ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』

 

ハイネ『ドイツ古典哲学の本質 』

――ドイツの宗教と哲学との歴史のために――

伊東 勉訳/岩波文庫(昭和26年11月26日)

原著 Zur Geschichte der Religion und Philosophie in Deitschland

著者 Heinrich Heine

*訳書の旧字体は新字体に、傍点は強調に改めた。

 
    訳者の言葉
    第一版の原著者の序文
    第二版の原著者の序文

    第一巻 宗教改革とマルチン・ルター
    第二巻 ドイツ哲学革命の先駆者。スピノザとレッシング
    第三巻 哲学革命。カント、フィヒテ、シェリング
    訳者註


訳者の言葉

−p.3−

 「人民の哲学」という言葉がこの頃よく用いられるようになった。たしかに哲学は「自然、人間社会および思想のもっとも一般的な発展法則を研究する科学」として万人が持っていなければならない。哲学は大学の講堂でのみ論じられるものではなくて、工場の休息所でも農家の炉辺でも、また小市民の家の茶の間でも研究されるべきである。つまり哲学は人民のものにならなければならない。ハインリヒ・ハイネは哲学が元来こうしたものであることをよく知っていたので、ドイツ古典哲学の本質とその社会的意味とを一般大衆にわかりやすく説明した。それがこの訳書の原著書「ドイツの宗教と哲学との歴史のために("Zur Geschichte der Religion und Philosophie in Deitschland")」である。訳者は原著書のこの標題を『ドイツ古典哲学の本質』と改めたが、ハイネのこの「人民の哲学」という立場をなるべく日本語で再現しようとつとめた。

 ハイネは本書でドイツ古典哲学の成立の由来と発展とを述べている。そのためにまず第一巻でゲルマン的汎神論的宗教とカトリック教との関係を明らかにし、ついでマルチン・ルターの事業を紹介している。第二巻ではことにデカルト哲学の第三子とも言うべきスピノザの汎神論とレッシングの啓蒙的活動とを詳しく説明して、カントまでのドイツの思想的発達をスケッチしている。そして第三巻でカントにはじまってヘーゲルでおわったドイツ古典哲学の発展をえがき出している。さてこのドイツの古典哲学はじつは「思想の天空でおこなわれたブルジョア民主主義革命」である。三四の小国に分裂し封建的な抑圧に苦しんだドイツ人民のうちのすぐれた思想家は抽象的な哲学の用語で思想上の革命をおこなったのである。ハインリヒ・ハイネはドイツ古典哲学のこの革命的性質を正しく見やぶった。そして本書でカントからヘーゲルにいたる発展をフランス革命とくらべながら説明して、さいごにこの哲学革命につづいておこるドイツの政治革命への見通しを述べている。一八三三年にドイツ古典哲学の革命的性質をはやくも見ぬいていたハインリヒ・ハイネはマルクスの友エンゲルスもほめている。

 こうしてドイツ古典哲学の革命的性質を見ぬいたのは、ハイネがすぐれた詩人であったばかりではなく、偉大な思想家であり、革命家であったからである。本書においてハイネは哲学的には汎神論者であり、政治的にはブルジョア民主主義者である。ここにハイネの思想の限界がみとめられる。けれども汎神論とは「神」というヴェールをかぶって現実を生き生きととらえようとする唯物論である。またブルジョア民主主義とは、封建的勢力が支配しており、労働者階級はまだ未熟であった一八三〇年代のドイツではもっとも革命的な政治思想であった。ハインリヒ・ハイネは一八三〇年のパリの七月革命に感激し、一八三一年には反動的なドイツをのがれて、パリに居をうつしたのである。

 ハイネは本書でドイツ古典哲学の革命的性質をヘーゲルにいたるまで説明している。さて、ヘーゲルで一おう完結したドイツ古典哲学が、その後に分裂し、フォイエルバッハの直観的唯物論を経てマルクスの弁証法的唯物論にまで飛躍した経過はエンゲルスの「フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結」にきわめて分りやすく説明してある。だからエンゲルスのその著書と本書とはこの点で姉妹の関係にあるといえよう。

 原著者の序文で明らかなように、本書ははじめはフランス人にドイツ古典哲学を説明するためにフランス語で書かれた。各巻の標題もフランス語の原書につけてあるものでドイツ語のにはついていない。こうしてハイネは一八三一年からドイツとフランスとの文化を融和させようと努力していた。フランス人にドイツ古典哲学を紹介している本書を通じて、当時のフランスとドイツとの文化の相違や特徴が興味ふかくうかび出ている。

 第二版の原著者の序文に見られるハイネの改宗は悲しむべきことである。けれどもハインリヒ・ハイネが一八四八年から脊髄をおかされて一八五六年二月一七日にパリで客死するまで「しとねの墓」にねたままであったこと、そしてこの第二版の序文が最悪の反動期に書かれたことを知ったら、ハイネのこの改宗は肯定されよう。しかし、ハイネは死にさきだつ数ヵ月前に「ルテーティア」のフランス語の序文で、自分のローマン主義を亡ぼすであろうたくましい共産主義の正しさをみとめている。

 ドイツ古典哲学は科学的社会主義が成立するための三つの源泉のひとつであった。このドイツ古典哲学の革命的本質を正しくとらえて、一般大衆に分りやすく説明したハインリヒ・ハイネの本書は、今日の日本でも意味深いものである。この訳書は先にも述べたように「人民の哲学」というハイネの立場を守って訳した。各節のきれ目のはじめにつけた見出しの文句は原著書にはないが、読者の便宜をはかって訳者がつけたものである。巻末の註は本書の理解を助けるためにつけた。この訳書が哲学を「世界を解釈し、かつ変革する」武器として学ぶ人々に愛読されることを希望する。

   一九五五年九月十日

伊 東  勉