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1)いままでどおり。
2)「gaji砂」当初の”17カ条”に基づき、gajiの悪口は言わない。
3)嘘八百に決まっていてもgajiを誉めそやす。
4)無意味な転載をしない。
5)クリスマスでもないのに電飾をしない、ということは邪道だと思う。

議論は葦と百合
戦争は問答野暮用でヨロスコ





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5599 gaji 2005/07/04 07:09
ツユクサ

ピョンキン(にゃんこ)が、葉っぱを食べていました。
アリャリャン・コチャリャン(スナネズミ)は、ツユクサの実(種)が大好きでした^^

ツユクサって、おいしいかもですね。
削除キー→

5598 ……。。 gaji 2005/07/04 02:13
選挙、、ダメポでした。。。

*産党のひとの名前を書いてしまった私って。。
(なんとなく、気の毒だったから。。)←こういう投票の仕方って、ダメポでつね。
削除キー→

5597 gaji 2005/07/02 01:30
ディクディク(ウシ目ウシ科)
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5596 ZZ gaji 2005/07/02 01:29

http://www.fujisafari.co.jp/animals/fureai%20zone/bokujo/Dikdik.htm
削除キー→

5595 Re:どっかの、つづき。1 gaji 2005/07/01 02:56
> その頃の地図って…… いわゆる古地図ってヤシ?
> それとも歴史年表に載ってるようナヤしカニャ。

スイマソン。zzz

> ま、ドッチャにしても三百余県を詳しく分けたのはないかもニャニャ。
> そのうちモレが作ろうカニャ。(☆▽τω‰£※♂♀$*パピプペポ)

zzzxxxccvv。。。
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5594 寝起きですが、明日早いので、やすみまつ gaji@寝起きでつ。。 2005/07/01 02:37
子守歌音アリ
削除キー→

5593 Re:どっかの、つづき。2・3 gaji@寝起きでつ。。 2005/07/01 02:30
こなばんわ。

> う〜ん、「国家神道」=「悪」...「靖国」=「国家神道」故に「靖国」=「悪」かな?(単純すぎかな?)

批判している方々のイメージとしてはそういうことでしょうね。

> 少々大げさな言い方になってしまうのですが「象徴」なのではないですか?「靖国」って...。

その当時の事実としてのメメントモリ的な遺産、の「象徴」かもしれませんね。

> 実際に「悪」とみなしうるものは「軍国主義」や「侵略戦争」ですよね。「国家神道」的な精神が、それらを推進した...ということですよね。

ということになっています、というか、されていますね。


> で、それは理解出来なくはないのですが、現在の靖国神社をそういった文脈で「悪」と言い立てることって、実はマイナスの効果しか生まないのでは?という気がするのですが...。

そう思います。

> あと、「国家神道」を「善」と言う気はないのですが、必然性ないし必要性がなかったわけではない...つまり「罪」もあるけど「功」の側面もあったんじゃないかと思うのですね。少なくとも明治という国家が、形だけとはいえ近代的国家としての体裁、あるいは統一をとり続ける事が出来たこと...その一助に「国家神道」的支配形態がある、という見方も出来ますよね(あくまでも現時点での一視点ですが)。

明治の初期に、なんとか使節団(←スミマセン、名前忘れました)が地球一周しつつ、あちこちの国を訪れて、様々な国のあり方を数年にわたって見聞してるんでした。

おそらくは、そこで学んだことを反映しつつの「国家神道」という統治形態づくりだったでしょう。西欧にはキリスト教(一神教)がありましたけど、日本には一神教的なものはなかったわけです。キリスト教に学んだ「国家神道」(万世一系)でもあると思います。(←かなりイーカゲン^^なこと言ってます。。


> > > > 靖国の場合、「国家神道」(←って、今はないにしても)のイメージがどうしてもつきまといがち。。
> > > 実はそういうイメージを持っていました...(w。
> > 私もですよ(w


> まぁ、「靖国」さんは「国家神道」ですよね。

工工エエエ(´Д`;)エエエ工工

(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚)………こ、こっか、しんとー?

(つд⊂)ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ
  _, ._
( ゚ Д゚) ………………………………こここ、国家神道?


では、すでにないでつよ。


> > でもでも、天神さんやお稲荷さんやお不動さんとかって、「国家神道」というイメージはないでせう?(あったりして。。)
>
> 実は、あります。...というのは冗談です。
> 巧く文章化出来るか少し心もとないのですが...例えば「祖霊」は「寺」といわれて、すぐに「あ、そうだった」と納得しそうになるのですね。それって、神仏分離的思考回路ですよね。
> 「祖霊」が「仏教」なのか「神道」なのか「儒教」なのか...その種の区分って当時の一般庶民には厳密にはなかったのではないかな、ということです。

ラジャでつ。そうだと思います。一般庶民でなくても同じことかと。。

てゆーか、どっちでもいいような。
仏教にしても神道にしても、人為的なものなのですし。

> 「神社神道」という「言葉」が明治以後に出来た言葉...と言われましたが、それ以前にはその種の区分や差別化って不要だったのでは?という理解です。

了解でつ。

> gajiさんが添付されていたこちらのサイトからなのですが
>
> <引用開始>
> 神仏分離は、中世以降支配的だった仏教の影響を排し、神道を復古するものと銘打って行われた。しかし現実には、復古すべき「神道」は、仏教以前に存在したわけでもなく、宗教としての実体を伴ったものでもなく、近世に机上で考えられたものの域を出なかった。(引用者 略)それに対して、仏教・修験道との協力関係を禁じられた神社は、広域の布教主体(これは、しばしば山伏によって担われていた)を失い、かえって宗教としての力を削がれることになった。(引用者 略)また、神仏習合した祭神・本地を対象として伝承されてきた信仰は、その対象を奪われ、あるいは変更を強いられ、それが経典や全国組織に依拠したものでないだけに、信仰内容そのものが断絶の憂き目に遭うこともあった。
> 近代の神社政策は、必ずしも一貫したものではなく、一部の社家が目論んだ、宗教としての「神道」の国教化の観点から、宗教性を排して中央集権国家の国民管理拠点とする観点まで、大きな振幅をもって揺れ動くが、結局のところ、神社から自立的な宗教性を剥奪し、管理の具とする方向の政策が響いた。(引用者 略)現代でも、神道や神社に関する話題の多くを、神式結婚式だの靖国神社だのといった、近代に発明された怪しげなものが占めているのを見て、鎮守の森の神々は、さぞげっそりしているに違いない。
> <引用終了>http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/history/KamiGami/intr1.html
>
> (長い引用ですみません)

いいえ^^ じつはこの部分、数年前から私も何度か引用してたところです。

> ...庶民レベルで明治以前の「神社神道」が「神社神道」である、って認識ってなかったと思うのですね。所謂、現世利益的な信仰も含めて、日常に密着した信仰(この言葉さえ強すぎる気がしますが)ものだったのではないかと...。

そう思います。で、
(いろんなものの日本的なアマルガムだったでしょうけれど)「日常に密着した信仰」っていうのは、人々のさまざまな日々の規範としての拠りどころというか、大切なものだったでしょうし。

> で、私が「神道」って思い浮かべる時って、結構ガチガチに考えがち...なのですね。上記の様な「日常に密着した自然なもの」的な見方をしていない...くらいの意味です。

了解でつ。


> ありそうな感じがしてしまったのです(いや、冗談なのですが、半分)。

ためしに「悪神社」でググってみたら、少しありましたよ(w


> > そういうことだと思います。天皇自体は”玉”でしかないんですが、。
> 薩長的ですね...。

でしね…。。
(余談ですけど、自己の”正当性・正統性”を、自分以外のものに置くというパターンって、よくみかけます。。)


> > 気分的には神様仏様であったりしますyo
> う〜ん、私は「七福神」の詳しい説明を聞いてビックリした人です...(w。

工工エエエ(´Д`;)エエエ工工

^^ただのAA↑です。

> > 「古墳式」というのは豪族(天皇とか)のものであって、普通の人々のものではないということ。。
>
> そうです。すみません。一般の人はしばらくは土葬式だったようですね。

一般の人が土葬式になったのは、だいぶたってからのことだったかと。。


> > > > 私の場合、死に際に居合わせた経験は、猫のガジだけです。(HNはそこから。。)
> > > 覚えていること...でしょうか。
> >
> > ?スミマセン。意味が取りにくかったんですが。
> > 忘れたほうがいい、、ということ?


> 分かりにくい書き方をしてしまってすみません。
> 慰霊の話のときに、ローランサンの話がでましたが、そこからの連想です。
> HNはそこから...を読んで「忘れないこと」...思い続けるということなのかな...と思ったのです。

了解♪でつ〜飲み込みが悪くてスミマテンでちた。


> (「新・正気煥発掲示板´」を読んでいなかったので今ひとつ「?」だったようです)。

私も「新・正気煥発掲示板」のほうは、きちんと読んではいないんですよ。。

> 朝鮮神宮に関する、当時の神道家の人たちの考え方は理解できるのですが、日本政府が朝鮮統治の策の一つとして、「国家神道」を利用(使用かな?)しようとした...という図式にも見えるのですが...(で、それ自体が愚策であったということかな)。

そういうことだと思います。
で、それって、近代の「日本政府」が日本統治の策の一つとして、【「国家神道」を利用】したということと、通底しているように思えます。

そもそも「国家神道」なんて、なかったのですから。

神様仏様には、なんの罪もアリマテン。。
削除キー→

5592 Re:どっかの、つづき。1 秀里 2005/06/30 18:05
> > > (ちなみに今現在「県」って46県ですけど、明治の初めは倍近くあったんですよ)
> >
> > (その頃の地図が欲しいかも...)
>
> おーい、秀タソ。地図は?(w
>

その頃の地図って…… いわゆる古地図ってヤシ?
それとも歴史年表に載ってるようナヤしカニャ。

ま、ドッチャにしても三百余県を詳しく分けたのはないかもニャニャ。
そのうちモレが作ろうカニャ。(☆▽τω‰£※♂♀$*パピプペポ)
削除キー→

5591 ZZZ gaji 2005/06/30 01:46
子守歌(ブラームス)(音アリ)
削除キー→

5590 Re:どっかの、つづき。1 gaji 2005/06/30 01:31
こんばんわ

> 神社自体は本当に「あるだけ」神社なんですよ。一目して終了。図書館に何かあるかな(って、図書館自体無いのですが...)。
>
> > 田んぼの中に神社が、、というのけっこうありますね。田中神社とか、田中八幡宮とか。
>
> 田中神社で検索してみました。写真付のサイトなど見ますと...こんなに立派ではないです(^^;。
> 熊野巡り/田中神社

あ^^ここ、私も見てました。こーゆーのもありますよ。

http://www6.tok2.com/home2/chabi/jinja.JPG(サイクリング・クラブ?の女の子が撮った写真のよう)


> > 鳥居の建設年かもしれませんよ。。
> > 近代になって行われた統廃合で、「全国の神社の総数を、約四割削減」しているんでした。
>
> なるほど、その可能性もありますか...。
> 祠の方は、数年前の台風で被害にあって、割合最近建て直しされているので、元の形ではないのでつくりの古さから推察もちょっと出来なくて(どちらにしろ素人判断(^^;)。

ここ数年だけで街並みってすっかり変わってたりするところもあったり、、100年も前のことって分かりにくいですね。

> > 「1村1社」といっても、村自体も統廃合されたりしたので、合祀による統廃合だと思うのですが。。
> > (ちなみに今現在「県」って46県ですけど、明治の初めは倍近くあったんですよ)
>
> (その頃の地図が欲しいかも...)

おーい、秀タソ。地図は?(w

> そういえば住所でも「村」とはつかないので、村範囲どのあたりか不明かも...。
> 歩ける範囲(1時間前後)で他の場所にも鳥居付の神社はあったりするので、合祀はないかな?
> 結局、昔から「八幡神社」だったのかどうかは不明ですね(確かに調べてみるのは面白いかも...)。

そうですね。祭神変更ってけっこうあったようですし。


> > で、官軍ではなく斃れた側(こちらのほうが圧倒的に多いですね。負けたのですから)の慰霊碑もあちこちにありますね。
> > 戦没者供養碑
>
> 千葉の方でも戦闘があったのですね(知りませんでした...)。
> ただ、所謂「賊軍」...「東軍」の人たちの慰霊碑って、やはり戊辰戦争が終結して、かなり経過してから建立されたものなのではないかと思うのですが。

当初は弔いじたいペケだったみたいですし。
にしても、まさか野ざらしのままにもできなかったでしょう。

> > 同じ「武士」でも、「勤皇の志士」はまた少しちがってたでしょうし。
>
> そうですね。それは言えてます。
> 「勤皇の志士」は、なんといいますか過激な気がしますです...。
> (江戸後期の武士って実際には「切腹=腹きり」は、しなかったそうですね。扇子で腹を切る形をまねて、介錯を受けるという「作法」があった...と昔、本で読みました)。

その話、私もどっかで読みました。。

> > いわば、いままでの藩主やお上カミに対する「忠」は捨てたということかと。
>
> そうですね。藩主やお上に対する「忠」を早めに捨てることが出来た藩(と言う言い方は少々乱暴ですが)...藩論を「尊王」で統一できた藩が、「官軍」に「なれた」ということだと思います。

結果的に、そういうことでしょうね。

> > http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/bosin2.htm
>
> (...このサイト...面白いですね(キャラクター設定が司馬遼太郎風...(w)。

「司馬遼太郎風」って、こういう感じなんですか^^
NHKドラマ風っていうことかな?

> う〜ん、難しいです。
> 回避しようとする動きもあったのですよね。会津藩内では、少数派ではあったにせよ...(「恭順派」と呼ばれて鳥羽伏見の敗戦後切腹した家老や、抗戦に抗して追放された家老など...)。

そうだったんですか。知りませんでした。でも、意見が二分したであろうことは推測できます。

> 「奥羽列藩同盟」が巧く機能していれば...(内戦長期化で泥沼だったかな...)。

でしょうね。。で、内戦の泥沼状態のスキに乗じて植民地化されてたかもしれない。。(妄想でつ)

> ...会津藩の場合「忠」って、天皇にも向けられていたんですよね...。(というか、かなり真面目に「尊王」な藩だった気がします←会津藩)。

「京都守護職」だったかのときは、そうでしたね。


> > コソーリ^^行けばいいのでは。。でもそうすると、票にならないのかな。
>
> 結局そういう事になってしまうのですよね...。"誠の気持ち"であったにせよ、にごってしまう...。

「誠の気持ち」っていったい、、こういった形容詞って、あやしい^^かも。。
(ネットでのやりとりで、「誠意がない」とかってボコボコに言われたことがあるんですが、、
「誠意」って、いったい。。これって、受け止め側の感受性でしかなく、あるとかないとか、証明のしようがないんでした。。言われてしまえばどうしようもない。。

愚痴↑です。スイマソン。


> > 「靖国」は、戦前はどうあれ、現在は宗教法人であって、「教派神道」といった宗教団体ともまったく違うわけですから、誰でも自由に参拝におとずれていいと思うんです。
>
> そう思います。参拝することが「公約」として機能してしまうこと自体、何か「おかしい」気がします。(あまり突っ込むとループ化してしまうのですが)。

ですね。

> > 戦後60年のいま、これだけくすぶるというのも、うーーん、ではありますが。。
> > あとウン十年もしたら、選挙の公約に掲げられることもなくなり、静かにお参りされてたりするのかもしれません。
>
> う〜ん、ウン十年ですか...確かに時間が解決策が一番確実かなぁ...。

元寇のときのこととか、今現在、問題にはされてませんし、、(w

>(今年はどうなるかな)。

どうなるんでしょうね。
といった感じで、いえてるということは、とりあえず差し迫った危機はないっていうことかと思うんです。

中国でいえば、
自然災害とか、薬物中毒とか、農民暴動のほうが、よほどどうにかしなければいけないことでは、、と思います。
削除キー→

5588 Re:どっかの、つづき。2・3 a thousand 2005/06/29 16:20
つづきです。

> 「問答」ではあまりなかったですよ(ほかのところをチラッと先週ROMしたら、問答無用っぽく、ヤスクニっていうだけでお決まりのように”悪”にされていて、、以下(ry。。)

そうでしたか(失礼しました)。

> > ただ、「反対」は微妙な気がします。参拝者の多くにとって「慰霊の場」として機能している「靖国神社」の、何に対してどう「反対」しているのか...。
>
> 「悪」だからでしょう。。思考停止といいますか。。

う〜ん、「国家神道」=「悪」...「靖国」=「国家神道」故に「靖国」=「悪」かな?(単純すぎかな?)
少々大げさな言い方になってしまうのですが「象徴」なのではないですか?「靖国」って...。
実際に「悪」とみなしうるものは「軍国主義」や「侵略戦争」ですよね。「国家神道」的な精神が、それらを推進した...ということですよね。

で、それは理解出来なくはないのですが、現在の靖国神社をそういった文脈で「悪」と言い立てることって、実はマイナスの効果しか生まないのでは?という気がするのですが...。

あと、「国家神道」を「善」と言う気はないのですが、必然性ないし必要性がなかったわけではない...つまり「罪」もあるけど「功」の側面もあったんじゃないかと思うのですね。少なくとも明治という国家が、形だけとはいえ近代的国家としての体裁、あるいは統一をとり続ける事が出来たこと...その一助に「国家神道」的支配形態がある、という見方も出来ますよね(あくまでも現時点での一視点ですが)。

> > 「教派神道」って知りませんでした。やはり宗教はどれをとっても奥が深い...。
>
> 八幡様やお稲荷さんにお参りしたり、といったことではなくって、「○○教」だったりする方々の信仰のことです。

了解です。「天理教」くらいしか知らなかったです。

> > > 靖国の場合、「国家神道」(←って、今はないにしても)のイメージがどうしてもつきまといがち。。
> >
> > 実はそういうイメージを持っていました...(w。
>
> 私もですよ(w

まぁ、「靖国」さんは「国家神道」ですよね。

> > ただ、ここでやりとりしながら(遅々とした学びではありますが)実は私がもっている神道のイメージは、そのまま明治以降の国家神道の方だったのだな...という風に思っています(あまり巧い言い回しではありませんが)。
>
> でもでも、天神さんやお稲荷さんやお不動さんとかって、「国家神道」というイメージはないでせう?(あったりして。。)

実は、あります。...というのは冗談です。
巧く文章化出来るか少し心もとないのですが...例えば「祖霊」は「寺」といわれて、すぐに「あ、そうだった」と納得しそうになるのですね。それって、神仏分離的思考回路ですよね。
「祖霊」が「仏教」なのか「神道」なのか「儒教」なのか...その種の区分って当時の一般庶民には厳密にはなかったのではないかな、ということです。

「神社神道」という「言葉」が明治以後に出来た言葉...と言われましたが、それ以前にはその種の区分や差別化って不要だったのでは?という理解です。
gajiさんが添付されていたこちらのサイトからなのですが

<引用開始>
神仏分離は、中世以降支配的だった仏教の影響を排し、神道を復古するものと銘打って行われた。しかし現実には、復古すべき「神道」は、仏教以前に存在したわけでもなく、宗教としての実体を伴ったものでもなく、近世に机上で考えられたものの域を出なかった。(引用者 略)それに対して、仏教・修験道との協力関係を禁じられた神社は、広域の布教主体(これは、しばしば山伏によって担われていた)を失い、かえって宗教としての力を削がれることになった。(引用者 略)また、神仏習合した祭神・本地を対象として伝承されてきた信仰は、その対象を奪われ、あるいは変更を強いられ、それが経典や全国組織に依拠したものでないだけに、信仰内容そのものが断絶の憂き目に遭うこともあった。
近代の神社政策は、必ずしも一貫したものではなく、一部の社家が目論んだ、宗教としての「神道」の国教化の観点から、宗教性を排して中央集権国家の国民管理拠点とする観点まで、大きな振幅をもって揺れ動くが、結局のところ、神社から自立的な宗教性を剥奪し、管理の具とする方向の政策が響いた。(引用者 略)現代でも、神道や神社に関する話題の多くを、神式結婚式だの靖国神社だのといった、近代に発明された怪しげなものが占めているのを見て、鎮守の森の神々は、さぞげっそりしているに違いない。
<引用終了>http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/history/KamiGami/intr1.html

(長い引用ですみません)
...庶民レベルで明治以前の「神社神道」が「神社神道」である、って認識ってなかったと思うのですね。所謂、現世利益的な信仰も含めて、日常に密着した信仰(この言葉さえ強すぎる気がしますが)ものだったのではないかと...。

で、私が「神道」って思い浮かべる時って、結構ガチガチに考えがち...なのですね。上記の様な「日常に密着した自然なもの」的な見方をしていない...くらいの意味です。

> > 「怨国神社」を「怨念神社」と読んでました...。
>
> もしかしてあるかもしれないと思って調べてみたら、ありまてんでした(w

...そうでしたか、ありがとうございます。
ありそうな感じがしてしまったのです(いや、冗談なのですが、半分)。

> そういうことだと思います。天皇自体は”玉”でしかないんですが、。

薩長的ですね...。

> > 神仏混淆(神仏集合)は実感としてわかりにくいです。我ながら、明治以降の神仏分離的なものの見方が染み付いているのだなと...。
>
> 私も明治以降の生まれなんでしが〜(w
> 気分的には神様仏様であったりしますyo

う〜ん、私は「七福神」の詳しい説明を聞いてビックリした人です...(w。

> 「古墳式」というのは豪族(天皇とか)のものであって、普通の人々のものではないということ。。

そうです。すみません。一般の人はしばらくは土葬式だったようですね。

> > > 私の場合、死に際に居合わせた経験は、猫のガジだけです。(HNはそこから。。)
> > 覚えていること...でしょうか。
>
> ?スミマセン。意味が取りにくかったんですが。
> 忘れたほうがいい、、ということ?

分かりにくい書き方をしてしまってすみません。
慰霊の話のときに、ローランサンの話がでましたが、そこからの連想です。
HNはそこから...を読んで「忘れないこと」...思い続けるということなのかな...と思ったのです。
...余計ごとでしたら、申し訳ないです。

> 姫板裏
> 3443〜あたりにあります。なぜか、文字が小さいので、「表示」で大きくしたほうがラクです。

ありがとうございます。3443〜あたりだったのですね。読んできました。
(「新・正気煥発掲示板´」を読んでいなかったので今ひとつ「?」だったようです)。
朝鮮神宮に関する、当時の神道家の人たちの考え方は理解できるのですが、日本政府が朝鮮統治の策の一つとして、「国家神道」を利用(使用かな?)しようとした...という図式にも見えるのですが...(で、それ自体が愚策であったということかな)。
削除キー→

5587 Re:どっかの、つづき。1 a thousand 2005/06/29 11:22
gajiさん、こんにちは(^^)。

> スケールが分からないので何とも、、なのですけど、山を開墾して果樹園や畑、棚田(段畑)をつくったというのはよく聞きますけど、普通の水田はむずかしいのでは?と。

すみません、言いすぎでした。(投稿した後に「山を開墾...は無いな」と思いました。荒地を開墾だと思います。荒地の中に群木があったので残しておいたのかな?と)。

> 今度、帰郷なさった折にでも、神社の縁起とかチェックしてみたら経緯が分かるかもしれませんね。

神社自体は本当に「あるだけ」神社なんですよ。一目して終了。図書館に何かあるかな(って、図書館自体無いのですが...)。

> 田んぼの中に神社が、、というのけっこうありますね。田中神社とか、田中八幡宮とか。

田中神社で検索してみました。写真付のサイトなど見ますと...こんなに立派ではないです(^^;。
熊野巡り/田中神社

> 鳥居の建設年かもしれませんよ。。
> 近代になって行われた統廃合で、「全国の神社の総数を、約四割削減」しているんでした。

なるほど、その可能性もありますか...。
祠の方は、数年前の台風で被害にあって、割合最近建て直しされているので、元の形ではないのでつくりの古さから推察もちょっと出来なくて(どちらにしろ素人判断(^^;)。

> 「1村1社」といっても、村自体も統廃合されたりしたので、合祀による統廃合だと思うのですが。。
> (ちなみに今現在「県」って46県ですけど、明治の初めは倍近くあったんですよ)

(その頃の地図が欲しいかも...)
そういえば住所でも「村」とはつかないので、村範囲どのあたりか不明かも...。
歩ける範囲(1時間前後)で他の場所にも鳥居付の神社はあったりするので、合祀はないかな?
結局、昔から「八幡神社」だったのかどうかは不明ですね(確かに調べてみるのは面白いかも...)。

> > そうですね。「招魂社」の発足時には「国を...云々」は考えとして、まだ入っていないと思います。
>
> で、官軍ではなく斃れた側(こちらのほうが圧倒的に多いですね。負けたのですから)の慰霊碑もあちこちにありますね。
> 戦没者供養碑

千葉の方でも戦闘があったのですね(知りませんでした...)。
ただ、所謂「賊軍」...「東軍」の人たちの慰霊碑って、やはり戊辰戦争が終結して、かなり経過してから建立されたものなのではないかと思うのですが。

> 同じ「武士」でも、「勤皇の志士」はまた少しちがってたでしょうし。

そうですね。それは言えてます。
「勤皇の志士」は、なんといいますか過激な気がしますです...。
(江戸後期の武士って実際には「切腹=腹きり」は、しなかったそうですね。扇子で腹を切る形をまねて、介錯を受けるという「作法」があった...と昔、本で読みました)。

> いわば、いままでの藩主やお上カミに対する「忠」は捨てたということかと。

そうですね。藩主やお上に対する「忠」を早めに捨てることが出来た藩(と言う言い方は少々乱暴ですが)...藩論を「尊王」で統一できた藩が、「官軍」に「なれた」ということだと思います。

> 時代に乗れなかった(読めなかった)者たちが「忠」に殉じたとも言えそう。でなければ”負け戦イクサ”と分かっていながら、なぜ?としか思えないんです。。
> http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/bosin2.htm

(...このサイト...面白いですね(キャラクター設定が司馬遼太郎風...(w)。
う〜ん、難しいです。
回避しようとする動きもあったのですよね。会津藩内では、少数派ではあったにせよ...(「恭順派」と呼ばれて鳥羽伏見の敗戦後切腹した家老や、抗戦に抗して追放された家老など...)。
「奥羽列藩同盟」が巧く機能していれば...(内戦長期化で泥沼だったかな...)。

...会津藩の場合「忠」って、天皇にも向けられていたんですよね...。(というか、かなり真面目に「尊王」な藩だった気がします←会津藩)。

> ”名誉の戦死”といった言い方って死後(つまり死者)に対する言葉で、「戦意高揚」というのは逆に生きてる人に対する雰囲気作りですね。

了解です。確かにそうですね。

> いくら「私的」といっても、首相として参拝してますしね。公約に掲げること自体、矛盾してると思うんですが。参拝はもちろん自由だと思いますけど。

ですね...異論はないです。

> > ただ、小泉首相の「誠の気持ちを捧げる」だったかな?これ自体は首相の気持ちとし嘘ではない、とも思うのですけど...(であれば最初から「私的」であっても無問題な気もしますが)。
>
> コソーリ^^行けばいいのでは。。でもそうすると、票にならないのかな。

結局そういう事になってしまうのですよね...。"誠の気持ち"であったにせよ、にごってしまう...。

> > で、あれば靖国神社の政治的な側面を解消していく、という方向に持っていくのが妥当ではないかな、と。(それが難しいわけなのですが...)。
>
> 公約に靖国参拝を掲げたりするのは靖国の政治利用でしかないと思いますし。

同意です。

> 【政教分離】ーーーーーー
> 政治と宗教の結びつきを切ること。宗教団体が政治に介入することも、また、国家が宗教団体や個人の信仰に干渉することをも禁止するという原則。
> ーーーーーーーーーーーー
>
> 「靖国」は、戦前はどうあれ、現在は宗教法人であって、「教派神道」といった宗教団体ともまったく違うわけですから、誰でも自由に参拝におとずれていいと思うんです。

そう思います。参拝することが「公約」として機能してしまうこと自体、何か「おかしい」気がします。(あまり突っ込むとループ化してしまうのですが)。

> 戦後60年のいま、これだけくすぶるというのも、うーーん、ではありますが。。
> あとウン十年もしたら、選挙の公約に掲げられることもなくなり、静かにお参りされてたりするのかもしれません。

う〜ん、ウン十年ですか...確かに時間が解決策が一番確実かなぁ...。(今年はどうなるかな)。
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5586 ZZ gaji 2005/06/29 00:48
アデリーペンギン
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/3780/adelie4.jpg
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5585 Re:スイマソン。。間違いでつ gaji 2005/06/28 21:50
> 今現在「県」は43県デツ

工工エエエ(´Д`;)エエエ工工

> そもそも、江戸時代には260前後の藩があったんだね。寛政四年の大成武官では親藩12、譜代大名144、外様大名100の256藩があった。ソリが1871年(明治四)7月の廃藩置県で3府302県1使になったけど、11月の統廃合で3府72県1使に鳴ったんだよね。

ここは知ってましたが、

> 「使」ってのは皆さんご存じのように北海道開拓使(71年8月からは開拓使)直轄ちうことだね。

スイマソンが初めて知りまった。
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5584 Re:どっかの、つづき。2・3 gaji 2005/06/28 21:37
> 「靖国神社」に対して、歴史的な観点から批判するのは自由だと思うし、意義も有ると思います(ROM者的見地からですが←読んでないくせに...(w)。

「問答」ではあまりなかったですよ(ほかのところをチラッと先週ROMしたら、問答無用っぽく、ヤスクニっていうだけでお決まりのように”悪”にされていて、、以下(ry。。)

> ただ、「反対」は微妙な気がします。参拝者の多くにとって「慰霊の場」として機能している「靖国神社」の、何に対してどう「反対」しているのか...。

「悪」だからでしょう。。思考停止といいますか。。

> > 理屈としては増殖するわけですから、分祀したりしたら、かえって「?」かも…。
> なんですよね、増えてしまうだけなのですよね...。

そうなんでした。

> 「教派神道」って知りませんでした。やはり宗教はどれをとっても奥が深い...。

八幡様やお稲荷さんにお参りしたり、といったことではなくって、「○○教」だったりする方々の信仰のことです。

> > 靖国の場合、「国家神道」(←って、今はないにしても)のイメージがどうしてもつきまといがち。。
>
> 実はそういうイメージを持っていました...(w。

私もですよ(w

> ただ、ここでやりとりしながら(遅々とした学びではありますが)実は私がもっている神道のイメージは、そのまま明治以降の国家神道の方だったのだな...という風に思っています(あまり巧い言い回しではありませんが)。

でもでも、天神さんやお稲荷さんやお不動さんとかって、「国家神道」というイメージはないでせう?(あったりして。。)


> 「怨国神社」を「怨念神社」と読んでました...。

もしかしてあるかもしれないと思って調べてみたら、ありまてんでした(w

> > 祖霊信仰の下地があったから、明治維新以降の国家神道的な統治が比較的スムーズにいったのでは、といった意見もあるようです。
>
> 国家神道的な統治...それは天皇が国の長であるということと、天皇が国の祖である(祖先が国の神)ということが、「祖霊信仰」に通じる部分がある、ということかな...。

そういうことだと思います。天皇自体は”玉”でしかないんですが、。

> 神仏混淆(神仏集合)は実感としてわかりにくいです。我ながら、明治以降の神仏分離的なものの見方が染み付いているのだなと...。

私も明治以降の生まれなんでしが〜(w
気分的には神様仏様であったりしますyo

>>http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-22.htm
>> 死者たちの中世

> 「死穢」とは具体的にこういうものだったのですね...。

そのようです。

> 自分でも少し検索してみたのですが、平安時代以前にはなかったのですね。それ以前は古墳式で死体を弔っていた様ですね。あと、庶民と貴族の間にも「死穢」に対する感覚の差と言うものがしばらくはあった模様です(全文は読んでないのですが)。

「古墳式」というのは豪族(天皇とか)のものであって、普通の人々のものではないということ。。

> 穢れと結界に関する一考察

> > 私の場合、死に際に居合わせた経験は、猫のガジだけです。(HNはそこから。。)
> 覚えていること...でしょうか。

?スミマセン。意味が取りにくかったんですが。
忘れたほうがいい、、ということ?


> > ★オマケ
> > 明治以来の「国家神道」って批判の的の定番のようですけれど、、
> > 朝鮮併合のときの神社建設に反対していたのは神道側なんでした。(芥屋さんが「姫裏」板で言ってましたね)
>
> はい、部分的に読んでます。(再読しようと過去ログを見てみたのですがちょっとみつかりませんでした。また後日に再挑戦)。
> 結構ややこしい論争だったように記憶しているのですが...。

姫板裏
3443〜あたりにあります。なぜか、文字が小さいので、「表示」で大きくしたほうがラクです。
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5583 Re:スイマソン。。間違いでつ 秀里 2005/06/28 21:20
> ×今現在「県」って46県ですけど
> ○今現在「県」って47県ですけど
>
> 失礼しました。。

今現在「県」は43県デツ

そもそも、江戸時代には260前後の藩があったんだね。寛政四年の大成武官では親藩12、譜代大名144、外様大名100の256藩があった。ソリが1871年(明治四)7月の廃藩置県で3府302県1使になったけど、11月の統廃合で3府72県1使に鳴ったんだよね。
「使」ってのは皆さんご存じのように北海道開拓使(71年8月からは開拓使)直轄ちうことだね。

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5582 スイマソン。。間違いでつ gaji 2005/06/28 20:43
×今現在「県」って46県ですけど
○今現在「県」って47県ですけど

失礼しました。。
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5581 Re:どっかの、つづき。1 gaji 2005/06/28 20:25
こんばんわ

> 郷里の神社のある小山は、田んぼの中にひょっこりあるのですね。で、想像なのですが、山を開墾していく過程で、開墾していた農家の人たちがそういう形で山を一部残して、お祭していたのではないかな?と...。

スケールが分からないので何とも、、なのですけど、山を開墾して果樹園や畑、棚田(段畑)をつくったというのはよく聞きますけど、普通の水田はむずかしいのでは?と。

> > > 郷里にある神社も建てられたのは大正時代のようです。それ以前はその神社のある「小山」自体が御神体だったのかも...と想像中。

今度、帰郷なさった折にでも、神社の縁起とかチェックしてみたら経緯が分かるかもしれませんね。

> > 大正時代に建てられたというのは、う〜ん、例えば何神社ですか?
>
> 「八幡神社」です。
> > ●全国神社分祀一覧表
> gajiさんが添付されていた↑の「八幡神社」のところを読むと、なんとなく納得です(農村なので)。

田んぼの中に神社が、、というのけっこうありますね。田中神社とか、田中八幡宮とか。

> 昨年の里帰りの時に、散歩がてら見学へ行ったのですが、祠の方はいつ建てられたものなのか分かりませんでしたが、鳥居の方に"大正○年"と彫ってあったので、その頃に建立されたものだろうと思います。

鳥居の建設年かもしれませんよ。。
近代になって行われた統廃合で、「全国の神社の総数を、約四割削減」しているんでした。

> > 近代以降、神社ってかなり政府の管理下におかれていたらしいですし。
>
> そうだったのですね。
> > 神々の明治維新
> gajiさん添付の↑このサイト
> <引用開始>
> 伊勢神宮内宮を頂点とする国幣官幣社の元に、地方の郷社が定められ、さらに村毎に村社をおいた。一村一社を原則としたため妙な合祀がなされた。
> <引用終了>
> このあたりの流れから建立されたのかな...と。

「1村1社」といっても、村自体も統廃合されたりしたので、合祀による統廃合だと思うのですが。。
(ちなみに今現在「県」って46県ですけど、明治の初めは倍近くあったんですよ)


> > 「招魂社」は国を守るため、というよりは、いわば国内の内戦で買った側(官軍)について殉死した方たちを厚く葬るため(慰霊)に設けられたものなんです。
>
> そうですね。「招魂社」の発足時には「国を...云々」は考えとして、まだ入っていないと思います。

で、官軍ではなく斃れた側(こちらのほうが圧倒的に多いですね。負けたのですから)の慰霊碑もあちこちにありますね。
戦没者供養碑

> > (余談ですが、当初はどこを探しても「戦意高揚」といった意味づけはないんですyo)
>
> う〜ん、線引きが難しいですね。
> 幕末明治の頃の武士の人たちの思考法って、結構感覚が違っているように思うのですね。

同じ「武士」でも、「勤皇の志士」はまた少しちがってたでしょうし。

> その時代の「死に方」として「忠」(「忠義」かな?)の為に死す事ってマイナスなものではない、というイメージを持っています。
> で、所謂「幕末の志士」たちって基本的には「尊王」で、「忠」の向けどころってつまり「皇」なのですよね。
> (「忠」の向けどころの問題で、薩摩藩士同士で葛藤が生じて同士討ちがあったり...)。

ですね。
いわば、いままでの藩主やお上カミに対する「忠」は捨てたということかと。
時代に乗れなかった(読めなかった)者たちが「忠」に殉じたとも言えそう。でなければ”負け戦イクサ”と分かっていながら、なぜ?としか思えないんです。。
http://www.geocities.jp/sou_nihonshi/bosin2.htm


> ...「戦意高揚」とは違いますけど、慰霊の中に、その死に対する「誉(ホマレ)」の要素も含まれていたのでは、と思っているのです。
> (で、その「感覚」自体が「戦意高揚」的なものと混同されやすい...のか混在しているのかは自分でも不明なのですが)。

”名誉の戦死”といった言い方って死後(つまり死者)に対する言葉で、「戦意高揚」というのは逆に生きてる人に対する雰囲気作りですね。

> 中国の場合は、感情+合理(政治)といった印象があるのですが、韓国の場合は感情的、情緒的な反発が強いイメージがあります。
> ...政教分離問題の発端は、野党勢力からの批判かな。

> > (小泉首相のバヤイ、当初掲げてたわけで、バカですね。。と思います。プライベートであれば、掲げるな、と申し上げたい)
>
> "プライベートであれば、掲げるな"...ですね。
> 参拝した後反発を受けて「私的参拝」と言い換えるのはどうなのか、と思います。参拝したのだから公約違反にはならない...という考えなのかな?

いくら「私的」といっても、首相として参拝してますしね。公約に掲げること自体、矛盾してると思うんですが。参拝はもちろん自由だと思いますけど。

> ただ、小泉首相の「誠の気持ちを捧げる」だったかな?これ自体は首相の気持ちとし嘘ではない、とも思うのですけど...(であれば最初から「私的」であっても無問題な気もしますが)。

コソーリ^^行けばいいのでは。。でもそうすると、票にならないのかな。

> 例えば「無宗教」の施設を...という意見もありますよね。でも、「靖国」があって機能しているのに、また新たに施設を作ったとして、機能するのかな、と。
> つまり、首相や天皇が行っても、ことさら批判を受けない...という目的の為のみに、新しい施設を作っても無意味なのでは?と思うのですね。

ですね。税金の無駄遣いでもあるし。。

> 新しい施設が機能するようになるには、靖国神社そのものを否定していく方向の先にしかないのでは?と思うのですが、そのような事が可能だろうか?と思うのです。参拝者の多くにとっては、否定する必要などないなのですから、不可能じゃないかな、と。

ですね〜

> で、あれば靖国神社の政治的な側面を解消していく、という方向に持っていくのが妥当ではないかな、と。(それが難しいわけなのですが...)。

公約に靖国参拝を掲げたりするのは靖国の政治利用でしかないと思いますし。

【政教分離】ーーーーーー
政治と宗教の結びつきを切ること。宗教団体が政治に介入することも、また、国家が宗教団体や個人の信仰に干渉することをも禁止するという原則。
ーーーーーーーーーーーー

「靖国」は、戦前はどうあれ、現在は宗教法人であって、「教派神道」といった宗教団体ともまったく違うわけですから、誰でも自由に参拝におとずれていいと思うんです。

戦後60年のいま、これだけくすぶるというのも、うーーん、ではありますが。。
あとウン十年もしたら、選挙の公約に掲げられることもなくなり、静かにお参りされてたりするのかもしれません。
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5580 PS gaji 2005/06/28 00:29
↓クリックすると、音が出ます。
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5579 おやすみなさい gaji 2005/06/28 00:28
http://www.geocities.jp/nanashino89/trigger/tr03.html
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5578 Re:どっかの、つづき。2・3 a thousand 2005/06/27 22:01
つづきです。

> 例えば”界隈”は「反対・批判」が圧倒的多数ですよ。

う〜ん、またしても最近読んでないのですが、なんとなく納得...。
「靖国神社」に対して、歴史的な観点から批判するのは自由だと思うし、意義も有ると思います(ROM者的見地からですが←読んでないくせに...(w)。
ただ、「反対」は微妙な気がします。参拝者の多くにとって「慰霊の場」として機能している「靖国神社」の、何に対してどう「反対」しているのか...。

> 理屈としては増殖するわけですから、分祀したりしたら、かえって「?」かも…。

なんですよね、増えてしまうだけなのですよね...。

> メチャ失礼。「それ以前の〜」でよかったんでした。
> 言葉として「神社神道」という言い方を用いるようになったのが明治以降というだけで。。

了解です。

> ーーーーーーーーー
> じんじゃ‐しんとう 【神社神道】 - 国語辞書(大辞泉) ダイレクト検索
> その土地の神社を中心に、祭りその他の行事を通して氏子との地縁的な結びつきを基礎とする神道
> ーーーーーーーーー
>  「神社神道」とは、全国の神社や神の祭祀組織の信仰を中心とする宗教。明治以後、殊に教派神道と区別するために用いられた語。
>  「教派神道」とは、戦前に国家の祭祀とされた神社神道(国家神道)に対し、宗教としての神道の教派の総称で、14教(のち13教)あり、教派神道十三派と呼ばれた。すなわち神道大教・黒住教・神道修成派・大社教・扶桑教・実行教・神道大成教・神習教・御岳教・禊教・神理教・金光教・天理教・神宮教で、神宮教は1899年(明治32)解散し、神宮奉斎会となった(『広辞苑』)。
> ーーーーーーーーーhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7701/s77/shinto-frame.htm

「教派神道」って知りませんでした。やはり宗教はどれをとっても奥が深い...。

> かつての神社はほとんど神仏混淆だったでしょうけれど、いまの神社は、「神社神道」ということかと(仏教的な名残が多少残っているにしても)。
> 靖国の場合、「国家神道」(←って、今はないにしても)のイメージがどうしてもつきまといがち。。

実はそういうイメージを持っていました...(w。
ただ、ここでやりとりしながら(遅々とした学びではありますが)実は私がもっている神道のイメージは、そのまま明治以降の国家神道の方だったのだな...という風に思っています(あまり巧い言い回しではありませんが)。

> > > 「怨国神社」って、あったらこわい。。
> > ですね...(スミマセン。不謹慎にも笑ってしまいました。反省(w)。
> あ、いいえ(w

ここ誤読してました...。
「怨国神社」を「怨念神社」と読んでました...。

> 祖霊信仰の場合、どちらかというと「神社」ではなく「寺」のほうかと。あ、でも神仏混淆ですしね。
> 祖霊信仰の下地があったから、明治維新以降の国家神道的な統治が比較的スムーズにいったのでは、といった意見もあるようです。

国家神道的な統治...それは天皇が国の長であるということと、天皇が国の祖である(祖先が国の神)ということが、「祖霊信仰」に通じる部分がある、ということかな...。
神仏混淆(神仏集合)は実感としてわかりにくいです。我ながら、明治以降の神仏分離的なものの見方が染み付いているのだなと...。


> ーーーーーーーーーーーーー
> 死を穢れとし、忌むべきものと捉えていた当時、限定された建物の空間での死は禁忌された。清浄のなかで神に仕える神官が、死期が近くなると不浄屋に移ることを定めた神社の記録も残されている。一般庶民レベルでは死期が迫った病人や老人を、家や建物の外の、触穢の及ばない開放された空間である路上や橋、河原や原野に出すという行為が日常的に行なわれて来たのである。そこには、現在では信じられないような光景が見られた。
> ーーーーーーーーーーーーーhttp://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-22.htm
>
> 死者たちの中世

「死穢」とは具体的にこういうものだったのですね...。
自分でも少し検索してみたのですが、平安時代以前にはなかったのですね。それ以前は古墳式で死体を弔っていた様ですね。あと、庶民と貴族の間にも「死穢」に対する感覚の差と言うものがしばらくはあった模様です(全文は読んでないのですが)。
穢れと結界に関する一考察

> > ですね。ただ、犬とか猫の場合って、死に際を目にすることってあまりなかったのですね。
> > このあたり、実際に目にした場合だと、持つ印象って異なっていたかも、と思いました。
> > つまり、身近な人でも、臨終を目にしたとき「恐れ」を抱く場合もあるかもしれない...と。
>
> 私の場合、死に際に居合わせた経験は、猫のガジだけです。(HNはそこから。。)

覚えていること...でしょうか。

> ★オマケ
> 明治以来の「国家神道」って批判の的の定番のようですけれど、、
> 朝鮮併合のときの神社建設に反対していたのは神道側なんでした。(芥屋さんが「姫裏」板で言ってましたね)

はい、部分的に読んでます。(再読しようと過去ログを見てみたのですがちょっとみつかりませんでした。また後日に再挑戦)。
結構ややこしい論争だったように記憶しているのですが...。
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5577 Re:どっかの、つづき。1 a thousand 2005/06/27 21:59
gajiさん、こんにちは(^^)。
レスをありがとうございます。

> (「はぁ、ええよ〜〜」(訳:「もう、構わないから(レスしなくても)」と言われそうなような...(^^;)。
>
> 100年後のレスだったら、そう言うかも^^(←言えそうにない予感。。

そうなんですか。ありがとうございます(^^)。
それでは、今後とも宜しく(?)です。

> > 神社は仏教の寺院が立てられた時期に、建てられ始めたもののようですね。(これも知らなかった...(w)。
>
> そうなんですね。霊山とか霊峰、それから神木etcがあるように、自然を神と見立てての畏怖が先だったと思います。

了解です。
郷里の神社のある小山は、田んぼの中にひょっこりあるのですね。で、想像なのですが、山を開墾していく過程で、開墾していた農家の人たちがそういう形で山を一部残して、お祭していたのではないかな?と...。

> > 郷里にある神社も建てられたのは大正時代のようです。それ以前はその神社のある「小山」自体が御神体だったのかも...と想像中。
>
> 大正時代に建てられたというのは、う〜ん、例えば何神社ですか?

「八幡神社」です。
> ●全国神社分祀一覧表
gajiさんが添付されていた↑の「八幡神社」のところを読むと、なんとなく納得です(農村なので)。

昨年の里帰りの時に、散歩がてら見学へ行ったのですが、祠の方はいつ建てられたものなのか分かりませんでしたが、鳥居の方に"大正○年"と彫ってあったので、その頃に建立されたものだろうと思います。

(...余談ですがこのサイト、面白いです。長年(?)の疑問の一部が解消。
神社で時折見る「家紋」の謎が解けました。gajiさん、ありがとうございます(^^))。

> 近代以降、神社ってかなり政府の管理下におかれていたらしいですし。

そうだったのですね。
> 神々の明治維新
gajiさん添付の↑このサイト
<引用開始>
伊勢神宮内宮を頂点とする国幣官幣社の元に、地方の郷社が定められ、さらに村毎に村社をおいた。一村一社を原則としたため妙な合祀がなされた。
<引用終了>
このあたりの流れから建立されたのかな...と。

> > > > 「鎮守の神様」って、祖霊+土地の神様=氏神と理解しているのですが、靖国神社の場合、英霊とは国を守るために命を捧げた人たちなので、護国の神(国を守る神様)と捉えられていたのでは?と考えたのです。
>
> ここ↑私も同感しつつプラス↓でした。
>
> > > 「護国の神」の場合、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」ということでもあるでしょうね。
> >
> > この部分の自分の記述も、撤回します(度々すみません)。これは正直「思いつき+思い込み」でした...。
>
> 「すみません」は余計でしyo^^私自身、よく分からずに言ってますので。。。私こそ、スミマセン。

では、「すみません」を撤回...(←冗談です(^^ゞ)。
詳細に考え始めると混乱して、思考停止してしまう悪い癖がでてしまいました...。
「護国の神」に関しては同意...ということで(^^)。

> > 「招魂」自体が「慰霊」を含んだもの...だったのですね(違うかな?)。
>
> 「招魂祭」は「慰霊祭」でもあるので、そう思います。
>
> > ...なので、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」をお慰めするために建てられたのが、靖国神社の前身の「招魂社」かな、と。
>
> そこは、少し前後がズレてるかもでしよ。
>
> 「招魂社」は国を守るため、というよりは、いわば国内の内戦で買った側(官軍)について殉死した方たちを厚く葬るため(慰霊)に設けられたものなんです。

そうですね。「招魂社」の発足時には「国を...云々」は考えとして、まだ入っていないと思います。

> (余談ですが、当初はどこを探しても「戦意高揚」といった意味づけはないんですyo)

う〜ん、線引きが難しいですね。
幕末明治の頃の武士の人たちの思考法って、結構感覚が違っているように思うのですね。
その時代の「死に方」として「忠」(「忠義」かな?)の為に死す事ってマイナスなものではない、というイメージを持っています。
で、所謂「幕末の志士」たちって基本的には「尊王」で、「忠」の向けどころってつまり「皇」なのですよね。
(「忠」の向けどころの問題で、薩摩藩士同士で葛藤が生じて同士討ちがあったり...)。

...「戦意高揚」とは違いますけど、慰霊の中に、その死に対する「誉(ホマレ)」の要素も含まれていたのでは、と思っているのです。
(で、その「感覚」自体が「戦意高揚」的なものと混同されやすい...のか混在しているのかは自分でも不明なのですが)。

> > 中国や韓国が批判することで、政治問題化している...という側面と、それ以前の政教分離の問題とがあると思うのですが...。
>
> どちらも、死者を政治利用しているような気がします。。

中国の場合は、感情+合理(政治)といった印象があるのですが、韓国の場合は感情的、情緒的な反発が強いイメージがあります。
...政教分離問題の発端は、野党勢力からの批判かな。

> (小泉首相のバヤイ、当初掲げてたわけで、バカですね。。と思います。プライベートであれば、掲げるな、と申し上げたい)

"プライベートであれば、掲げるな"...ですね。
参拝した後反発を受けて「私的参拝」と言い換えるのはどうなのか、と思います。参拝したのだから公約違反にはならない...という考えなのかな?

ただ、小泉首相の「誠の気持ちを捧げる」だったかな?これ自体は首相の気持ちとし嘘ではない、とも思うのですけど...(であれば最初から「私的」であっても無問題な気もしますが)。

> > 「慰霊の場」として見た時、妥当な姿とは言えない、と思うのですが、
>
> 場を「妥当な姿」に変えればOKということカニャ?
> 「慰霊の場」にとって、妥当なとこって、例えば、どういう場であれば「妥当」カニャ。。?

例えば「無宗教」の施設を...という意見もありますよね。でも、「靖国」があって機能しているのに、また新たに施設を作ったとして、機能するのかな、と。
つまり、首相や天皇が行っても、ことさら批判を受けない...という目的の為のみに、新しい施設を作っても無意味なのでは?と思うのですね。

新しい施設が機能するようになるには、靖国神社そのものを否定していく方向の先にしかないのでは?と思うのですが、そのような事が可能だろうか?と思うのです。参拝者の多くにとっては、否定する必要などないなのですから、不可能じゃないかな、と。
で、あれば靖国神社の政治的な側面を解消していく、という方向に持っていくのが妥当ではないかな、と。(それが難しいわけなのですが...)。
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5576 gaji 2005/06/27 03:24
数日前の買い物帰り、交差点が赤〜の手前で4、5歳くらいの男の子が泣きじゃくっているので、!?!?!?

「ぼく、どうしたの?」

(こういっていいのかどうか一瞬、悩んだのですが、、)
「おかーさんは?」

そしたら、交差点の向こう側を指差すので、、あ、そっか〜、信号の関係でオカータンと離ればなれになってしまって泣いてたんだ〜、、なら、ダイジビでつ〜♪

で、青になって、なんとなく一緒に渡ったんですが、、、

待っていたのは、怖いオカータンだったのでした(涙

なんか、イケナイことをその子がしたみたいなんですが、
いきなり「今日のごはんはなし!」とか、叫ぶんです。(わたしオロオロ。。。

………。。


そういえば、私もそういうことを子供に言ったときがあったなぁ。。と(数年に1、2度)。


同じような買い物帰りの道なのですが、
今日出会った親子は、歌いながら歩いていて、

アルぅーヒ♪(乳母車を押してるオカータン
森の中♪(5〜6才くらいの子
……歌に会わせて踊ってる^^(3才くらいの子
……それに合わせて?手足バタバタ(1才未満?の赤タン

クマさんに♪
デアアった♪
挨拶のしぐさ
手足バタバタ^^


なんだか、そのリズム合わせて歩いてしまいました(w
踊って回るとこまでは行きませんでしたが^^(踊ってたらアブナイ?


ほんのちょっとしたことの積み重ねなんでしょうけど、
ひとを殺したくなってしまうことって、、思うことはあるかも、、なのですが、
実際に、ってなかなか、むずかしい、はずなんですが。。。
うーーん、むずかしい。。。15歳。




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5575 gaji 2005/06/27 02:25
くちなし
http://homepage3.nifty.com/wako3/kaboku/kutinasi/kutinasi.htm
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5574 そういえば、、 gaji 2005/06/25 21:27
電車で思い出しました。

「*電車ってバンド知ってる?」とアフォボンに聞いたら、
「知ってる。前に(姉)**タソも持ってたじゃない」
「エえ゙〜〜!?そうなのォ〜?」(驚くgaji)
「(関西の従兄弟)**クンから聞いて買ったんだったかな。。」


失礼しました(界隈的な話題)。
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5573 「電車男」が北京でも。 gaji 2005/06/25 21:11
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
中国語版の装丁はかなりロマンティックで、エルメスを想う電車男がかなりオタッキーな雰囲気を醸し出しています。2チャン用語がたくさん出てきますから、中国語への翻訳も大変だったと思います。

例えば、物語のクライマックス、5月9日の項でスレ住人からの"祝福"の「キター」のAAはまさに、日本人でも理解不能のオンパレードですが、こんな風に訳注をつけて乗り切っていました。


      _,,..-──-..,,_
     /        `~'-.,_     ,,..-―-..,,_
.   ,i'                ~'''‐‐'''~   ,.r'''~   ギタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!!
   i'`''-..,,,_                 /                           __Φ Φ Φ__
  i'_,,,,..-i--i   ┌‐ii‐┐.┌.┐.┌.┐_i'___________________ノ_,。"''',。'''",。 \
  |   |三l三三| |l三l三l三l三l三l|ヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨ三l三l三l三l三l三l三l三|Ξ       ` 、ヽ
  |   |三l三三| |l三l三l三l三l三l|ヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨヨ三l三l三l三l三l三l三l三|Ξ二二二二二ニ―' ヽ
  --━━〇!.   └‐''‐┘.└.┘.└.┘'! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ、 `゚__,,`゚,,,,,`゚,,_  ,!
.  !,,..-'''",~-''''" ̄ ̄ヽ, ̄ ̄ ̄ ̄/ ゝ、                               ̄Φ Φ Φ   ̄
.   !、, '" ,,、◎ ◎ 。 i,   _,._='--..,_,.>
    ヾ 、 `” ◎ ◎  ,!_,="´
      `゙''-''====='''‐'"´
(吉他(ギター)は、日本語で来たぁ(キター)と同じ発音。)

同じじゃないんですけど、ま、いっか。

こういう本こそ、日本の若者が右傾化して中国に攻め込む準備をしているのではないか、みたいな中国の人たちの誤解を解いてくれるはずです。日本の新進作家先生の皆さま、ぜひ中野独人さんを見習って、中国語翻訳版の出版に積極になってください。
# by pandanokuni | 2005-06-05 19:41
ーーーーーーーーーーーーーーーーぺきん日記より
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5572 Re:どっかの、つづき。2 gaji 2005/06/24 22:12
> ちうかよ、「神社A」の祭神は中森明菜と五月みどりヂャ内科?

スイマソン、みどりタソのほうはシラナマテンでした。

> だけどコリデワ総理大臣の靖国参拝の何ら解決になってないと思うのはワタチだけでセウか?

(もちろん、手続き上のことだけであって、そうしたところで無意味。。)
短期的な「解決」は、はっきりいって無理で瀬う。

何をどうしたところで、クレームって、つけようとすればイクラでも、、っていうのは、国でも個人でも同じことのような、、悪寒。(少し自己投影気味。。

死ぬしかない(w
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5571 Re:どっかの、つづき。2 gaji 2005/06/24 21:52
> モレ想像するに、
> いわゆる靖国肯定且つ首相参拝慎重派(中曽根やっちゃん代表)の言う分祀っつーのはあれがねらいやろか。

深読み鴨でつが、、(w

> つまり「靖国からA級戦犯は文枝したで」ちうて、中韓に安心させておいで総理大臣がどんどん靖国参拝に逝く。シカシ靖国にはA級戦犯はシカーリ残ってる。
> 何も知らない中韓は「今度はBC戦犯も祀ってるデワナイカ」という。

Aの次はBでつしね。

> 「はいはい」とBC戦犯も分祀する。「なんぼでも文枝しまっせ」ぐらいカマシておく。

それからウン年、、

> 朝日新聞あたりが「ジツワ靖国にはABC取りそろっておりマツ」とのスクープネタを中韓に漏らす。
> チユウカン切れる

工工エエエ(´Д`;)エエエ工工
おっしゃるとおりに、一生懸命したんでつが。。

>   fin

ナムナム。。
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5570 Re:どっかの、つづき。2 秀里 2005/06/24 21:40
> -------------------------------------
> 2005-06-13 22:06:38
> 新規または既存の「神社A」が靖国に分祠をお願いする。もちろん「靖国の祭神は分割分離不能」だそうなので、全祭神まるごと一括の ditto コピーでよろし。
>
> その後、神社Aは不要な祭神を「祭神名簿」から取り除く「減祀」を行なう旨、神社庁に「祭神変更申請書」を提出し、認可を受ける。外された祭神にお参りしたい人や、この「神社A」が気に入らない人は、いままでどおり靖国に行けばよし。
>
> たかだか100年の歴史しかない靖国はいざ知らず、1000年以上の歴史をもつ由緒ある神社の多くでは、祭神の「増祠・減祠・廃祠」は度々行なわれている。まったくもとのまま残る靖国には、何の不利益も不都合も生じない(ハズ...)。


ちうかよ、「神社A」の祭神は中森明菜と五月みどりヂャ内科?

だけどコリデワ総理大臣の靖国参拝の何ら解決になってないと思うのはワタチだけでセウか?
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5569 Re:どっかの、つづき。2 秀里 2005/06/24 21:34
> それなりの手続きをクリアすれば、不可能ではないんでした。「靖国」から、ではなくて、靖国のコピペ先で「変更申請」をすればいいわけですね。
>

モレ想像するに、
いわゆる靖国肯定且つ首相参拝慎重派(中曽根やっちゃん代表)の言う分祀っつーのはあれがねらいやろか。
つまり「靖国からA級戦犯は文枝したで」ちうて、中韓に安心させておいで総理大臣がどんどん靖国参拝に逝く。シカシ靖国にはA級戦犯はシカーリ残ってる。
何も知らない中韓は「今度はBC戦犯も祀ってるデワナイカ」という。
「はいはい」とBC戦犯も分祀する。「なんぼでも文枝しまっせ」ぐらいカマシておく。
朝日新聞あたりが「ジツワ靖国にはABC取りそろっておりマツ」とのスクープネタを中韓に漏らす。
チユウカン切れる
  fin
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5568 Re:どっかの、つづき。2 gaji 2005/06/24 20:53
> 一般に神様に移ってもらう場合は、神宮では遷宮であり、一般神社では遷座と言うんだよね。
> ただこれはね、神宮の場合は20年に一度新しく建て替えるから、そのときに移って貰ったり、社殿の修繕なんかで一時的に移って貰ったりする場合だから、A級戦犯を靖国から追いだすったって、人間ごときが出ていってくれっと逝ったところで出ていくモノではないだろうね。という神道の教義かも知れない。
> そのための別な仮殿でも作ればいいのかも知れないけど、どうかニャニャニャ。

それなりの手続きをクリアすれば、不可能ではないんでした。「靖国」から、ではなくて、靖国のコピペ先で「変更申請」をすればいいわけですね。

-------------------------------------
2005-06-13 22:06:38
新規または既存の「神社A」が靖国に分祠をお願いする。もちろん「靖国の祭神は分割分離不能」だそうなので、全祭神まるごと一括の ditto コピーでよろし。

その後、神社Aは不要な祭神を「祭神名簿」から取り除く「減祀」を行なう旨、神社庁に「祭神変更申請書」を提出し、認可を受ける。外された祭神にお参りしたい人や、この「神社A」が気に入らない人は、いままでどおり靖国に行けばよし。

たかだか100年の歴史しかない靖国はいざ知らず、1000年以上の歴史をもつ由緒ある神社の多くでは、祭神の「増祠・減祠・廃祠」は度々行なわれている。まったくもとのまま残る靖国には、何の不利益も不都合も生じない(ハズ...)。
------------------http://japanese.joins.com/forum/poll/japan_admpoll_result.php ?aid=&servcode=&sectcode=&p_no=257&comment_gr=poll_257&pn=2
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5566 Re:作務衣と言えば・・ 秀里 2005/06/23 21:48
> > 秀里さま。作務衣いいですね〜(*^_^*)
>
> これからの季節はジンベイさんが涼しいかも。北海道にはジンベエさんってなかったりして(w
>

甚平はカッチョ悪い。
つーか、これも安いヤシは一回の洗濯で寝巻きになる股間…
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5565 Re:どっかの、つづき。2・3 秀里 2005/06/23 21:45
> 「分祀」のことは私もよく分からなかったんですが、、
> ●全国神社分祀一覧表
> これ↑を見ると分かりますが、分祀って、「稲荷信仰は全国でも最も多く分祀され、邸内の社やデパートの屋上、企業会社の神など幅広い」云々とあるように、分けるというのは同じ祭神が増えていく、ということだったんですね。クローンみたいに。
>

まぁ、中韓が褒め称えているところのいわゆる進歩派と称される連中だろう、それらが分祀分祀と騒いでいたら、そこらじゅうA級戦犯の神様だらけになっちまう。ってことをいわゆる進歩派はよくご存痔名のだろうか。知らずに知ったかぶりこいてたらいい恥晒すことになるニャニャニャ。
中韓も、A級戦犯の神様を増殖する手伝いを陰ながら(表だっては言わない)煽ってるんだね。生兵法は怪我の元ヤデ。
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5564 Re:どっかの、つづき。2・3 gaji 2005/06/23 21:17
> そうですね。これは中韓の批判の問題もありますが、遺族の方、というより、従軍して生きて帰られた方の中にも、批判的な考えをお持ちの方がおられるようですね(これは新聞の投稿欄などで読んだので、数としては多くはない、と思いますが)。

それぞれでしょうね。
例えば”界隈”は「反対・批判」が圧倒的多数ですよ。

> で、 分祀の問題に関しては「靖国問題」を読むまで知らなかったのですね。それで、分祀が出来ないのは何故なのだろうと...。

「分祀」のことは私もよく分からなかったんですが、、
●全国神社分祀一覧表
これ↑を見ると分かりますが、分祀って、「稲荷信仰は全国でも最も多く分祀され、邸内の社やデパートの屋上、企業会社の神など幅広い」云々とあるように、分けるというのは同じ祭神が増えていく、ということだったんですね。クローンみたいに。

> ...先週、「報道ステーション」で放映されていた靖国神社特集で、宮司の方の「分祀」に関しての説明があったのですが(見られていた方もあろうとは思いますが)「御霊」をろうそくの火に例えておられたのですね。
> つまりろうそくの火を「分けた」(「分祀」した)としても、一度合祀された御霊は元の火の方にも残っている、という説明だったので、靖国神社の見解としては、一度お祭された「御霊」を「分ける」事は出来るが、それは「個々」として「分ける」こととは違っている、ということなのだな、と...。

ですから、ここからあっちへ移して別にする、ということではないんでした。

> お参りする多くの方々にとっては、どちらであっても、特に影響しないのかもしれませんが...。

理屈としては増殖するわけですから、分祀したりしたら、かえって「?」かも…。

****
> 最終ページ(?)です。
>
> > > 「非業の死」を祀る神社にしても、それ以前の神社神道から見たときに「特異」。
> > 「それ以前の神社神道」って、たぶんないですよ。。近代以降のものかと。。
>
> う〜ん、そうなんですか?明治〜大正のころからかな?

メチャ失礼。「それ以前の〜」でよかったんでした。
言葉として「神社神道」という言い方を用いるようになったのが明治以降というだけで。。

ーーーーーーーーー
じんじゃ‐しんとう 【神社神道】 - 国語辞書(大辞泉) ダイレクト検索
その土地の神社を中心に、祭りその他の行事を通して氏子との地縁的な結びつきを基礎とする神道
ーーーーーーーーー
 「神社神道」とは、全国の神社や神の祭祀組織の信仰を中心とする宗教。明治以後、殊に教派神道と区別するために用いられた語。
 「教派神道」とは、戦前に国家の祭祀とされた神社神道(国家神道)に対し、宗教としての神道の教派の総称で、14教(のち13教)あり、教派神道十三派と呼ばれた。すなわち神道大教・黒住教・神道修成派・大社教・扶桑教・実行教・神道大成教・神習教・御岳教・禊教・神理教・金光教・天理教・神宮教で、神宮教は1899年(明治32)解散し、神宮奉斎会となった(『広辞苑』)。
ーーーーーーーーーhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7701/s77/shinto-frame.htm

> ノラクラ旅行中に、寺社の中に祠を見たり...これは神社神道ではないか。神仏集合かな?

かつての神社はほとんど神仏混淆だったでしょうけれど、いまの神社は、「神社神道」ということかと(仏教的な名残が多少残っているにしても)。
靖国の場合、「国家神道」(←って、今はないにしても)のイメージがどうしてもつきまといがち。。

> > 氏神信仰(地域にあったたくさんの神社)、それからお稲荷さん(稲荷神社)とか、お不動さんとか、八幡さま、とか、、神仏ゴチャマゼは神仏習合(垂加神道)の名残でしょう。
> > ”ヤスクニさん”とは、だれも言わない。。
> > 商売繁盛や安産祈願の神社ではない、ということ、かと。。
>
> でも”ヤスクニさん”ってなんかいいですね。(不謹慎かな?)
> 逆にそういう呼び方で、靖国ついて語っていける様になれば「軍国主義のフッカーツ」とか叫ばれなくてすむかも...。(やはり不謹慎か...(w)。

むずかしいところでしょうね…。。


> > 「怨国神社」って、あったらこわい。。
>
> ですね...(スミマセン。不謹慎にも笑ってしまいました。反省(w)。

あ、いいえ(w

> > > 「鎮守の森のお社」は地域に密着しているので、第三者からみて匿名...ということはないですよね。
> > そうなんです。ただ、「匿名」の意味が少しちがうんですよね。
> > えーと、たしか数ヶ月前に、桜子板であった話。
> > http://otd4.jbbs.livedoor.jp/214378/bbs_plain?base=3273&range=1
> > といったことを思い出しました。
> > 《「匿名」の意味が少しちがう》というのは、伝説の英雄の場合、複数の総合イメージ(物語素)だということ。ヤマトタケルにしてもスサノオにしても、同様というか、ひとりのひとのコトではないんですね。
>
> そういう意味でしたか。私は「地元の盟主」「地域の有力なお家」的イメージを想定していました→「鎮守の森のお社」=「土地神」+「祖霊」←ココ。

なんとなく、了解でつ。
祖霊信仰の場合、どちらかというと「神社」ではなく「寺」のほうかと。あ、でも神仏混淆ですしね。
祖霊信仰の下地があったから、明治維新以降の国家神道的な統治が比較的スムーズにいったのでは、といった意見もあるようです。

> > そうなのでしょうね。でも仏教系も少なからずいたんですよ。例えば「教育勅語」とかに仏教系(本覚系)の意見がけっこう入っていたり。(←これは以前、袴谷っていうひとの本で知ったのですが。。いま、手元になくって、なんとも。。)
>
> そうなのですか。
> 「教育勅語」
> 読んでみました(口語訳)。なんとなく、納得なような...。

ーーーーーーーーーーーーーー
仏教側が対キリスト教政策に仏教が有用であるとの売込みを行い、受け入れられたからであった。大教院を作って神仏混合の布教所のようにしたが、各地での教導職による宣教は坊主のほうが上手かった。西欧からキリスト教敵視策が非難されたこともあり、大教院は廃止され布教が自由となった。明治15年には教派神道が独立し、政教分離が決定的となった。ただ国家統合の意図は、教育勅語へと受け継がれた。
ーーーーーーーーーーーーーー神々の明治維新

真宗(西本願寺)は長州とつながりがあったせいもあって、けっこう意見が通ったといいますか。。


> > 代々の天皇は菩提で弔われていますし。混淆(コンガラリン)ですね。天皇の肖像画には仏教系スタイルが多かったり(花山天皇ってお坊さん^^)。
> > 泉涌寺
>
> 面白いですね。う〜ん、明治期にもそうだったのですか。なんと言いますか融通ききまくりな国ですね、やはり(^^ゞ。

時々の都合でしょうね。

ーーーーーーーーーーーー
幕末になると尊王思想が盛り上がってきますので、江戸期の最後の天皇、孝明天皇には泉涌寺の裏にまた「古墳型陵墓」をつくったのです。以後、明治、大正、昭和とこれが新たな「伝統」になったようで、現代が古墳の時代に戻っている、というのは面白い(?)ことです。
ーーーーーーーーーーーーhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~sarara/page059.html

> > > 松蔭神社や米沢の上杉神社は明治以前からあったかな?

『神々の明治維新』にも、「一方でこの時期に、神話の登場者・皇族・功労者を祀る新しい神社が多数作られることになった」とありました。

> 幕府側に殺されたことと、やはり「功績」なのではないかと思います。(長州の人ですし←他意はないのですが...)。
> 長州藩出身で明治政府の偉い人たちは、たいてい松陰先生の門下生(ちょっとでも関わりがあると「門下生」...(w)。

なるほどなのです。


> あ、いえ!鷹山も祭神でしたよ(実際に見ました)。謙信公と鷹山公が祭神でした(鷹山公は偉い人です...)。

上杉鷹山って謙信の子孫だったんですね、シリマテンでした。

> > >化野(アダシノ)」は、そういう「一旦死体を置く場所」だったのですね。当時はそれが一般的な葬送の形だったのですね。
> > 「一旦」だけではないんですよ。そこにそのまま置き去りにしていた、ということです。
> > で、嘘かホントか分からないのですが、そういった状態を見るにみかねた弘法さんが(空海)が、「土葬」を奨励したということになっていますよ。
>
> う〜ん、やはりよく分からないです(当時の人たちの感覚、ですが...)。”置き去り”が自然だったのでしょうか。(みだりに触れてはならないものだったのかな?)。

「死穢」に対するタブー意識が強かったようです。

ーーーーーーーーーーーーー
死を穢れとし、忌むべきものと捉えていた当時、限定された建物の空間での死は禁忌された。清浄のなかで神に仕える神官が、死期が近くなると不浄屋に移ることを定めた神社の記録も残されている。一般庶民レベルでは死期が迫った病人や老人を、家や建物の外の、触穢の及ばない開放された空間である路上や橋、河原や原野に出すという行為が日常的に行なわれて来たのである。そこには、現在では信じられないような光景が見られた。
ーーーーーーーーーーーーーhttp://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-22.htm

死者たちの中世


> ですね。ただ、犬とか猫の場合って、死に際を目にすることってあまりなかったのですね。
> このあたり、実際に目にした場合だと、持つ印象って異なっていたかも、と思いました。
> つまり、身近な人でも、臨終を目にしたとき「恐れ」を抱く場合もあるかもしれない...と。

私の場合、死に際に居合わせた経験は、猫のガジだけです。(HNはそこから。。)


★オマケ
明治以来の「国家神道」って批判の的の定番のようですけれど、、
朝鮮併合のときの神社建設に反対していたのは神道側なんでした。(芥屋さんが「姫裏」板で言ってましたね)

ーーーーーーーーーーーーー
朝鮮神宮は始め朝鮮神社として大正七(一九一八)年に建立された。その後、新たな建設に六年の歳月をかけ大正十四(一九二五)年十月十五日、官幣大社・朝鮮神宮として鎮座祭を執行した。総督府の竣工の約二ヵ月前。ご祭神は天照大神と明治天皇。

竣成の半年前頃から、俄かに祭神に就いての論争が湧き上がる。この二柱に加え、「韓国歴代の建邦の神」を祭神にしない事は“人倫の常道を無視せる不道徳”との声が神道界から挙がる。“朝鮮の始祖たる檀君をも併せて祀れ”、という意見だ。声を挙げたのは当時の著名な神道思想家・今泉定助や、我々神職なら誰もが尊敬している葦津珍彦先生の父君・葦津耕次郎、靖国神社宮司・賀茂百樹などである。

これに依り、神道人と政府関係者とは鋭く対立するが、結局、総督府は檀君奉斎反対の決定を下す。
ーーーーーーーーーーーーーhttp://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-15.htm
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5563 Re:作務衣と言えば・・ gaji 2005/06/23 20:58
お久しぶりです、蝶々さん。

> gajiさんお久しぶりです。暑くなりましたね〜。

ですね〜。蒸しますね。。

> 秀里さま。作務衣いいですね〜(*^_^*)

これからの季節はジンベイさんが涼しいかも。北海道にはジンベエさんってなかったりして(w

> 理由あって京都に潜伏していたんですが、とってもおいしい晩ご飯ドコロをみつけました。
> 出町柳から百万遍に向かって裏道を歩いていくと、有機野菜などを売っている店がある。その隣のオーガニックな食堂。外にテーブルと椅子が並んでいて、アジア感をかもしだしている。

どの街にもこういった感じのお店が増えましたね。

>ちなみに音楽はレゲエで。一回通り過ぎてさりげにチェックしてから、ふたたび戻って店内に至る。

混淆文化〜(w

> こういったところのお店の方というのは、個性派を目指しているようで無個性な似たり寄ったりな服装(ヘンプ系とか)の傾向な人が多いように思うのですが、

?!「ヘンプ系」って、、まるで疎いワタクチ。。年齢を感じてしまった一瞬(w
ヘンプ系
あ、こういうことでしたか。流行ってますね、こういうの。知ってまちたですとも。

>ここは、ちょっと色っぽいママさんが作務衣ふう着物でやってる点がいい。あれ? でも、この人どこかで見たよ・・と思って観察(みて)いたら向こうも「えっ?」みたいな表情「もしかして、以前に北山通りのお店にも 来てくれはりましたよね〜」と心地よい京都弁でおっしゃる。

ふむふむ。

> かつて北山通りのビルの地下にあったナントカ(名前は覚えられない。カタカナ名に弱いから)というナチュラルフードなお店が移転してきたそうな。そこには3・4回行ったことがあった。
> 北山通りは高級感漂うコジャレた通りである。その土地柄にあわせたのか、お料理もこじんまりと奇麗に盛りつけて「ワンプレート・3000円」だった。たしか…多分…忘れました。

古都というよりは、新しい雰囲気の通りのようですね。

> しかし、この百万遍界隈はベタな下町的雰囲気が魅力の町なので「今日の定食・950円」となっている。しかも、北山通り時代のメニューにはなかったと思われるサバの塩焼きとかついていて、心なしかお店の人も、かつての「スローフードなマダム」から「定食屋のオカミさん」になっていた。これは格下げにあらず格上げである。いい感じだ。実際、若返ってお奇麗になってらしたもの・・・マジで。

「百万遍」って、お経を百万遍からきてるとか。

> ご飯はとても美味だし、体によさそうだったし、雰囲気も私好みにベタになってたしで、ごきげん。

ヨカータでつね♪

> (あ。でも体に悪い食べ物も大好きですよ。私……。)な〜んてことを書いてもいいのかなあ〜。って書いてますが・・・ペコッ。

gajiの悪口以外はなんでも^^←てゆうか、悪口もOKなんですyo
あってなきがごとしの規定ですから。
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5562 Re:どっかの、つづき。1 gaji 2005/06/22 23:34
a thousandさん、こんばんわ♪

> 大変な亀レスで、恐縮です...。

恐縮しないでクダタイ奈。

(「はぁ、ええよ〜〜」(訳:「もう、構わないから(レスしなくても)」と言われそうなような...(^^;)。

100年後のレスだったら、そう言うかも^^(←言えそうにない予感。。


> 神社は仏教の寺院が立てられた時期に、建てられ始めたもののようですね。(これも知らなかった...(w)。

そうなんですね。霊山とか霊峰、それから神木etcがあるように、自然を神と見立てての畏怖が先だったと思います。

> 郷里にある神社も建てられたのは大正時代のようです。それ以前はその神社のある「小山」自体が御神体だったのかも...と想像中。

大正時代に建てられたというのは、う〜ん、例えば何神社ですか?
近代以降、神社ってかなり政府の管理下におかれていたらしいですし。


> > > 「鎮守の神様」って、祖霊+土地の神様=氏神と理解しているのですが、靖国神社の場合、英霊とは国を守るために命を捧げた人たちなので、護国の神(国を守る神様)と捉えられていたのでは?と考えたのです。

ここ↑私も同感しつつプラス↓でした。

> > 「護国の神」の場合、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」ということでもあるでしょうね。
>
> この部分の自分の記述も、撤回します(度々すみません)。これは正直「思いつき+思い込み」でした...。

「すみません」は余計でしyo^^私自身、よく分からずに言ってますので。。。私こそ、スミマセン。

> 「招魂」自体が「慰霊」を含んだもの...だったのですね(違うかな?)。

「招魂祭」は「慰霊祭」でもあるので、そう思います。

> ...なので、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」をお慰めするために建てられたのが、靖国神社の前身の「招魂社」かな、と。

そこは、少し前後がズレてるかもでしよ。

「招魂社」は国を守るため、というよりは、いわば国内の内戦で買った側(官軍)について殉死した方たちを厚く葬るため(慰霊)に設けられたものなんです。

(余談ですが、当初はどこを探しても「戦意高揚」といった意味づけはないんですyo)



> > 「メメント・モリ」っていう言葉を知ったのは、藤原新也の写真集からだったやうな。
>
> あ、私が検索で調べたて出てきたのが、この方の写真集でしたよ。説明のところに「死を思え」と有ったのです。

藤原新也の本はほぼ読んでたのですが、最近あまり見かけません。一時期、サイトをROMしてたんでした。ニャンコが出て来てたり^^


> 中国や韓国が批判することで、政治問題化している...という側面と、それ以前の政教分離の問題とがあると思うのですが...。

どちらも、死者を政治利用しているような気がします。。

(小泉首相のバヤイ、当初掲げてたわけで、バカですね。。と思います。プライベートであれば、掲げるな、と申し上げたい)

> 現時点で言えば、中国や韓国が批判することにより、参拝が一つの政治姿勢の表現...になってしまっているように思えるのですね(首相だけではなく)。

> 「慰霊の場」として見た時、妥当な姿とは言えない、と思うのですが、

場を「妥当な姿」に変えればOKということカニャ?
「慰霊の場」にとって、妥当なとこって、例えば、どういう場であれば「妥当」カニャ。。?


>それは中国や韓国が批判するからではないか、と言われると自分の中でもループになってしまうのです...。

ですよね。。

> 何故かと問われれば中国や韓国が批判する理由自体、「全く理解できない」とは「言えない」からなのですが...。
> 難しいです...。

まったくでつ。。。
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5561 Re:^^ 秀里 2005/06/22 22:05
> > そいえば、今は学校で使う雑巾を家庭科で作るラスイが、それように新品のタオルを持ってこさせるラスイ。ウーーミュ
>
> 「家庭科」ではなくって、家庭でつくったものを提出するのではなかったでしたっけ(以前からそうだったやうな。。学校に提出用の雑巾って売ってたり(w
>

なんぼなんでも家庭科では縫わないか。そうそう、百円ショップで買って持っていかせるとか。
漏りの小さい頃はどうだったかニャァ お袋手作りだったかニャァ 着古しのシャツかナニカで。


> で、その新聞の記事によれば、新品のタオルでつくったものが要求されるのは、はじめ”台拭き”として使うからだそうでした。
> だったら、「雑巾各家庭3枚ずつ」なんて言わないで、「台拭き〜」と言えばいいのに。
>

ふん、今まで顔洗ってたタオルヤンケ。こんな事やから潔癖性の免疫無しのガキンチョ……

> ていうか、台拭きにしても、雑巾にしても、縫い合わせたものよりは1枚布のほうが、よほど清潔なんでしけどね。。乾きも早いし。

昔はおしめの使い古しで作ったから、縫わなきゃとても使えたもんじゃなかったのだろう。
まてよ…、今でもおしめで作って持っていくシトがいるからカニャ。それだってちゃんと洗濯して作ってるはずや。どこの台を拭くのかシランが、自分の顔よりもピカピカに磨くんやろニャ。
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5560 Re:どっかの、つづき。2 秀里 2005/06/22 21:42
> ...先週、「報道ステーション」で放映されていた靖国神社特集で、宮司の方の「分祀」に関しての説明があったのですが(見られていた方もあろうとは思いますが)「御霊」をろうそくの火に例えておられたのですね。
> つまりろうそくの火を「分けた」(「分祀」した)としても、一度合祀された御霊は元の火の方にも残っている、という説明だったので、靖国神社の見解としては、一度お祭された「御霊」を「分ける」事は出来るが、それは「個々」として「分ける」こととは違っている、ということなのだな、と...。
>

たしか、分祀というのは分身の術みたく、元が残ってるんだよね。だからいくらでも分けれる。『蠅男の恐怖』みたく物質転送装置で瞬間移動する訳じゃない。

一般に神様に移ってもらう場合は、神宮では遷宮であり、一般神社では遷座と言うんだよね。
ただこれはね、神宮の場合は20年に一度新しく建て替えるから、そのときに移って貰ったり、社殿の修繕なんかで一時的に移って貰ったりする場合だから、A級戦犯を靖国から追いだすったって、人間ごときが出ていってくれっと逝ったところで出ていくモノではないだろうね。という神道の教義かも知れない。
そのための別な仮殿でも作ればいいのかも知れないけど、どうかニャニャニャ。
削除キー→

5559 Re:^^ gaji 2005/06/22 21:02
> そいえば、今は学校で使う雑巾を家庭科で作るラスイが、それように新品のタオルを持ってこさせるラスイ。ウーーミュ

「家庭科」ではなくって、家庭でつくったものを提出するのではなかったでしたっけ(以前からそうだったやうな。。学校に提出用の雑巾って売ってたり(w

で、使い古しのタオルでつくったりすると、新品のタオルで作り直してください、って言われるのが最近のことラスイでつyo(春ころの新聞にそういった話題がありまった)。

以前は、そんなことなかったですyo。新品ではないけれど、比較的きれいなタオルでつくったものを子供に持たせたものです。

で、その新聞の記事によれば、新品のタオルでつくったものが要求されるのは、はじめ”台拭き”として使うからだそうでした。
だったら、「雑巾各家庭3枚ずつ」なんて言わないで、「台拭き〜」と言えばいいのに。

ていうか、台拭きにしても、雑巾にしても、縫い合わせたものよりは1枚布のほうが、よほど清潔なんでしけどね。。乾きも早いし。
削除キー→

5558 訂正。 gaji 2005/06/22 20:05
×そのノチノナも「平生机の傍に置いた桜の木製の笏で」つくるように、

○そのノチノナを記す「霊牌」は、「平生机の傍に置いた桜の木製の笏で」つくるように、
削除キー→

5557 Re:本居宣長の墓のこと gaji 2005/06/22 19:59
> ちょっと亀レスですが気になっていたことがありました。
> それ一件のみ、少しだけ。
>
> >魂魄といいますか、魂と仏を分けたのかもしれませんね。(1)
> >たしか本居宣長はお墓二つつくってますし(国学者だけれど、懇意なお寺があったようです)。(2) がじさん
>
> たしかに宣長は二つの墓を作っています。
> 一つは当時の習俗に従った形のもので本居家の菩提寺である樹敬寺にあります。
> も一つは山室の妙楽寺の裏山にあるものです。
> この裏山の墓こそ宣長が生前設計していた独創的な墓なのです。
> 遺骸もここに埋めよと遺言し遠くの人が自分の墓を訪ねてきたならば、この墓を教えよと遺言。

そうです。手元の本(人物叢書『本居宣長』)にもそうありました。

> 墓を二つ作るというのは、いわゆる両墓制、ある地域、ある時代では一般的な習俗の一つでしょう。

そうですね。この本の著者は「いわゆる両墓制の慣習とのかかわり」は否定していますけれど。

> 今日、無神論者や唯物論者でも仏式あるいはキリスト教式で葬式をしたりある宗教で供養・追悼することはいくらでも見られることです。
> 宣長も一応、習俗に従っただけのことでしょう。

家のしきたりに合わせ、同時に個人としての志向も貫いたということでしょうね。

> ただ、本心は別のところにあったと思われます。
> それは遺言書や独創的な墓作りに現れていると思うのです。
> 晩年の歌にもこんなのが。
>
> 死ねばみな よみにゆくとは しらずして ほとけの國を ねがふおろかさ   本居宣長
>
> この歌から魂と仏を本心から分けようとしたとは思われませんですね。
> ただ形式上習俗に従ったまでではと。

そう思います。

> ましてや儒教等の魂魄を分けて云々は。
> まさか漢心が宣長の本心であったとは思われませんですから。
> ま、(1)と(2)は、そう繋がりがない文脈として書かれたのかも知れませんですが。

(1)を書いていたら、「分けた」ということの連想で、フラッと思い出したんでした。
でも、これでは言葉足らずなので、御指摘がなければ、誤解されかねなかったところです。
謝謝でつ。

> また若い頃は浄土宗に熱心で戒名まで貰っています。
> しかし、ノチノナを秋津彦美豆櫻根大人(アキヅヒコミヅサクラネノウシ)とせよとも遺言。

そのノチノナも「平生机の傍に置いた桜の木製の笏で」つくるように、ということでした。いかにも宣長らしいですね。

「今よりははかなき身とはなげかじよ千代のすみかをもとめえつれば」の歌が残っています。

宣長は死ぬ前年の夏にこと細かな遺言書を用意、墓(奥津記)も山室・妙楽寺のお気に入りの場所を決め、友人が中心になってその墳墓を築造、死ぬ年の春には工事も終了、山桜の木も植え終わっていたんでした。

先に「ものものしい行列を組みながら」樹敬寺まで行って仏式ですませ、その後、「夜中密に」山室の塚に埋葬するように、と指示。樹敬寺も妙楽寺も浄土宗のお寺ではあるけれど、妙楽寺の山の墓は「古代的・神道的な墳丘」だったそうです。
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5556 Re:どっかの、つづき。3 a thousand 2005/06/22 17:14
最終ページ(?)です。

> > 「非業の死」を祀る神社にしても、それ以前の神社神道から見たときに「特異」。
> 「それ以前の神社神道」って、たぶんないですよ。。近代以降のものかと。。

う〜ん、そうなんですか?明治〜大正のころからかな?
ノラクラ旅行中に、寺社の中に祠を見たり...これは神社神道ではないか。神仏集合かな?

> 氏神信仰(地域にあったたくさんの神社)、それからお稲荷さん(稲荷神社)とか、お不動さんとか、八幡さま、とか、、神仏ゴチャマゼは神仏習合(垂加神道)の名残でしょう。
> ”ヤスクニさん”とは、だれも言わない。。
> 商売繁盛や安産祈願の神社ではない、ということ、かと。。

でも”ヤスクニさん”ってなんかいいですね。(不謹慎かな?)
逆にそういう呼び方で、靖国ついて語っていける様になれば「軍国主義のフッカーツ」とか叫ばれなくてすむかも...。(やはり不謹慎か...(w)。

> 忠魂碑、招魂社、靖国、、、の流れですよね(昔、大江しのぶ←ホントは漢字。という方の本、新書本にありました)。
> 「怨国神社」って、あったらこわい。。

ですね...(スミマセン。不謹慎にも笑ってしまいました。反省(w)。

> > 「鎮守の森のお社」は地域に密着しているので、第三者からみて匿名...ということはないですよね。
> そうなんです。ただ、「匿名」の意味が少しちがうんですよね。
> えーと、たしか数ヶ月前に、桜子板であった話。
> http://otd4.jbbs.livedoor.jp/214378/bbs_plain?base=3273&range=1
> といったことを思い出しました。
> 《「匿名」の意味が少しちがう》というのは、伝説の英雄の場合、複数の総合イメージ(物語素)だということ。ヤマトタケルにしてもスサノオにしても、同様というか、ひとりのひとのコトではないんですね。

そういう意味でしたか。私は「地元の盟主」「地域の有力なお家」的イメージを想定していました→「鎮守の森のお社」=「土地神」+「祖霊」←ココ。

> そうなのでしょうね。でも仏教系も少なからずいたんですよ。例えば「教育勅語」とかに仏教系(本覚系)の意見がけっこう入っていたり。(←これは以前、袴谷っていうひとの本で知ったのですが。。いま、手元になくって、なんとも。。)

そうなのですか。
「教育勅語」
読んでみました(口語訳)。なんとなく、納得なような...。

> > 例えば、生前の功績を称えて祭神にするって、やはりそれまでの神道にはなかった気がします。
> 家康の場合、「日光東照宮」に祀られていますよ(権現さまっていうこと)。

そうなんですよ(^^;。
これ投稿した後に気がついて...(^^;。

> 代々の天皇は菩提で弔われていますし。混淆(コンガラリン)ですね。天皇の肖像画には仏教系スタイルが多かったり(花山天皇ってお坊さん^^)。
> 泉涌寺

面白いですね。う〜ん、明治期にもそうだったのですか。なんと言いますか融通ききまくりな国ですね、やはり(^^ゞ。

> > 松蔭神社や米沢の上杉神社は明治以前からあったかな?
> 松陰神社〜^^懐かしい。世田谷の玉電という路線電車の駅に「松陰神社」がありました。吉田松陰の場合、えーと、あ!幕府側に殺されたということですね。。
> 吉田松陰って、若くして殺されてしまい、残念。。。座敷牢っぽいとこで知り合った年上の女性がいて、その彼女はけっこう長生きしてるんですよね。器つくってた方かと。。
> (歌に残ってもいます。←ここらへんは、祝鶏翁さんがお詳しいかも。)

幕府側に殺されたことと、やはり「功績」なのではないかと思います。(長州の人ですし←他意はないのですが...)。
長州藩出身で明治政府の偉い人たちは、たいてい松陰先生の門下生(ちょっとでも関わりがあると「門下生」...(w)。

> > 上杉神社って、、、米沢で上杉といえば幕末の上杉鷹山のことですよね。神社ができたとしたら、明治以降かも。
> 上杉神社。。って、上杉謙信の神社のことだったんですね。。
> カンペキ勘違いです。すみません。トホ、ホホ。。

あ、いえ!鷹山も祭神でしたよ(実際に見ました)。謙信公と鷹山公が祭神でした(鷹山公は偉い人です...)。

> >化野(アダシノ)」は、そういう「一旦死体を置く場所」だったのですね。当時はそれが一般的な葬送の形だったのですね。
> 「一旦」だけではないんですよ。そこにそのまま置き去りにしていた、ということです。
> で、嘘かホントか分からないのですが、そういった状態を見るにみかねた弘法さんが(空海)が、「土葬」を奨励したということになっていますよ。

う〜ん、やはりよく分からないです(当時の人たちの感覚、ですが...)。”置き去り”が自然だったのでしょうか。(みだりに触れてはならないものだったのかな?)。

> > 子供の頃に飼っていた犬が死んだときにも、「怖い」「恐ろしい」より「悲しい」の方が強かったですね...。
> 同じ「死」なはずなんですけどね。。

ですね。ただ、犬とか猫の場合って、死に際を目にすることってあまりなかったのですね。
このあたり、実際に目にした場合だと、持つ印象って異なっていたかも、と思いました。
つまり、身近な人でも、臨終を目にしたとき「恐れ」を抱く場合もあるかもしれない...と。

> > 頼めると思えるところは、頼もしいです。息子さん(^^)。
> 頼もしいも何も、ムリヤリ^^にです。かわいそうな、かわいそうな^^アフォボン(w
> ここ(見てたりして(w

笑(^^)。
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5555 Re:どっかの、つづき。2 a thousand 2005/06/22 17:12
つづきです。

> どちらでもないのでは。。
> もちろん、遺族にとっては、かけがえのない「ひとり」(個人)だと思います。
> でも氏神さま的な「祖霊」とは違う、ということは言えると思います。

はい、申し訳ありません。私の妙な思い込みのせいで...(トホホ)。
私自身は「ひとり」(個人)だと思っていたのですね、で...

> > 他の宗教の方々、植民地時代の占領国の方々、A級戦犯の方々など、「分祀」が出来ないのは、英霊をひとつの御霊と捉えているからなのかなぁ、と...。
> > 他の宗教の方々、
> 例えば、クリスチャンの方が合祀反対していた裁判がありましたね。
> (義父母はクリスチャンなんですが、上京の際、ときどき靖国神社にお参りしていましたよ。戦友たちに手を合わせてくると言って。。)
> >植民地時代の占領国の方々、
> の合祀反対もありますね。

> >A級戦犯の方々など、
> に対する合祀反対がいちばん、、かな。。

そうですね。これは中韓の批判の問題もありますが、遺族の方、というより、従軍して生きて帰られた方の中にも、批判的な考えをお持ちの方がおられるようですね(これは新聞の投稿欄などで読んだので、数としては多くはない、と思いますが)。
で、 分祀の問題に関しては「靖国問題」を読むまで知らなかったのですね。それで、分祀が出来ないのは何故なのだろうと...。

> >「分祀」が出来ないのは、英霊をひとつの御霊と捉えているからなのかなぁ、と...。
> 英霊はひとつではない、と思いますよ。
> 私にとっての個人的な、顔の見える知り合いはいませんけれども。

私自身、その様に思っていたのですね。
...先週、「報道ステーション」で放映されていた靖国神社特集で、宮司の方の「分祀」に関しての説明があったのですが(見られていた方もあろうとは思いますが)「御霊」をろうそくの火に例えておられたのですね。
つまりろうそくの火を「分けた」(「分祀」した)としても、一度合祀された御霊は元の火の方にも残っている、という説明だったので、靖国神社の見解としては、一度お祭された「御霊」を「分ける」事は出来るが、それは「個々」として「分ける」こととは違っている、ということなのだな、と...。

お参りする多くの方々にとっては、どちらであっても、特に影響しないのかもしれませんが...。

> > > > 靖国神社も【非業の死者の怨霊を慰めるため】です。
> 「英霊」は、「怨霊」になってまではいないと思いますよ。「英霊の祟り」って、、例えば、、うーん、ないですよね。。あるかな。。

です。これは申し訳のない間違いです...。【非業の死者の霊を慰めるため】に訂正します。

> 天神様にしても、将門神社にしても、天変地異といったことがつづいたあとに、「祟り」では?と、ときの権力者が彼らをないがしろにしたり殺したことを恐れて建立したものなんでつネ。

了解です。
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5554 Re:どっかの、つづき。1 a thousand 2005/06/22 17:10
gajiさん、こんにちは。レスをありがとうございます(^^)。

先週後半から、想定の範囲内外の出来事などによりチト、バタバタしておりまして、昨日久しぶり(?)にROMしました。
大変な亀レスで、恐縮です...。(「はぁ、ええよ〜〜」(訳:「もう、構わないから(レスしなくても)」と言われそうなような...(^^;)。

> > で、下に書いたのですが、当時の人たちは、明治前の"地域の共同体の氏神様を祀る"の延長線上で「靖国神社」を理解していたのでは?と思ったのですね。
> 微妙にちがってたでしょう。(←スイマセン、推測です)。。

すみません。これは撤回します。正直「わからない」です(...それ以前に「当時の人たち」の範囲設定自体が難しいような...明治初期or昭和...都市部or農村部で異なっていたでしょうし...トホホ)。

> 神社のルーツって、もともとは「社」(ヤシロ)とかなくって、山とか石とか樹木とかが”御神体”だったんでした。仏教が入ってきてから、かたちあるものになったのだと思います。
> 仏教の寺院ってそれなりにきらびやかで威厳あるものですし(飛鳥時代の仏教美術って、けっこうスゴイでつ)。

神社は仏教の寺院が立てられた時期に、建てられ始めたもののようですね。(これも知らなかった...(w)。
郷里にある神社も建てられたのは大正時代のようです。それ以前はその神社のある「小山」自体が御神体だったのかも...と想像中。

> > 「鎮守の神様」って、祖霊+土地の神様=氏神と理解しているのですが、靖国神社の場合、英霊とは国を守るために命を捧げた人たちなので、護国の神(国を守る神様)と捉えられていたのでは?と考えたのです。
> 「護国の神」の場合、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」ということでもあるでしょうね。

この部分の自分の記述も、撤回します(度々すみません)。これは正直「思いつき+思い込み」でした...。
「招魂」自体が「慰霊」を含んだもの...だったのですね(違うかな?)。
...なので、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」をお慰めするために建てられたのが、靖国神社の前身の「招魂社」かな、と。

> 徴兵って、必ずしも平等ではなく、くちききとかで逃れられたひとたちっているんでした。。
> (要職と懇意だったりした場合とか、行かずにすんだそうです。女友達が昔、言ってました。
> 「うちの叔父さんは平気だったわよ」って。)
> 現実はそんなものなんだ、、と思いました。「地獄の沙汰も、、」っていう感じでしょうか。。

...ですか...。

> 最近でいえば、かつての「若の花」(若貴のオニイチャンのほう)が、”「天国」に行った父”といった言葉として使っていましたね。(天国の父、、だったかも。。)。
> 「あの世の父」よりは「天国の父」のほうが、言葉のニュアンスとして響きがいいのかもしれません。クリスチャンではないはずですが、現在の日本の場合、「天国」という言葉のほうが、普通になっているということなのでしょうね。

う〜ん、そうですね。確かに響きはいいかも...しかし改めて聞くと違和感を感じるような、我ながら微妙...。

>
> > > やはり、靖国神社の場合、「特異」だと思います。道真の怨霊・鎮魂の天神様はあちこちにありますけど、現在、「靖国」には2,466,532柱が祀られているのですが(約247万柱)、247万の神社が建立されたわけではないですしね。一般のひと、第三者からみれば、匿名化された戦死者たち、ということでしょうし。
> >
> > 天神様をお祀りしている神社はあちらこちらで見ますけど、靖国神社は「靖国」だけですね。
> > 神社通(?)の友人に昔聞いた事があるのですが、「御霊わけ」なるものがあって、それで色々な所に同じ祭神の神社があるのですよね(つまり、全国にある天神様の神社の祭神も、ひとつの道真公の御霊をわけたもの)。
> >
> > で、「靖国神社」の場合ですが、思いついたのが「護国神社」なのですね。
> > ...「大阪護国神社」のサイトを見つけたのですが
> >
> > <引用開始>
> > 大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊
> >  十五万五千余柱。
> > <引用終了> http://www.osakagokoku.or.jp/souken/index.html
> >
> > ...この十五万五千余柱は大阪出身の戦死者の方たちで、「靖国神社」の約247万柱とは、性質は同じでも、御霊としては別の祭神ですよね(つまり「御霊わけ」によるものではない)。
>

>
> すいません。ここ↑保留。よくワカリマテンので。。

同意です...。

> 「メメント・モリ」っていう言葉を知ったのは、藤原新也の写真集からだったやうな。

あ、私が検索で調べたて出てきたのが、この方の写真集でしたよ。説明のところに「死を思え」と有ったのです。

> > ...どちらかと言えば、意志的にそういう方向にもっていかないと、どうしても政治との関わりで俎上に載りやすい性格の場所...な気がします。
> 慰霊がなぜ、政治的なことでアレコレ言われ化ければならないのかが、分からないところです。
> > 当初の戦死者は内戦による戦死者ですが、それ以降は「国」による戦争に従軍したがゆえに、亡くなられた方々を、お祀りする場所ですし...。
> 従軍して死んだひとたちetcを祀ること自体、なにがいけないのカナ、、って思いますが。

すみません。ここは「靖国問題」の結論部分を剽窃しただけの箇所です。自分の見解になっていないものを書いてはいけませんね、やはり。
申し訳ないです。

中国や韓国が批判することで、政治問題化している...という側面と、それ以前の政教分離の問題とがあると思うのですが...。

現時点で言えば、中国や韓国が批判することにより、参拝が一つの政治姿勢の表現...になってしまっているように思えるのですね(首相だけではなく)。
「慰霊の場」として見た時、妥当な姿とは言えない、と思うのですが、それは中国や韓国が批判するからではないか、と言われると自分の中でもループになってしまうのです...。

何故かと問われれば中国や韓国が批判する理由自体、「全く理解できない」とは「言えない」からなのですが...。
難しいです...。
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5553 本居宣長の墓のこと 祝鶏翁 2005/06/22 15:08
ちょっと亀レスですが気になっていたことがありました。
それ一件のみ、少しだけ。

>魂魄といいますか、魂と仏を分けたのかもしれませんね。(1)
>たしか本居宣長はお墓二つつくってますし(国学者だけれど、懇意なお寺があったようです)。(2) がじさん

たしかに宣長は二つの墓を作っています。
一つは当時の習俗に従った形のもので本居家の菩提寺である樹敬寺にあります。
も一つは山室の妙楽寺の裏山にあるものです。
この裏山の墓こそ宣長が生前設計していた独創的な墓なのです。
遺骸もここに埋めよと遺言し遠くの人が自分の墓を訪ねてきたならば、この墓を教えよと遺言。
墓を二つ作るというのは、いわゆる両墓制、ある地域、ある時代では一般的な習俗の一つでしょう。
今日、無神論者や唯物論者でも仏式あるいはキリスト教式で葬式をしたりある宗教で供養・追悼することはいくらでも見られることです。
宣長も一応、習俗に従っただけのことでしょう。
ただ、本心は別のところにあったと思われます。
それは遺言書や独創的な墓作りに現れていると思うのです。
晩年の歌にもこんなのが。

死ねばみな よみにゆくとは しらずして ほとけの國を ねがふおろかさ   本居宣長

この歌から魂と仏を本心から分けようとしたとは思われませんですね。
ただ形式上習俗に従ったまでではと。
ましてや儒教等の魂魄を分けて云々は。
まさか漢心が宣長の本心であったとは思われませんですから。
ま、(1)と(2)は、そう繋がりがない文脈として書かれたのかも知れませんですが。

また若い頃は浄土宗に熱心で戒名まで貰っています。
しかし、ノチノナを秋津彦美豆櫻根大人(アキヅヒコミヅサクラネノウシ)とせよとも遺言。
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5552 Re:^^ 秀里 2005/06/22 06:13
> っていうか、日本の伝統的着物の処し方のバヤイ、まずは冬物で仕立て、着古した頃に夏物にするんでしよ(ホームウエアとしての話。で、その後も様々に活用する。リサイクルでしね。ゴミも少ない)。
>

昔なら、着古しは縫い直しておしめになり、最後は雑巾になって一生を終わる。
そいえば、今は学校で使う雑巾を家庭科で作るラスイが、それように新品のタオルを持ってこさせるラスイ。ウーーミュ

> >やはりしっかりしたモノを選びませう。
>
> しっかりしてないモノは、洗濯時、やさしく扱いませう。手洗いだと少しはもったかもデチ。

すまんの、船たっきにぶち込んだワィ
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5551 作務衣と言えば・・ 蝶々 2005/06/22 00:00
gajiさんお久しぶりです。暑くなりましたね〜。

秀里さま。作務衣いいですね〜(*^_^*)

理由あって京都に潜伏していたんですが、とってもおいしい晩ご飯ドコロをみつけました。
出町柳から百万遍に向かって裏道を歩いていくと、有機野菜などを売っている店がある。その隣のオーガニックな食堂。外にテーブルと椅子が並んでいて、アジア感をかもしだしている。ちなみに音楽はレゲエで。一回通り過ぎてさりげにチェックしてから、ふたたび戻って店内に至る。
こういったところのお店の方というのは、個性派を目指しているようで無個性な似たり寄ったりな服装
(ヘンプ系とか)の傾向な人が多いように思うのですが、ここは、ちょっと色っぽいママさんが作務衣ふう着物でやってる点がいい。あれ? でも、この人どこかで見たよ・・と思って観察(みて)いたら向こうも「えっ?」みたいな表情「もしかして、以前に北山通りのお店にも 来てくれはりましたよね〜」と心地よい京都弁でおっしゃる。
かつて北山通りのビルの地下にあったナントカ(名前は覚えられない。カタカナ名に弱いから)というナチュラルフードなお店が移転してきたそうな。そこには3・4回行ったことがあった。
北山通りは高級感漂うコジャレた通りである。その土地柄にあわせたのか、お料理もこじんまりと奇麗に盛りつけて「ワンプレート・3000円」だった。たしか…多分…忘れました。
しかし、この百万遍界隈はベタな下町的雰囲気が魅力の町なので「今日の定食・950円」となっている。しかも、北山通り時代のメニューにはなかったと思われるサバの塩焼きとかついていて、心なしかお店の人も、かつての「スローフードなマダム」から「定食屋のオカミさん」になっていた。これは格下げにあらず格上げである。いい感じだ。実際、若返ってお奇麗になってらしたもの・・・マジで。
ご飯はとても美味だし、体によさそうだったし、雰囲気も私好みにベタになってたしで、ごきげん。
(あ。でも体に悪い食べ物も大好きですよ。私……。)な〜んてことを書いてもいいのかなあ〜。って書いてますが・・・ペコッ。
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5550 Re:^^ gaji 2005/06/21 22:45
> モレの小さい頃は母親の背中におんぶされてたもんだ。そうして仕事してた。

…そういえば、秀タソをおんぶして仕事してたものでった。。

> 寒いじゃアーリマテンヨ。

こちらは暑かったでし。夏至げちでしたから。

> じつわ、あっしも今年から作務衣デブユーでち。
> 今のはこれ
> 夏用にと某中〇製の安いのも買いマチタが、一回の洗濯で寝巻きになってしまいマチタ。

ノーネクタイとか始まりました知、そのうち寝巻きがいちばんという職場もあることでせう(←ないような予感←私の勘は当たらないって皇子タソに太鼓判押されてます)。

っていうか、日本の伝統的着物の処し方のバヤイ、まずは冬物で仕立て、着古した頃に夏物にするんでしよ(ホームウエアとしての話。で、その後も様々に活用する。リサイクルでしね。ゴミも少ない)。


(にしても、「寝巻き」って、なつかしい言葉でし。腹巻とか腰巻と勘違いなさる方もあるかも(w

>やはりしっかりしたモノを選びませう。

しっかりしてないモノは、洗濯時、やさしく扱いませう。手洗いだと少しはもったかもデチ。
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5549 Re:^^ 秀里 2005/06/21 21:28
> レスリングじゃアリマテンヨ。
> スリング
> スリング
>
>
> 私は知らなかったのですが、最近、流行っているのだそうです。
> お洒落っぽいだけではなく、実際に便利かつ母子双方のコミュニケーションにもgoodのよう♪

モレの小さい頃は母親の背中におんぶされてたもんだ。そうして仕事してた。


寒いじゃアーリマテンヨ。
作務衣
作務衣

じつわ、あっしも今年から作務衣デブユーでち。
今のはこれ
夏用にと某中〇製の安いのも買いマチタが、一回の洗濯で寝巻きになってしまいマチタ。やはりしっかりしたモノを選びませう。
削除キー→

5548 ^^ gaji 2005/06/21 20:59
レスリングじゃアリマテンヨ。
スリング
スリング


私は知らなかったのですが、最近、流行っているのだそうです。
お洒落っぽいだけではなく、実際に便利かつ母子双方のコミュニケーションにもgoodのよう♪
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5547 カメレスですが。 gaji 2005/06/21 20:28
「5385」の補遺でつ。

> > > > けれど「儒教」の場合、死って「魂魄」の遊離。招魂儀礼によって「魂」を招くというのはイケナイことに思えるのかも。。
> > > > 「犯罪者」(悪人)は、死んでも悪人のままナンデツネ。。「戦犯」にお参りするなど、もってのほか、と考えてしまうのも、それなりに筋が通っているのかも。。

> > > 中国の側から見たら、という視点は確かに抜け落ちていますね。まるっきり異なっていないところが、難しいですね。

> 政治的側面からみた中国の立場に関しては、割合よく耳にするのですが、文化的あるいは宗教的に見た時、参拝がどうみえるのかについては初めて聞くかも、という意味です(私にとってはgajiさんの発言が初めてです)。

似たような見方がありました。

ーーーーーーーーーーーーーー
 靖国問題で中国や韓国が抗議するのは、中国や韓国の儒教思想に立脚したものです。儒教の死生観では、死とは人間の精神を主宰する霊魂「魂」と、肉体を主宰する霊魂「魄」が分離されます。その「魂」と「魄」が合体した時に死者は蘇生されると信じられてるからです。

即ち、靖国神社に祀られてる英霊の「魂」と寺に祀られてる「魄」が、首相の靖国参拝で招魂され、励起され、遺骨である「魄」と合体し、日本が帝国主義時代の皇国に戻る事を恐れてるからです。

死ねば神になるという神道の精神、又は神仏習合にて死ねば仏になるという日本型仏教の死生観、精神、文化があります。それに対して中国は、善悪の二元論に基づき、日本は悪である故に報復主義を主張する。

「勧善懲悪」の儒教倫理が中国人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容にさせ、敵に対しては死後も「その魂を喰らう」とまで誓うほど、敵は永遠に敵とする中国人の代表的死生観、文化、精神です。それ故に中国には、追悼、慰霊等の施設はありません。

要するに、靖国問題の対立は文明間の対立から生まれる精神文化の衝突である。
ーーーーーーーーーーーーーー「靖国神社問題」(サイトのかなり下のほう)

こういった、ギャップはなかなか理解されにくいでしょうから、軋轢を生むくらいなら首相の参拝は避けたほうが無難かと。

明治以降、廃仏毀釈で寺社がダメージを受けたように思いがちですけれど、むしろ神社が統廃合されて衰退してるんです。仏教では西本願寺派がけっこうパワーがあったし(真宗)、政府にしても財政面等で仏教に依存してたんですね(それまでウン百年つづいていた組織力があるわけですから)。

ーーーーーーーーーーーーーー
日露戦争に際しても、教派神道や府県社以下の神主には思想活動は許されたが、官国弊社の神道人には原則的に思想活動は認められず、民間の神社での戦勝祈願は盛んだったが、国家神道の拠点のはずの神社局は動かなかった。

当時、神官神職の従軍は許されず、戦地に赴いたのは仏僧がほとんどで、戦意高揚に力を尽くした有力宗教人も仏教やキリスト教の出身者が目立った。旅順攻略後に行われた第三軍の戦死者の招魂祭に、真宗の本山の僧侶が15名も参加していた事からも明らかであろう。

しかし、乃木軍司令官が起草した祭文を読み、公式には神式で行われた。当時の戦場における招魂祭は公式の儀式を神式で、非公式の儀式を仏式で行うのが一般的であった。
ーーーーーーーーーーーーーー「国家神道の成立」(同サイトより)

招魂祭に僧侶がかかわっていたということ。
そのせいもあって?か、今現在、真宗は、首相の「靖国参拝」には反対の立場を明言していますね。


ーーーーーーーーーーーーーー
 官僚や権力者は以前から特定宗教・思想を助長したり圧迫したりはできるが、人間の内心に新しく宗教心は創造したり、強制する事はできない。

靖国神社を例に取ると、日本の将兵の中に国家の危機に際して死を覚悟する者は少なからず居たが、それは「靖国で会おう(靖国で神になれる)」というものではなく、それ以前のその人の人生観、国家観(国体)、宗教観、思想信条に基づくものである。そうした人生観や国家観の将兵が靖国神社を崇敬したのは至極普通の事であるが、大多数の国民は将兵の「武運長久」を祈り、将兵も勝利を得て生還する事を希望したのは当然だ。

ただ、やむなく非命に斃れた場合に、その死を悲しんで靖国神社に祀ったのだ。靖国神社の祭りは、生還を切望していたが、やむなく戦死した、それを悲しんで行われるものである。戦死させる目的を以て靖国神社の祭りが行われたかのように曲解するむきがあるのは極めて浅薄は敗戦日本人の論である。
ーーーーーーーーーーーーーーー「靖国神社問題」(同上)

おおむね共感できるのですが、やはり「A級戦犯」合祀がネックになるでしょうか。。
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5545 Re:5541 gaji 2005/06/20 23:28
> だめポ だけ可愛い音が無かった。
> 手抜きだな。おしい。

いつも、↓ここからの紹介なんでした。
http://www.iiaccess.net/

以前のほうがもう少し面白かったのですが。。


******
沖縄は大雨ですし、昨夜は関東地方でも地震があったり、、新潟ではまた地震があったり、、、
なんとはなしに、不安な天候。。みなさま、どうぞ、お気をつけ下さい。

(昨夜の地震のとき、いつもと違う部屋でゴロニャンしていたピョン猫は、アッというまに普段の寝床に戻りました。←押入れの中。。猫にとっての寝床って、いちばん安心できる場所なんでしょう)
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5544 Re:サンタクロースの実在と英霊の実在との差はあるのか gaji 2005/06/20 22:20
う〜ん、サンタさんにはコソーリなることができるけど、英霊はむずかしい。。


> 物心つくか付かないかの時点での家庭環境が大きいと思う。
> 英霊は父母の実家の鴨居で写真で今でも見ることが出来る。

死んだ兵士の遺影としてですね。

> 幼少の頃、誰に聞いても貶す人なんているわけがない。
> 結婚しないで死んだんだよと年上のいとこが否定的に教えた例が
> あるくらいだ。卑下するものは誰もいない。東条英機の家でも同じだったと
> 思われる。

どっかで読みましたけど、東条英機は開戦の前夜だったか、泣いてたそうですよ(奥さんの話)。。

> 仏壇は幼少の頃から多分、物心付かない頃から手をあわせれば
> おいしいお菓子の食べれる場所だという味覚が出来上がっていたと思う。
> なんたって1948年生まれだからクリスマスはケーキが食える日だ。

クリスマスケーキも仏壇経由でした?

> 仏壇に祭られているご先祖に悪い感情なんて覚えるわけが無い。

もちようがないでしょう。

> プラスの価値観が死んだ人を祭る祭壇にはあるしあった。

「プラスの価値観」というのは、おいしいものが食べられるから^^ではなくて、亡くなったひとに対する、ごくまっとうな、今はいないけど、かつてこのひとが生きていたんだ、、といった、無常観?みたいなものでは。

>靖国はその延長上にある。

御先祖様の仏壇と「靖国」とでは、違うのではありませんか?


> 子供達にとって田舎のばあさまはプラスの好ましい人間として幼少の頃から刻み込まれている。
> 小さい頃はばあさんに教わって仏壇の前で手を合わせていたよ。
> そういった人間くさいものの入り混じった慣習が習俗や宗教観として伝わってきている。

風土のなかで日常的に培われてきたものでしょうね。

> こういった物事を消し去るには毛沢東の行った人間抹殺の文化大革命の蛮行の数億倍の
> 虐殺が必要になる。

突然、飛躍してしまっていませんか(w

> 他国の戦没者の霊の祀り方にいちゃもんをつける現代の外国の政治指導者の知性を疑う。
> 他国の難癖に同調する日本人政治家や経済人の心の貧しさに危惧を覚える。
> 日本国の政治は国内向けでアレ海外広報であれ説明不足なのは戦前から変わりが無い。
> 宗教心の説明は他人に説明するのが困難だ。経典があるわけでもない習俗に頼っている
> 日本人だから。

気持ちは分かりますけど。。
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5543 5541 工藤猛 2005/06/20 10:42
だめポ だけ可愛い音が無かった。
手抜きだな。おしい。
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5542 サンタクロースの実在と英霊の実在との差はあるのか 工藤猛 2005/06/20 10:38
物心つくか付かないかの時点での家庭環境が大きいと思う。
英霊は父母の実家の鴨居で写真で今でも見ることが出来る。
幼少の頃、誰に聞いても貶す人なんているわけがない。
結婚しないで死んだんだよと年上のいとこが否定的に教えた例が
あるくらいだ。卑下するものは誰もいない。東条英機の家でも同じだったと
思われる。

仏壇は幼少の頃から多分、物心付かない頃から手をあわせれば
おいしいお菓子の食べれる場所だという味覚が出来上がっていたと思う。
なんたって1948年生まれだからクリスマスはケーキが食える日だ。
仏壇に祭られているご先祖に悪い感情なんて覚えるわけが無い。
プラスの価値観が死んだ人を祭る祭壇にはあるしあった。靖国はその延長上にある。
帰省の時、今でもお菓子を持ってゆくとばあさんが仏壇の前に置く。
食べるのはそれからだ。幼い親類の子や近所の子は手を合わせてから食べる。
私の幼少の頃から変わらない日常風景だ。
私の息子や娘しか年上がいないときはちゃんと取り仕切って
仏壇から持ってきて食べさせているよ。ばあさんは孫の振る舞いにニコニコしているよ。
子供達だって要領は知っている。お年玉の季節だったらばあさんからもらえることを知っている。
子供達にとって田舎のばあさまはプラスの好ましい人間として幼少の頃から刻み込まれている。
小さい頃はばあさんに教わって仏壇の前で手を合わせていたよ。
そういった人間くさいものの入り混じった慣習が習俗や宗教観として伝わってきている。
こういった物事を消し去るには毛沢東の行った人間抹殺の文化大革命の蛮行の数億倍の
虐殺が必要になる。


他国の戦没者の霊の祀り方にいちゃもんをつける現代の外国の政治指導者の知性を疑う。
他国の難癖に同調する日本人政治家や経済人の心の貧しさに危惧を覚える。
日本国の政治は国内向けでアレ海外広報であれ説明不足なのは戦前から変わりが無い。
宗教心の説明は他人に説明するのが困難だ。経典があるわけでもない習俗に頼っている
日本人だから。
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5541 ZZ。。 gaji 2005/06/20 01:29
おまけ(音アリ。)
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5540 Re:靖国でふと思った事 gaji 2005/06/20 00:51
> 以前、ここだったですか。子どものころ木魚を叩いて遊んでいたとか言われてましたのでは?

ここで、でした。

木魚を叩いて遊んでいたのは、
ついこないだのチビタソと私。

木魚を叩いて遊んでいたのは、
かつてのアフォボンと私。

木魚叩きの遊び歴は私にありそう(ワラ


>だとすれば、ご実家は真宗ではないと思うんですが。

そうでした。


> まあ、厳密に言えば中国で言われる「魂魄」と、そうではない「魂と仏」というのはちとずれているようにも思われますが、私の家の墓で、そのように分けた張本人は亡父である可能性が非常に高いのです。亡父には魂魄とか魂と仏とかいう考えはそんなにないと思うのです。それより自分も戦争の従軍者でしたから「靖国」というのが頭に重くあったんじゃないかなと。国のために戦って死んだものは当然「靖国=英霊=神」であると。神である者とふつうの者は別ものだと思ったんじゃないかと。その石碑を建てたのも名を刻ませたのも亡父の筈ですから。

そういった意識があったのかもしれませんね。
その時代に生きていたひとたちの思い(認識)と、いまとでは、あまりに違うでしょうし、ちがって当たり前かと。

かつて、義父の遺骨収集への思いは理解できても、その後、”靖国”経由ということに、何となく違和感があったりしたのは事実。遺骨収集帰りの義父母たちと一緒に、何度か靖国方面には行ったんですが、実際の神社には行かず止まり(手前で子供と遊んでいたものです)。

当時は(今もでしょうけれど、、)靖国っていうだけで、なんだか軍国主義礼讃と思われかねない風潮(世間)があったせいか、私は付和雷同組でもあり、とてもじゃありませんが、「靖国」に行ったなどとは、言える雰囲気ではなかった。今の比ではないです。(70年代当時)

情けない話ですが。。。何がいけなかったんでしょうか。。と、今になって思います。
(いまになって言ってる私って、、どう考えても、ズル^^っぽい)


> ■ 明日から週明け。またいつもの人との対話があると思われます。
>   とりあえず、私はひとまず傍観に

謝謝でつ。
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5539 Re:靖国でふと思った事 祝鶏翁 2005/06/19 23:57

> もしかしたら、実家も真宗だったかも。。(ちょっとアヤフヤ^^

以前、ここだったですか。子どものころ木魚を叩いて遊んでいたとか言われてましたのでは?
だとすれば、ご実家は真宗ではないと思うんですが。

> 魂魄といいますか、魂と仏とを分けたのかもしれませんね。
> たしか本居宣長はお墓二つつくってますし(国学者だけれど、懇意なお寺があったようです)。

まあ、厳密に言えば中国で言われる「魂魄」と、そうではない「魂と仏」というのはちとずれているようにも思われますが、私の家の墓で、そのように分けた張本人は亡父である可能性が非常に高いのです。亡父には魂魄とか魂と仏とかいう考えはそんなにないと思うのです。それより自分も戦争の従軍者でしたから「靖国」というのが頭に重くあったんじゃないかなと。国のために戦って死んだものは当然「靖国=英霊=神」であると。神である者とふつうの者は別ものだと思ったんじゃないかと。その石碑を建てたのも名を刻ませたのも亡父の筈ですから。

■ 明日から週明け。またいつもの人との対話があると思われます。
  とりあえず、私はひとまず傍観に
削除キー→

5538 訂正。 gaji 2005/06/19 23:35
> もしかしたら、実家も真宗だったかも。。(ちょっとアヤフヤ^^

違ってました。
「般若心経」(ギャーテーギャーテー ハラギャーテー)を、子供の頃のアフォボンが唱えてましたから。

真宗の場合、「般若心経」は唱えないわけですし。(アフォボンはたしか、実家で覚えて歌ってましたから。
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5537 Re:靖国でふと思った事 gaji 2005/06/19 22:59
> そうです。正確に言えば「折本」です。

もしかしたら、実家も真宗だったかも。。(ちょっとアヤフヤ^^


> それと伯父の名が家の石碑にないということの意味です。ひょっとしたら「英霊」という神とふつうの仏(死者)を分けておこうという観念が働いたのではないかなと。今となっては誰がどういう考えでそうしたのか分からなくなっていますし、こういうことは特殊なことでどこでも行なわれていることでもないかもです。

魂魄といいますか、魂と仏とを分けたのかもしれませんね。
たしか本居宣長はお墓二つつくってますし(国学者だけれど、懇意なお寺があったようです)。

> > 真宗の場合は、儒教っぽいことは排すのが特徴といえるかも。
>
> 位牌というのは禅宗などを通じて日本に齎されたということもありますが、「儒教っぽい」の「ぽい」で言いますと必ずしも儒教だけにあることではないのですが、過去から現在の生命の繋がりを重視するという親鸞の考えから行くと外面的な儒教的なものは見当たりにくいですが、儒教と共通するような根本的な考えは存在すると思います。

そうですね。
以前、先祖がどうの、祖先がどうの、、と喧々囂々してたときにチェックしたところにも、そのようにありました。

> 本の現物が無くてもネットで一部引用できるんですね。

けっこう、あちこちで書評されてますので(それなりに。バラバラながら。。)
ここなど、引用だらけです(w

> この段は右翼思想家の葦津珍彦の『国家神道とは何だったのか』や靖国烈女遺徳顕彰会編『靖国烈女傳』の記述を受けて書かれているものです。その引用文を見ないと分かり難いかも。

それはもちろん、そうですね。

靖国等に関して他板でも話題になっていて、さっき、ついつい容喙してしまったところです。
おっちゃんBBS
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5536 Re:靖国でふと思った事 祝鶏翁 2005/06/19 06:07

> 失礼スイマソン。真宗の場合、和風手帳みたいな感じですね。

そうです。正確に言えば「折本」です。

> 骨壷を納めたときに、納めたひとの名前を右脇の石碑に刻むのでは?

最近の例としては、それも含みますが厳密に言うとそうとも言い切れないのです。今は火葬ですが40年以上前ですと土葬でしたから骨壷自体が存在しませんでした。「右脇の石碑」というのはそんなに昔からはなかったように思いますね。つまり骨壷に納めてない人の名も今は「右脇の石碑」に書かれているということです。

それと伯父の名が家の石碑にないということの意味です。ひょっとしたら「英霊」という神とふつうの仏(死者)を分けておこうという観念が働いたのではないかなと。今となっては誰がどういう考えでそうしたのか分からなくなっていますし、こういうことは特殊なことでどこでも行なわれていることでもないかもです。

> 真宗の場合は、儒教っぽいことは排すのが特徴といえるかも。

位牌というのは禅宗などを通じて日本に齎されたということもありますが、「儒教っぽい」の「ぽい」で言いますと必ずしも儒教だけにあることではないのですが、過去から現在の生命の繋がりを重視するという親鸞の考えから行くと外面的な儒教的なものは見当たりにくいですが、儒教と共通するような根本的な考えは存在すると思います。

> ★おまけ
> --------------------------
>  ところが、靖国の祭り(祀り)は、こうした感情に沈むことを許さない。それは本質的に哀しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とすること、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設であると言わなければならない。(58ページ)
> --------------------------
>
> と、氏は言っています。。

本の現物が無くてもネットで一部引用できるんですね。正確に言うと57Pと58Pに跨る文章かつ、哀しみ(×)→悲しみ(○)ですが。

この段は右翼思想家の葦津珍彦の『国家神道とは何だったのか』や靖国烈女遺徳顕彰会編『靖国烈女傳』の記述を受けて書かれているものです。その引用文を見ないと分かり難いかも。
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5535 zz gaji 2005/06/19 01:11

http://www.sanyasou.com/hirugao.htm
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5534 Re:靖国でふと思った事 gaji 2005/06/19 00:48
> --------------------------
>  ところが、靖国の祭り(祀り)は、こうした感情に沈むことを許さない。それは本質的に哀しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とすること、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設であると言わなければならない。(58ページ)
> --------------------------

なんていうのかな、、、これって、絵に描いたような「靖国」批判。

《戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とすること、すなわち「顕彰」である》

と、言い切れるのかどうか。「靖国」があってもなくても、死者は死者だったでしょう。

【戦死を愚弄し、醜悪であり不名誉なことだとし、後につづいてはならない規範とすること、すなわち衆愚の見本としての「晒し」である】

ようなものであれば、よかったんでしょうか。。(←言いがかりっぽい^^)
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5533 Re:靖国でふと思った事 gaji 2005/06/18 22:17
> 位牌ではありませんし、うちには位牌は存在しないです。
> ○○家と表紙に墨書された巻物です。
> ちなみに浄土真宗の。

失礼スイマソン。真宗の場合、和風手帳みたいな感じですね。

> > 墓に入れるものは、普通は「お骨(コツ)」ですし。。
>
> いえ、墓の下に入れるのは骨、祖父の頃は土葬でしたが、墓のよこっちょに石碑があるのです。
> そこに伯父の名が刻まれていないのです。

骨壷を納めたときに、納めたひとの名前を右脇の石碑に刻むのでは?

> 伯父の場合は第三七軍(旧称ボルネオ守備軍・司令官馬場正郎中将)に所属していたようです。
> 昭和20年6月戦没ということですから、昭和20年6月10日に連合軍がボルネオ・ラブアン島に上陸し以後約10日間奮戦したとされる独立歩兵第371大隊(大隊長・奥山七郎大尉)であると考えられます。
> この大隊はボルネオ東海岸から西海岸に行軍中約400人を失い、残存の440人でラブアン島に上陸し玉砕したとされます。

ほとんど、末期だったんですね。

> > 「儒教・仏教・神道?」ミックスなんですね。
> いえ、「仏教・神道」ミックスでしょうか。

真宗の場合は、儒教っぽいことは排すのが特徴といえるかも。

> > 《哀悼を顕彰に、悲しみを歓喜にかえて、生と死の最終的な意味づけを与えた靖国。これを「感情の錬金術」として斥けて、「悲しいのに喜ばしいといわない」ことを提唱する、高橋哲哉。》
>
> そうでもあるような微妙に違うような。やはり誰かのブログより本文に当ってみたほうが正確かも。

たしかに。読もうと思って近くの図書館に行ったら、見当たりませんでした(つい先日はあったんですが)。

> > 本の帯にも、靖国は「生と死の最終的な意味づけを与えた」「宗教施設」とあるようですが、ここは、わたし的には「?」です。「生と死の意味づけ」を「靖国」が与えている?マジ!?っていいますか。
>
> オビというか表紙ですね。それと文言が少し異なります。ま、それでも趣旨はそういうことでしょうかね。

オビかと思ったら、それふうなつくりの表紙でした(w
http://images-jp.amazon.com/images/P/4480062327.01.LZZZZZZZ.jpg

★おまけ
--------------------------
 ところが、靖国の祭り(祀り)は、こうした感情に沈むことを許さない。それは本質的に哀しみや痛みの共有ではなく、すなわち「追悼」や「哀悼」ではなく、戦死を賞賛し、美化し、功績とし、後に続くべき模範とすること、すなわち「顕彰」である。靖国神社はこの意味で、決して戦没者の「追悼」施設ではなく、「顕彰」施設であると言わなければならない。(58ページ)
--------------------------

と、氏は言っています。。
削除キー→

5532 Re:靖国でふと思った事 祝鶏翁 2005/06/18 12:31

> 位牌があるということですよね(「位牌」は儒教経由)。

位牌ではありませんし、うちには位牌は存在しないです。
○○家と表紙に墨書された巻物です。
ちなみに浄土真宗の。

> 墓に入れるものは、普通は「お骨(コツ)」ですし。。

いえ、墓の下に入れるのは骨、祖父の頃は土葬でしたが、墓のよこっちょに石碑があるのです。
そこに伯父の名が刻まれていないのです。
遺骨も帰ってないですから骨も当然埋めていません。
髪の毛や爪は埋めたのかも知れませんがなにせ大昔のことでどうであったか分かる人はもう居ないかも。

> 「骨は還って来ないかも知れない」ので、出征するものは、留守隊に「遺書」「髪の毛」「爪」を託すことになっていたそうです(by義父の話)。で、戦死の広報があると、(遺骨があれば)遺骨に添えて、この”3点セット”が遺族に渡されたのだそうです。

伯父の場合は第三七軍(旧称ボルネオ守備軍・司令官馬場正郎中将)に所属していたようです。
昭和20年6月戦没ということですから、昭和20年6月10日に連合軍がボルネオ・ラブアン島に上陸し以後約10日間奮戦したとされる独立歩兵第371大隊(大隊長・奥山七郎大尉)であると考えられます。
この大隊はボルネオ東海岸から西海岸に行軍中約400人を失い、残存の440人でラブアン島に上陸し玉砕したとされます。

> 共同慰霊ということですよね。

そうです。集落の戦没兵士ばかりのです。
どでかい先の尖がった碑が5本ほど並んでますかね。

> > そこは線香や花入れがあり仏式で供養したりします。
> > ですが「英霊」ということですから靖国神社にも行っていることになっているでしょう。
>
> 靖国神社には、名前と出身地等が英霊として収められているのでしょうね。

> 「儒教・仏教・神道?」ミックスなんですね。

いえ、「仏教・神道」ミックスでしょうか。

> > がじさんの靖国問題に対する意見と異なる部分の多い人かな。
>
> 「多い」といいますか、えーと、、某ブログによれば、
>
> 《哀悼を顕彰に、悲しみを歓喜にかえて、生と死の最終的な意味づけを与えた靖国。これを「感情の錬金術」として斥けて、「悲しいのに喜ばしいといわない」ことを提唱する、高橋哲哉。》

そうでもあるような微妙に違うような。やはり誰かのブログより本文に当ってみたほうが正確かも。

> 本の帯にも、靖国は「生と死の最終的な意味づけを与えた」「宗教施設」とあるようですが、ここは、わたし的には「?」です。「生と死の意味づけ」を「靖国」が与えている?マジ!?っていいますか。

オビというか表紙ですね。それと文言が少し異なります。ま、それでも趣旨はそういうことでしょうかね。
削除キー→

5531 おまけ gaji 2005/06/18 11:02
謎の記号(音アリ)かんたんすぎて、、すぐみわかっちゃいました。。。
削除キー→

5530 追) gaji 2005/06/18 09:18
『しずくのぼうけん』でした。
削除キー→

5529 gaji 2005/06/18 07:02
>「**この(冒険?物語?)」だったか、アフォボンが小さかった頃、わたしとの連絡帳(大きな画帳をつかってました)に描いていて、とても面白かったんです(w

↓このAA(アスキーアート)のことではないですよ。念のため。。
削除キー→

5528 **コですみません。。(あちこちで、ゴチャゴチャっぽいですね。。 gaji 2005/06/18 06:55
    人
    (__)
    (__)  ウンコー♪
   (,, ・∀・)つ                      人
  (( (つ ,ヘ                       (__) ンコー♪
     (  ,∪ ))                   (( n・д・)っ ))
     し'                        `c,,,c,,)

     人
    (__)
    (__)  ウン♪ウン♪
   (・∀・ ,,)   コッコー♪               人  ン♪ン♪
  (( とと ヽ                      (__)  コッコー♪
      ヽ_,つ                  (( c(д・*)n
      し'  彡                   c(,,c,,)

      人
     (__)
    (__)  ウンコッコー♪
    (,, ・∀・)                       人
    ノ つつ ))                     (__) ンコッコー♪
((  ⊂、 ノ                        c(*・д)っ ))
    し'                          (っ,,ノっ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「**この(冒険?物語?)」だったか、アフォボンが小さかった頃、わたしとの連絡帳(大きな画帳をつかってました)に描いていて、とても面白かったんです(w

眠る前に「本(絵本)」を3冊、というのをずーーーっと、つづけていたときに、
『しずくの冒険』?(書名アヤフヤ)といって、しずく(水ですね)の循環の話を描いた絵本があったんでした。

そこらへんからの発想かな?(でも、笑えました^^)←手元にないのが残念(w
「2ちゃん」のAAの比ではアリマテン(←???
削除キー→

5527 Re:どっかの、つづき。 gaji 2005/06/18 05:49
> 上杉神社って、、、米沢で上杉といえば幕末の上杉鷹山のことですよね。神社ができたとしたら、明治以降かも。

上杉神社。。って、上杉謙信の神社のことだったんですね。。

カンペキ勘違いです。すみません。トホ、ホホ。。
削除キー→

5526 Re:靖国でふと思った事 gaji 2005/06/18 05:16
> 当掲示板では靖国問題についての対話が続いております。
> それに容喙するわけではありません。
> 対話は2人か3人ぐらいが丁度良く、余り多ければ筋が追いにくくなりこんがらがったりしがちです。

そうですね。でも、こんがらりん♪になったら、ほどけばいいわけですから。

> こういうケースもあると言うことで一つ。
> 私の伯父はボルネオで昭和20年6月に戦没しています(陸軍、27歳)。
> 家の仏壇には名前が載っており、坊さんがお経しに来ます。

位牌があるということですよね(「位牌」は儒教経由)。

> ところがムラの墓地内に家の墓(○○家の墓)があるのですが、そこには名前は刻まれていません。

墓に入れるものは、普通は「お骨(コツ)」ですし。。

「骨は還って来ないかも知れない」ので、出征するものは、留守隊に「遺書」「髪の毛」「爪」を託すことになっていたそうです(by義父の話)。で、戦死の広報があると、(遺骨があれば)遺骨に添えて、この”3点セット”が遺族に渡されたのだそうです。

> その墓地の別のところに英霊の墓というどでかい高いものがあり、そこに他の戦没者と一緒にいることになってます。

共同慰霊ということですよね。

> そこは線香や花入れがあり仏式で供養したりします。
> ですが「英霊」ということですから靖国神社にも行っていることになっているでしょう。

靖国神社には、名前と出身地等が英霊として収められているのでしょうね。

> 「英霊」を仏式で供養するのも宗教混交の文化風土とは言え考えてみると妙なもんだなと思ったり。

ですね。それが日本の文化風土(外来のいろんなものを取り入れてきた混淆文化)といえるのでしょうけれど。

靖国のルーツは、幕末の動乱時の死者を各藩でそれぞれの仕方で供養していたものですね。幕末期に「国家神道」ってありませんでしたし、仏教的な供養の一環だったでしょう。

3巻「23.靖国神社と護国神社」より------------------------

幕末維新の戦没者慰霊は、各藩が行っていたものです。明治元年、明治政府は「国事に倒れた草莽の志士たちを合祀するよ」という布告を出し、同時に「京都にそのための神社を建てるよ」という布告も出しました。これが京都にある京都霊山護国神社の創建の淵源とも言われています。これによって各地で慰霊のために招魂社、招魂場、墳墓などが造られることになります。2年には東京招魂社が設立。その合祀祭では戊辰戦争の戦没者3,588柱が祭られました。だから、それまではみんな呼び方がばらばらだったわけです。その後に明治8年全部、招魂社としたわけです。それで、そこの祭祀は官費でするということになりました。これが官祭招魂社です。そのあとに私的につくられたものが私祭招魂社です(西南戦争関係は官祭です)。

今、話題の靖国神社は明治12年に東京招魂社が改称したもの、各県の護国神社は昭和14年に招魂社が改称したものなんですよ。
------------------------「具顕さんの全く解らない神道講座」

「儒教・仏教・神道?」ミックスなんですね。

> ときどき何人の伯父さんを供養しているのかと思うわけです(本人は一人しか当然いません)。

いろんなところで、様々な見方から供養(慰霊)されている、ということなんでしょうね。
死者には自分を慰霊できませんし、生者の身勝手かも。。


> ■ 高橋哲哉の『靖国問題』(2005年4月)、この種の本としはベストセラーのようですね。
> 私も買いましたですよ。
> 靖国問題が沸騰するのを見込んで書いたのかな。

いろんなところで書評されていますね。

> がじさんの靖国問題に対する意見と異なる部分の多い人かな。

「多い」といいますか、えーと、、某ブログによれば、

《哀悼を顕彰に、悲しみを歓喜にかえて、生と死の最終的な意味づけを与えた靖国。これを「感情の錬金術」として斥けて、「悲しいのに喜ばしいといわない」ことを提唱する、高橋哲哉。》

本の帯にも、靖国は「生と死の最終的な意味づけを与えた」「宗教施設」とあるようですが、ここは、わたし的には「?」です。「生と死の意味づけ」を「靖国」が与えている?マジ!?っていいますか。

生と死の意味って個人のもので千差万別なはず、だれが(だれに)与えることができるのでしょうか、、って思うんですね。
削除キー→

5525 靖国でふと思った事 祝鶏翁 2005/06/17 23:23
当掲示板では靖国問題についての対話が続いております。
それに容喙するわけではありません。
対話は2人か3人ぐらいが丁度良く、余り多ければ筋が追いにくくなりこんがらがったりしがちです。

こういうケースもあると言うことで一つ。
私の伯父はボルネオで昭和20年6月に戦没しています(陸軍、27歳)。
家の仏壇には名前が載っており、坊さんがお経しに来ます。
ところがムラの墓地内に家の墓(○○家の墓)があるのですが、そこには名前は刻まれていません。
その墓地の別のところに英霊の墓というどでかい高いものがあり、そこに他の戦没者と一緒にいることになってます。
そこは線香や花入れがあり仏式で供養したりします。
ですが「英霊」ということですから靖国神社にも行っていることになっているでしょう。
「英霊」を仏式で供養するのも宗教混交の文化風土とは言え考えてみると妙なもんだなと思ったり。
ときどき何人の伯父さんを供養しているのかと思うわけです(本人は一人しか当然いません)。

■ 高橋哲哉の『靖国問題』(2005年4月)、この種の本としはベストセラーのようですね。
私も買いましたですよ。
靖国問題が沸騰するのを見込んで書いたのかな。
がじさんの靖国問題に対する意見と異なる部分の多い人かな。
削除キー→

5524 ZZ gaji 2005/06/16 23:48
ハナイカダ
http://ch.kitaguni.tv/u/7864/%BC%CC%BF%BF/%B2%D6/0000220747.html
ハナイカダ
削除キー→

5523 5520のつづきでし gaji 2005/06/16 22:21
> 「鎮守の森のお社」は地域に密着しているので、第三者からみて匿名...ということはないですよね。

そうなんです。ただ、「匿名」の意味が少しちがうんですよね。

えーと、たしか数ヶ月前に、桜子板であった話。

http://otd4.jbbs.livedoor.jp/214378/bbs_plain?base=3273&range=1
といったことを思い出しました。

《「匿名」の意味が少しちがう》というのは、伝説の英雄の場合、複数の総合イメージ(物語素)だということ。ヤマトタケルにしてもスサノオにしても、同様というか、ひとりのひとのコトではないんですね。
削除キー→

5522 どっかの、つづき。 gaji 2005/06/16 21:43
> 「鎮守の森のお社」的な見方をしても(こちらは私の「思いつき」ですがw)「祭神」としては「特異」...。

近代以降、「特異」ということですか? 「靖国神社」の場合は、、ということでしょうか。

> 「日本人の神」で読んだのですが、明治政府には国学派の学者がかなり入府していた様なのですね。その人たちが従来の神道に「国学」を足して形作ったのが「国家神道」なのだろう、と考え中...。

そうなのでしょうね。でも仏教系も少なからずいたんですよ。例えば「教育勅語」とかに仏教系(本覚系)の意見がけっこう入っていたり。(←これは以前、袴谷っていうひとの本で知ったのですが。。いま、手元になくって、なんとも。。)


> 例えば、生前の功績を称えて祭神にするって、やはりそれまでの神道にはなかった気がします。

家康の場合、「日光東照宮」に祀られていますよ(権現さまっていうこと)。
代々の天皇は菩提で弔われていますし。混淆(コンガラリン)ですね。天皇の肖像画には仏教系スタイルが多かったり(花山天皇ってお坊さん^^)。
泉涌寺


> > > 野木将軍は...これは「戦争美化」...というより生前の武勲を称えて、かな?
> > 生前の功績(武勲)ということなのでしょうね。(敗れてたら、戦犯扱いだったかもデツ)。
>
> 東郷提督を祀った東郷神社もこれにあたりますよね、おそらく。

そうですね。武勲だと思います。

> 生前の功績を神社で祀るという形は明治以降なのではないか...と思うのですが(ただ、私の乏しい知識に基づいているので怪しいのですが)。

調べてみますね。

> 松蔭神社や米沢の上杉神社は明治以前からあったかな?

松陰神社〜^^懐かしい。世田谷の玉電という路線電車の駅に「松陰神社」がありました。吉田松陰の場合、えーと、あ!幕府側に殺されたということですね。。
吉田松陰って、若くして殺されてしまい、残念。。。座敷牢っぽいとこで知り合った年上の女性がいて、その彼女はけっこう長生きしてるんですよね。器つくってた方かと。。
(歌に残ってもいます。←ここらへんは、祝鶏翁さんがお詳しいかも。)


上杉神社って、、、米沢で上杉といえば幕末の上杉鷹山のことですよね。神社ができたとしたら、明治以降かも。


>化野(アダシノ)」は、そういう「一旦死体を置く場所」だったのですね。当時はそれが一般的な葬送の形だったのですね。

「一旦」だけではないんですよ。そこにそのまま置き去りにしていた、ということです。
で、嘘かホントか分からないのですが、そういった状態を見るにみかねた弘法さんが(空海)が、「土葬」を奨励したということになっていますよ。


> > 考えてみれば、ごくごく近しいひとや動物の「死」の場合、「怖い」「恐ろしい」といったことはほとんどなかったですから。
>
> 確かに自分自身の経験と引き合わせて考えると、そうですね。
> 子供の頃に飼っていた犬が死んだときにも、「怖い」「恐ろしい」より「悲しい」の方が強かったですね...。

同じ「死」なはずなんですけどね。。

> > 数日前の早朝、住まい(集合住宅)の外に、鳥(山鳩?)の死骸を発見してしまい、ドキッ。。(なぜって、わたし、当番制の年替わり自治会の責任者のひとり。。アフォボンがいれば、彼に、「鳥が死んでたから、花壇に埋めてくれる?」とか、頼みたかったところです。。←自分がしたくないことは息子にお任せ←なんとも身勝手な親で゙アリマツ)
> > 夕方には死骸は見当たりませんでしたけれど。
>
> 頼めると思えるところは、頼もしいです。息子さん(^^)。

頼もしいも何も、ムリヤリ^^にです。かわいそうな、かわいそうな^^アフォボン(w
ここ(見てたりして(w
削除キー→

5521 うーーん、、 gaji 2005/06/16 18:47
東北新幹線がヘビのせいで事故になったようですが、、
体長30cm?のシマヘビが原因とのこと。

赤ちゃんヘビが間違えてしまったんですね。。。

(↓爬虫類が苦手な方は、クリックしないで下さい^^)
シマヘビって、1蛋宛紊呂△蠅泙垢ら。。
削除キー→

5520 Re:再レス gaji 2005/06/16 09:04
> > > やはり、靖国神社の場合、「特異」だと思います。道真の怨霊・鎮魂の天神様はあちこちにありますけど、現在、「靖国」には2,466,532柱が祀られているのですが(約247万柱)、247万の神社が建立されたわけではないですしね。一般のひと、第三者からみれば、匿名化された戦死者たち、ということでしょうし。
>
> 「非業の死」を祀る神社にしても、それ以前の神社神道から見たときに「特異」。

「それ以前の神社神道」って、たぶんないですよ。。近代以降のものかと。。

氏神信仰(地域にあったたくさんの神社)、それからお稲荷さん(稲荷神社)とか、お不動さんとか、八幡さま、とか、、神仏ゴチャマゼは神仏習合(垂加神道)の名残でしょう。

”ヤスクニさん”とは、だれも言わない。。
商売繁盛や安産祈願の神社ではない、ということ、かと。。

忠魂碑、招魂社、靖国、、、の流れですよね(昔、大江しのぶ←ホントは漢字。という方の本、新書本にありました)。

「怨国神社」って、あったらこわい。。

> 「鎮守の森のお社」は地域に密着しているので、第三者からみて匿名...ということはないですよね。

そうなんです。ただ、「匿名」の意味が少しちがうんですよね。

えーと、たしか数ヶ月前に、桜子板であった話。
すいまそん、またのちほど。。
削除キー→

5519 Re:No.5322へのレス(2)-つづき- gaji 2005/06/16 08:25
> > 《「個人」ではない》というのは、たしかに、そのとおりですね。
> > 改めて気づかされました。謝謝です。
>
> 「個人」ではないのですが、靖国神社の約247万柱の神様とは「個々人」なのか、それとも祖霊の様なひとつの御霊なのか、ちょっとわからないのですね。

どちらでもないのでは。。
もちろん、遺族にとっては、かけがえのない「ひとり」(個人)だと思います。
でも氏神さま的な「祖霊」とは違う、ということは言えると思います。


> 他の宗教の方々、植民地時代の占領国の方々、A級戦犯の方々など、「分祀」が出来ないのは、英霊をひとつの御霊と捉えているからなのかなぁ、と...。

> 他の宗教の方々、

例えば、クリスチャンの方が合祀反対していた裁判がありましたね。

(義父母はクリスチャンなんですが、上京の際、ときどき靖国神社にお参りしていましたよ。戦友たちに手を合わせてくると言って。。)


>植民地時代の占領国の方々、

の合祀反対もありますね。

>A級戦犯の方々など、

に対する合祀反対がいちばん、、かな。。

>「分祀」が出来ないのは、英霊をひとつの御霊と捉えているからなのかなぁ、と...。

英霊はひとつではない、と思いますよ。
私にとっての個人的な、顔の見える知り合いはいませんけれども。


> > > 靖国神社も【非業の死者の怨霊を慰めるため】です。

「英霊」は、「怨霊」になってまではいないと思いますよ。「英霊の祟り」って、、例えば、、うーん、ないですよね。。あるかな。。

天神様にしても、将門神社にしても、天変地異といったことがつづいたあとに、「祟り」では?と、ときの権力者が彼らをないがしろにしたり殺したことを恐れて建立したものなんでつネ。

(スイマソンj。。体力に限りが^^。。つづき、あとにしまち。)
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5518 Re:No.5322へのレス(2) gaji 2005/06/16 07:34
a thousandさん、おはようございまち

> で、下に書いたのですが、当時の人たちは、明治前の"地域の共同体の氏神様を祀る"の延長線上で「靖国神社」を理解していたのでは?と思ったのですね。

微妙にちがってたでしょう。(←スイマセン、推測です)。。

神社のルーツって、もともとは「社」(ヤシロ)とかなくって、山とか石とか樹木とかが”御神体”だったんでした。仏教が入ってきてから、かたちあるものになったのだと思います。
仏教の寺院ってそれなりにきらびやかで威厳あるものですし(飛鳥時代の仏教美術って、けっこうスゴイでつ)。


> > > 氏神は祖先の霊を神として祀ったものですよね。それは祖先の霊に対する「鎮魂」も含まれているとは思うのですが、「鎮魂」と「祖霊崇拝」の融合、という風に考えているのですが。
> > ですね。「靖国神社」の場合、「祖霊崇拝」とは異質です。
>
> 「鎮守の神様」って、祖霊+土地の神様=氏神と理解しているのですが、靖国神社の場合、英霊とは国を守るために命を捧げた人たちなので、護国の神(国を守る神様)と捉えられていたのでは?と考えたのです。

「護国の神」の場合、「国を守る(ために駆り出されて死んだ)神様」ということでもあるでしょうね。

徴兵って、必ずしも平等ではなく、くちききとかで逃れられたひとたちっているんでした。。
(要職と懇意だったりした場合とか、行かずにすんだそうです。女友達が昔、言ってました。
「うちの叔父さんは平気だったわよ」って。)
現実はそんなものなんだ、、と思いました。「地獄の沙汰も、、」っていう感じでしょうか。。


> > 「死者の魂が極楽へ迎え入れられるように〜」というよりは、日本語の鎮魂の場合は「どうぞ、やすらかに〜」っていう感じがポピュラーな気がします。
>
> 日本の場合(というより仏教の場合?)だと「天国」ではなくて「極楽へ...」ですね。
> 霊魂に対して「どうぞ、やすらかに〜」という形の「鎮魂」って「死者の魂を天国へ〜」より、魂に対して身近な印象があるのですよ。

そうかもしれませんね。

最近でいえば、かつての「若の花」(若貴のオニイチャンのほう)が、”「天国」に行った父”といった言葉として使っていましたね。(天国の父、、だったかも。。)。

「あの世の父」よりは「天国の父」のほうが、言葉のニュアンスとして響きがいいのかもしれません。クリスチャンではないはずですが、現在の日本の場合、「天国」という言葉のほうが、普通になっているということなのでしょうね。


> > やはり、靖国神社の場合、「特異」だと思います。道真の怨霊・鎮魂の天神様はあちこちにありますけど、現在、「靖国」には2,466,532柱が祀られているのですが(約247万柱)、247万の神社が建立されたわけではないですしね。一般のひと、第三者からみれば、匿名化された戦死者たち、ということでしょうし。
>
> 天神様をお祀りしている神社はあちらこちらで見ますけど、靖国神社は「靖国」だけですね。
> 神社通(?)の友人に昔聞いた事があるのですが、「御霊わけ」なるものがあって、それで色々な所に同じ祭神の神社があるのですよね(つまり、全国にある天神様の神社の祭神も、ひとつの道真公の御霊をわけたもの)。
>
> で、「靖国神社」の場合ですが、思いついたのが「護国神社」なのですね。
> ...「大阪護国神社」のサイトを見つけたのですが
>
> <引用開始>
> 大阪府出身ならびに縁故の殉国の英霊
>  十五万五千余柱。
> <引用終了> http://www.osakagokoku.or.jp/souken/index.html
>
> ...この十五万五千余柱は大阪出身の戦死者の方たちで、「靖国神社」の約247万柱とは、性質は同じでも、御霊としては別の祭神ですよね(つまり「御霊わけ」によるものではない)。


すいません。ここ↑保留。よくワカリマテンので。。


> > 少なくとも、戦争美化ではないと思いたいですし、”メモリアル””メメント・モリ”的な側面があるのでは、、と思ったり。。
> メメント・モリ(...調べてしまいました。我ながら言葉知らず(^^;。勉強になります)「死を想え」ですね。戦後は...そうですね。

「メメント・モリ」っていう言葉を知ったのは、藤原新也の写真集からだったやうな。

> ...どちらかと言えば、意志的にそういう方向にもっていかないと、どうしても政治との関わりで俎上に載りやすい性格の場所...な気がします。

慰霊がなぜ、政治的なことでアレコレ言われ化ければならないのかが、分からないところです。

> 当初の戦死者は内戦による戦死者ですが、それ以降は「国」による戦争に従軍したがゆえに、亡くなられた方々を、お祀りする場所ですし...。

従軍して死んだひとたちetcを祀ること自体、なにがいけないのカナ、、って思いますが。
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5516 Re:No.5322へのレス(2)つづき(ぶっつけ^^本番いきまつ...へのレスです(^^) a thousand 2005/06/15 13:24
つづきです。(乱暴者がお昼寝タイムです...)。

> マタヤン先生の「マズロー説」応用に関しては、ほとんど異論がなかったせいなんですyo。
> 基本的に是々非々のつもりの私。(←といっても、そのつもりではあっても、偏りに気づかない私がいるのだと思いますが。。)。

了解です。是々非々...そうですね(^^)。


> > 先祖崇拝というのは
> > 【子→父母→祖父母→祖祖父母】
> > 祖先崇拝
> > 【子→父母→祖父母→祖祖父母→祖々々父母→祖々々々父母→祖々々々々父母→・・・・】
> > 祖霊崇拝
> > 【 】内が渾然一体となった霊魂
> > と言う解釈で、大丈夫でしょうか。

> 大丈夫〜!!と私が言っても頼りないこと限りなし、、なのでつが、
> 私自身の理解ではそうです。

ごめんなさい。ちょっと問い方が変でした...。
「ドミニョン」でtpknさんと同意された考え方...gajiさんの理解をお聞きしたかったのでした。
...ということで了解です。

> > 「ドミニョン」の論争の初めの頃、tpknさんが百科事典を引いてらしたのですが...
> >
> > <一部引用>
> > 自然の内部には先祖の系譜につらなる無数のアニマが活動していると想定されてきたのであり
> > <引用終了>http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1086611/bbs_plain?range=-20&base=900 (NO.886)
> >
> > ...などを、読んで「万物の霊=祖霊だったの?」と思ったのです。(誤読だったかも...(w)。
>
> 万物の例≒「祖霊」なのだと思いますよ。

なるほど〜〜(ちょっと目から鱗...)。
逆に、万物の霊/祖霊→祖先の霊だ!!...等、峻別したがる発想って「人間中心主義」でした(我ながら(w)。

> ただ、そしたら「人類皆兄弟」でもあるわけで、、争いばっかり、、っていうのは、いったいなんのなのでしょうね。。
> 近親憎悪なのかもしれませんが。(財産争い^^?

財産争いもあるかも(^^)←笑い事ではないか??
何故なのでしょうね...。

> > gajiさんの「他界」のイメージはどのようなものなのでしょうか(輪廻転生でしょうか?)。
>
> うーん、むずかしいですね。
> 仏教の考え方でいえば、輪廻転生は悟り自覚するまで繰り返すということになってますが、「他界」ということではないんですね。

あ、ごめんなさい。これも「問い」が頓珍漢でした...。
「他界」に関してより死後「霊魂」がどのようなるかをお聞きしたかったのでした...。
個々人で、考え方って異なっているのだろうなと...。

...「観学院」...少しずつでも、ROMしてみます(ボチボチで...)。
削除キー→

5515 いやぁ・・有り難うございます 蝶々 2005/06/15 13:23
gajiさんには、教えていただくばっかりで、まっこと多謝でありんす(ありやんす?ありがとっす?ございます。おおきに)日本語って豊かですね〜って、遊んでるぅ・・・(*^_^*)

a thousandさん、こんにちわ(*^_^*)

gajiさん
>中大出皇子 十七条の憲法・・・・
素晴らしい!!っていうか笑っちゃいました(*^_^*)
さあって、仕事?します。
削除キー→

5514 まことにすみません、訂正(再々) gaji 2005/06/15 12:40
> で、この板の場合は、こんなふうに指定すればOK。
> すべて半角。■部分が紹介サイト。●部分は■、or紹介コメントetc)
>
> <a href="■"target="_blank">●</a>


「<」は「<」。
削除キー→

5511 Re:>ZZ gaji 2005/06/15 11:55
> >http://club.pep.ne.jp/~toys.oohara/sound.htm

たんくちデツ♪
「逃亡者」←懐かしい^^。。きちんと観たことがあったかどうか、、うろ覚えなんですが。。

> 何回やっても、どうもgajiさんみたいにクリックするだけで開くアドレスにはなりません。
> 何故なのかなぁ〜。

私もよく分からないんですが、、「板」によって、ちがうみたい。

■「URL」をコピペすればクリック即OKなところと、
■この板(禁漁池)のように、そうではない、ところと。


で、この板の場合は、こんなふうに指定すればOK。
すべて半角。■部分が紹介サイト。●部分は■、or紹介コメントetc)

<a href="■"target="_blank">●


> a thousandさん。秀里さん(はじめまして(*^_^*)いいお話の途中に侵入してごめんなさい^^
> ロムだけして、わかった気になっています。。。。。

とんでもないでし。
秀タソ、おおよろこびのコンコンきちきち♪(←あて推量
削除キー→

5510 再レスを再読...○| ̄|_ a thousand 2005/06/15 11:35
...やはり考えがまとまらないまま急いで書くと、アカンとです...。

非業の死をとげた匿名の死者を、中世のころお祭していたと、最近読んだ「靖国問題」高橋哲哉著に書いてあったのでした...。

...少しお休みします...(w。

蝶々さん、おはようございます(^^)。
お花や、猫や、鳥などの写真、いいですよね〜。
シフゾウがシブイです。(スプーシャンのモデルだったのかー←ジャンプマンガ知識(w)。
削除キー→

5509 >ZZ 蝶々 2005/06/15 10:55
お早うございます。
紫陽花・・・いいですね〜。お花や、猫や、鳥・・・癒されます。gajiさんのそんな才能?かなり
感動しています。ま〜たり〜のフィーリング(*^_^*)書き込みの時間がない時なんか、ひとりほっとしています。
この間友人からきたものですが・・・ちょつと懐かしいのもあったりします♪♪
↓↓
>http://club.pep.ne.jp/~toys.oohara/sound.htm

何回やっても、どうもgajiさんみたいにクリックするだけで開くアドレスにはなりません。
何故なのかなぁ〜。

a thousandさん。秀里さん(はじめまして(*^_^*)いいお話の途中に侵入してごめんなさい^^
ロムだけして、わかった気になっています。。。。。
削除キー→

5508 うーーーん(w。。はしやすめ。 gaji 2005/06/15 10:52
22 中大出皇子 十七条の憲法 2003/07/17 21:29

    ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,          / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ||||||||||||||||||ii        |  1.gajiの悪口を言わない。
    ,,||||||||||||||||||||         |  2.gajiの悪口を言わない。
   i||||||||||||||||||||||||||||i      |  3.gajiの悪口を言わない。
  i|||||||||||||||||||||||||||||||||||||i   |  4.gajiの悪口を言わない。
 ||||||||||||||||||||||||||||||||||| !||.   |  5.gajiの悪口を言わない。
 |━-  -━━━ |||||||| |||   |  6.gajiの悪口を言わない。
 ,●-|  -●-   / ̄||| ,||||   |  7.gajiの悪口を言わない。
 |  /         _!|||||!!  <  8.gajiの悪口を言わない。
. | (_,       ̄|||||       |  9.gajiの悪口を言わない。
 | ━__━      ||||     | 10.gajiの悪口を言わない。
  ヽ、 `~ ,,,;;;;;;;__   ||||     | 11.gajiの悪口を言わない。
   ||||||||||||              | 12.gajiの悪口を言わない。
    !|||||||!!            | 13.gajiの悪口を言わない。
    !||||!             | 14.gajiの悪口を言わない。
                   | 15.gajiの悪口を言わない。
                   | 16.gajiの悪口を言わない。
                   | 17.gajiの悪口を言わない。
                   \_______________
削除キー→

5505 再レス a thousand 2005/06/15 10:18
少し読み返してみました。

> > ↑などと言いましたが、「非業の死」にしても、神社としての性格はまるで違うことに気づきました。
> > やはり、靖国神社の場合、「特異」だと思います。道真の怨霊・鎮魂の天神様はあちこちにありますけど、現在、「靖国」には2,466,532柱が祀られているのですが(約247万柱)、247万の神社が建立されたわけではないですしね。一般のひと、第三者からみれば、匿名化された戦死者たち、ということでしょうし。

「非業の死」を祀る神社にしても、それ以前の神社神道から見たときに「特異」。
「鎮守の森のお社」は地域に密着しているので、第三者からみて匿名...ということはないですよね。
「鎮守の森のお社」的な見方をしても(こちらは私の「思いつき」ですがw)「祭神」としては「特異」...。

「日本人の神」で読んだのですが、明治政府には国学派の学者がかなり入府していた様なのですね。その人たちが従来の神道に「国学」を足して形作ったのが「国家神道」なのだろう、と考え中...。

例えば、生前の功績を称えて祭神にするって、やはりそれまでの神道にはなかった気がします。
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5501 Re:No.5322へのレス(2) a thousand 2005/06/15 09:57
はじめまして、秀里さん。
レスをありがとうございます。

> たしか、護国神社ってのは明治維新以前から各地にあったんでチネ。以前は招魂社と言っていた。
> 靖国神社よりも前に各地で殉難者を祀っていた。
> のちにその魂を京都に集めた。ツマリ合祀したわけヤネ。それを靖国(東京招魂社)に合祀。
> 但し、他の護国神社に神様がいなくなったのでワナクテ、分霊の形で移ったんでチネ。

そうでしたか...。確かに「全国にある招魂社をまとめて...」でしたね→靖国神社。
では、やはりこれも「御霊わけ」の一種ですね。

「靖国神社」建立の際、分霊した後の全国の「招魂社」の社名も「護国神社」になったのですね。
(あるいは軍の管轄になってから、かな)。

ご指摘、ありがとうございます(^^)。
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5500 Re:No.5322へのレス(2)-つづき- a thousand 2005/06/15 09:50
つづきです。

> > ここでの「個人を神として祀る」は「ヤスクニ」を念頭にはおいておりませんでした(念頭に置いていたのは道真公→乃木将軍など...)。
> > (靖国神社は氏神信仰の変形のようなものをイメージしております。「個人」ではないです)。
> 《「個人」ではない》というのは、たしかに、そのとおりですね。
> 改めて気づかされました。謝謝です。

「個人」ではないのですが、靖国神社の約247万柱の神様とは「個々人」なのか、それとも祖霊の様なひとつの御霊なのか、ちょっとわからないのですね。
他の宗教の方々、植民地時代の占領国の方々、A級戦犯の方々など、「分祀」が出来ないのは、英霊をひとつの御霊と捉えているからなのかなぁ、と...。

> > 道真公は【非業の死者の怨霊を慰めるため】です。
> こちらは「(すさぶるっぽい)鎮魂(タマシズメ)」というイメージなのでしょうね。

そうです。すさぶるが故に鎮める...という鎮魂(タマシズメ)のイメージでした。

> > 靖国神社も【非業の死者の怨霊を慰めるため】です。
> > 野木将軍は...これは「戦争美化」...というより生前の武勲を称えて、かな?
> 生前の功績(武勲)ということなのでしょうね。(敗れてたら、戦犯扱いだったかもデツ)。

東郷提督を祀った東郷神社もこれにあたりますよね、おそらく。
生前の功績を神社で祀るという形は明治以降なのではないか...と思うのですが(ただ、私の乏しい知識に基づいているので怪しいのですが)。
松蔭神社や米沢の上杉神社は明治以前からあったかな?

> > 漠然とした書き方をしてしまってすみませんでした。(形になっていませんでした)。
> 私自身不勉強すぎて、申し訳ないです。

とんでもないです!それは私です。
私の方は、とても勉強になってます(実際「教えてチャン」で、申し訳ないです...)。

> > かつての京都の「化野(アダシノ)」「鳥辺野」etcって、”風葬”といえば聞こえはいいですが、ほったらかし(野ざらし)、の場に運んだ、ということのようですよ。
> > > 例えば、野辺送り。「野」には「葬送」の意もあるそうです。
> > つまり亡くなった方の遺体を「ほったらかし」にしていた、という事ですね。
> そのままにその場に「ほったらかし」ではなく(そのままでは腐敗しますから)、京の都の場合は、都の郊外まで運んで、そこに放置(風葬)したということ。

そうでしたか。読みが浅かったです。失礼しました。
「化野(アダシノ)」は、そういう「一旦死体を置く場所」だったのですね。当時はそれが一般的な葬送の形だったのですね。

> 野辺に運んで「悲しみいたむ」という意味では、それもまた「弔い」であったろうと想像します。
> 《「弔い」→*人の死を悲しみいたむこと。*追善。供養。*葬式。野辺の送り。》と辞書にあります。

了解です。

> > (少し前に出た「死穢」という考え方の現われ...かな?→ほったらかし(野ざらし))
> 「死」「死者」って恐ろしいっていう感覚があったと思いますし、いまもあると思いますよ。
> そばに、そのままにしておいてはイケナイ。。みたいな。。
> この場合の「死」「死者」って、第三者にとっての「死」(死体)という感覚で言っていたように思います。

了解です。これ、かなり難しい問題な気がします...。

> 考えてみれば、ごくごく近しいひとや動物の「死」の場合、「怖い」「恐ろしい」といったことはほとんどなかったですから。

確かに自分自身の経験と引き合わせて考えると、そうですね。
子供の頃に飼っていた犬が死んだときにも、「怖い」「恐ろしい」より「悲しい」の方が強かったですね...。

> 数日前の早朝、住まい(集合住宅)の外に、鳥(山鳩?)の死骸を発見してしまい、ドキッ。。(なぜって、わたし、当番制の年替わり自治会の責任者のひとり。。アフォボンがいれば、彼に、「鳥が死んでたから、花壇に埋めてくれる?」とか、頼みたかったところです。。←自分がしたくないことは息子にお任せ←なんとも身勝手な親で゙アリマツ)
> 夕方には死骸は見当たりませんでしたけれど。

頼めると思えるところは、頼もしいです。息子さん(^^)。
(うちの兄ちゃんだったら、絶対やらなさそう...(w)。

*******************************

ぼちぼちで...つづきます。
スローテンポですみません...。
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