( ・∀・)  ( ・∀・)   ( ・∀・)  (  ・∀)    (∀・  ) 彡│ || |
⊂ ⊂  )  ( U  つ  ⊂__へ つ  ( ○  つ   ⊂ ○ )   (∧_∧⊃
 < < <    ) ) )     (_)|   \\ \   / //    ( ・∀・)
 (_(_)  (__)_)    彡(__)   (_(__)  (_(_)     ∪
     トモ       イエ      ナイ     ケレ      ド♪
     ∧_∧      ∧_∧    ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧
     ( ・∀・)     (, ・∀・)∩ (・∀・∩) (,, ・∀・)    ( ・∀・ )っ
   (( ( つ  ~つ )) (( (つ    ~ノ  (つ  丿 (つ  つ )) ( つ  /
     乂  ((⌒) )) + ヽ (⌒ノ   ,( ヽノ     ) ) )    |  (⌒)
     (__) ̄      (_)U   し(_)    (_)_)     し'⌒^ミ
     イイ        カゲン        ソノ     ヘンニ
     ∧_∧        l |  | l
   ◯( ・∀・ )◯    ∧_∧        ∧_∧    ∧_∧
    \    /     ( ・∀・ )      ∩ ・∀・)  ○( ・∀・ )○
     |⌒I │     ⊂     つ      ヽ ⊂丿   \    /
    (_) ノ     / /\ \     ( ( ノ ))  ミ,( ヽノ
      し'     .(__)  (__)     し'し'     し(_)
       シト        ケヨ       ナ♪
      ∧_∧      ∧_∧     ∧_∧∩
      ( ・∀・)    ⊂( ・∀・ )   (・∀・ )ノ
     ⊂ ⊂  ノ彡    (   ノU    ノ   つ
       Y .人      |(  )    (⌒),、 ヽ.
       (_)'J     し ∪ ミ     ̄  し''
      ッテ     ナンド     イワ       セリャ
    /)__∧     ∧_∧     ∧_∧     ∧_∧
    | |・∀・)   ( ・∀・ ∩    (・∀・ )    ( ・∀・)
    (    )   ⊂    ノ  (( ( つ  つ   ⊂  ⊂ )  ))
   / /) )    ,(__つ     ( (\ \   / /) )
  (__)〈__つ   し'         (_) (__) (__) (_)
      ワカ        ルンダ        ヨ♪
     ∧_∧       ∧_∧      ∧_∧
     (∀・   )∩     (  ・∀)   ○(・∀・# )
   ⊂   ○  ノ     (  (_`つ      \ _   )ゝ
   _/ /> >      > 〉\ \     (__)ヽ ヽ
  (__ノ  \_)     (__) (__)        (__)

6416 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/25 22:15
> ここでいう「フツー」ですね、こう考えるのが「フツー」じゃないかというのは、儒教なら「フツー」ですよ。それが「フツー」じゃないか、あなたは何を特殊なことを言ってるんだという一般化も、儒家的なものだと思います。中出皇さんが儒家であるとは思いませんけど。

老荘や孔孟が偉大であったにしても、時代を経て受け継がれていくものはその「精神」であるはずなので、当時の言葉はすでに「役目を果たした」と考えるべきだと思うんですね。
極論すれば「儒教」という言葉が指すその概念はもはや存在しないのではなかろうか、と。
この現代にあって儒教という言葉であえて語るということは思想の先祖がえりでしかないのではないか、と。

>
> > たとえば麻原氏は敵対する人間を殺しましたが、かかる行為の正当性は「高い教えに来世において出会えるための慈悲深い宗教的な行為である」という解釈に担保されていたことでしょう。
>
> 密教でいう「金剛乗(ヴァジュラヤーナ)」というものは、非常に高度な観念であって、麻原なんぞのいうようなもんじゃないとは聞いたことがあります。中味は、よくわかりませんけど、そうでしょうね。だって、「金剛乗」は昔からあるんでしょ?でも、密教の坊さんがそれで無差別殺人を肯定したとか勧めたとか実行したとか、聞いたこともないですもん。

麻原氏は自身を密教に限定しなかった。終末を煽る当時のノストラダムスブームとかキリスト教的なハルマゲドンであるとか、フリーメーソンリーへの過剰な敵愾心とか、世間の危機にみちた風潮のなかで醸成された「怪物」だったのではなかろうか、と。

蛇足ですが、秘儀における「死の体験」はよくあることですよ。本来「洗礼」とは川で執り行われ、溺死寸前まで水に漬けたりするものだったのです。その名残は「水を使用する」伝統的なキリスト教にも受け継がれていますが。


6415 Reply Re:再掲& gaji 2005/12/25 22:10
前頭葉有馬しか?

> おかーさんみたく、やさしくしればよかったんでしょうけれど、子供じゃあるまいし。。
> ということはおまえはそよかに「おかーさんみたく、やさしく」してほしかったわけか?

その逆でしょう?
日本語読めてますか?


> おまえ自身が掲示板に「グチグチネチネチ」と書いていたという意味ですが?

私からの「グチグチネチネチ」はありません。

>書いたことない? いっぱいあるだろう?

ありますよ。そよかさんご自身がガジに対して「もう言わない。自分が不幸になるだけだから」とかおっしゃりつつ、その後も執拗に言い立てる。。
あまりに執拗に言われるので、ソレに対して応えたことはありますよ。
回数を明示して応えたこともあります(野暮用板)。



> そよかももちろんネチネチグチグチですが、そりは関係ありまてんがなにか?

「ネチネチグチグチ」に関して、彼女のことを思い出したというだけのことです。
もちろん彼女とは何の関係もありませんよ(建築屋さんや地質屋さんのことを思い出したということも言いましたが、それはオーケー^^なんですか)。


>そりともおまえはそよかと同一人物でっか?(w

アタマだいじょび?
だったらだうしまち?

> > 洗脳って怖い(w
> 自己防衛本能って迷惑(w

****に言ってクダタイ。

6414 Reply Re:珍なるかな。 gaji 2005/12/25 21:50
> > 「ハレ・クリシュナ」という文言で了解しあえる世界って、たぶん「普通」ではないでしょう。
>
> そりは言えまち。

ずーっと昔に、クリシュナ・ムルティだったかを読んだことはありますが、忘れちゃいます他。

> ただ、クリシュナ信仰のバヤイ、「後代の分岐してしまった新興宗教群」でなくても、バクティはメインストリームでありますから、まあ概ね間違いではないかと。

?????
わけわから摩天楼。

> > でもショージキ、うさんくさくなかでつか?ワタスには無縁の噺に思えるモナ。
> ぜんぜんうさんくさくないでつ。

主観的ということで、ここはひとつって応えればいいっかなモナ

> > とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?
> よろしいでつ。

すばらしいことでつね。


""""""""""""""""""""""""
  ∧_∧  ????
  (^・ω・^)あっ 旦
  ノ  つつ
 ⊂、  ノ 
   し
""""""""""""""""""'""""""        
           ガシャ
     (´   `ヽ、    __  
  ⊂,_と(^・ω・^)⊃ (__()、;.o:。
""""""""""""""""""""""""""

6413 Reply Re:再掲&( tpkn 2005/12/25 21:35

> 「開き直り」ではありませんよ。事実なのですから(生まれたときから母に非常識といわれ、非国民といわれてまつ。。なんだかなぁ、、ではありますけど(--;)。

要するにこういうことがああいう無意味な「反発」につながってるんでしょうな。

どこまでいっても自他の区別のつかない、自己完結したババアの物語だったとサ(プ

6412 Reply Re:再掲&( tpkn 2005/12/25 21:25
> 続きでち
>
>
>
> > > 神話の神々に対するオチャラケ表現であれば、双方が使ってもいました↓よ。これは?
> > >((略))
> > > このときはOKだったわけですよね↑。
> >
> > んー、だってまぁ、
>
> なにが、「だってまぁ」なんでせうか(w
>
> 「だってまぁ」ですめば、世の中オキラクなものでつ。
>
> >バカという言葉そのものがいけないんじゃないことは、私もとっくに言ってますし、桜子さんもtpknさんも書いてますよね。
>
> みんなが言っている、ということですか。世間がということに近いですね。いかにも日本的。。

おまえほんとにバカですか? みんなが言っているから正しいとかそういう話ではなく、「おまえは相手が言ってないことを言われたと勘違いしてる」って話でしょうに…。なにが「いかにも日本的」だよ(爆笑)

もうおまえのいう「いかにも日本的」だの「日本における宗教タブー」だのが、単に言い訳にすぎないことがバレバレすぎるやんけ。
>
> 子供がギャーギャーに関しての心情理解という意味では、ラジャでつ。

ものすごい自己投影でつね(w

> > > っていうか、そういうこと(不敬にならないやう)を考えながらの常識を踏まえた会話ということであれば、私と話すこと自体がそもそも「?」でせう。
> > 敬意がないことを責めてはいないのですが。敬意があろうがなかろうが、言っていいことと悪いことがあるだろう常識的に、ということですよ。
> > > ヽ(σ_σ)/ アピョピョ pyo〜nなトンデモgajiということを知悉してらしたのでせうから、
> > > 私に「常識」云々をおっしゃられても、gaji東風でしかない。。
> > そういう開き直りをする必要は全くありません。
>
> 「開き直り」ではありませんよ。事実なのですから(生まれたときから母に非常識といわれ、非国民といわれてまつ。。なんだかなぁ、、ではありますけど(--;)。

だったら反論しなけりゃいいじゃん。誰よりも「常識」にこだわってる変態ババアがよく言うよ(w

6411 Reply Re:再掲& tpkn 2005/12/25 21:20
> > > 私が「グチグチネチネチ」と言っていたんですか?
> > > 芥屋さんがそのように感じた(見えたから見えた)ということに尽きます。
> >
> > そういうことは大事なんじゃないの?
>
> コミュニケーション(なぁなぁでもいい、軋轢がなければ)としては大事でしょうね。

ちうことは、おまえはそよかにたいして「なぁなぁでもいい、軋轢がなければ」というコミュニケーションを求めてたわけか?
アホちゃう?(w

>
> でも、「後だし」に関しては、オテアゲでつよ。
> おかーさんみたく、やさしくしればよかったんでしょうけれど、子供じゃあるまいし。。

ということはおまえはそよかに「おかーさんみたく、やさしく」してほしかったわけか?
というようなことはすでに当時から中出し王その他によって指摘されてはいたが、まあその通りであったということでつね。

> >おまえはいっつもそよかのことを「グチグチネチネチ」と言ってたデワハナイカ(w
>
> 混乱しないで下さい。300通だったかのメールのやりとりのメインはgajiの悪口のネチネチグチグチだったわけでしょう?

おまえ自身が掲示板に「グチグチネチネチ」と書いていたという意味ですが? 書いたことない? いっぱいあるだろう?
そよかももちろんネチネチグチグチですが、そりは関係ありまてんがなにか? そりともおまえはそよかと同一人物でっか?(w

>
> 洗脳って怖い(w

自己防衛本能って迷惑(w

6410 Reply 再掲&( gaji 2005/12/25 21:17
続きでち



> > 神話の神々に対するオチャラケ表現であれば、双方が使ってもいました↓よ。これは?
> >((略))
> > このときはOKだったわけですよね↑。
>
> んー、だってまぁ、

なにが、「だってまぁ」なんでせうか(w

「だってまぁ」ですめば、世の中オキラクなものでつ。

>バカという言葉そのものがいけないんじゃないことは、私もとっくに言ってますし、桜子さんもtpknさんも書いてますよね。

みんなが言っている、ということですか。世間がということに近いですね。いかにも日本的。。


> > それともおなじ神でも"アマテラスに関してはダメダメ"だったんでしょうか。
> そういうことではないんですね。上の説明で、どうでしょうか。

子供がギャーギャーに関しての心情理解という意味では、ラジャでつ。

余談でつが、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
問答

> > 男らしさを「攻撃的」と定義すると、そのことを科学的に説明することはできます。(コバテシ先生)
>
> しかし「男らしさ」と「攻撃的」とは全然違うことですから、やはり脳の生物学的性差を理由に男らしさや女らしさは生物学的に決定されていると言うことはできません。

男の子が一般的に攻撃的になりやすいというのは、身体的性差によるもののようです(ホルモンの問題)。ですがそれはもちろん「男らしさ」云々とは違う話ですね。



二人目が生まれて、上の子が少々情緒不安定気味だった頃、

(娘宛てのメールより)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

…いじめることに快感覚えたりする子もいるから、癖にしないほうが。。

先日、読んでいたところ↓


 本能を満たすために動物は一生懸命努力する。 しかし、努力をしてもうまくいかないと非常に大きなストレスを感じる。その結果落ち込む、過食をする。キレる。暴力を振るう、その先に動物虐待がある。本能が満たされないと快感を感じない。何か簡単に快感を感じられないかと安易な方法に走りやすい。簡単には過食で、食欲を満たすと本能を満足させることが出来て簡単に満足感、快感を感じる。。キレる、或いは暴力を振るって他の動物の餌やメスを奪う。こういった食欲や性欲がうまくいき快感を感じたときに暴力にも快感があると誤解する。この性質は動物も人間にもある。子供がキレるのは不平等感をコントロールできない子供はキレてしまうことになる。
暴力を振るう子供の大部分は男の子であり、性差が非常に多きい。攻撃性に関係あるのはノルアドレナリンやセロトニンという物質だが男の子の場合は男性ホルモンが出るのでコントロールしきれず暴力による快感に走りやすい。
http://nyanko.circle.ne.jp/dokyoren/2004_0724.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://nyanko.circle.ne.jp/dokyoren/2004_0724.html



> > っていうか、そういうこと(不敬にならないやう)を考えながらの常識を踏まえた会話ということであれば、私と話すこと自体がそもそも「?」でせう。
> 敬意がないことを責めてはいないのですが。敬意があろうがなかろうが、言っていいことと悪いことがあるだろう常識的に、ということですよ。
> > ヽ(σ_σ)/ アピョピョ pyo〜nなトンデモgajiということを知悉してらしたのでせうから、
> > 私に「常識」云々をおっしゃられても、gaji東風でしかない。。
> そういう開き直りをする必要は全くありません。

「開き直り」ではありませんよ。事実なのですから(生まれたときから母に非常識といわれ、非国民といわれてまつ。。なんだかなぁ、、ではありますけど(--;)。

6409 Reply Re:再掲& gaji 2005/12/25 20:45
> > 私が「グチグチネチネチ」と言っていたんですか?
> > 芥屋さんがそのように感じた(見えたから見えた)ということに尽きます。
>
> そういうことは大事なんじゃないの?

コミュニケーション(なぁなぁでもいい、軋轢がなければ)としては大事でしょうね。

でも、「後だし」に関しては、オテアゲでつよ。
おかーさんみたく、やさしくしればよかったんでしょうけれど、子供じゃあるまいし。。



>おまえはいっつもそよかのことを「グチグチネチネチ」と言ってたデワハナイカ(w

混乱しないで下さい。300通だったかのメールのやりとりのメインはgajiの悪口のネチネチグチグチだったわけでしょう?

洗脳って怖い(w

6408 Reply Re:再掲& tpkn 2005/12/25 20:10

> 私が「グチグチネチネチ」と言っていたんですか?
> 芥屋さんがそのように感じた(見えたから見えた)ということに尽きます。

そういうことは大事なんじゃないの? おまえはいっつもそよかのことを「グチグチネチネチ」と言ってたデワハナイカ(w


> 永杉かも、、とりまえず。

ほんと、意味ねー(w

6407 Reply 阿!間違い松田。スイマソン gaji@日曜出勤帰り 2005/12/25 20:03
神皇正統記注釈→神皇正統記評釈

6406 Reply 再掲& gaji@日曜出勤帰り 2005/12/25 19:58
> > 私の桜子さんへのレスをご覧になって、芥屋さんが”お怒り”だったということは、分かります。
> ここ一連のカキコ、としてあるでしょう。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(無題) 投稿者:芥屋 投稿日:12/14(水) 22:56 No.7251 [削除]

>(余談ですが、どーしてこのようなアマテラスが皇室の皇祖神とされたのでしょう、謎で津。。。。ただのバカ女じゃん。★)

おまえは批判と侮辱の区別もつかないほどのバカ女だったのか?

だったらこれと同じ事をクリスチャンやムスリムの面前で言えるのか?
言ったら恐ろしいことになるから言わない、しかし今この日本でそう言って見せる、
ならば力と恐怖に屈従し、馬鹿にできる状況で馬鹿にできる相手に冷笑してみせる、
そんなポーズを気取って見せることができる、そういう冒涜の構造に甘えているだけだ


返答をお待ちしております。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(略)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
は? 投稿者:芥屋 投稿日:12/14(水) 23:40 No.7257 [削除]

昨夜もらったレスにはちゃんと返信してるだろうが。

おまえは自分が反発するものについて、それを大事にする人との間で、
まともな議論もせずに、相手が大事にしていることを馬鹿にするようなことしか
グチグチネトネトとしか言えん
から、バカ女だと言ってるんだよw

もう怒ったから、続きはおまえのとことでやろうか?
ここでやるのは他の人の迷惑になる。どう?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://bbs5.on.kidd.jp/?0501/4248より



私が「グチグチネチネチ」と言っていたんですか?
芥屋さんがそのように感じた(見えたから見えた)ということに尽きます。


> > ★「自分が反発するもの」と受け取られてしまったようですが、、

> gajiさんが何に反発しているのか私は知りませんし、

知りもしないことを、なぜ「(gajiが)自分に反発」などと言えたのでしょうか。
私の言い方が不快だったということでしょう。

>反発しているわけでもないなら馬鹿にしているだけかということですし、

なぜでしょう。意味不明です。

>反発もせず馬鹿にもしていないのなら、神仏の話ですから書きようがあるはずよね。

そうですね。

芥屋さんの意に沿うように話すことも可能だったでしょう。
ですが、それはムリな注文です(昼行灯gajiでありまつゆえ)。芥屋さんのカチンレベルに関して私は推測不可能でした。遅れて気づいた次第。


> > →「皇室」に対して「反発」してはいません。(それに関しては、「新あずき屋」板でも言っていたはずです。わたし的には「どうでもいい」とはいえ、「気の毒」だと思う。なぜってご不自由そうだから。。etc.)
> んでも、gajiさんの皇室観というか、史観とはこういうもの↓だったわけで。
> http://bbs1.parks.jp/22/keya/bbs.cgi?Action=kiji&Base=2593&Fx=8

????
何がおっしゃりたいのか、よく分かりませんが、、

> こういう風にしか思ってない人だとは知りませんでしたから、gajiさんのいうとおり「何が聞きたかったのでしょう。。聞くだけヤボなことかと、。」ですよ。だから私はもうウンザリして、この話はしないと言ったし、そのとおりにしていたはずです。

ここらへん↓のやりとりから、ジワワ〜と私に対する不快感のエントロピーが蓄積してらしたということでせうか。。
http://bbs1.parks.jp/22/keya/bbs.cgi?Action=kiji&Base=2593&Fx=8


> にも関わらず、三種の神器の件でgajiさんは私に質問。ごくごく知的好奇心と言うこともあるでしょうから、「いったい何のために作ったのか」「何を象徴しているか」について、教義宗教ではないからというあたりから説明はしました。

ですね。
「三種の神器」というコトバを使用したのは、関東武士に対するデモンストレーションとして、南朝が皇統として正統であるということを記した、北畠親房の『神皇正統記』
あたりから出てくるものです。

omake
神皇正統記注釈


> しかしその中でも、自分で聞いておいて「アフォかと」と返したり、

ソースを示していただけるとアリガタイのですが。。

>あのあたりから「いい加減にしろや・・・」となりますよ。

なぜ、「いい加減にしろや・・・」だったのでしょうか。



>そこでは「他人の信心に言うかねぇ(ヤレヤレ)」と、やんわりたしなめたつもりでしたが、直らない。

ここでも「他人の信心」がバリヤーとして出てきますね。

こういった言い方は、はっきりいって「姑息」だと思います。

「信心」「信仰」の問題にシフトすることにって自己保身(≒自己正当化)がOKなのであれば、なんとでも相手を罵倒可能です。これは言ったもの勝ちでしょう。


>その後も同様な「ほんとに“聞きたいこと”ではなかったりするのが問題(by tpknさん)」と言われても仕方の無い無意味な問いや混ぜ返しの連発、

tpknってヴァカなときは大ヴァカですyo キッパリ。


>ですから「バカ女発言」に“堪忍袋の緒が切れた”というより、こりゃヤンワリ言っててもダメだコリャ、と。

tpがいえば尾家安泰と思ったら大間違いで津。

> 何度も言いますが、「バカ女発言」に収斂させようとするのは、そりゃ矮小化です。

つみかさなる不快のせいだったということですね。
いずれにしても、芥屋さんにとって、私の発言が「不快」(→根拠・非常識)だったということに変わりはありません。


> > →「どーしてこのようなアマテラスが皇室の皇祖神とされたのでしょう」というのは、素朴な問いです。
> 日の女神が皇祖神となっていることへの学術的研究については紹介しました。しかし対して「私にはバカ女にしか見えないのに、何で皇祖神になってるんだろ?」というのは、「他者への問い」たりえると思いますか?

「他者への問い」足りえてはいませんでしたね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>(余談ですが、どーしてこのようなアマテラスが皇室の皇祖神とされたのでしょう、謎で津。。。。ただのバカ女じゃん。★)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これ↑は、ほとんどモノローグでつ。

> それに他者が答えるのは無理です。

ラジャでつ。

>何故なら、それに答えようとすれば「なぜ私には、バカ女にしか見えないんでしょう」に答えねばなりません。こういう問いに対する答えは、ただ一つ。「知らんがそんなことは」ですよ。

ですね。ひとの感じ方のアレコレに関しては「知らんがそんなことは」でつ。



> > 私が芥屋さんを「馬鹿にしてやろう」「貶めてやろう」としていたと、芥屋さんはおっしゃる。
> > ご自身がそのやうにお感じになったがゆえの御発言だったというのは分かりますが、
> > 私は、相手を「馬鹿にしたり」「貶めたり」してやろう、、なんて思っていませんでした、。(ムジカクと言われれば返す言葉がありませんが、、)
> > ですが、どうして、このようなことを言われなければならないのか不思議でした。

> 無自覚なまま発作的に書き散らすからでしょう。

私が思っていないことを、芥屋さんは「馬鹿にしてやろう」「貶めてやろう」と私が思っていた、とおっしゃる。これって、典型的な自己投影です。

「無自覚なまま発作的に書き散らすからでしょう」というのも同じです。


永杉かも、、とりまえず。

6405 Reply Re:珍なるかな。 芥屋 HOME 2005/12/25 19:16
> > 「仏家神道」に反発する「儒家神道」という近世初頭の動きには、そうした面も強かったようです。
>
> いかなるイデオロギーもそれを信奉する勢力には他の思想は害悪になってしまいますが、見方をかえると全ての思想を動因すれば、人間の「いかなる」行為も正当化されないでしょうか?

そういう一般化は、私には疑問符が付きます。「いかなるイデオロギーもそれを信奉する勢力は他の思想の受容と学習から派生するものであり、他の全ての思想を害悪視するようなドグマに陥るか否かは次の問題である」と思いますが。

と言いますか、私はそこまで一般論を言ってるつもりではなかったのですが、中出皇さんの言われていたのは、一般化だったのを見落としていたようです。

>フツーに考えて、「自己愛の延長ではない他者愛」ってありえない、と思いますよ。

ここでいう「フツー」ですね、こう考えるのが「フツー」じゃないかというのは、儒教なら「フツー」ですよ。それが「フツー」じゃないか、あなたは何を特殊なことを言ってるんだという一般化も、儒家的なものだと思います。中出皇さんが儒家であるとは思いませんけど。

> たとえば麻原氏は敵対する人間を殺しましたが、かかる行為の正当性は「高い教えに来世において出会えるための慈悲深い宗教的な行為である」という解釈に担保されていたことでしょう。

密教でいう「金剛乗(ヴァジュラヤーナ)」というものは、非常に高度な観念であって、麻原なんぞのいうようなもんじゃないとは聞いたことがあります。中味は、よくわかりませんけど、そうでしょうね。だって、「金剛乗」は昔からあるんでしょ?でも、密教の坊さんがそれで無差別殺人を肯定したとか勧めたとか実行したとか、聞いたこともないですもん。

> で、悪貨と良貨が仮にあったとして、本来あるべき峻別の基準は「現代に通用する」常識であり、通念あるいは法律ということになりませんでしょうか?

法律を除けば同感です。これに関わる近代法で言えば、その近代原則が、ただ「現代に通用する」常識であることが必要でしょうけど。たとえば、異なる宗派の門人と神仏に関する話をする際の古くからの常識というものは、近代原則の「信仰の自由」と合致しておりますよね、そこへ「表現の自由」というものを重ねても同じことだと思いますよ。

要するに、ある一時代に常識化したようなものでなく、古今を通じた常識であるからこそ「現代に通用する」常識になりうると思うので。

6404 Reply Re:珍なるかな。 tpkn 2005/12/25 16:44
> 「ハレ・クリシュナ」という文言で了解しあえる世界って、たぶん「普通」ではないでしょう。

そりは言えまち。

ただ、クリシュナ信仰のバヤイ、「後代の分岐してしまった新興宗教群」でなくても、バクティはメインストリームでありますから、まあ概ね間違いではないかと。

> でもショージキ、うさんくさくなかでつか?ワタスには無縁の噺に思えるモナ。

ぜんぜんうさんくさくないでつ。

>
> とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?

よろしいでつ。

6403 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/25 15:57
> 「仏家神道」に反発する「儒家神道」という近世初頭の動きには、そうした面も強かったようです。

いかなるイデオロギーもそれを信奉する勢力には他の思想は害悪になってしまいますが、見方をかえると全ての思想を動因すれば、人間の「いかなる」行為も正当化されないでしょうか?

たとえば麻原氏は敵対する人間を殺しましたが、かかる行為の正当性は「高い教えに来世において出会えるための慈悲深い宗教的な行為である」という解釈に担保されていたことでしょう。


で、悪貨と良貨が仮にあったとして、本来あるべき峻別の基準は「現代に通用する」常識であり、通念あるいは法律ということになりませんでしょうか?

6402 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/25 14:36
> > 稀なケースデチ。であるから衝撃を受け感銘するんぢゃなかでつか、、、
>
> そうでつ。であるからして「他者愛には自己愛の延長とそうでないものがあって、後者は非常に稀であるがゆえに尊いのでガムバルべし」というのが宗教の教えとなりうるわけでつね。


わかりますた。
でもショージキ、うさんくさくなかでつか?ワタスには無縁の噺に思えるモナ。

とんぷくんは、かかる理想へむけてガムバっておられる、と理解してよろしいでしょうか?

6401 Reply Re:珍なるかな。 中大出皇子 2005/12/25 14:14
>> > クリシュナを理解してもいないのに例示にだすので遠まわしに「先人の・・・」と一般論で反論してみたんですけどね。
>
> クリシュナを理解とかキリストを理解とか、そういう神学論争はとりあえずどうでもよいことでつね。キリストと違って別にクリシュナが「そうしろ」と言ったわけではないというのは、「ハレ・クリシュナ」という文言だけで普通は了解可能なはずですが?

マルクスを読んでいない人間が「資本論嫁」と威圧する愚と同じように、「クリシュナ」と後代の分岐してしまった新興宗教群を齧って例示することを懸念したんでつね。
かかる批判を「神学論争」に貶められるのは本意ではにゃい。

「ハレ・クリシュナ」という文言で了解しあえる世界って、たぶん「普通」ではないでしょう。

6400 Reply Re:珍なるかな。 tpkn 2005/12/25 14:01

> > フツーに考えた場合、前に新宿で韓国人留学生が線路に飛び込んで人を助けた、なんてのはとくに自己愛の延長とも言えないと思いますけど。もちろん、自分が死ぬ死なないにかかわらず。
>
> ソレって「フツー」ではなく「特殊」でつYO

そうでつ。「フツーに考えて」こういう「特殊な例」が思いつく、ということでつね。

> 稀なケースデチ。であるから衝撃を受け感銘するんぢゃなかでつか、、、

そうでつ。であるからして「他者愛には自己愛の延長とそうでないものがあって、後者は非常に稀であるがゆえに尊いのでガムバルべし」というのが宗教の教えとなりうるわけでつね。

> > > いわゆる「大宗教」と呼ばれるイデオロギーは、後代にあって「先人の単純な教え」を踏襲しはしたが余計な軋轢をも生み出した、とみるのが自然では、と思うんですが。
> >
> > そういうこともあるでしょうが、この議題とは別でしょう。
>
> クリシュナの話題を先に出したのはとんぷくんでつが・・・

この議題とは別なのは、「踏襲しはしたが余計な軋轢をも生み出した」話ですが。そりが事実であったとして、他者愛抜きの自己愛はありやなしやという話とは関係ないということでつね。

> クリシュナを理解してもいないのに例示にだすので遠まわしに「先人の・・・」と一般論で反論してみたんですけどね。

クリシュナを理解とかキリストを理解とか、そういう神学論争はとりあえずどうでもよいことでつね。キリストと違って別にクリシュナが「そうしろ」と言ったわけではないというのは、「ハレ・クリシュナ」という文言だけで普通は了解可能なはずですが?



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